第68話 告白の返事

 俺が初めに未耶ちゃんへ抱いた印象は、気の弱そうな女の子だなってものだった。


 庇護欲をそそる外見、気の弱い内面、そして歳下であること。どれも守ってあげなきゃって思わされる要素がずらりと並んでいた。


 それからは徐々に人となりを理解していく。やっぱり強く出れないところあるんだけど、芯は確かに存在する。ただ不幸な経験のせいで少し歪みが出てしまっただけ。男には俺から慣れていけば良いと、よこしまな思いは何一つなく心の底から思っていた。


 もう一度繰り返す。


 邪な思いは、一つとしてそこになかった。


「……ありがとう、未耶ちゃん」


 二人きりの屋上はお互いの声がよく届く。見とれてしまうような涙を流す未耶ちゃんの顔は、これまで見たどの表情よりも綺麗だった。


「返事を言う前に、少しだけ昔話をしても良いかな」


 真っ直ぐ目を見て俺は問いかける。未耶ちゃんは涙を拭いながら、こくりと頷いた。


 ……ごめん、長岡さん。勝手に言うのは良くないとは思うんだけど。


「三日前のデートの、公園での話。覚えてる?」

「……はい。相手のことをわかりすぎた、って話ですよね」

「そのせいで独りになったってところまでだね」

「……覚えています。その時にも言いましたが、わたしはわかってもらえるのは嫌じゃありません」

「それが知られたくないことでも全部筒抜けになるとしても?」


 間髪入れずに訊ねる。未耶ちゃんはすぐには理解が追いつかなかったのか、赤くなった目をぱちくりとさせた。


(それってどういう……)

「今、“それってどういう”って心の中で思わなかった?」

「っ!?」

(思っていたこと……全部そのまま……!)

「“思っていたこと、全部そのまま”か。そうだね、俺は思ってることを一言一句理解出来る……、えっと、要は心を読めるんだよ」


 今までは長岡さんにしか知られていなかった事実。苦い過去を理由にして相手と向き合わなかった言い訳。


 背徳的な秘密の共有に浸って、少しでも知ってもらおうとしなかった心の醜い部分。


(悟先輩がそうってことは……愛哩先輩も……)

「長岡さんに言って良いかは聞いてないから、本当は確認を取ってからの方が良いんだろうけどね」

「……本当なんですね。心が読める、って」

「気持ち悪いでしょ? よく美談として何も言わずに相手のことがわかるなんて言われるけど、何もかも通じ合うなんて実際出来てしまうとこんなもんでさ」


 隠しておきたいことも、抱いてしまった些細な悪印象も、言わなかったら円滑に進む内心も。


 そこに優先順位はなくて、残酷に全てを知られてしまう。


「だから人間は、相手の心が読めないように作られてるんだと思うよ」

「……だったら確かに、悟先輩にとって愛哩先輩は唯一無二ですね。多分、逆も」

「相手のことでさえ完璧にそうだって言えてしまうのも特徴かな」

「でも、もしわたしが」


 そこまで口にして、未耶ちゃんは一瞬だけ逡巡する。そこに思考の余地はない。


「もしわたしがそれでも受け入れるって言ったら、悟先輩はわたしを選んでくれますか?」

「……」

「偽装彼女じゃなくて、本当の彼女として受け入れてくれますか?」


 曇りのない瞳が俺を射抜く。身長差で少しだけ上目遣いになってるけど、ごまかしをさせない迫力があった。


 ……多分、長岡さんに出会う前なら。意味を持たない枕詞が脳裏をよぎる。


「ごめん」


 だけどやっぱり、俺は長岡さんに出会ってしまっているから。俺が一方的に知ってしまう状況を、って方向で打ち壊してくれた長岡さんが現れてくれたから。


 そんな理想の相手を、俺は知ってしまった。


「未耶ちゃんとは付き合えない」


 相手のためだとか、高尚な理由をつけることはいくらでも出来る。わかりやすい美辞麗句は考えるよりも先に出てくる。


 だけど一番の本心は、やっぱり俺の独り善がりなわがままなのだろう。


 未耶ちゃんは俺の言葉を聞き、小さく口を開いて、だけど続く言葉を飲み込んだ。


 代わりに未耶ちゃんは一言だけ。


「ちゃんと答えてくれて、ありがとうございました」


 そう言ってぺこりと頭を下げたのだった。






 その後無言のまま二人で生徒会室に戻ると、未耶ちゃんから偽装彼女の辞退を告げて長岡さんが引き受けてくれることになった。


 未耶ちゃんの気落ちした様子から長岡さん達三人はすぐに何があったのかを理解した。中でも立花さんは罪悪感を覚えており、俺はどうしようか思考を巡らせる。


 だけど真っ先に行動を起こしたのは、この中で最年長である音心だった。


「悟と愛哩は掲示物の確認をしてきて。期間が過ぎてるやつは剥がしてきて良いわよ」


 音心の心遣いに俺と長岡さんは短く返事をして生徒会室を出る。当たり前だけど誰も引き止める様子はない。


 音心なら任せられる。どの口が言うんだかと自嘲しながら、階段を上って四階の掲示板から確認していくことにした。


 隣からちょんと二の腕をつつかれる。言わずもがな、長岡さんによるもの。


「振ったんだよね?」

「うん」

「そっか」


 それだけで会話が終わる。長岡さんは事実確認をしたかっただけのようで、言うなりすぐに掲示物の確認を行いだした。


 そうだ、長岡さんには一つだけ謝っておかなきゃな。


「俺たちが人の心を読めることなんだけど」

「うん」

「未耶ちゃんには伝えた。今後避けられるかもだし、もしかしたら変な噂が立つかもしれない。だから先に謝って──」

「いらない。だってみゃーちゃんはそんなことしないでしょ?」


 俺には一瞥もくれずに淡々と告げる。素っ気なさが逆に信頼感を伺わせた。


 ……それもそうだ。未耶ちゃんがそういうことをしない相手だっていうことは、この半年間で痛い程理解したじゃないか。


「んふふ、正確には五ヶ月だけどね?」

「細かいな」

「まだ九月だしねー。たまーにひぐらしが鳴いてるからまだ十月には遠いよ」

「……そういうものかな」

「そういうものだよ」


 長岡さんは期限の過ぎた掲示物に刺さった画鋲を丁寧に抜いていく。俺は隣から掲示物を押さえて落ちないようにした。


「ありがと」

「ん」


 そんなことをして、上の階から下の階へと順番に確認していく。結局剥がした掲示物は三枚だけで、思ったよりも時間はかからなかった。そもそも二人で行くようなことでもないしね。


 全部確認した後、俺と長岡さんはそこから動かなかった。俺は長岡さんを横目で盗み見る。


(宮田くん、何て言って断ったんだろ)

「理由言おうか?」

「……だから、乙女の心の中は勝手に覗かないの」

「どうせ隠してもバレることだし」

「いいよ。それは宮田くんとみゃーちゃんだけの思い出だしね」


 思い出って言葉選びに少しだけ明るいものを感じた。苦い思い出なんて言葉もあるけど、多分今のはそういう意味だけで言ったんじゃない。


 心を読まなくても、それはわかった。


「琴歌の件だけど」

「偽装彼女でしょ? 何だろ、下の名前で呼んだりした方が良いのかな。悟くんはどう思う?」

「早速呼ばれると何だかむず痒いな……」

「悟くんは呼んでくれないの?」

「愛哩」

「……むず痒い」


 長岡さんは何とも言えないような顔をして唇を尖らせた。気持ちは痛いほどわかる。


 ただ、俺が言いたいのはそういうことではなくて。


「あのさ、俺──」


 ──続く言葉に、長岡さんはわかりやすく目を丸くした後、柔らかい笑顔を浮かべてわかったと答えてくれた。

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