第58話 閑話 高槻操二

 悟クンにまた相談に乗ってもらったその夜。オレはソラちゃんにデートのお誘いのメッセを送ってから自室で終わらない宿題の山を片付けていた。


「これ終わんねーだろ……」


 マジ世の高校生はこれ全部終わらせれてんの? ちゃんとバカなやつのことも考えた量なのか?


 こういうの、悟クンとか長岡さんなら一瞬で終わらせてんだろーなー。なんせ成績上位者の張り紙に載るくらいだし、何なら前それ見に行ったら二人で学年ワンツーフィニッシュだったしね。


 ……二人とも、どっか俯瞰してるんだよなー。心ん中全部見透かされてるっつか、何もかも知ってるっつかさ。一年の頃から長岡さんの方は遠巻きに見ていてもそれはひしひし伝わってきてたし。


「だから同じ系統の悟クンには、ってことかな」


 本格的に宿題に身が入らなくなってきてシャーペンを置く。

 長岡さん、悟クンと話している時は本当に楽しそうなんだよな。心から笑ってる感じが……って言うと周りにいる他の人に失礼かもだけど、二人だけは奇妙な繋がりがあるように感じる。


 ああいう関係は見ていて羨ましい。付き合ったら結婚まで行くんじゃないかな、なんて。


 そんな風に適当にぐだぐだとしていると、スマホがぶーっと音を立てる。届いたメッセはさっきデートに誘ったソラちゃんからであり、わかったと短い言葉だけ返って来ていた。


「……わかった、かぁ」


 絵文字もなければスタンプもない。別におかしなことではないけど、前は自分から会話を切るような返信はしていなかった。


 その意図が何なのか、オレは深く考えたくなくてスマホをベッドへ投げ捨てた。




 今日は昼過ぎからデートということで、俺は待ち合わせ場所の駅前にきっかり三〇分前から待っていた。


 することもないのでスマホを弄る。大して興味のない時事ネタを流し見しながら、行き交う人達を適当に眺めた。


「……ん?」


 そんな中、知ってる顔を見つける。あれは島本か?

 こっちの視線に気付いたのか、島本もオレを見つけてこちらへ歩いてくる。


「よう高槻。また女遊びか?」

「彼女出来たっつの」

「マジ信じらんねーわ。十股上等のお前がなぁ……」

「二桁行ったことはほとんどねーって」

「あるんじゃねえか……」


 少し引きながら島本は苦笑いする。てかそん時に彼女はいなかったんだけどね。そうするようにしてたし。


「……あ、そうそう。高槻ってさ、宮田と仲良かったよな?」

「悟クン? それならオレ昨日も一緒に遊んだよ」

「お前らがなぁ……。性格なんか正反対だろうに」

「んにゃ、話してみるとすげー良い人だぜ? 暗くもないしさ」


 本当、何でぼっちだったのかね。周りのやつ見る目無さすぎじゃね?


「そういうもんかねぇ……。……っと、そんな話はどうでも良いんだよ。宮田さ、その、……誰かと付き合ってたりする?」

「お前、もしかして悟クン狙いなのかよ!? やべーな!」

「んなわけねえだろ! 俺は普通にノーマルだっつの!」

「あっはっは、冗談じゃねーか!」

「……その、花火大会あっただろ? 俺あの時宮田と会ったんだけどさ」


 あー、あったなぁ花火大会。今年はソラちゃんと行ったけど、去年まではナンパしまくってたっけ。うっかりその話しちゃったらソラちゃんぷんぷん怒ってたな。


 ついこの間の話だ。あの時はまだ普通に好いてくれてた。


「宮田さ、長岡と一緒に居たんだよな」

「普通じゃね? 生徒会は同じだし、何ならそのうちくっつきそうなレベルで仲良いし」

「や、やっぱりそうなのか!? あいつらそういう関係なのか!?」

「……お? 何、お前長岡さん狙いだったの?」

「ううううるっせえな! 良いだろ別に!」

「へぇー? 良んじゃね? お前か悟クンのどっち応援するかって言われたら悟クンだけどさ」

「んだよ、同じサッカー部だろ?」

「そりゃ本気なら応援するけどな? お前一回でも夏休みに長岡さん誘ったか?」

「……花火大会に、一回だけ」

「あーなるほどな」


 先約があるって断られたんだろうな。生徒会か悟クンと二人きりか。島本の口ぶりだと後者か?


「ご愁傷さま!」

「おまっ、縁起でもねえこと言うなよ!?」

「てか一回しかってのがいただけねーわ。長岡さんは競争率高そうだし、視界にいるうちに目立たなきゃ勝てねーぜ?」

「……流石、恋愛マスターは違うな。やっぱ無理なのかなぁ……」

「そんなんじゃねーよ。あ、そうそうお前花火大会は誰と行ったん?」

「クラスの男女二人ずつの計四人」

「あっはっは! そんなところ見られてんならもう無理だろ!」

「んなの行ってみなきゃわかんねえだろ!?」

「お、わかってんじゃん。行けよ」


 突然のオレの発言に固まる島本。行けるか行けねーかなんて、行かなきゃわかんねえもんだ。


「簡単に言いやがるなぁ……」

「時代錯誤かもしんねーけどさ、女の子相手に告らせんのは恥だと思うぜ。告白されて嫌な気分になんのは相手が自分のことを嫌いな時だけだ。そうじゃねーんだろ?」

「……確かにな。何か本格的に相談乗ってもらった気分だわ」

「乗ってやったんだよバーカ」


 照れ臭そうに頭を搔く島本を見て、オレはふと息を零す。本気のやつを応援しないのは友達じゃねーからな。


「あ、そうそう高槻。お前彼女ってどんな子なんだ? 前から気になってたんだよ、女遊びの権化だったお前が本気になった相手」

「……あー、写真な。持ってたっけなぁ」

「んだよ、俺には見せてくれねえのか?」

「そういうんじゃねえけど……「ソウジ! 待たせてごめん……、あ」……お、ソラちゃん」


 ナイスタイミング。カメラロールに沢山保存されているオレの彼女の到着だ。


 これで写真を見せる手間は省けた。はずなんだけども。


「高槻、お前妹居たのか? それとも親戚の子?」


 目を丸くした島本は純粋な疑問として訊いてくる。だよな、そう見えるよな。普通は。何故かドキッとした。


 そして同じようにか面食らったソラちゃんは、気まずそうにたじろぐ。オレとソラちゃんが恋人同士に見えないのなんて、オレ達が一番知ってる。




 ──ここで彼女と言えなくて、何がソラちゃんの彼氏だよ。




「この子はオレの……「あたしはソウジお兄ちゃんのいとこだよ! 今日は遊んでもらうの!」」

「お、そうなのか。良かったなー遊んでもらえて」


 しゃがんで目線を合わせながら島本はソラちゃんの頭をぽんと撫でる。その様子はまるで二人が親戚のようだった。


「んじゃ俺は行くわ。また相談乗ってくれよな、高槻」

「あ、おい待て」

「? 何かあったっけ?」

「この子、ソラちゃんはオレの」


 オレの。そこから先、言葉が出てこなかった。


 たった一単語。それが途方もなく重い。


 ……この期に及んで、まだ体裁なんか気にしてんのかよ。


「何もねーなら行くわ。んじゃな」


 痺れを切らした島本は駅のホームへと歩いていく。オレは呼び止めることが出来ず、ただ俯いていた。


 ちょん、と腰の辺りをつつかれる。柔らかい力は紛れもなくソラちゃんのもの。 


「……えへへ、気にしないでね。ソウジ」


 ソラちゃんは困ったようにはにかんだ。どこか辛そうなのは、多分オレの思い上がりなんかじゃない。


 吐いてしまいそうな自己嫌悪で、オレはどうにかなりそうだった。




 オレはソラちゃんに連れられるがまま、公園に辿り着いていた。道中何かを話したような覚えはあるが、どれもおぼろげにしか思い出せない。


「ブランコあるよ! 最近全然見なくなったのに、珍しいね」

「あ、ああ。そうだね。オレ靴とかよく飛ばしたなー」

「そうなんだ! 今やってみてよ!」

「あはは、オレが乗ったら壊れちゃうよ」


 多分オレの応答はぎこちない。自覚があるのにどうにも出来ない。


 そんなオレを見かねたのかな。ソラちゃんは年相応の無邪気な笑顔をやめ、オレの正面に向き直った。


「どうかした?」

「どうかしたのはソウジじゃん。良いよ、さっきのはしょうがないもん」

「さっきの、って」

「高校生のソウジが小学生のあたしを彼女って言えないのは当たり前だもん。どう考えてもおかしいよ」

「そんなこと……」

「ないって言える?」

「……」


 言葉に詰まる。言わせたくなかった言葉への罪悪感と、どうしようもない自分への嫌悪感が自身を襲う。


「別れよ。それが一番だよ」

「いや、それは」

「だってあたし小学校に好きな人出来たんだもん! ソウジも元々は浮気者だったでしょ? いつ浮気されちゃうかわかんなくて怖かったし」

「ソラちゃん」

「だからさ、お互い無理しないで別れ……」

「ごめんね、ソラちゃん。そんなこと言わせて」


 オレは一歩前に出てソラちゃんの小さな身体を抱きしめる。胸元辺りですっぽりと収まった。


「……ダメだよ。だってもう赤の他人だし……」

「……泣かせちゃってごめんね。本当、オレはダメな彼氏だよ」

「……泣いてなんか……」

「……ごめん」

「……泣いて、ないもん……」


 震えた声は弱々しく響く。ぎゅっと掴まれた服はくしゃっと皺を作った。


「……だって、だってソウジとあたしじゃ年齢が合わないんだもん! 何でソウジは遅く産まれなかったの!?」

「そうだね」

「……何であたしは、もっと早く産まれなかったの……?」

「……そう、だね」


 オレ達がどうこう出来る問題ではない、理不尽すぎる後悔。


 オレはソラちゃんを抱きしめながら、一人空を見上げる。嘲笑うかのように澄み渡った青空。


 一体誰の感情を表した空なんだか。


「ソラちゃん」

「……なに」

「別れよっか」

「っ……!」

「……正直言うとさ、初めに付き合いだした理由ってのはお見舞いにソラちゃんのお父さんが来れないから、オレだけでもってことなんだ」

「……知ってる」

「あはは、バレてたか。オレもまだまだガキだなぁ」


 小学生に気付かれてたなんて、本当にオレはどれだけ小さいんだろうな。身長ばっか伸びたとしても、肝心なところはガキのまんまだ。


「でもソラちゃん、友達出来たでしょ?」

「……うん」

「じゃあまた入院することになっても大丈夫だね」

「……でもそれは、ソウジのおかげ。ソウジがあたしと一緒に居てくれたから、知らない人とも話せるようになったの」


 オレの腹を押して距離を取り、意志のこもった目でオレと目を合わせる。


「だから」

「うおっ」


 そしてオレの服の胸元をぐいっと引き寄せる。バランスを崩したオレは思わず前のめりになった。




 直後、でこにふわりとした柔らかい感触が伝わる。暖かくて切ないそれは、一々口にしなくてもわかった。




「えへへ、おでこのキスは“祝福”。でも知ってた? おでこのキスって可愛がるとか友情とかで、恋愛とは違うんだよ」

「……はは、調べたの?」

「うん。最初はちょっとへこんじゃったけど、でも小学生と高校生なら当たりま……んんっ!?」


 突然口を塞がれ目をまん丸にするソラちゃん。みるみるうちに真っ赤になっていく。




 なんせソラちゃんにとっては初キスだ。オレの唇にも小さくて柔らかな温もりが伝わってくる。




 ん、と声を漏らしたソラちゃんは目を細めながらオレを見る。パチっと目が合ったのが恥ずかしくてか、ソラちゃんはすっと目を閉じた。


 オレがキスをやめると、ソラちゃんは少しだけ名残惜しそうにしていた。


「最後の最後で気付けたよ、ソラちゃん。オレもちゃんと、ソラちゃんのことを恋愛的な意味で好きになれていた」

「……もう、ばか」

「おでこが祝福なら唇は誓い、証明のキスでしょ? 今のはオレとソラちゃんが別れた証明であって、オレの気持ちが本物だったって証明」

「……あたしも、好きだったよ。大好き。今も好き」

「……お互い好きなのに別れるなんて、遊び倒してた頃には考えたこともなかったよ」


 本当に、オレが小学生に自発的にキスをするなんてな。それもこれまでで一番真剣なキス。


「……じゃ、オレはそろそろ行こっかな。ソラちゃんはどうする?」

「ブランコ。ちょっと座ってる」

「そっか」


 オレはそれだけ言うとソラちゃんに背を向ける。追いかける声もなく、オレの鈍い足音だけが響く。


 もうすぐ公園の敷地を出る。今度はひぐらしの声が聞こえてきた。それ以外は何も聞こえない。




 ……ソラちゃんのすすり泣きなんて、聞こえねえんだよ。




 気付いた時には振り返り、大声で叫んでいた。


「ソラちゃん!!! ソラちゃんはオレのことなんか忘れてさ、いろんな恋愛しろよー!!!」

「……ソウジ?」

「オレも多分するからさ!!! 本当に気にしなくて良いしね!!! まあ前みたいに何股もかけることはないかもだけどー!!!」

「……ふふっ、何それー!」

「でもさー!!! 何年後か何十年後か、もしどっちもフリーならさー!!!」


 オレは深く息を吸う。そして今日一番大きな声で。




「絶対ソラちゃんのこと幸せにしてみせるから!!!」




「……っ、うん! でもソウジー!!」

「んー!!!」

「今度はあたしから行くかもー!!!」


 一瞬潤んだ声は、すぐに元気を取り戻す。


 今度はソラちゃんから、か。そうさせんのは男としてどうなんだってさっき島本に講釈垂れた後なのに、何でだろうな。


「すっげー嬉しい!!! じゃあソラちゃん、またね!!!」

「またねー!!!」


 張り上げた声は空へと響く。雲一つない、綺麗な快晴は新たな門出を祝福しているようで。


 ……誰の感情を表した空なんだよ、か。


「……あっはは」


 独り笑う。


 そんなもん、今のオレ以外の誰の感情を表してんだよってな。

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