第54話 花火大会4
夜の帳がすっかり落ちた
……そして、俺の手にはじんわり汗が滲んでいた。
「本当に人がいないんだね」
勢いで手を繋いだせいで初めこそ照れていた長岡さんだったけど、目的地に着く頃にはもう平静を取り戻して淀むことなく話せていた。適応力も高いんだろうな。
「それだけ穴場なんだよ。ここからでも全然綺麗に見えるし」
「良いなぁ。私なんていつも立ち見とかだったよ?」
「じゃあこれからは座って見れるな。ほら、そこのベンチが上手い具合に花火の方向に向いててさ……、っと」
俺と長岡さん以外誰もいないと思ったら、一組だけカップルがいた。二つあるベンチの奥の方、そこには中学生らしき初々しい男女が無言をどうにかしようとしており……。
「あ、あれあの時の」
「あの時?」
六時半頃にみんなを待っていた時の、暇潰しに見ていた付き合う秒読みの二人。髪型と浴衣を褒めてもらえた女の子のいじらしい姿が印象的だった。
「まああの子達の座ってるベンチと俺達が座るベンチは割と離れてるから、声までは届かなさそうだな」
「声を気にするんだったら心を読み合えば良いじゃん。私達だけにしか出来ないことだけど」
「……その度に顔を見るのは、ほら」
恥ずかしい。その言葉は口には出さなかった。
俺は何だか無性に照れ臭くなって長岡さんから視線を逸らすと。
「あ……」
心を読んだのか、するまでもなかったのか。長岡さんと目が合い、俺達は繋いでいた手をどちらからともなく離した。
「と、とりあえず座ろうか。長岡さん」
「えと、うん」
ぎこちない距離感のまま、俺と長岡さんはベンチに腰掛ける。今まで立ち通しだったからやっと息をつけた気がするな。
スマホの画面で時刻を確認する。今は七時二九分で、いつ始まってもおかしくない時間だ。そして案の定未耶ちゃんと音心が到着する様子はない。
「花火、そろそろ?」
隣から訊いてくる。横目で見ると、長岡さんはこっちを見ずに空を眺めていた。俺も倣って紺色の夜空へ視線を移す。
「うん。今が丁度二九分」
「そっか」
「……こんな風に誰かと花火を見るなんて、思ってもなかったよ」
「私もね、こんなにリラックスして誰かと見れるとは思ってなかった。……ちょっと違うかな?」
「気を許して、かな」
「そうかも。唯一無二が宮田くんで良かったよ」
唯一無二。それの意味するものは何だろう。長岡さんの方を向けば今すぐにでも出る答えだけど──
──まるで遮るように、視界に極彩色の花火が広がった。
「始まったね」
「……花火か」
「ふふ、そりゃ花火だよ? 私達は花火大会に来たんだから」
「ああ、うん。そうだね」
ドン、ドンと身体の芯へ響く花火の爆発音はこの感情を刻みつけるようだ。
最後に花火を見たのは、確か中学二年生。三年では孤立していたから。
あの時の花火は楽しかった。男友達四人でワイワイとくだらないことを話しながら、時には恋愛の話なんてベタなことも言い合って、まるで自分達が世界の主役のようにその時を楽しんでいた。
今はどうだ。会話は
だと言うのに。
「……花火大会ってさ、終わってみれば感想ってほとんど一致すると思わない?」
「楽しかった?」
「少なくとも俺は毎回そう思ってたよ」
「うん。私も宮田くんとは少し違うと思うけど、楽しいは共通してるかな」
「違う?」
「ナンパ相手の心の内なんて読むもんじゃないよ、とだけ。あと女の子の恋バナしてる時の心中とかね」
ナンパ相手は言うに及ばず、女子の恋バナは牽制とかかな。俺とは似て非なるもの。年季の入り方が違う。
「俺さ、今日も楽しかったとは思ってるんだけどね」
「うん」
「花火がさ、何でか綺麗に見えてさ」
俺が言うと同時、暗い夜空に光る花が咲く。赤や黄と見ていて高揚する色が美しく彩っていく。
「多分、今日の感想は綺麗だった、が先行する気がするんだよ」
「……んふふ、何それ。意味深だね」
「心を読んだらすぐにわかるよ」
「んーん、今は読まない。普通の人なら心なんて読めないしね」
長岡さんは座りながらぐっと伸びをする。小さな声が微かに漏れていた。
「そういう普通を経て、普通にそうなるんじゃない?」
「そういうもんか」
「同類……って言い方は、もうやめよっかな。宮田くんみたいな、同じ人は初めてだから。まだ手探りだけどね」
「……そうそう、長岡さん」
「どうしたの?」
改めて呼びかけると、長岡さんは夜空から俺へと目を移す。不思議そうな顔。それでいて、少しだけ何かを期待しているような表情。
俺は、開いた右手を長岡さんへと差し出した。
「これは?」
「さっきまでは未耶ちゃんとか音心、あと他に人も居て二人じゃなかったけどさ」
「んふふ、今は二人だよーって? 向こうには中学生のカップルが居るのに? それにさっきも流れで繋いで──」
「じれったいよ」
俺は長岡さんの膝の上に置かれていた左手を取る。突然のことで驚いたのか、手の中でピクンと跳ねた。
「……流れで、とか。俺そういうのは嫌だからさ。何かむずむずするし」
「……」
「……長岡さん?」
手を握ったっきり無言のまま、何も反応を示さない。からかいもしないのは少し珍しいな。
そんな風に軽く考えながら、何気なく長岡さんを見た。
長岡さんは、唇を内側に隠して、それでも顔の赤さは隠せずに。
(……そんなの、反則だよ。急に男らしいとか、ずるい)
……これは見たらダメな、普通なら知りえないことだ。長岡さんは口には出していないけど、それはある種の証明で。
握った手がぎゅっと握り返される。反射的に長岡さんの顔を見ると、ほんのり朱が差した頬のまま、照れくさそうに長岡さんははにかんだ。
「……あはは、今の、読んじゃったよね?」
「……読んでない、って言ったら嘘になるね」
「そうだよね。……、うん。その、ね? 今のはときめいただけだからね? あんまりそういう、あの、だからさ」
「大丈夫だよ。長岡さんがそう言うのなら、俺はまだ踏み込まないから」
「……ありがと」
お互いの手は繋がったまま。恋人繋ぎではない、親子がするような、普通の繋ぎ方。
「私さ、正直そういうのには無縁だと思ってたんだ。だって相手の考えてることがわかってしまうとか、絶対長くは続かないじゃん。だから神様は人間に心を読めないようにしたのかも」
「じゃあ俺達は不良品ってことだな」
「かもしれないし、そうじゃないのかもしれないね。ただ言えることは、私達はたった二人だけのマイノリティってことだよ」
長岡さんはふふ、と笑みを零して花火の方を見る。
ドォン、と一際大きな黄色の花火が夜空を彩った。
「宮田くんがそのもう一人で、良かったなぁ」
「……俺も、また人と楽しく話せるなんて思ってなかったよ」
本当に。あんなことがあったというのにな。
「ありがとう、長岡さん」
咲き終わった綺麗な花火は、パチパチと小さく弾けた。
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