第51話 花火大会1
夏の夜風が甚平の隙間を縫って流れ込む。まるで不快な生暖かさを取り去ってくれるかのようだ。
時間は午後六時半。俺は長岡さんに伝えられた待ち合わせ場所で、流れる人混みを眺めていた。
「ちょっと早かったかな」
集合時間は午後七時。相手を待たせるのもな、と考え出てきたのは良かったけど、流石に三十分も早いと何もすることがない。
「……おお」
思わず声を漏らす。俺と同じように人を待っている、多分中学生くらいの女の子。どこかそわそわしながら髪の毛を気にするその子は。
(だ、大丈夫かな。いつもと髪型違うし、それに浴衣なんて着てきちゃったけど、湊君に変に思われないかな)
何だか微笑ましいな。付き合う前なのか既に付き合ってるかはわからないけど、伝わってくる心は相手にどう思われるかでいっぱいだ。
やることもないので彼女を遠巻きに眺めていると、やがて相手と思われる、これまた中学生くらいの男の子が急ぎ足で駆け寄った。
「ごめん遅れた! 人が多くて電車乗り損ねちゃって!」
「う、ううん! 大丈夫だよ! あたしも今来たところ!」
「……」
「な、何……?」
「あ、ごめん。……その、浴衣。似合ってるよ」
「っ!」
(ほ、褒めてくれた! やっぱり着てきて良かった!)
「あ、ありがと、湊君!」
「そ、それとさ。髪型も……」
「〜〜〜っ!」
……あ、甘酸っぱい!! さくらんぼみたいに甘酸っぱい!
勇気を出した男の子は恥ずかしそうに頬をかき、褒めてもらえた女の子は真っ赤に染まった顔を隠すこともせずあわあわとしている。そんな二人は、どちらも幸せそうで。
「じ、じゃあ行くか! 俺穴場知ってるんだよ!」
「う、うん! そうだね!」
男の子は先んじて歩きだそうとすると、その瞬間二人の手がちょんと触れた。
「「あっ……」」
(み、湊君の手が……!)
(こ、これ手を繋げって合図か!? でもまだ付き合ってないし……いやでもここで間違えたら……!)
甘酸っぱ!!! 何かここだけ少女漫画の世界に迷い込んだみたいだ!!!
……うん、二人にはぜひとも幸せになってほしいものだね。見た感じ(心を読んだ感じ?)両想いっぽいし、もう付き合うまでは秒読みかな。あとはどっちかが告白出来れば、晴れて二人は恋人同士だ。
彼らは結局手を繋ぐことなく、お互いドギマギしながらその場を離れていった。再び暇になった俺は腕時計で時間を確認する。時刻は午後六時四十分。早い人ならそろそろ到着する頃かな。
ふと視界に知ってる顔が入った気がした。知り合いかな、とそちらへ目を向けると、浴衣の未耶ちゃんがおろおろとしていた。透明感のある白地に……あれはアサガオか? 花をあしらった可愛らしい浴衣。未耶ちゃんによく似合っている。
「あ、あの。すみません。待ち合わせがあるので」
「お、ならその子達も一緒に花火見ない? 俺ら二人とそっちのみんなでさ」
「ご、ごめんなさい、あの」
呑気に浴衣を見てる場合じゃないな。あんな風に絡まれてまた男を盲目的に嫌がっては元も子もない。俺は早足で未耶ちゃんのもとへ駆け寄った。
「未耶ちゃん、もう来てたんだ。早いね」
「あ、悟先輩……!」
俺の顔を見てパッと顔を明るくする未耶ちゃん。途端に俺の袖をぎゅっと掴み、後ろに隠れる。
「あ、何だ男連れ……。ごめんね、てっきり女の子で来てるもんだと」
「ほら行くぞ。彼氏さんもごめんよ、人の女に声かけちゃって」
絡んできていた男二人は、しかし存外に穏やかで、頭を下げてどこかへ行った。
先に見つけたのが長岡さんや音心じゃなくて良かったな。彼氏持ちだから引いたって感じだったし、俺じゃなかったら多分拗れてたと思う。
「大丈夫?」
と、そんなことよりまずは未耶ちゃんの様子だよね。俺は男二人が行ったことを確認してから未耶ちゃんに問いかける。
「あ、はい。ありがとうございます……」
少し身体を震わせながら、それでもお礼を言う。前のように男である俺を拒絶する感じはないから、まだマシではあるのかな。
(悟先輩……やっぱりわたしのこと……)
……うーん……? まあ今否定するのも変だし、別に良いか……?
にしても未耶ちゃん、本当によく声を掛けられるんだなぁ。こういう気の弱そうな子は気軽に話しかけやすいんだろうか。音心が声を掛けられない理由もそこなのかもしれない。
「あの、悟先輩」
「何?」
「浴衣、どうですか?」
上目遣いでおずおずと訊ねる未耶ちゃん。その質問の正答は、奇しくも先程中学生の二人に見たものだ。
「うん。透き通った感じが未耶ちゃんに合ってるよ」
「あ、ありがとう、ございます……」
(ほ、褒めるってことはやっぱり悟先輩ってわたしのこと……。何だか恥ずかしい……)
質問したのは未耶ちゃんなんだけどな……。まあ俺も勘違いされるような答えを口にしたのだって悪いか。
だからって嘘は吐かないつもりだけどね。似合っているのは事実だし。
「あ、会長と愛哩先輩だ」
未耶ちゃんの視線の先には、浴衣を着た長岡さんと音心が人を避けながらこちらへ歩いてきていた。
長岡さんは未耶ちゃんとは対照的に黒がベースで、アサガオとはまた違った花があしらわれている浴衣を着ている。音心は子どもが着ていそうなピンクの浴衣。ハートやら星やらが散りばめられていた。
「未耶、アンタ大丈夫だった?」
「何がです?」
開口一番心配をする音心。一体何の話だろう。
「何ってアンタ、さっき男に絡まれてなかった? 悟が助けたみたいだけど」
「あ、はい。悟先輩が来てくれて……」
「まあ丁度良いタイミングで見つけることが出来たからね……って長岡さん、何笑ってるんだよ」
「んふふ、ごめんごめん。着々とみゃーちゃんを落としにかかってるなぁって」
「みゃーじゃなくて未耶です!」
そっちか。いやそっちとか以前に落としにかかってもないよ。それも心を読んだらわかることだろうに、長岡さんは……。
「でも災難だったね。みゃーちゃん二人組に声掛けられてたでしょ? 私は一人だったからまだ簡単に断れたけど」
「です。……あ、わたしは一人でもちゃんと断れるかはわかりませんけど……」
「長岡さんも声掛けられたんだ」
「うん。会長と合流する前に一人だけね。直ぐに引いてくれて助かったよ」
やっぱり女子だとそういうのはよくあることなのかな。まして長岡さんや未耶ちゃんみたいに可愛いと、他の人よりも多く声をかけられてそうだ。
クイッ。甚平の袖が引っ張られる。そっちへ顔を向けると、長岡さんが口だけ笑みを作っていた。
(可愛いって褒めてくれるのは嬉しいんだけどさ)
(……まあ事実だからね。別にお世辞でもなければ隠すようなことでもないよ)
(ありがと。でもそうじゃなくて、会長。私がフォローしても変に拗れちゃいそうだからさ、宮田くんが何とかしてくれない?)
音心のフォロー? 言われた意味がよくわからず、音心を確認する。
(良いわよ……別にあたしだけ話しかけられないのなんて別に気にしてないし……生まれてこの方ナンパされる経験ゼロでも生きていけてるし……)
「あぁ……」
「ちょっと悟。アンタ今あたし見て何か悟ったわね。場合によっては歯を食いしばることになるわよ」
「物騒だな……」
ともあれ何をどうすれば良いのかはわかった。つまり音心がナンパされなくて傷付けられた自尊心を満たせってことだな。
「音心のその浴衣、ちゃんと似合ってるよ。男が声を掛けてこないのは音心が高嶺の花に思われてるんじゃないか?」
「……今何て言った?」
「だから、音心が高嶺の花だって……」
「その前」
「? あ、浴衣が似合ってるって」
「これ中学一年生の頃に買ったやつなんだけど」
「……」
うん、音心は小さいからそういうこともあるのかもしれない。五年前から身長がそう伸びていないことだって、まあそういうこともあるのかもしれない。
「歯を食いしばりなさい」
「結局そうなるのか……」
まあ、何だかんだ言って殴りはされなかったんだけどね。
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