第42話 依頼の男

 午後の授業が終わり、あっという間に生徒会活動の時間になる。既に生徒会のメンバーは全員集まっており、いつもの席に座っていた。


「長岡さん」

「何?」


 小さな声で呼びかける。流石に生徒会室は狭いので未耶ちゃんや音心にも聞こえただろうが、関係ないと判断したのか特にアクションを見せる様子はない。

 俺は不慣れなウインクをして、テレパシーで話すことを言外に伝える。


「ぶふっ!」

「愛哩?」

「い、いえ……。何でもありません。んふふっ」

(何今の宮田くんのウインク、すごい下手……!)


 ……いや、そんなに笑うほどじゃないだろ。確かに顔つりそうになったけど、そこまでじゃないって。

 改めて長岡さんと目を合わせる。今度は意図を理解してくれたようで、


(ごめんごめん、不意打ちだったからつい)

(……ウインクの練習してくるか)

「あははっ!」

「……どうしたの、愛哩。具合でも悪い?」

「いえ、すみません会長。宮田くんが悪くて」

「俺かよ」

「どう考えても宮田くんでしょ……ふふふっ!」

「……アンタら仲良いのは良いけど、あんまりイチャつかないでよね。やるなら外でやりなさい」


 ウインクの練習は割と真剣に言ったんだけどなぁ。家に帰ったら確認してみよう。


(それで? 何か用?)

(今日例の未耶ちゃん狙いの先輩が来るって聞いたけど、俺はいつ頃未耶ちゃんを連れ出せば良い?)

(んー……、四時半って言ったからあと一〇分なんだよね。出て行ってもらうのはちょっと早いかなって思ってたけど、やっぱり今連れ出してもらおうかな?)

(ん、了解)


 俺は頷いて未耶ちゃんへ視線を向ける。今は文化祭に向けての見回り等の人員の割り振りをやってるのか、去年の文化祭のシフト表とにらめっこしていた。


「未耶ちゃん、ちょっと良い?」

「は、はい!」

「相談したいことがあるんだけど、着いてきてくれないかな」

「え、でもそれならここでも……」

(男の人と二人……)

「……えと、個人的な話なんだよ」

「仕事のことを気にしてるなら別に大丈夫よ、未耶」


 手際の悪い俺を見かねたのか、音心は助け舟を出す。ナイスアシストだ。


「……、わかりました」

「ありがとう。助かるよ」


 ちら、と音心を見るとふふんと得意げな顔をしていた。でも今回は本当にありがたい。


(まったく、悟もまだまだ世話が焼けるわね)


 よく忘れるんだけど、音心も何だかんだ言って先輩なんだよな。頼れる先輩ってこういうのかな、なんて考えが頭をよぎる。


 生徒会室を出ていく間際、不意に長岡さんと目が合う。長岡さんは満面の笑みを作り、これ見よがしにウインクをした。


(お手本にしてくれても良いよ)

(俺と似たようなもんだろ)

「んふふっ、あんまり笑わせないでってば」


 ……にしても、そんなに下手くそなのかなぁ。まあ少なくとも、長岡さんの今のは上手だったけどさ。




 未耶ちゃんと生徒会室を出て、着いた先は屋上。放課後に一対一で話すには丁度良い場所だ。

 屋上ではいつものように髪が風に煽られる。ひんやりと涼しさを感じるが、ただそれ以上に照りつける太陽が暑い。眼下のグラウンドから聞こえてくる掛け声も心なしか疲れを感じた。


 ……で、今は会話のない気まずい空気に未耶ちゃんと二人。

 すぐに本題に入っても良いんだけど、長岡さんと音心が対応している案件を考えると時間稼ぎもしなきゃだからなぁ。


「未耶ちゃん、さっきの仕事って……」

「は、はい!」


 びくっと肩を跳ね上げる未耶ちゃん。やっぱり警戒されてるんだろう。


「あれだよね、文化祭のシフト」

「あ、はい。去年のシフト表を見て、今のうちにどこに何人割くか考えておこうと思って」

「なるほど」

「まあまだ実行委員も決まっていないので、何とも言えないんですけどね」


 文化祭自体は二学期の話だから、確かに今はまだ大枠しか決められないか。


「去年の文化祭はどんな感じだったんですか?」

「去年かぁ……」


 言われて去年の文化祭を振り返る。


 振り返る、が。


「……あれ、俺去年文化祭行ったよな……?」

「悟先輩、もしかして風邪引いたりしてたんですか?」

「いや、去年は皆勤賞もらったからそんなことは無いはずなんだけど……」

「……サボリ?」

「そんなことはない、と思う……?」

「ふふっ、何で疑問形なんですか」


 未耶ちゃんは柔らかくはにかむ。

 そうそう。こんな感じだったね、未耶ちゃんと話す時。距離が出来てまだ数日だけど、既に懐かしく感じるや。


「でも文化祭か、今年は楽しいんだろうなぁ」

「?」

(今年は……? でも今年は悟先輩生徒会役員だし、あんまり回れないんじゃ……)

「ああ、確かに生徒会だから忙しいかもね」

「だと思います、けど……」

「ただほら、記憶のない文化祭よりは楽しくなると思わない?」


 去年の文化祭には本当に何一つ思い出がない。教室で時間を潰したか、当てもなくクラスの出店を回ったか、講堂を借りた演劇を見ていたか。何があったのかは思い出せるが、思い入れは一切ない。


「ま、実際のところはどうなのかわからないんだけどね」

「……わたしも」


 ぎゅっと握り拳を作る未耶ちゃん。俺は続きを待つ。


「わたしも、楽しくなると思います」

「そっか。そうなったら良いね」

「はい」


 ふ、と髪が風によって撫でられる。ここに来た当初とは違う、心地良い無言。俺と未耶ちゃんはしばらく二人で佇んでいた。


「ねえ、未耶ちゃん」

「はい」


 これも初めとは違い、ごく自然に応答してくれる。肩を跳ね上げるなんてことはもうなかった。


「今日なんだけど、一緒に帰れない?」

「……それは、二人きり、ですか?」

「その言い方はちょっと恥ずかしいけど、そうだね。二人が良いかな」


 未耶ちゃんは揺れる瞳で俺の目を見つめる。元々の下がり眉と身長差による上目遣いが相まって、とても不安げだ。


 だけど、今度は前のようには逃げなかった。


「……わかりました。悟先輩と一緒に帰ります」

「そっか。ありがとね」


 俺のお礼には頭だけ下げ、未耶ちゃんは俺を視界から外すように身体を反転させて一歩前に出る。


 俺は何も言わず、未耶ちゃんの小さな背中を見ていた。




 夕暮れにはまだ早い夏の一八時。やることもあまりないので生徒会活動も早く終わり、言っていたように俺は未耶ちゃんと二人で下校していた。


 あの後少しして生徒会室に戻ると、既に長岡さんと音心は依頼を解消していたようで中には二人しか居なかった。

 長岡さんによると、くだんの彼の相談を聞く過程で音心は今のところ誰とも付き合う気がないと伝えたそうだ。つまり彼の依頼に来る口実が無くなり、晴れて未耶ちゃんへも簡単にはコンタクトを取れなくなったらしい。


「依頼に来てたあの人なんですけど、本当にもう来ないでしょうか?」

「終わったって言ってたから大丈夫だと思うよ」

「そうですか……。……あんまりこんなこと自分で言うのは変なんですけど、実はあの人会長じゃなくてわたしに迫っていた気がしていて、ちょっと怖かったので……」


 おお、未耶ちゃん凄いな。実際にその通りだし、やっぱり何かしら伝わってしまうものなんだろうか。

 未耶ちゃんは身を縮こませるように俯く。本当に怖かったのが言わずとも伝わってくる。


「もう大丈夫だから」

「はい……」


 俺はそう言って琴歌にするように背中をポンと叩こうとする。だが直前で手を止めた。


 未耶ちゃんは俺にはまだましと言えど、男が怖いのはそのままだ。あんまり触られたくはないだろうしね。


 ──そんなことを考えていたからか、俺は起きたことに一瞬理解が追いつかなかった。




「んだよ、そういうことか……。アンタら付き合ってるから俺を追っ払ったってワケ?」

「きゃっ!?」




 ぐっと未耶ちゃんの肩に荒々しく置かれる男の手。間違いない、依頼に来ていた男だ。


「未耶ちゃんの肩から手を離してください」

「あ?」

「離せって言ったんですよ」


 未耶ちゃんの肩から男の腕を払いのける。未耶ちゃんはすぐさま俺の後ろに隠れ、背中をきゅっと掴んでいた。


 ……震えている。そりゃ怖いよね。実際俺だって今何されるかわからなくて怖いし。

 男が苦手な未耶ちゃんなら尚更だ。


「なぁ、そういうことなんだろ? 俺が会長狙いってのを逆手にとって厄介払いしたってのはよ」

(クソ、イラつく。まずこいつは何なんだよ)


 口は悪いがまさにその通りの発言。そうされているって自覚もあったんだろう。そしてこの現場の目撃。付き合ってはいないという事実は違えど、腹が立つ理由も理解は出来た。


 その上でどう穏便に済ませるか。俺は必死に考えを巡らせていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る