第2話 城塞都市 シグルドリーヴァ
山々が並ぶ中で、標高が約1000mの山がそこにある。目を向ければどれがその山なのかよく分かるほどだ。
また、それは遠くから見れば緩やかに見えるくらいであまり厳しいような坂が見当たらないだろうが、実際に登ればどれほど苦労するか分からない急な傾斜も少なくない。
何故それが分かるのか。
それは実際にその高い山の頂上へ向かって、ウォーレスと秋貴を乗せた黒い馬が駆け上がっているからだ。
濡れた地面に急な坂などもあるのだが、まるで苦にもならないように駆け上がるその姿は、馬でありながらもカモシカのように思えてしまう。
今は天候が悪く曇りのせいか、麓からでは頂上が雲によって隠れて見る事ができず、また木々なども眼前の視界を妨げていた。
だが、木々と
普通であれば、視界が良好でもない場所で足場の悪い所を疾走することは難しい。
それを難なくこなしてまうウォーレスの腕が、相当に卓越したものであるのが秋貴にも分かった。
そのことからまるで問題はないように思えたが、一つだけあった。
それは秋貴である。
「うっ!……げっ……ぐぉっ!?」
馬をテレビでしか見たこともなければ乗った事もない現代っ子で乗馬初心者な秋貴にとって見れば、馬の挙動は地獄そのものである。
駆け上がる度に振動で尻を叩かれ、弾んだかと思えばまた叩かれる。
何とか振動を抑えようと首にしがみ付こうと思っても全く持って効果がない。
しかも意外と地面から離れていて視界が高い。
恐怖に身体が固まっているために振動に翻弄され、それを抑えようと首にしがみ付いたはいいものの、そのせいで視界が下へと向いてその高さに
悪循環である。
何とかして欲しいところだったが、それを秋貴の後ろで手綱を操っているウォーレスに言うのは
急いでいるというのがその雰囲気で分かったのもそうだったが、秋貴が落馬しないように注意を払っているという事も理解していたからだ。
というのも、2、3度落馬しそうになった時にしっかりと保持して助けてくれていたのだ。
急いでいる上に、そうして注意を払うのは難しい。
だからこそ、振動に翻弄されている秋貴は尻の痛さと落ちる恐怖に怯えながらも文句を言わずに黙っていた。
暫く揺られて、そんな我慢もそろそろ限界に差しかかろうとした時、木々と霧雲で見えない先から何やら音が聞こえてきた。
それは人の声だったり、何かを打ちつけている音だったり様々だ。
なんだろうかと秋貴が思ったと同時に、激しい揺れが緩やかになる。どうやら、目的地に着いたようだった。
そして、ようやくしがみ付いていた馬の首から前を向いた秋貴は、目の前に
石で造られたそれは重厚で、高さが約30mもあり、あくまで機能を重視したかのような武骨な門。
入り口から出口までの距離は25mほどあり、門というよりはちょっとしたトンネルの様に思えてしまう。
その門の手前と奥にはそれぞれ落とし格子がついている。
これは、敵が攻めてきた時に侵入を防ぐというものの他に、閉じ込める罠としても使えるようになっているようだ。
また、門の入り口側に一つだけ出窓というものが真ん中についている。
そこでは門を開けずに相手とやり取りをしたり、敵が門へと来た時に対処ができるような設計がなされている。
そんな門をさらに強固にしているのが、両脇に設けられた
それには、
そこから左右に伸びている城壁は高さが約20mにまで及び、地面から垂直になっていてとてもではないがそのままで登ることは出来そうにもない。
また、その城壁には
そうした明らかな戦のための建造物を前にして、秋貴はただ茫然とするしかなかった。
ゲームで見るのと、実際に見るのとではここまで違うのかと思うほどだ。
(マジかよ、これ……)
さらに、そんな門から出入りしている人並みは人間とは違う種族と思われる者も多数入り乱れている。
人は当然として、獣の耳を生やした者や獣同然とした顔をした者、亜人などファンタジーさながらの種族たち、果てはそれらとはまた違った異形の姿をした者まで様々だ。
それらが喧々轟々とひしめき合っている。
ここまで秋貴のいた文化とは違ったものを見て、最早彼は何も言えない。
最初のウォーレスとエリスに受けた衝撃よりも、より強かった。
挙動不審のように周りを見渡す秋貴。何か現代日本と同じものがあるのではないかと探すが、どれも昔の洋風中世や、ゲームやアニメ、映画などで見たファンタジーさながらな恰好をした者ばかり。
どこを探しても、そこには現代日本の面影すら見当たらなかった。
「
「!?」
「もうすぐ着きます
ショックを受けた状態の秋貴に対して、突然後ろからウォーレスが話しかけてきた。
どうも周りを見ていた時、顔に出ていたらしい。
ビクリと驚いてウォーレスに顔を向けるが、そんな彼は今はもう前方を見たまま馬を操っている。
とにかく秋貴は無言で頷くだけ頷くと、すぐに前に向き直った。
ついでに体もウォーレスとなるべく離れるように前方へと傾けてもいた。まだ全身鎧の
それから、それほど時間もかからず門へと着くと、そこには様々な人が声を出し合っているのが聞こえてきた。
「おい!こんな事は初めてだぞ!?一体何がどうなってるんだ!」
「今までと少し違うだけだろ?敵の軍勢が無くなったんだからいいじゃないか」
「はいはーい、どいたどいた!急いでるんだからそこ開けてー!」
「今回は山の上なんだねー。今は天気が悪いけど、晴れたら見晴らしが良さそうだ」
どうやら秋貴と同じように混乱している者と普段通りの者に分かれているようだった。
何故こうも二通りの者たちが出てきたのかは秋貴自身良く分かっていないが、それどころではない秋貴にとっては今は些細なことである。
そしてそんな喧噪の中にある25mもある門の中を潜り抜けた。
そこで秋貴の視界に映ったモノは、潜ってきた武骨な門などとは違いヨーロッパの建築様式でもあるルネサンス様式とバロック様式の家が並んでいる姿だった。
それらの家は白色が基本だが、茶色や黒、派手なものでは赤色のものまである。
日本にいた頃であれば、世界遺産とされている場所を連想させるような街並みだ。
そして、その中に一際目立つものがあった。それはこの
造りは城塞都市内の家屋と同じだが、遠くからでも一つ一つのものが他とは一線を画するものというのが分かるような造りで、しかも装飾などが施されている。
天候が悪い中でも少ない光によって輝いているその姿は、いっそ幻想的ともいえた。
「ウォーレス様!」
「!?」
そんな幻想的でもある遠くの城を眺めていたその時、声を掛けて秋貴たちへ向かってくる者がいた。
二人に近づいてくる人物は、全身鎧によって顔を隠しているためウォーレス同様どんな容姿をしているのか分からないが、ウォーレスと違うのを挙げるとしたら袴を着ていなくて、白い鎧を付けているところだろうか。外見から判断すると騎士といえる。
「ご無事でしたか!」
「ああ、特に怪我を負ったわけではないからな。大事ない」
「それなら一安心です……して、そのお方は?」
「ああ、このお方はやんごとなき身分でな。素性は明かせんがくれぐれも失礼のないように頼む」
白い全身鎧の騎士は、まずウォーレスに無事を確認できたことに安堵するが、そこでウォーレスと相乗りしている秋貴に当然だが疑問をもったようだ。
ウォーレス自身もその質問が来ることは分かっているのか、普段通りの態度で返す。秋貴はその間ビクビクと震えていたが。
「なるほど、わかりました」
「これから城へと戻る。お主は……そうだな。我が留守にしている間、エリスが
「あの、それは不味いと思うのですが……」
「なに、この状況だから仕方がない」
「いえ、それに関しては承知していますが……別の問題が」
どうにも言葉を濁す白騎士。
秋貴はというと、二人のいう者が誰なのか分からないので会話に入れずに黙っている事しかできない。
白騎士は口に出して言うには憚れる内容のようで、秋貴がいる前では言いにくそうにしていた。
その意味をウォーレスは正確に理解しているのか、頭を軽く掻く。
「あー……まぁ、そこは我が宥めるから大丈夫だ、うん。個人的な事であるからな」
「……はっ、ではこれより部下を纏めてエリス様の支援へと向かうように要請します」
「頼む」
そう言われると、白騎士は右の掌を胸に当ててから足早に去っていく。
暫くその姿を見送ってから、ウォーレスは手綱を操って止めていた馬足を再び動かし始めた。
「さて、帝(みかど)。城に戻った
「わ、わかり……ました」
「…………」
相変わらずの敬語な秋貴だが、ウォーレスはそれ以降は何も話すことはなかった。
無言になる中、馬を進める度に様々な景色が秋貴の目に入ってきていた。
野菜や肉、魚や手作りの刃物、玩具などを売ったりしている露店が色々とあってついつい見てしまう。
店は人間がやっているところもあるが、人種が違う者の店の方が圧倒的に多く、普通に木を削って細工物を作るエルフがいれば、店の前で焼きたてと称して肉を焼くために火を噴く竜種、獣人でも良い香りだと評判になっていると宣伝するオーク、魚を売っている鮫の魚人など、おかしいと言いたい店もある。
それでも、この活気は城門で見たものとは違い明るい雰囲気があった。
(こうしてみると、人種が違うだけでやる事は俺の知っている地球と大差ないんだな……)
パフォーマンスに関しては地球ではあり得ない奇想天外なものだらけではあるが、商売としてのやり方には秋貴の知る日本のものと変わらなかった。
見た目は違っても、雰囲気や人となりは一緒なのかもしれない。
そんな、一つだけでも日本と似たものを見つけられた事が何故だかひどく安堵させた。
そんな人の活気溢れる中を進み、商人に声を掛けられたり、違う兵士に挨拶されたり、子供に手を振られながらたどり着いたのは、遠くから見たあの白亜の城だった。
遠くからでも圧倒的な存在感を放っていたが、近くで見るとそれは更に増したようにも見えた。
「すげえ……」
思わずそう呟いてしまう程にその造りは美しく、神秘的だった。
白亜の城といわれるだけあり白を基調としたもので彩られて、太陽の陽を浴びた時には今よりもずっと輝いた姿になるだろうと思わせる。
城門の扉には左右違う装飾がなされており、そこには羽の生えた女性と剣を掲げた男性の姿が写し出されていた。
また城にも所々に細かい装飾があり、きらびやかな外見をしているが、だからといって城としての機能を損なっているという事は無さそうだ。
そして、城門の前には兵と思わしき者たちが二人、槍を持って立っているのが分かった。
どちらも純白の鎧を付けており、城の景色と相まってその姿は厳格にも見える。
そんな二人が、ちょうど秋貴たちが向かってくるのに気付いたようで一瞬警戒するような眼を向けてきたが、相手のうちの一人がウォーレスだと分かったのかその警戒心を収めて敬礼してきた。
「ウォーレス様、如何しましたか?」
「エリス様とご一緒だった筈では?」
「いや、ちと至急の用ができたのでな」
門兵の二人はそう言われて何か緊急の事態が起きたのではないかと身構えたようだったが、ウォーレスは大事がないという意味で軽く手を振る。
「この国が危機に陥るというような事態にはなっていないから気にするな。ただ、重要な案件というだけだ」
「はぁ……」
「では、引き続き警戒を頼む」
どうにも要領を得ないという門兵二人にこれ以上話すことはないとばかりにウォーレスは馬を進めて中に入る。
実は秋貴はその間門兵の二人にずっと見られていたのだが、特に言及される事は無かった。
いや、もしかしたらウォーレスの無言の圧力で何かを察したのかもしれない。
とにかく、秋貴はそれから何事もなく通ることができた。
馬から降りて城の中にはいると、城の中は外見の煌びやかなものとは違って簡略化したような造りとなっていた。
あまりのギャップに秋貴は目を疑う。ただ、だからといって城の内装がひどいという訳ではない。
逆に秋貴にとっては外見のように煌びやかでないことが落ち着くほどだ。
「帝、こちらです」
「あ、はい」
入った瞬間から立ち止まっていた秋貴だったが、ウォーレスが傍に来て耳打ちするように告げてきたので我に返り、先を歩くウォーレスについていく。
辿り着いた先は、ほかのとは違うだろうことがわかる部屋だった。
その証拠に、
(扉がここだけ装飾されてるし……)
周りを見ながら歩いてたが、今秋貴の目の前にある扉以外で装飾が施されたものは一つもなかった。
その装飾は、城門にもあった羽の生えた女性と剣を掲げた男性の姿と同じ。
もしかしたら何か意味があるのかもしれないが、今は気にするような事でもないと秋貴は思い直す。
「帝、どうぞお入りください」
扉の前で礼の形をとるウォーレスにそう促されて頷き、扉を開いて入り、
「わぷっ!?」
「どうされましたか?」
「いや、なんか顔に何かが引っかかって……」
「…………」
顔に何かが引っかかるのが分かった。慌てて顔に手をやる。
ウォーレスも秋貴のその動作を訝しそうにしたが、秋貴の返答を聞いて一瞬止まったかと思うと、やれやれというように首を振った。
そして、何が顔に付いたのかすぐに分かった。
「……蜘蛛の糸?」
「シィル、出てこい」
こんな綺麗な城の中に蜘蛛の巣が張ってあることに疑問を持った秋貴だったが、ウォーレスは違ったようだ。
ため息と共に吐き出したその名に、秋貴の視界の隅で何かが動くのが分かった。
そして、それは飛び込んでくるかのように目の前に現れた。
「シシシシシッ!」
「っ!? うわっんんっ!?」
「み、帝! 騒がれます故!」
思わず仰け反って大声を出しそうになった秋貴の口を、すかさずウォーレスが塞いで
だが、声を出してしまうのも仕方がなかった。
突然現れたのもそうだが、何よりもその姿が秋貴を驚愕させたのだから。
「な、なんだよこいつは!?」
「?」
今度はさすがに大声を出さずに言えたが、それでも声が震えた。
言われた相手はぶら下がりながら首を傾げている。
「帝、アラクネのシィルです。覚えてはおりませぬか?」
「し、知らないですよ普通!」
かすかな期待を込めた声音のウォーレスだったが、秋貴は生憎とこんな異形の生物と知り合いになったことなど普通は一度もない。知っているのは全く同じ姿形のゲームのキャラだけだ。
肩まであるサラリとした白髪にアメジストを思わせる澄んだ紫の瞳、服装は灰色のシンプルなワンピースだったが、顔立ちのせいかそれにつられて服が高級そうにも見えてしまう。
まさに、可愛らしいとも綺麗とも表現してもいいくらいの容姿だ。そう、体長が40cmで下半身が蜘蛛の足でなければだが。
「……まぁ、そうでしょうな」
「…………」
「?」
ウォーレスはそっと秋貴から手を離すと、少し落胆したような声音で頷いた。一体この
アラクネと言われた蜘蛛娘、大きさから言って子蜘蛛?のシィルは再び首を傾げるだけでユラユラと糸に揺られている。
目の前にいるだけにこれでは部屋の中に入る事ができないのだが、シィルはただ逆さの状態でジッと秋貴を見ていた。
人型とは違う異形種に見られているという恐怖に居た堪れない思いを抱くが、それを察してウォーレスがシィルに声を掛けた。
「シィル、それでは帝が中に入る事ができない。どいてくれないか?」
「シシシッ!」
そこでやっとシィルと呼ばれる子蜘蛛娘はどく気になったのかスルスルと上へと上昇していった。
よく見れば天井には蜘蛛の巣が張られており、そこにシイルが腰を落ち着かせるように寛ぐのが見える。
まさかここに住んでいるのではないかと戦々恐々としつつ、秋貴はウォーレスが促すままにソファに腰掛ける。だが、落ち着かない。
そわそわしてしまうのは、きっと対面に全身鎧の袴男、天井に子蜘蛛娘という異形の生物がジッと見ているから。
「さて、帝。急いで戻ってきたのですが、改めて身体の方は大事ありませぬか?」
「あ、えと……はい、まぁ、大丈夫です」
「それならば良いのですが……」
目の前の西洋武士はそれから一つ間を置いてから話す。
「帝は、目を覚まされる前の事を覚えておりますか?」
そう言われてから秋貴はハッとした。
そういえば、あの黒い泥みたいなものは一体なんだったのだろう。訳が分からないことの連続ですっかり頭から抜けていたが、現実では起きるはずがない事が起きたことに今更ながら思い立った。
いや、今この状況が既に起きるはずのない出来事の連続の果てになるのだが。
だから、とりあえずは頷く。
「黒い泥みたいなものが覆いかぶさってきたまでは覚えていますけど」
「では、それ以前の事は?」
「それは……」
これに秋貴は困惑したように押し黙る。
それ以前と言われても、明らかにウォーレスの見ていたものとは違うと断言できるからだ。
当たり前だが、ウォーレスのような全身鎧の上に袴を着込んだ奴が現実にいる事などあり得ない。
秋貴自身もゲームを部屋の中でしていただけで誰かと一緒にいたわけではないのだ。
(でも、ウォーレスもエリスも、シィルも……ゲームでは知っている)
そこが不思議だった。
知らない場所であることは分かるのだが、秋貴の周りは現実では知らなくてもゲームであれば知っている者たちばかりなのだ。
だが、考えたとしてもそこに答えはない。そもそも突然起きた事なのだから。
「すみません、混乱しているのか……よく思い出せません」
「承知しました。では、
そういうなり、ウォーレスは順序よく話し始めた。
まず、いつも軍事演習と称してやり合ったりもしていたグランディア帝国と同盟を組んで行った戦い。
相手はどこからともなく現れる黒い軍勢。
それは津波のように押し寄せてきたが、グランディア帝国との連携によって一時的に押し返すことができた。だが、そこからだ。
「そこに、黒いフードを被った者が現れたのです」
(それって、あのネーム付きのことだよな?確か、漆黒の魔女と書いてあった)
思い出すのは、ゲームがおかしくなる前に出てきたボスキャラ。
「その者は、我らがいくら攻撃をしようがどこか別次元のような存在のように当たらず、すり抜けるのみでした。我も、エリスも、その他の者も奴に一太刀浴びせようと動きましたが……」
そこで、ウォーレスはうつむく様に
「ついには叶わず……面目次第もありませぬ」
(そっか、それからあの黒い泥が出てきたということか)
秋貴は理解したというように頷き、それから考える。簡単な経緯を聞いたが、それはゲーム「FANTASY OF WAR」での大型イベントをやっていた時に起きたものと大体一致していた。
ウォーレスは秋貴が頷いたのを確認したのか、話を続ける。
「そして、現在問題となっているのが国の転移です」
「転移?」
「左様でございます」
ウォーレスは同意しつつ、かしこまるように秋貴に尋ねる。
「帝は、いつも我が国がどこかの国と戦う時に違う大陸へと転移することは覚えておりますか?」
「え?…………あ」
最初に何を言ってるんだと思ってしまった秋貴だったが、ふと思い出した。
「FANTASY OF WAR」で、オンラインに接続した際にランダムで作成された大陸に転移してから対戦が始まるのが基本になっている事を。
ウォーレス達が知らない場所に転移したという事を特に気にしていないというのはそういった理由があるからのようだ。
だが、それなら今この状況はそれと同じなのだから問題ということでもないと思っていたのだが、ウォーレスは続けて言った。
「覚えていらっしゃるようですが、この転移は今までのものと少し違っているのです」
「少し違う?」
「いつもならば戦争が起きる前に転移しておりましたが、今回は敵と交戦している最中での転移。しかも、それはあの時のフードの女が何かしらの魔法を使った事によって引き起こされたものですからな。何か違った事がないか調査しておりました、が……」
「?」
そこで言葉を濁すウォーレスに秋貴は一体どうしたのかと思ったが、次の言葉で硬直する。
「そこで先ほど目を覚まされた貴方様の事です。帝、どうにも貴方様は我らの事をあまり覚えていない様子。しかも、今までの貴方様とも違う気がするのです」
「…………」
「姿形は同一でも、何か中身だけがそっくりそのまま入れ替わってしまったような、そんな印象を受けるのです」
「それは……」
秋貴の目の前に座るウォーレスは、ジッと言葉を待つように何も話さない。
中身だけが違うと言われても、それは当然だと思う。
あれは秋貴にとってゲームなのだ。国を強くするための政治も、戦争で行う戦略や戦術も、そのどれもが秋貴にとってはゲームという枠の域をでない事だった。
だからこそ冷静に様々な政治や戦争を行うことができたし、不作や戦争に負けた時も、悔しさはあれどその都度仕方ないと思いつつ次までに強くするにはどうしたらいいかと楽しんでいた。
それが、この現実の世界ではウォーレス達にとっては自分たちを導いてくれる頼もしい皇帝だと思わせる要因になっているようだった。
秋貴にとってみれば傍迷惑にも程がある。
日本ではただの一般人だったのだ。それが急にここで王様だと持ち上げられても、ゲームと現実では全く違う。ゲームなんていうのは楽しめる要素だけを詰め込んだもの。
王様が現実に味わうであろう辛さや厳しさ、煩わしさなど全く想像もつかない。
このまま、ただ記憶が無いだけだとシラを切り通しても直ぐにばれてしまうだろう。
ならいっそのこと、素直に話せばいいのではないか。そう思うも、中々口には出てこない。
もし、ここでウォーレスの知っている人と違うと言えばどうなるのか分からない。
最悪、殺されてしまうのではないか。そんな事さえも頭に浮かんでしまって血の気が引く。
何度も何度もそんな事をぐるぐると考えているうち。
「帝、大丈夫です。我はどんな事があろうとも貴方様の味方でございます」
「あ……」
その言葉で、急に頭を巡っていた悪い考えは唐突に消え失せた。
まるで安心して下さいというようなその声色に、秋貴は自然と口を開いていた。
「お、俺は……その、ウォーレスさんのいう帝とは……多分、別人なんだと思います」
「別人……。聞きたいのですが、我やエリスの事は知っておられたではないですか」
「それは、俺が一方的に知っているってだけで、でも知ってるのは名前とか能力とかぐらいで、性格とかそういうのは知らないし……」
「成る程、名前と能力意外は分からぬと」
秋貴は肯定するように頷く。
それを見てウォーレスは何かを考えるように押し黙り、暫く沈黙する。
「承知しました。我らの事を多少なりとも知っているところは少々気になるところではありますが……」
「あ、ありがとうございます」
ウォーレスとしては細かい説明が欲しいと思っているのだろうが、あえてそれを聞かない事に秋貴は感謝した。秋貴自身もどう説明すればいいのか良く分からないことが多いのだ。
しかし、これで秋貴についての話は終わりかと思ったが、ウォーレスの話はそこで止まらなかった。
「ですが今貴方様は、このウルスラグナ皇国の臣民たちの皇帝として存在しておられます。エリスも、貴方様が帝であると疑わなかった。シィルはどうか分かりませぬが、同じでしょう。なので、一つだけお願いを聞いていただきたい」
真摯な態度で告げられている筈なのに、秋貴は何故か嫌な予感がするのを感じて冷や汗を流す。
当たってほしくないと思うほど、それは良く当たるもの。
「どうか、我らの為に皇帝を演じてもらえませぬか?」
秋貴は固まった。いや、もしかしたら脳が拒否反応を起こした結果なのかもしれない。
だが、聞き間違えではないようで、それを証拠に真剣な雰囲気を出しているのがウォーレスから伝わってくる。
「え、演じるって?」
「我らは、帝の示す道に賛同し付き従ってまいりました。ですが、今ここで帝が別人だと伝えたとしたら危ういことになりかねません。最悪の場合、この国の存亡にも関わるかもしれませぬ」
「存亡って、そんな大げさな」
あまりの言葉に秋貴は苦笑したが、ウォーレスはそれを切って捨てた。
「大げさではありませぬ。我らにとっては帝というのは国の象徴とも言えるお方なのです。その思いを軽く見てもらいたくはありませぬ」
「あ……す、すみません」
自覚していなかったが、日本という戦争とは今では無縁な場所にいるからこそ、たかが一人の事でそんなことになるなんて思いもしないという事が秋貴の発する言葉として出ていた。
それに対してあまりにも気迫の籠った返答に、秋貴は思わず謝罪する。
ゲームとはいえ戦争を繰り返してきていたというウォーレスと、日本という争いから遠い国で過ごしてきていた秋貴の認識の違いが現れていた。
「でも、それで俺が王様をするといっても、きっと直ぐにバレちゃう気がするんですけど。そうなったら結局混乱させてしまう事になっちゃうんじゃあ……?」
「左様でございます。ですから、そこは我が貴方様を助けます。我が貴方様を帝と仰げば、自然と臣民たちも貴方様をそうと思うはずです」
「いや、それでもほらっ! 言葉とか態度で分かっちゃう場合とかあるじゃないですか!?」
「それならば、貴方様の顔を見られないようにいたしましょう。帝を知っておられるのは少なくとも
「で、でも……」
バレたら即国の危機になるとか冗談じゃないと、そう思って何とか反論してしまいたい秋貴だが、すぐにウォーレスがそれについて回り込んでくる。
なんだか、否定してもその全てを返されそうな勢いを感じてしまう。
それに、左右大将軍というのはゲームの中で作った帝直属の将軍の事だ。
そうなると確かに、左右大将軍がサポートにいてくれればもしかしたら大丈夫なのかもしれない。
しかし、そうと思っていても秋貴は保身を考えてしまう。
責任のある立場についてしまう事の重責よりも、身軽な方がマシだ。
現代の新社会人を舐めるなよ! などと秋貴は意味もない威張りを心の中で叫ぶ。
だが、秋貴がそう思っていても、ウォーレスは頑なに秋貴を皇帝として扱おうとしてくる。
それが不思議だった。普通、ここまで否定しているのだからあきらめるものじゃないのだろうか。
「ど、どうしてそこまで俺を王様にしたいんですか?」
「貴方様しかいないからです」
困惑気味に問いただした秋貴を真っ直ぐ見つめながら、ウォーレスはただそう告げた。
「あの時あの場所で貴方様は目を覚まされた。その時から別人になっているとおっしゃられたが、我としては正直貴方様が別人になったという事は考えられませぬ」
「え、さっきは別人だっていう事に分かったって言ってましたよね?」
「それは、貴方様の状態に対して承知したのであって、別人だという事に承知したわけではありませぬ」
「へ、屁理屈だ……」
二の句が継げない秋貴に、ウォーレスは更に畳みかけるように口を開いた。
「それに……貴方様をどうしても帝ではないとは思えない何かが我の中にあるのです」
「そ、そんなことで……?」
「だからこそです。例え別人であっても貴方様に帝となって我らを導いてほしい。理屈ではなく、そういう想いが我にはある」
「…………」
「貴方様が不安になる事などないように、我が守ります。この命に懸けて……。だから、どうか。どうか!」
そう言って頭を下げて懇願するウォーレスのその姿は、秋貴にはまるで切羽詰まっているかのような印象を抱いた。
最初に皇帝を演じてくれと言われた時であれば、ウォーレスが代わりをしてくれればいいんじゃないかと言えたのかもしれない。だが、今はそれを言う事が憚れる。
また、もし言っていたとしてもきっと秋貴に頭を下げているこの男は首を縦には振らないだろう。
それに、ここまで頼られているのだ。それを無下にするのは秋貴にはもう無理だった。
(皇帝を演じる覚悟もなにもないけど……でも、この人がそれで少しでも助かるなら、やってみてもいいのかもしれない)
そうだ、覚悟などは全くない。あるのは、ただ少しでも力になりたいと思う気持ちだけだ。
だが、それだけでも秋貴にとっては勇気のいる決断だった。
これから受ける重圧に、押しつぶされてしまうかもしれない。それでも、ウォーレスがいればやれそうな気がする。
だから……。
「…………頭を上げてください」
そういってから、ウォーレスは下げていた頭を上げた。先ほどまでの切羽詰まったような雰囲気は霧散したかのように静かなものとなっている。
それが、何を言われても従うと暗に言っているようにも秋貴には見えた。
一呼吸置いて、告げる。
「俺は、皇帝を演じます」
「……良いのですか?」
まるでウォーレスは意外だとでもいうような言い方だった。
「てっきり、断られるのかと」
「まぁ、可能性としてはそっちの方が高かったですけどね」
「では、なぜ?」
疑問を投げかける西洋武士に、秋貴は真剣な表情で指を3本立てた。
「理由は3つあります。一つ目は、この国を混乱させたくないと思ったから。二つ目は、貴方の力に少しでもなりたいと思ったから。3つ目は……」
そこで、秋貴はぎこちないと分かっていても目一杯茶化すように笑った。
「もしも皇帝にならないって言って何処かも知らない場所で放り出されたら、野垂れ死んじゃうからですね」
「……ははっ」
そういったところで、ウォーレスはまるで気が抜けたかのように声を出した。
そのせいか、部屋の中の空気が和らいだ気さえしてくる。
「それは……死活問題でありますな」
「そう。死活問題なんです」
冗談とちゃんと受け取ってくれたウォーレスに秋貴は苦笑しつつ同意する。
本心としては実際に考えないことでもなかったが、この空気を和らげたいがために冗談として口にした。
それがうまく伝わったようだと安心したところで、不意に静かにウォーレスが立ち上がって秋貴の傍に寄ると、
「…………かたじけなく思います。このウォーレス、心身を賭して御身(おんみ)の盾となりましょう」
それは、ウォーレスにとっての最上の礼だった。秋貴はそれを知らないが、告げられた言葉とその態度でどのような気持ちを込めて言ったのかが伝わってきていた。
だから、秋貴も答える。ゲームで感じた頼もしさとは違う。
この人とならきっとどんな事でも大丈夫だと、そんな信頼を込めて。
「はい、よろしくお願いします」
こうして秋貴はウルスラグナ皇国の皇帝として、この世界を生きていく。
また、後に長く語られる異世界での戦国時代の幕開けでもあった。
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