第7話

 石造りの通路が『薬屋』の作り出す光によって浮き上がる。

 少し白っぽい茶色の石が規則正しく積み上がり、しかし風化した石肌が照らされる光に不規則な影を生み出す。

「似たような通路が続くな」

 『薬屋』と並んで通路を進む『レディ』が小さく呟く。

「同じところを巡っていると錯覚しそうだ」

 『レディ』の言葉に『薬屋』も頷く。その視線は自然と先頭を行く『名無し』に向いた。

 『名無し』はその言葉を知ってか知らずか、照らし出された床をゆっくりと踏みしめるように進んでいく。

 その足取りはゆっくりとしているが迷いがない。

 一番後ろの『雀蜂』は、時折石突きで軽く壁をこすりながら、来た道を確かめるように続く。

 照らし出されることで濃くなる闇が、右側に深く溢れる。

 『名無し』はその闇の手前で足を止めた。

「どうし」

 声をかける『レディ』を『名無し』が片手を上げて制する。同時に『レディ』は腰の細剣をゆっくりと抜いた。

 『雀蜂』も短槍を構え、ゆっくりと前に出る。逆に『薬屋』が後ろに下がる腰のベルトから試薬を取り出し、光る器具の中に注ぎ込んだ。

 三人の影が仄かに揺らぐ。

 その揺らぎが小さく三回踊ったところで、『名無し』が右に溢れる闇の中に飛び込んだ。

 同時に通路の右側の壁に『雀蜂』が潜む。

 『レディ』は『薬屋』の前、通路の真ん中に陣取ると抜いた細剣の切っ先を通路の石畳に軽く突き立て、その表面に何かを描き始める。

 『薬屋』は光る器具を石畳に置くと、腰に下げていた金属製の香炉を取り出し、続けてポーチから取り出した薬草を香炉に入れる。

 香炉から淡い煙がたち始め、『薬屋』はそれを静かに揺らす。

 照らし出される通路の中に煙が揺らいで溶けていく。

 『雀蜂』の踏みしめる足元が小さく悲鳴を上げる。

 『レディ』の細剣がゆっくりとその顔の前に立てられ、その口元が厳かに震える。

 『薬屋』の揺らす香炉がその場に不釣り合いに粛々と時を刻む。

 そして『名無し』が闇の中から飛び戻る。

 『名無し』に続いて飛び込んでくるあふれ出た闇。

 闇色の毛並み。

 黄色く淀んだ牙。

 そして闇の中で大きな染みのように淀む赤い眼。

 長く伸びた口先が開くと、歪に並んだ鋭い歯と、驚くほどにきれいな真紅の舌と、半透明の粘着質な液体が零れ出る。

「ワーグ!」

 『薬屋』の叫びに呼応するように、飛び退いてきた『名無し』がつられてきたワーグに向かって再び飛びこむ。飛び込むと同時にその左手が自身の腰にあてがわれた。


 WoWWoWWoWoooooowwwwww!


 『名無し』は歩みを止めず、ワーグの鼻先をすり抜け、その後ろに回り込む。

 ワーグは奇音に引きずられるように、その巨体を巡らせ、『名無し』へと向き合った。

  壁際に潜んだ『雀蜂』はその隙を逃さず、ワーグの右後ろ脚の膝裏に短槍を突き立てる。

 ワーグはうなり声と共に刺された右脚を振り上げる。

 右脚は石畳を削り取り、石片が四散する。

 それを避けるように飛び退く『雀蜂』。

 さらに左に身体を移す。

 『レディ』が石畳に描いた図柄が崩れ、黒いひびが石畳に走り、それが次第に広がって穴を穿つ。

 実際にはそこに穴などはなく、ただ虚ろな影が穴のように広がっていた。

 その影に、『レディ』は口を厳かに震わせながら、手にした細剣の切っ先を突き入れ、そして跳ね上げた。

 影の中から光が飛沫のように舞い上がると、勢いよく弧を描き、ワーグの身体へと降り注ぐ。

 咆哮を上げるワーグ。

 間髪入れずにその左脚の膝裏に『雀蜂』が短槍を突き入れる。

 ワーグは咆哮を上げながら、勢いよく『名無し』に向かって飛び掛かる。

 両手の籠手でその巨体を跳ねのける『名無し』。

 ワーグは跳ねのけられた勢いのまま、姿勢を反転させると石畳の上に降り立った。

 赤い視線は正面に立つ『レディ』をとらえ、口を大きく開くと赤い口腔から、粘液と怒号が吐き出された。

 『レディ』は細剣の刃に左手を添えると、自身の前に立てて構える。

 ワーグは口腔から真紅の舌を蠢かせ、濁った牙を鳴らす。

 赤い視線がさらに燃え上がったその時、その視線が不意に濁った。

 『薬屋』の香炉から振り撒かれ、通路に漂っていた煙がワーグの目元と鼻先にまとわりつく。

 ワーグは鼻を鳴らすと前足で鼻先を引っ掻く。煙は四散し、再び集まる。


 WooWWWooW……


 『名無し』の奇音。

  いつもより間延びしたその奇音は、逆に苛立たしく鳴り響く。

 ワーグはいきなり後ろ脚で立ち上がると、両前足を石畳へと叩きつける。

 飛び散る石片。

 その勢いでワーグは飛び上がると、狭い通路の中で機敏に壁を蹴って身を翻し、『名無し』に襲い掛かる。

 鈍い金属音。

 ワーグの大顎が『名無し』の籠手に喰らいつく。

 否。

 ワーグの大顎に『名無し』の籠手が喰らいついた。

 その上顎に右腕の籠手が。

 その下顎に左手の籠手が。

 それぞれに乱杭歯をおしとどめ、閉じかけた口を少しづつ押し広げていく。

「『薬屋』!」

 『雀蜂』の掛け声に『薬屋』は腰から円筒形の物を取り出すと『雀蜂』に向かって軽く投げる。

 『雀蜂』は駆けだしながらそれを受け取ると、ワーグの腹の下に仰向けに滑り込む。

 滑りながら身体を回し、頭を『名無し』へと向け、さらに手に持った円筒形のそれを石畳へとこすり付ける。

 円筒形のそれは激しく火花を散らし始めた。

 滑らせた身体が『名無し』の足にぶつかって止まる。

 『雀蜂』は手を伸ばすと火花飛び散るそれをワーグの口の中に放り投げた。

「『名無し』!」

 『名無し』は両腕を無造作に左右に抜き取る。

 籠手に食い込んだ乱杭歯が無残に弾け飛び、粘液をまき散らしながら両顎が上下から激突する。

その直後、ワーグの口がくぐもった音と共に大きく開いた。

 正確には押し開かれた。

 開かれると同時に吐き出される黒煙と、それに交じって飛び散る赤黒い粘液、そして真っ赤な肉片、薄黄色い乱杭歯。

 『雀蜂』が押し開かれたその上顎の内側から、短槍を突き立てる。

 その切っ先は上顎を突き抜けた。

 『雀蜂』はそのまま短槍を引き振るい、ワーグの上顎を鼻先まで引き裂く。

 大きく吠えるワーグ。

 その口からさらに赤いものや黒いもの、白いものや黄色いものが吐き出され、それらすべてが混じりあったものが、口端から溢れだし垂れ流される。

 そして喉の奥から嗚咽するように三度ほど唸りを上げると、赤い眼が闇へと沈み、そのまま横倒しに崩れた。

「こんなところにワーグだなんて」

 『薬屋』が光る器具でその亡骸を照らしながらつぶやく。

「普通はいないのか?」

「こんな遺跡の奥には普通はいない。洞窟を巣にしていることはあるけど」

「奴が呼び込んだのかもしれんな」

 『雀蜂』の言葉に『レディ』も頷く。

「しかし蛇の道は蛇とはよく言ったものだな」

 『レディ』はそう言いながらワーグを見下ろす。

「少人数でこれだけ手際よく仕留めるとは。広いところならともかく、こう狭いところでは軍の精鋭でもこうはいかんだろうな」

「『レディ』も良く連携してたじゃないですか」

 『薬屋』がそう告げると『レディ』の口元が緩んだ。

「そういってもらえるとありがたい。しかし冒険者の戦い方は護手が要だな」

 その視線は『名無し』へと向く。

「聞きしに勝る頑健さだ。それに相手の注意を引き付ける手際といい、護手の手腕で隊の生存率が左右するという話はなるほど頷ける」

 それからもう一度『レディ』は『名無し』を凝視した。

「それなのに攻手として今まで過ごしてきたと聞いたのだが、それは本当か?」

 その言葉に『名無し』が『レディ』に目を向ける。

 しかしそこに『雀蜂』が割って入った。

「過去の詮索はご法度です。『レディ』? それともそれも目付としてのお仕事ですか?」

「ん? いや、そうだな。これは単なる個人的な興味だ。なるほど、不躾だった。忘れてくれ」

「……気にするな」

 『名無し』は小さくそう答えた。

「なんにせよ先を急ぎましょう。ここにいると血肉の匂いに誘われて、別の魔物が寄って来るかもしれない」

「それは厄介だな」

 『薬屋』の言葉に一同は頷いた。

「行こう。こうなると敵に一番に遭遇しやすい先導役を護手が引き受ける意味もなるほど納得がいく。いささか負担が護手に集中しすぎる気もするが、効果的なのも確かだ。苦労を掛けるが引き続きよろしく頼む」

「……わかった」

 『レディ』の言葉に『名無し』は再び小さく応える。

 後ろに立つ『薬屋』が明かり掲げると、通路の奥の闇が静かに引いていく。

先頭に立つ『名無し』が後ろを振り返る。

 一番後ろについた『雀蜂』が小さくうなずく。

 『名無し』もそれに頷き返す。

 そして視線を前に、通路の奥へと向け直すと、ゆっくりと進み始めた。

 

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