第8話
石造りの通路が『薬屋』の作り出す光によって浮き上がる。
少し白っぽい茶色の石が規則正しく積み上がり、しかし風化した石肌が照らされる光に不規則な影を生み出す。
「本当に似たような通路が続くな」
『薬屋』と並んで通路を進む『レディ』が眉間にしわを寄せ小さく呟く。
「同じところを巡っている気分だ」
『レディ』の言葉に『薬屋』も不安げに頷く。その視線は自然と先頭を行く『名無し』に向いた。
『名無し』はその言葉を知ってか知らずか、照らし出された床をゆっくりと踏みしめるように進んでいく。
その足取りはゆっくりとしているが、やはり迷いがない。
一番後ろの『雀蜂』は、時折石突きで軽く壁をこすりながら、その壁を暫し凝視し、来た道を確かめるように続く。
照らし出されることで濃くなる闇が、右側に深く溢れる。
『名無し』はその闇の手前で足を止めた。
『名無し』が片手を上げて合図する。同時に『レディ』は腰の細剣をゆっくりと抜いた。
『雀蜂』も短槍を構え前に出る。逆に『薬屋』が後ろに下がり、腰のベルトから試薬を取り出し、光る器具の中に注ぎ込んだ。
三人の影が仄かに揺らぐ。
その揺らぎが小さく三回踊ったところで、『名無し』が右に溢れる闇の中に飛び込んだ。
同時に通路の右側の壁に『雀蜂』が潜む。
『レディ』は『薬屋』の前、通路の真ん中に陣取ると抜いた細剣の切っ先を通路の石畳に軽く突き立てる。
しばしその石畳を見つめ、少し切っ先をずらすとその表面に何かを描き始める。
『薬屋』は光る器具を石畳に置くと、腰に下げていた金属製の香炉を取り出し、続けてポーチから取り出した薬草を香炉に入れる。
香炉から淡い煙がたち始め、『薬屋』はそれを静かに揺らす。
照らし出される通路の中に煙が揺らいで溶けていく。
『雀蜂』の踏みしめる足元が小さく悲鳴を上げる。
『レディ』の細剣がゆっくりとその顔の前に立てられ、その口元が厳かに震える。
『薬屋』の揺らす香炉がその場に不釣り合いに粛々と時を刻む。
そして『名無し』が闇の中から飛び戻る。
『名無し』に続いて飛び込んでくるあふれ出た闇。
闇色の毛並み。
黄色く淀んだ牙。
そして闇の中で大きな染みのように淀む赤い眼。
長く伸びた口先が開くと、歪に並んだ鋭い歯と、驚くほどにきれいな真紅の舌と、半透明の粘着質な液体が零れ出る。
「ワーグ?!」
『薬屋』の叫びに呼応するように、飛び退いてきた『名無し』がつられてきたワーグに向かって再び飛びこむ。飛び込むと同時にその左手が自身の腰にあてがわれた。
WoWWoWWoWoooooowwwwww!
『名無し』は歩みを止めず、ワーグの鼻先をすり抜け、その後ろに回り込む。
ワーグは奇音に引きずられるように、その巨体を巡らせ、『名無し』へと向き合った。
壁際に潜んだ『雀蜂』はその隙を逃さず、ワーグの右後ろ脚の膝裏に短槍を突き立てる。
ワーグはうなり声と共に刺された右脚を振り上げる。
右脚は石畳を削り取り、石片が四散する。
それを避けるように飛び退く『雀蜂』。
さらに左に身体を移す。
『レディ』が石畳に描いた図柄が崩れ、黒いひびが石畳に走り、それが次第に広がって穴を穿つ。
実際にはやはりそこに穴などはなく、ただ虚ろな影が穴のように広がっていた。
その影に、『レディ』は口を厳かに震わせながら、手にした細剣の切っ先を突き入れ、そして跳ね上げた。
影の中から光が飛沫のように舞い上がると、勢いよく弧を描き、ワーグの身体へと降り注ぐ。
咆哮を上げるワーグ。
間髪入れずにその左脚の膝裏に『雀蜂』が短槍を突き入れる。
ワーグは咆哮を上げながら、勢いよく『名無し』に向かって飛び掛かる。
両手の籠手でその巨体を跳ねのける『名無し』。
ワーグは跳ねのけられた勢いのまま、姿勢を反転させると石畳の上に降り立った。
赤い視線は正面に立つ『レディ』をとらえ、口を大きく開くと赤い口腔から、粘液と怒号が吐き出された。
『レディ』は細剣の刃に左手を添えると、自身の前に立てて構える。
ワーグは口腔から真紅の舌を蠢かせ、濁った牙を鳴らす。
赤い視線がさらに燃え上がったその時、その視線が不意に濁った。
『薬屋』の香炉から振り撒かれ、通路に漂っていた煙がワーグの目元と鼻先にまとわりつく。
ワーグは鼻を鳴らすと前足で鼻先を引っ掻く。煙は四散し、再び集まる。
WooWWWooW……
『名無し』の奇音。
いつもより間延びしたその奇音は、逆に苛立たしく鳴り響く。
ワーグはいきなり後ろ脚で立ち上がると、両前足を石畳へと叩きつける。
飛び散る石片。
その勢いでワーグは飛び上がると、狭い通路の中で機敏に壁を蹴って身を翻し、『名無し』に襲い掛かる。
鈍い金属音。
ワーグの大顎が『名無し』の籠手に喰らいつく。
否。
ワーグの大顎に『名無し』の籠手が喰らいついた。
その上顎に左腕の籠手が。
その下顎に右腕の籠手が。
それぞれに乱杭歯をおしとどめ、閉じかけた口を少しづつ押し広げていく。
「『薬屋』!」
『雀蜂』の掛け声に『薬屋』は腰から円筒形の物を取り出すと『雀蜂』に向かって軽く投げる。
『雀蜂』は駆けだしながらそれを受け取ると、ワーグの腹の下に仰向けに滑り込む。
滑りながら身体を回し、頭を『名無し』へと向け、さらに手に持った円筒形のそれを石畳へとこすり付ける。
円筒形のそれは激しく火花を散らし始めた。
滑らせた身体が『名無し』の足にぶつかって止まる。
『雀蜂』は手を伸ばすと火花飛び散るそれをワーグの口の中に放り投げた。
「『名無し』!」
『名無し』は両腕を無造作に左右に抜き取る。
籠手に食い込んだ乱杭歯が無残に弾け飛び、粘液をまき散らしながら両顎が上下から激突する。
その直後、ワーグの口がくぐもった音と共に大きく開いた。
正確には押し開かれた。
開かれると同時に吐き出される黒煙と、それに交じって飛び散る赤黒い粘液、そして真っ赤な肉片、薄黄色い乱杭歯。
『雀蜂』が押し開かれたその上顎の内側から、短槍を突き立てる。
その切っ先は伸びた舌を抜け、上顎さえも突き抜けた。
『雀蜂』はそのまま短槍を引き振るい、ワーグの舌が蛇のように二股に割れ、上顎も鼻先まで引き裂かれる。
大きく吠えるワーグ。
その口からさらに赤いものや黒いもの、白いものや黄色いものが吐き出され、それらすべてが混じりあったものが、口端から溢れだし垂れ流される。
そして喉の奥から嗚咽するように間延びした唸りを上げると、赤い眼が闇へと沈み、そのまま横倒しに崩れた。
「またワーグだなんて」
『薬屋』が光る器具でその亡骸を照らしながらつぶやく。
「やはり奴が手を回しているのか?」
「確信はないですけど、明らかに不自然なのも確か。そう考えておいた方が良いかもしれないわ」
『レディ』の言葉に『雀蜂』も答えて頷く。
「しかしやはり手際が良いな。戦い方も先ほどと大して変わらなかった。ワーグに対しては対策がわかっているのか?」
「もちろん経験則はあります。ただそうやって油断すると大変な目にあいますよ」
「なるほど。肝に銘じよう」
『雀蜂』の答えに『レディ』が頷く。
「なんにせよ先を急ぎましょう。ワーグが徘徊しているのは確かだし、ひとところに留まるのは危険です」
『薬屋』の言葉に一同は頷いた。
「行こう。先導役には負担を強いることになるが、引き続き頼む」
「……わかった」
『レディ』の言葉に『名無し』は再び小さく応える。
「念のため確認したいんだが……」
『レディ』は少し言い淀んでから先をつづけた。
「似たような通路が続いているが問題ないか?」
「……いや……問題ない」
『名無し』は小さく答える。
「……そうか、変なことを聞いた。すまない」
「……いや」
『名無し』は小さく頷く。
後ろに立つ『薬屋』が明かり掲げると、通路の奥の闇が静かに引いていく。
先頭に立つ『名無し』が後ろを振り返る。
一番後ろについた『雀蜂』が小さくうなずく。
「もう少し進んでみましょう」
『雀蜂』が声を上げた。
「そうすればはっきりすると思うわ」
『名無し』もそれに頷き返す。
そして視線を前に、通路の奥へと向け直すと、再びゆっくりと進み始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます