第7話予期せぬ襲撃
意外にも、特別展示場は平常通り開催されているようだった。
階段を登り三階に至るまで、来館者を制限するような案内や柵のようなものは一切、見当たらない。
訪れた人々は皆、笑顔でわいわいと談笑しながら三階へ着くと、そのまま特別展示場へと入っていく。
その思いは遥かな過去へと向けられていて、最近の事件には気付いている様子もない。
「……事件の痕跡はありませんね」
軽く落胆した様子で、ジャレットはシアンに耳打ちする。「これだけヒトが行き来していたら、残っていたかもしれない手懸かりも、消えてしまっているでしょう」
シアンは無言で首を振った。
公共の施設では、珍しい話ではない。
事件解決のために現場を封鎖することより、その期間の利益を重視する。
施設が大きくなればなるほど、そうした傾向は顕著となるわけだが、国営美術館ともなればそこに国家の面子なども絡んでくる。
「特に盗難事件となると、難しいわ。大っぴらにして警備上の問題を公開するよりは、こっそり捜査して、人知れずの内に改善したいでしょうからね」
「……或いはもしかしたら、既に犯人と交渉しているのかも知れません」
人並みに逆らわず進みながら、ジャレットは囁いた。「盗難品を買い戻す算段をつけているのかも」
それもまた、良くある話だ。
何しろ美術品は、版画などを除けば世界に一つしかない。それ故に貴重なのだが、それ故に目立つのだ。
安易に売ろうとすれば足がつくし、例え収集家と個人的に取引をするとしても、向こうはそれが盗品だと気付いてしまう。そうなると悪くて通報、良くても買い叩かれてしまうのだ。盗品を処分したいだろう、なら安くても文句は言うな、というわけだ。
危険な橋を渡って二束三文では、流石に盗賊も納得できまい。逮捕の危険もあるのだから、なるべくなら高値で売りたいのが人情だ。
そうなると、高値をふっかけたり、口止めさせたりが出来る相手を求めることになる。
そんな都合の良い相手が、持ち主だ。
それは例えば、面子を気にして事件の隠蔽を図るような。
公にせず金銭で解決できるなら、それに越したことはないと考えるような。
美術館の場合、盗難事件は寧ろ誘拐事件と似た性格を持つ。可愛いこの子を無事に返して欲しければ、金を払えというわけだ。
「……案外、我々を呼ばないのは個人的な嗜好ではないのかもしれませんね。多くの場合盗賊は、美術品を返す取引において、通報を禁じるものですから」
「可能性はあるけど……」
その場合、シアンたち魔術師だけを呼ぶ理由が解らない。
隠匿の目処が立っているのなら、わざわざ外部からヒトを呼ぶ必要なんて無いわけだし、それに――。
「容疑者がいる」
その情報が、引っ掛かる。「身代わりなんだとしても、事件そのものをなかったことにしたいなら、そんなものを用意する必要がないわ」
ジャレットも同意する。「確かに、そうですね。けれどそうすると、この平穏な様子とは噛み合わないですね」
「……そうでもないかと存じます、カヌレ様」
「……?」
カストラータの呟きに、ジャレットは眉を寄せる。「どういうことですか?」
「それは……」
言い掛けて、カストラータはやれやれとばかりに首を振る。「いえ、もう手遅れのようです」
その時点でようやく、シアンも気が付いた――いつの間にか、辺りに誰もいなくなっていることに。
先程までの展示場とは違い、照明も薄暗い。
周りの棚は布が掛けられ、そこから漏れ出す空気は、現代の興味から取り残された香りが漂ってくる。
【マレフィセント】の書庫で嗅いだことがある、と思ったところでシアンは一つ、大きな舌打ちをした。
「フォースか……!」
「は?」
「意識的な無意識の発露というところです、カヌレ様。貴方の知能指数を考慮して解りやすく言うのなら、『嵌められたぜくそがっ』、というところでしょうか」
「貴女の言語選択機能に何らかの問題があることだけは解りました」
ジャレットはため息を吐いた。「どういうことですか、シアンさん?」
「誠に遺憾ながら、そちらの天使様の言う通りよ。私たちは……見事に、引っかけられた」
ヒトは、左より右を選びやすい。
8、という数字は口から出任せを言うときに選ばれやすい。
尖ったものより丸いものを好む。
そうした無意識下での恣意的選択は、性質を共有する全ての知的生命体に共通する。
逸脱する者、例えば、そうした法則を知っている者は敢えて逆を選ぶこともあるだろうが、基本的にはヒトならば誰だって、そうした選択をしてしまうのである。
ということは、だ。
法則さえ理解していれば、その通りに選ばせることも容易い。
「しかも、先導してたのは
「あぁ。やり易かったよ、魔術師」
背後からの突然の声に、ジャレットだけが身構える。残る二人は、ただ静かに両手を上に挙げた。
シアンもカストラータも、これが詰みだと理解していたのだ――自分たちはまんまと誘き寄せられた獲物で、向こうは準備万端というわけだ。
「……余計な動きはするな、魔術師」
言われるまでも、ない。
殺気の籠った声に返事さえせず、前だけを向いたままで、シアンは高く挙げた両手を軽く振り、無抵抗をアピールする。
魔術師慣れしている相手なら、視線や言葉に注意しているだろう。となると、その辺りにも気を使った方が話は早い。
案の定、聞こえてきた声からは僅かにだが、警戒が和らいでいた。
「賢明だな――その調子で、しっかりと協力してもらおうか」
もちろん、罠に嵌まった哀れな子羊としては、そうする他ない。
問答無用、というタイプではないだけまだましだろう。相手を刺激しないよう慎重に、シアンは頷く。
しかし問題は――こいつは何者かだ。
「協力、と申されますが」
抑揚の利きすぎた声が、倉庫に響いた。「どういった内容なのでしょうか? 私どもの微力が、あなた様のご要望を満たせるかどうかは甚だ疑問です」
声は、軽く笑ったようだった。「これはこれは、良い度胸だな」
「お褒めに預かり光栄です」
完璧な仕草でのカーテシーに、シアン以下、謎の声も含めた全員が呆れ返った。
人造天使の脳に、どうやら『自重』という文字は無いらしい。羨ましいやら、頭が痛いやら、シアンはため息を吐いた。
「ふん、まあいい。内容は単純だ魔術師、ただ一つ、質問に答えてくれれば良い」
相棒に喋らせないようにだろう、直ぐ様ジャレットが応じた。「……我々に、何を聞きたいのですか?」
「なに、簡単な話だ、直ぐに済む」
かつん、かつん、とわざとらしく足音を立てながら、声はシアンの背後まで近づく。
重厚な気配にすくんだ瞬間、その首筋に冷たく鋭い金属を突き付けた。
肩越しに伸びる長剣の輝き。そこにちらりと、長く力強い角が映り込んだ。森の住人、
声からして、初老の男性。
いったい何者だろう。そして、何を要求するつもりなのか。
ごくり、と喉を鳴らしたシアンの怯えを感じ取るように、ハドホルンは先刻の数倍の殺気を込めて、質問した。
「あいつは――何処だ?」
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