第6話美術館へ
「いやあ、ようこそお越しくださいました、魔術師殿!」
列車から辻馬車に乗り換えて三十分、田舎のでこぼこ道に辟易しながらたどり着いた美術館の外壁。
伝統的な建築方法と新進気鋭のゴシック様式が見事に調和した、壮観な眺めに感動する間もなく掛けられた声に、リックは苦笑した。
まだ辻馬車のステップに片足を置いた程度だ、荷物すら下ろしていない。歓迎の言葉にはまだ早いというものだ。
それに、そもそも言うのなら。
「館長のハンザ・プディングです。かの有名な【対抗魔術師】にお出でいただけるとは、光栄ですな」
「ははは……そこまで歓迎されることも、あまりありませんね」
言うと、灰色の毛をした初老の
おぉうと、リックは内心頬をひきつらせた――こいつはまた、結構なご高説の持ち主だぜ。
魔術師と異端審問官との間に横たわる溝は、なるほど確かに深く広い。
生命のやり取りをしていたのは、確かだ。
古い書物を紐解けば、神の名の下に行われた様々な実験の手順を確認できる。具体的な例を上げるのは敢えて控えるが、一言で言えばこうだ――『魂を維持したままで何処まで肉体を損壊させられるか』選手権。
勿論リックは知っている――それが一方通行ではなく、教会の側には魔術師の抵抗の手段が、ひどく禍々しく伝えられているのだということを。
それは概ね間違いではない。魔術師と命を賭けた戦いをするのであれば、あらゆる災害が個人規模で巻き起こされることになる。
後には、単純な闘争に飽いた魔術師の一部による、呪詛と呪詛返しが流行したことまであった――こちらも例えるのなら、『肉体を維持したままで何処まで魂を損壊させられるか』選手権、だ。
そこまでを知りながら、しかしリックは、と言うより全ての魔術師と異端審問官は知っている。
それらの呪われた技術の大部分が、後の世界大戦で、更には暗黒大陸ワーズワースにおける魔物退治で、当初の目的以外の相手に向けられることになったことを。
そもそも――当時の時点で、犠牲になったのは魔術師でも異端審問官でもないただの――。
とにかく。
実は両者にはさほど犠牲者が出ていないという事実もあり、軋轢は、リックたちのような若い世代にとっては特にだが、極めて形式的なものになり果てている。
魔術師が【マレフィセント】に引っ込んでからは特に、意図的な無関心が長く続いているのだ。
現在、世界には魔術師の技術を活かした魔学製品が溢れている。
魔石灯が闇を照らし、魔石炉がパンを焼く。
異端審問官だって、魔石機関車に乗って移動するだろう。世界の文明に魔術師は大きく寄与している。
そして、その逆も起こっている――神の物語を信じる魔術師も、存在し始めているのだ。
だが、外部の人間はそれを理解しない。
想像の中で、魔術師は異端審問官と永遠に対立したままだ。
まあ、仲良しこよしとは、いかないが。
手を組むことだってある――今回のように。
内心を隠して、リックは重々しく頷いた。「有りがちなことですね」
「ここではそんなことは起きませんよ、えぇと……」
「リック・クラフトエールと言います」
土の感触を踏み締めながら、差し出された右手を握る。
その後ろで、辻馬車に乗り合わせた数人の旅行客が通り過ぎていく――数人の異分子を含んだまま。
それに気付かぬ振りをしながらも、リックは少しだけ残念だった。出来るなら、自分が中を見る役割をしたかった。
だが、それは無理だ。国営美術館の館長と話をするのなら、ある程度以上に芸術に詳しくなくてはならないのだから。
「さあ、お話を聞かせてください」
感傷を切り捨てて、リックは微笑んだ。「今回の事件、どのような顛末ですか?」
「……彼には、残念なことをしてしまいましたね」
人目を避けるようロングコートの襟を立てながら、ジャレットは低く呟いた。「彼こそ、この列に連なりたかったでしょうに」
ハバルキリア美術館の入り口に並びながら、シアンもその考えには同意できた。
絵画や彫刻など、ここに展示されている美術品の多くが国宝であるということは、馬車の中でリックから説明された。
持ち出し厳禁、それどころか時期が合わないと見ることさえ出来ないような、【黒い天使】などという作品もあるらしい。
館内には、多くの亜人やラックが歩いている。彼らの目は、限られた機会を最大に生かすべく周囲をくまなく見回している。
「代われるものなら代わってあげたかったわ。私はそこまで、芸術に詳しくないもの」
「何故ですか?」
反応したのは、シアンとジャレットの間を歩く小柄な少女だ。「美術館館長から話を聞き出すのに、クラフトエール様以上の適任は、この中にはいないかと思われますが」
その抑揚の利きすぎた声が紡ぐ内容の正確さに、シアンは眉を寄せる。
抜けるような白い肌に灰色の髪、赤い瞳の彼女は、噂に名高い【
異端審問官にはそれぞれ、担当するカストラータがコンビに就く――余程の変わり種以外は。
「……心情の話ですよ。求める者が得られず不要な者が得るのを、悲劇と呼ばずに何と呼ぶのですか?」
フードの奥で、赤い瞳が瞬く。「『ありふれた話』では?」
カストラータの意見は正しく、だからこそ冷酷に響いた。端正な顔立ちの少女から発せられると、妙に心を抉られる。
彼女は『教会式』ゴーレム、或いはホムンクルスといったところだろう。
シアンは静かに分析した――誰が製作したにしろ、思考回路がずいぶんと堅物らしい。制作者の個性らしきものは、一切感じられない。
宗教家はため息を吐いた。「ずいぶんと暖かい考え方ですね」
「お言葉ですが。それは悲劇の原因となった者の言葉ではありません」
ジャレットとカストラータの二人は、その特徴的すぎる外見をコートやフードで隠している。もう一段の偽装も用意してあるし、不用意な発言や行動さえなければ、単なる観光客に溶け込めるだろう。
と言うよりも、溶け込まなくてはならない。
美術館は異端審問官を嫌う者が運営している。
「こうなったのは全て、あなたの都合によるものです、カヌレ様――それがなければクラフトエール様とて、もっと楽しく仕事をすることが出来たでしょう」
「…………」
「他人の仕事に割り込み、自分の都合を優先して、その上で他人の我慢に同情するとは。何ともお優しい考え方ですね」
「………………」
「そもそも身分を隠すのは、あなたの信用が足りないせいであって――」
「もう解った、解りましたからっ……! そこまで言うことないでしょう……ちょっとだけ、泣きそうです」
訂正、とシアンは心の中で呟いた。
無表情で無機質な声音ではあるが、けして無個性ではない。彼女の発言には、眩しいばかりの自我が宿っていた。
あと実際――少し泣いてた。
「……事件があったのは三階。特別展示のあった
「展示品の内容は?」
「『神秘の砂漠』というテーマで集められているようです」
数度の瞬きの後、カストラータは魔導書を読み上げるように、すらすらと情報を伝える。「砂漠に存在する謎の遺跡に残された、様々な宝物を展示しているようですね」
「砂漠の民は、黄金を墓に埋めるのが好きですからね。彼らにとっては、次世代に残すべき宝とは即ち水。黄金や宝石は、死後も権威を示すために必要なのでしょう」
ジャレットはシアンに目を向ける。「魔術的にも、そうなのでしょうか?」
「……砂漠の魔術は、結構独特なものだわ」
年月による環境変化の結果としての砂漠ならともかく、昔から砂漠として存在してきた土地においては、それは必然と言える。
何しろ水も植物も少なく、代わりに広がるのは砂、砂、砂。暑い日差しと砂の海は、それを活用しない者を生かしてはおかない。
観客の多くは一階から順序良く室内を見て回るようだ。
美術鑑賞にはそれが最適かもしれないが、シアンたちの目的は美術鑑賞ではない。階段を見付けると、ジャレットに目配せする。
三階へと登る階段は、人気が少ない。それでも声を押さえつつ、シアンは解説を続けた。
「私たちの魔術の多くは、属性に縛られる。魔力を用いて己に適合する属性の元素を操り、現象として具現化させるの。
でも、砂漠の魔術の多くは砂に偏っている。砂を操ったり、砂になることも出来る」
「属性としては砂になるのですか?」
「と言うよりも、砂しか無いのかも。砂漠に住む魔術師の一族は砂に特化していて、その性能は魔術どころか、魔法クラスの神秘を有しているわ」
それに、とシアンは続けた。「そうでない属性の者もたまに現れるけど、その場合もかなり強力らしいわ」
「らしい?」
「土地に住む魔術師っていうのは、大体がとても閉鎖的なコミュニティを形成するの。技術を表に出すことは無いし、まして、傑出した人材なんて噂が出るだけでも幸運なくらいよ」
そう、だから。
彼らは多くの場合時代に取り残され、幾度となく外部からの侵略に晒されてきた。
そして今、その墓さえもが暴かれている。暴かれて、衆目に晒されているわけだ。
死後の安寧すら保証されないとは。
シアンはため息を吐いた。彼らの神は、ジャレットの神をだから嫌うのかもしれない。
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