第5話魔術師と異端審問官
現れたのは、予想通りの黒と赤。
黒い詰め襟型の
信仰を押し売りするには堅苦しい服装は、思った通り
悪名高い【魔術師狩り】を身に纏った金髪碧眼の青年は、シアンたちの凝視を受けて小さく一礼した。
「私はジャレット。ジャレット・カヌレともうします。お察しの通り、異端審問官の任を受けております」
穏やかな物腰に、シアンは一先ず愛用の
「【マレフィセント】所属の、魔術師リック・クラフトエールです」
リックが慌てて付け加えた。「役職は准教授。好きな言葉は
「詰まり、正規の滞在ってことよ」
必要以上に媚を売る相棒を睨みながら、きっぱりと言う。「あなた方に何か言われる謂れは無いってこと」
「おい、シアン!」
「あー、いえ、お気になさらず」
人の良さそうな苦笑を浮かべながら、カヌレ神父は寛容に頷いた。「態度くらい、何の問題でもありません」
それはつまり良くも悪くも、ということだろう。シアンたちがどんな態度をとっても気にしないということは、大人しくしていても必要なら排除する、という宣言ともとれる。
窓に視線を向けると、そこからは何の魔力も感じられなくなっていた。
どうやら学園長は、さっさと退散したらしい。見捨てられたようにも思えるが、どちらかというと居ない方が話は進めやすいだろうと、シアンは安堵していた。
単なる観光に訪れるには、学園長は強すぎる。
虚像を利用した誤魔化しでさえ、世界が軋みをあげるのだ。本格的に乱入すればこの世界の神秘が法則を上回ってしまう恐れさえある。その可能性だけで、異端審問官の対応は天と地ほど変わってしまうだろう。
カヌレ神父は、シアンの視線を勘違いしたようだった。
「我らが秩序神に誓っても良い、手荒な真似はしませんよ、ミス・マッカラン。ですからそちらも、短絡的な逃亡はお止めください」
「短絡的、ね」
勘違いを、わざわざ正す必要は無いだろう。「走る列車から飛び降りる方がまし、という展開にならないといいけれど」
「そうなっても、俺は飛ばないからな」
リックは両手を、降参と言うように高く掲げた。「割るならお前の方の窓だけにしろよ」
「……到着までは、あと一時間ほどでしょう。時間があるわけではありません、速やかに、目的を果たさせていただいても?」
シアンは肩を竦めると、自分の隣の席にトランクを投げ置いた。
「お話を聞きましょうか、神父さん」
しっかりと腕を組み、背筋を伸ばして、シアンは神父へと挑むように向き直った。「短く済むなら、座らなくても平気でしょう? 座るならリックの隣にしてください」
「……ええー?」
「では、失礼しましょうか」
「ええー?!」
いそいそと腰を下ろしたカヌレ神父に、シアンもリックも頬をひきつらせた。
リラックスするように深く背もたれに体重をかけながら、そっと足を揉む神父の顔には、明るく無遠慮な笑顔が浮かんでいる。
「あなた方の慈悲に感謝を。正直、少し走ったばかりで疲れていたもので、いやあ、ありがとうございます」
「……マジかよ、え? マジかよ……」
隣の席から慌てて避難させたトランクを膝の上に抱えながら、リックが恨めしそうに見詰めてくる。
シアンはそっと目をそらした。
それから、話をそらした。
「で、ご用件は何かしら? 何か嗅ぎ付けたのかしら、神の番犬さん」
「それを聞きたくて来たのですよ」
「……何の、話でしょうか?」
「正直な方ですね」
カヌレ神父は微笑んだ。「正規の滞在ということでしたが。誰に呼ばれたのですか?」
「答える義務が、あるの?」
シアン・マッカランの口から出た答えよりも、瞳に燃える焔をこそ、ジャレットは興味を引かれた。
仕事柄、相手に向けられる視線の多くは敬愛と信頼、或いは恐怖と嘘の気配、その2セットのいずれかだ。
前者は善良な信徒たち。世界の八割の地域で信仰される
後者は、残念ながら道を踏み外した者たち。神の秩序に背を向け、邪神ワーズワースの導きに乗ってしまった愚か者たちだ。
彼らはそのどちらも、異端審問官の自分に敬意を持っている。良い意味でも、悪い意味でも、神の使徒への敬意を持ち合わせているのだ。
だが、このうら若き魔術師は違うようだ。
長い金髪を一本に編み束ね、モスグリーンのスーツに身を包むシアン・マッカランは、蒼天のような瞳に深く熱い焔を燃え上がらせている。
圧倒的な敵意と憎悪。
信徒ではない魔術師なら、こうした反応もあり得るのかもしれないが――隣に座っている
そっと窺うと、リック・クラフトエールは勿論ジャレットを恐れているようだが、憎しみは深緑色の瞳にはいない。
「……義務は、勿論ありません」
では何故彼女は? 困惑しつつ、ジャレットは応じる。「その方が、時間の短縮になると思ったものですから」
「何でそんなことが言えるの?」即座に応じるシアンの態度には、非合理な刺々しさが満ち満ちている。
「……私たちは、同じ目的を持っていると私は考えています」
彼女の手に注目しながら、ジャレットは慎重に、言葉を選びながら口を開く。
多くの一般人が乗る魔石機関車の車内で、魔術師の手に杖を持たせる事態には、あまりなりたくはない。
シアン・マッカランも同じように思ってくれていると、有り難いのだが。
「俺たちが訪れた目的を解ってるって訳ですかね?」
どうやら、少なくともクラフトエール氏は同意件らしい。「単なる観光目的とは思ってないと?」
話を促してくれたドグの青年に感謝しつつ、ジャレットは頷いた。「美術館にも教会の信徒はおりますので。あなた方が館長の依頼を受けていることは、把握しています」
シアンの態度から、僅かに刺が抜けた。「……事件についても、何か聞いてるの?」
「いいえ、事のあらましくらいしか。深夜に泥棒が現れ、彼の鍵が特別製だった、くらいですね」
「俺たちとあまり変わりませんね」
リックがおどけて見せる。彼なりに、場を和やかにしようとしているのだろう。「協力というよりは、スタートの合図を決めるような段階に思えますが?」
「では、一つ。あなた方を信用して情報を明かしましょう」
儀礼的に言ったが、ジャレットはそれが嘘すれすれの言い回しに過ぎないと理解していた。
確かにこれは、現時点ではシアンたちの知らない事実だが、現地につけばあっさりと知ることの出来る情報にすぎない。『今日演っている歌劇のタイトルはこれだよ!』という情報は、この後確実に劇場に行く相手にはそれほど重要じゃあないのだ。
二人の魔術師も、そこは承知しているだろう。一時間後には手に入る情報の価値は、詰まるところジャレットが宣言した通り、信用、その証明に他ならない。
異端審問官から魔術師に情報を流すことで、そこには交渉の余地があるのだ、と暗に宣言することが出来る。
情報の質は、その際さほど重要ではない。
有無を言わさぬ敵対関係を望んでいないということさえ証明できれば、打算的な関係だと思われても構わないのだ。
寧ろ、互いに利益のある内だけの刹那的な関係だと思われる方が、了解も得やすい。
ジャレットは、自信に満ちた笑みを浮かべて見せた。
これもまた、詐欺に等しい演技だ。実際のところこの交渉が成功するかどうかは、良くて五分とさえ見ている。
そうでなくても魔術師は秘密主義であるし、何よりマッカラン女史の瞳を見れば、楽観は出来なかった。
――せめて、何事もなく退出できれば良いが……。
分の悪い賭け事が人気だというが、ジャレットとしては五分の賭けに何かを差し出すのは嫌だった。
寧ろ、突発的な事故以外で負ける確率がある賭け事など、神父の理解の遥か彼方にある。現実の任務においては、失敗の確率を限りなくゼロに近付けるため、彼らは日々働いている。
とはいえ、最早賽は投げられた。あとは祈るくらいしか、ジャレットにはすることがない。
「……確かに、情報は重要だわ」
幸い、神はジャレットの祈りを聞き届けたようだ。シアンは渋々といった風体ではあったが、大人しく頷いた。「どんな内容であれ、他人より知っているということは力になるもの」
「俺も同意件だぜ。この際だ、足並み揃えて早く解決するのは、お互いのためになる」
リックの追い討ちを、シアンはため息で返した。「アンタは、美術館を見たいだけでしょ」
「当たり前だろ? 聖職者の前でする話じゃあないが、【色彩の魔女】カメレオンの絵画をこの目で見る機会は多くないんだぜ?」
「まったく……」
シアンは頭痛を堪えるようにそっとこめかみを押さえた。
その、ほっそりとした指が顔から離れた後には、瞳の憎しみは静かに鳴りを潜めている。
消えたわけではない。
奥底に、鮫のように沈み込んだだけだということが、初対面のジャレットにも解った。その鮮やかな手並みからは、彼女の憎悪が相当根深いものだということを推察できる。恐らくだが、彼女はずっとこの憎悪を付き合ってきたのではないだろうか――ずっと、もしかしたら子供の頃から。
「では、話しましょう」
ジャレットは、予想を確認するような愚は犯さなかった。
彼女が信徒として教会の門を叩くのなら――心の問題に対して、確固たる支えを求めるのならば、ジャレットとてその務めを果たしただろう。シアン・マッカランの話を聞き、その迷いを晴らすために共に祈っただろう。
だが、残念ながら彼女は、自分とは対極に座している存在だ。神の導きを必要としていても、求めるとは思えない。
それに何より、彼女の憎悪は明らかに
下手に踏み込んで暴発するよりは、大人しく、節度ある距離を保つべきだろう。
「私が聞いている情報は――事件の容疑者についてです」
「……容疑者?」
「それが解ってるなら、何で私たちに協力を依頼するのよ」
シアンはややムッとしながら、カヌレ神父を睨み付ける。「異端審問官さまの権限で、とっとと捕まえれば良いでしょう?」
「そこが難しいのです――というよりも、誰もがそう思ったからこそ、あなたたちに話が回ってきた、と言うべきでしょうか」
神父は重々しくため息を吐いた。「館長の経歴に関しては、ある程度聞いていますか?」
「……まあ、多少はね」
この程度なら、情報漏洩にも当たるまい。リックと目配せし合いながら、シアンは頷いた。「確か、異端審問官にちょっと抵抗がある人物だとか」
「それは控え目な表現になります、ミス・マッカラン」
「シアンで良いわ。話のテンポが悪くなる」
「それでは、私のことはジャレットと。
そうですね、彼は――ひょっとしたらあなた方以上に、我々のことを嫌っているのです。過去の経歴を見るに、それも宜なるかな、というところですが」
過去、という言葉の辺りで、ジャレットは意味ありげな視線を向けてくる。
シアンの内心を、どうも見通したらしい。信者の悩みを聞くのが彼らだから、相手の心の機微には目敏いのだろう。
それでも踏み込むことなく、ジャレットは視線をリックの方に向けた。
「彼は過去、異端審問官によって濡れ衣を着せられました。その結果として、ある財産を没収されています。【虹を渡る乙女】という作品です」
「レウム・R・ドルナツの?! そりゃあ、恨まれて当然だぜ」
「それって、すごいの? ……あぁ良いわ、何でもないから説明しないで。同じ大きさの黄金を盗まれたと、勝手に思っておくから。
そのせいで、民間の警備会社に警備を委託したって訳ね」
「クグロフ・セーフサービスという会社です。創立者にして社長のノックス・クグロフ氏は館長とは古い友人関係のようでして、警備は彼が一手に引き受けていました」
「同じく不信心仲間、ってわけね」
シアンは鼻を鳴らした。「アンタが協力してほしい内容が解ってきたわ。私たちに話を聞いて、その内容を教えて欲しいんでしょ?」
ご名答、というように頷くジャレットに、シアンはしかし首をかしげる。
彼はついさっき、容疑者のことに関して何か情報を掴んでいると言っていた。だとすれば、魔術師にわざわざ頭を下げずとも、調査はほとんど終わりなのではないだろうか。
「いいえ、残念ながら。寧ろ、容疑者の存在のせいで、事件解決は遠退いたとさえ言えるかもしれません」
「はあ? どういうこと、それ」
「……館長も警備会社も、異端審問官を嫌っています。だからそれなりに警戒していますが、それ以上に、容疑者と目されるような状況にある人物が存在しているせいで、彼らは、異端審問官が深入りするのではないかと考えているのです――またしても」
話の流れが、何となく理解できてきた。
過去の冤罪のせいで、館長は異端審問官に疑われることを極端に嫌っている。
館長の友人だという警備会社の社長も、それは同じだろう。
その上で、容疑者の情報が二人を更に頑なにするのだとすれば――その情報の内容には、察しがつく。
「そうなのです、聡明な魔術師さん」
ジャレットは、深々とため息を吐いた。逃げる幸福にも心当たりがないとでも言いたげなほど、潔いため息だった。「容疑者と言われているのは、エマ・クレイモア。クグロフ氏お気に入りの部下なのです」
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