第7話 弁護側の主張

 例えばもし目の前で死にそうな人がいても、保護義務がある親、同居人、もしくは加害者などであればそれを助ける義務、つまり「作為義務」が発生する。

 しかし、赤の他人であれば別だ。

 実際に保護義務がなければ「作為義務」は存在しない、というのが法律上の見解である。


 八田神村の紫蝶祈祷師は九十九であって黒江ではない。九十九は黒江が居てくれれば、紫蝶病が発症しても助けてくれると固く信じていたが、その証拠はどこにもなく、契約も結ばれていない。しかも黒江にとって千鶴は赤の他人であり、作為義務はない、というのが弁護側の主張だ。


 しかし、検察側も黙っていない。

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