5-4


 ふわりと柔らかい匂いと湯気を立てる鍋。その中に有るのは、昨晩の残りのシチューだった。

 少し多めに作っておいて、二日か三日かけて消費しよう、場合によっては隣に持っていこう――なんてことを考えていたから、一人で処理し切るには大変な量が残っている。

 白く蕩けたシチューの中には、ブロッコリーや人参にじゃがいもといった野菜が、やや型崩れしながら姿をのぞかせている。柔らかくなった鶏肉も入っているけれども、野菜多めなのは依恋の好み――まぁ、味よりも栄養的な意味でだけれども。

 依恋はそれを皿に盛って、テーブルへと持っていく。

「はい、どーぞ」

 そこには、当然の事ながらカルディアが座って待っていた。

「頂こう」

 差し出されたシチューの他には、簡単なサラダと、食パンが準備してある。一人暮らしには十分な昼食だろう、と依恋には思える。

 頂こう――なんて言った割に、カルディアは目の前に差し出されたシチューを眺めるばかりで、眼の前のそれに手を付けようとはしていなかった。

「えーっと、はい、スプーン」

 依恋がスプーンを手渡すと、カルディアはそれを受け取った。さすがに、出会ったばかりの頃に比べると人間社会慣れしているみたいで、それを受け取ると、シチューを掬って自らの口へと運ぶ。

「……」

 感想は言わないけれども、スプーンの往復が早くなっている事から、カルディアがシチューを気に入っているのは、依恋にもわかる。

 ――美味しいとか、そういうこと考えるのかな、こいつ。

 別に、なにか言ってほしいとか、そういう事考えてるわけじゃないけど――と思いながら、依恋は自分の分の皿にもシチューを盛って、テーブルへと置いて席に着く。

 そうして対面のカルディアを見る。

「……」

 黙々と、ペースを乱すこと無くシチューを口に運び続けている。まるで、工場の流れ作業のようではあるけれども、気に入っている――んだと、依恋は思う。

 ――ま、私も食べよっかな。

「いただきます」

 言って手を合わせて、依恋はシチューを口に運ぶ。

 ほのかに甘く、ちょうどよくしょっぱく、一晩置いた分コクがある。我ながら、なかなかの出来栄え。

 などと思いながら、依恋は食パンを千切った。

 ふと――

「……ん?」

 依恋は視線に気付いた。その相手は間違いなく、対面に座っているカルディアだ。

 カルディアはスプーンを動かす手を止めて、依恋の方を見ていた。それを見て、依恋は悟る。

「あー、これはね、こうやって……」

 言いながら、依恋は手に持った食パンを千切って、それをシチューに浸す。じゅわ……という音が聞こえてきそうな勢いで、食パンにシチューが染み込んでいく。千切れたパンの繊維が、

「こう」

 頃合いを見計らって、依恋はパンをシチューから上げて、口に運ぶ。シチューが染み込んだ食パンは、独特のふわっとした食感こそ無いものの、これはこれで良いものだ。

「なるほど」

 それを見て、カルディアは自らも食パンを千切って、先までスプーンで掬っていたシチューに、それを浸す。

 ある程度シチューが食パンに染み込んできたのを確認して、カルディアはそれを自らの口へと運んだ。

「どう?」

「問題ない」

 依恋の言葉に、カルディアはそう答える。

「それじゃ分かんないって」

 そんな、そっけなくすら有るカルディアの対応に、依恋は苦笑する。

 悪気が有るわけでも、気に入っていないわけではないのも、依恋には分かってきている。

 そうしてカルディアが食パンをシチューに浸して食べるのを眺めながら、依恋は自らも静かに食を進める。

「あ、ちゃんとシチューの具も食べないと、あとに残るからね」

「なるほど」

 先から、食パンをシチューに浸しては食べてばかりで、今度はシチューの具が減っていなかった。

 ――極端っていうか、単純っていうか。

 敵と戦っている時は、流石にこんな感じじゃないんだろうなぁ、というかそうだったら困るなぁ、なんて事を考えながら、依恋もまたシチューをつつく。

 ――一晩経ってるからだけど、にんじんとか柔らかくなってるなぁ。

 にんじんはほとんど煮崩れ寸前で、見栄えは良くなくなっているけれども、その分歯を立てる必要すらないんじゃないか、というくらいに柔らかくなっていた。

 互いに言葉を交わすことも少なく、依恋とカルディアは食事をゆっくりと、静かに続ける。

 数日、カルディアが不在だったこと。

 そのカルディアが、倒れ込むようにして帰ってきたこと。

 その後、依恋が倒れたこと。

 それら全てが、まるで嘘だったみたいに、穏やかな時間を、依恋は感じていた。

 ――なんだか、不思議。

 カルディアの整った顔立ちを見ながら――最近、この顔を見るのにもさすがに慣れてきた――依恋はぼんやりとそんな事を考える。

 カルディアは全くの他人――いや、人ですら無い――で、たまたま隣に引っ越してきて、転校してきただけだ。

 なのに、気付いたら当然のように自分の家にあげて、こうして食事を一緒にして。それをなんとなく好ましく感じていて。

 何故だろう――と思わないわけではないけれど、そんなに無理に探らなければならないというわけでもない気もする。

 そんな、心地よさに、依恋が身を任せた時だった。

「……ッ!」

 表情険しく、カルディアが立ち上がった。

「え、ええ?」

 依恋は戸惑う。戸惑うけれども、なんとなく分かってきた。カルディアのこのリアクションは――

「敵が、来たの?」

 恐る恐る、依恋はカルディアに問う。

 カルディアは、それに対して無言。窓から外を、射抜くように視線で見ながら、小さく頷く。

「済まない、僕は……」

 そういうカルディアの手が、震えていた。

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