四話・鏡像でなく、兄弟でなく

4-1


 頬杖を着いて、依恋は教室の窓から外を見ていた。

 今日の空模様は、グレー。人工的に作り出された雨雲から、しとしとと長糸のような雨が、第一〇六八コロニー内部へと垂らされている。

 人工環境である第一〇六八コロニー内においても、雨は降る。正確には、降らされる。

 雨という形でドームの内側に水を落とすことによって、粉塵の洗浄や、湿度の調整を行っているのだ。

 ドーム内の大気を調整することによって同じような効果を持たせることは可能では有るが、あまり自然から離れると、それはそれで人間の精神性に悪影響が出る。

 結果として、天気予定という形で、降雨は住民に通知され、その通りに雨は降るのだ。

 予定通りの雨模様を、依恋は眺めていたのだ。その視線を、依恋は動かす。向けた先は、隣の席。

 いつもならば、カルディアが無表情に、背筋を真っ直ぐにして座っているはずのその席は、今日は空席となっている。

 カルディアは、今日は欠席しているのだ。

 ――大丈夫かな……

 そう思いながら、依恋は再度、窓の外へと視線を向けた。

 カルディアの欠席。その理由を、唯一知っている人間である依恋としては、もやもやとした、なんとも言えないものを胸の内に感じざるを得なかった。

 不安、心配、あるいは――恐怖?

 寒気のような感覚に、軽く、依恋は身を震わせた。

 一体、何を怖がるっていうんだろう? カルディアが、カルディアが――

 ――このまま、居なくなってしまうこと?

 いやいや、と苦笑いする。そんな、そこまで。

 色々と秘密を知ってしまったりもしたけれど、カルディアはたまたま隣に越してきただけの男の子で――

 ―ーいやでも、ロボットで、この街を守ってて……

 考えれば考える程、良く分からなくなってくる。自分は、彼のことを気にしすぎているのではないだろうか? そんなもやもやが生まれてしまう。

 でも、仕方ないじゃないか。

 カルディアは、なんだか放っておけない感じなんだから。

 ――あんなの放っておいたりしたら、私は……

 いや、やめよう。こんな事を考えても仕方がない、と依恋は思う。

 ああ、それもこれも、カルディアがあんな事を言って、出ていったのがいけないのだ。


 三日ほど前に、時間を遡る。

 授業を終えて、帰宅。夕食を摂って、片付けも終わり。テレビを点けながら、宿題にでも手を出そうかとリビングに教科書を並べたところだった。

 ドアチャイムが鳴った。

「はいはーい」

 と愛想良い声を出して玄関のドアを開ける依恋。

 その先に居たのは、カルディアだった。

「なんだ、あんたか」

 カルディアは、部活に入っているわけでもないのに、割と帰りが遅い。なんでも、あの巨大ロボット――パラディオンの、調整やら何やらで家に直接帰っていないかららしい。

「何の用――と、その前に、上がったら?」

「すまない」

 依恋が招き入れると、カルディアは部屋の中に入ってきた。依恋が歩くのに子ガモのように付き従い、カルディアはリビングへと入ってきた。

 カルディアはテーブルに広げられた教科書を見て、言う。

「課題か」

「ま、今始めたとこ。カルディアはどう、ちゃんと宿題やった?」

 言って、依恋は椅子に座る。

 テーブル上に依恋が広げているのは、歴史の教科書だ。カルディアに、歴史の知識を詰め込むような必要があるわけはないけれども、出された課題をこなさないのは不自然だ。

「問題ない。少なくとも、明日に課題を提出する必要はない」

「……あれ? 明日、歴史の授業あったよね」

 勘違いしていただろうか? と依恋は考える。もしそうなら、こうやって焦って教科書やらなんやらを広げる必要はないわけだけれども。

「あっている。明日は、その課題の提出日だ」

 言いながら、カルディアは依恋の対面に座る。

「じゃあ、なんで?」

「それが、君に対する要件だ」

「なるほど。で、どんな要件があるの?」

「数日、学校を休む。なので、教諭に君から事情を説明して欲しい」

「休む……って、なんで?」

 思わず、依恋は身を乗り出した。

 まさか、体調不良ということは無い……いや、カルディアがどういう身体をしているのか良くわからないし、治療――或いは、メンテナンス?――で、それくらいかかるのかも?

「期間は分からないが、外出する」

「外出って――どこに?」

 純粋に疑問に思い、依恋は問う。

 この第一〇六八コロニーはそれなりの面積を持ってはいるものの、交通機関は十分に配備されているし、数日かかって何かする、ということはあまりない。

 ――カルディアが旅行……って訳でもないだろうし。

 一人で旅行を楽しむような素養が、このむっつりロボに有るわけがない。

「外だ」

「外って、外……?」

「この第一〇六八コロニーの外だ」

 その発想がすっぽりと抜けていたことに、依恋は気付かされた。確かに、外出、といえば、外に出ることだ、文字通り。

 ならば、このコロニーの外に出ることと考えるほうが、自然だろう。だが――

「……何で?」

 依恋は問う。このコロニーの外に、何故、何のために出ていくのか。

 このコロニーの外には、なにもない。そこは、人類の生存圏ではない。だというのに、カルディアは外に何をしに行こうというのか。

 この世界の外側に。何を。

 依恋の問いかけに、カルディアは当然のことのように答えた。

「敵を討つために」

「敵……って、あの飛んでくる〈卵〉の事?」

 〈多頭竜〉そして、〈歌姫〉。二度、このコロニーを襲った、あの敵達。人口の空を破壊した者たち。

「正確には、その大本だ。〈卵〉を撃ち込んできた、本体。それを破壊しに行く。〈卵〉の軌道と、ドローンによる観測で、パラディオン・システィマはその位置を既に把握している」

 近くに卵を買いに行ってくる、というのと同じくらいの様子に、依恋は却って胸の内にもやりとしたものを覚える。

「……大丈夫なの?」

 カルディア――というか、あの白亜の機械巨人、パラディオンが強いのは、良く知っている。

 〈卵〉を使った二度の攻撃から、第一〇六八コロニーを見事に守りきっているのだから、疑う余地はない。

 だが、だがしかしである。

 それは、襲ってきた敵を迎撃できた、という事であって、敵の本拠地に直接攻撃を仕掛けて大丈夫かと言うと、どうなのだろう――と、依恋は考えてしまう。

 ――大丈夫じゃなかったら、どうなるの?

 そう考えた依恋に、カルディアは言う。

「敵方の戦力状況は未知数。結果の予想は不可能だ」

「それって、良くわからない、って事?」

「そうなる」

「大丈夫じゃないじゃん……」

「だが、敵は討つ必要が有る。二度目の攻撃が有った以上、三度目もあると考えるべきだ。三度目、四度目――攻撃のたびに犠牲は出るし、僕がいずれ負ける可能性もある」

 さも当然のようにカルディアの口から出た言葉に、依恋はどきりとした。

 一度でもカルディアが負ければ、このコロニーは壊滅する。

 それは、住環境の消滅ということだけを意味しているわけではない。

 コロニーの外に出ては、人類は生きていけないだろう。つまり、コロニーの住民は皆死ぬ。

「そっ、か……」

 そう考えると、依恋は何も言えなくなってしまう。

「だから、元を断つ必要がある。そして、この第一〇六八コロニーへの攻撃を止める。それが、僕の製造目的だ」

「製造目的って……」

 カルディアは、ロボットだ。食事をして、学校に通っていても、ロボットだ。

 だから、その目的通りに動こうとするのは、当然なのかもしれない。

 なのかもしれないけれども……と依恋は考えてしまう。

 そんな依恋の気も知らずに、カルディアは言う。

「そういうわけだから、連絡は頼んだ」

「うん……それは病気か何かって事にしておくけどさ」

「ありがとう」

 それだけ言って、カルディアは席を立とうとする。

「あ、待った!」

 立ち去ろうとするその背中に、依恋は声をかけた。

「……なんだ?」

「ちゃんと晩ごはん、食べた?」

「む……いや、燃料の残量は問題ないが」

「はぁ……」

 きっちりと依恋へと向き直ってからのカルディアの返答に、依恋は思わず溜息を吐いた。

「ちゃんと毎日三食食べなきゃ駄目でしょ?」

「だが――」

「もうちょっと社会に適応するためにも、ちゃんと普通の習慣を身につけること!」

「む……」

 依恋が強めの語調で言うと、カルディアは言い返せずに黙ってしまった。

「ま、仕方ないし、どーせ家の中に用意もしてないんでしょ?」

「そうだが」

「やっぱり……」

 依恋は額に手をやった。

 このロボットに、今の所自炊の概念は存在しない。ついでに言うと、冷蔵庫の有効活用という概念も同じく。

 食事は出来上がった物を買ってきて、食べるだけ――それでも、買い物が一人で出来るようになっただけ、だいぶマシ――で、しかも、予め買っておくとか、そういう考えはない。

 コンビニ依存度が強すぎる。

 以前、生活環境をチェックしに行ったときから、状況は然程変化していないと見える。

「うちで晩ごはん、食べてったら? 私の晩ごはんの残りでよければ、有るから」

「しかし、依恋。君に迷惑をかけるわけには……」

「いいから。迷惑よりも、あんたがちゃんと晩ごはん食べたかで心配かけられるほうが、こっちとしては嫌だし」

「む……」

「はい、座って座って」

「分かった」

 依恋に促されて、カルディアは再度席に着いた。

「よし」

 それを確認すると、依恋はテーブルの上に広げていた教科書類を纏めて、スペースを作る。そして、冷蔵庫へと向かった。

「ま、温め必要なものは……ないし、そのまま並べるだけか」


 と――そのまま晩ごはんを食べさせて、翌日本当に学校に来なかったので、担任には風邪をこじらせて数日休む事になりそうだ、 と伝えた。

 委員長がちょっと騒いで、澄花が笑っていたけれども、まぁそれはよし。

 そして、それから三日が経った。

 カルディアはまだ、隣室に戻ってこない。

 もしかしたら、もう二度と戻ってこないのかもしれない。あの〈卵〉を送り出してきた敵に、敗北してしまって……

 そうなったのだとしたら、次の〈卵〉が送り込まれて、第一〇六八コロニーを破壊し尽くす事になるのだろうか。

 外の雨模様を眺めて、依恋は溜息を吐いた。

 この空の続く先に、カルディアは居ない。

 そして、カルディアがどうなっているのかなんて、分からない。

 ――心配かけられるほうが、嫌だって言ったのに。

 依恋は思う。

 早く、カルディアが帰ってくればいいのに、と。

 ――そうなれば、こんなもやもやした思いを続けなくても良くなるのに。

 もう一度、依恋は溜息を吐いた。

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