3-2
「ねぇ、あんた何やったの?」
カルディアの手を引いた依恋は、そのままぐいぐいとカルディアの身体を引っ張り歩きながら、そう問う。
「……保健室に行くのではないのか?」
「嘘に決まってるでしょ! 嘘に!」
言いながら、依恋は屋上へと繋がる階段を昇って、屋上へと繋がる扉の横の壁へとカルディアの背を押し付けた。
「嘘は良くないぞ」
「今はそういう正論とかいいから!」
「済まない、君がどうしてそうなっているのかが、分からない」
「私も分かんない!」
正直なところ、カルディアの済ました態度がさっぱり変わらないことに何だかイラッとしたから、というのが原因な気はしているけれども。
「そうか……」
「そんなことより、カルディア、あんた何やったの?」
「何、とは」
「さっきの合唱練習、あんた、何かやったよね? 具体的に、何をやったのかは分かんないけど」
それを問い質すために、こうして無理矢理にでもカルディアを外へと連れ出したのだった。
依恋が眉根を歪めて発した問いを、カルディアは受けて言う。
「僕の機能を活かして、合唱に参加した」
「機能って……」
「ネットワーク上に存在する、合唱の課題曲の歌唱データの中から、評価が高いものを再生した」
「さ、再生って、あんた……」
はぁ……と依恋は溜息を吐いて、額に手をやった。
――こいつ、何も分かってないじゃん……
「どうした、依恋。何か問題でも?」
「問題しか無い!」
「……何処に問題が?」
本当に理解していない様子で、カルディアは小首を傾げた。
「ずるじゃない、それ……」
「不正は無い。自らの機能の内で最善を尽くす事に、不正は存在しない、はずだが」
カルディア言っている事は、間違っていない。決定的な部分で間違っている、というのも事実では在るのだけれども。
「でも、それ、歌ってないでしょ?」
「録音された歌は、歌ではないのか?」
「そういうわけじゃないけど……」
あー……と考えて、依恋は言葉を選ぶ。
録音された音楽を否定したいわけではないんだけれども、それは歌う、という事とは、ズレが有るように依恋には思える。
思えるのだけれども、だからと言って、それを上手く言語化出来るかと言うと、中々に難しい。
「それは、音楽を聞く、って時はそれで良いんだけど、歌うっていうのとは違う、と思う」
「どういう事だ?」
「なんて言えば良いのかな……音楽を再生するのは、出来上がったものをまた、それこそ再生してるだけで……」
「むぅ……」
しどろもどろ、つっかえつっかえ、分かりきっていることのはずなのに、考えているとわからなくなってしまう。
どうすれば、カルディアに分かってもらえるんだろう?
「うんとね、歌うって、自分で歌うのが大事なんだと思うの」
「また、主観の問題なのか」
「多分そう。私がプレイヤーを使って、人の歌を再生しても、それは私が歌を歌ったことにはならないし」
「それは、再生機能が君が持っているものではなく、外部のプレイヤーに依存しているから、というわけではないのか?」
カルディアの言葉は、理性的であり、正論である。でも、それは依恋の伝えたいことと噛み合ってはいない。
「それは違う、かな。だって、再生してるのは人の歌だし」
「自ら、歌う必要がある――ということか?」
「歌うって、同時に作る事でも在る、気がする。再生するだけだと、それが足りてない、んだと思う」
考えて、言葉を出して、依恋は自分で考えていたことが、ちゃんと形になった事を理解する。
歌うとは、音を出す、鳴らすというだけの行為ではない。
歌う度に、歌という創作物を作り出す創作行為でも在るのだ。
だから都度出来にブレが有るし、有って当然。その上で、練習することによって、上手く歌えるようになっていく。
「なるほど」
カルディアは頷く。
「分かってくれた」
「……恐らくは。歌う、とはリアルタイムでの生成行為であり、音楽再生ではない、ということが」
で有るならば――と、カルディアは続ける。
「僕は確かに、歌を歌っていたわけではない、な」
「やーっと、分かってもらえたー……」
依恋は、自分の肩から力が抜けていくのを実感していた。疲労感と脱力感で、思わずその場にへたり込みそうになる。
――カルディアの相手すると疲れる……
別にそれが不快なわけではないけれども、今日一日で一週間分は体力を使った気がする。
そんな依恋に向かって、カルディアが言う。
「そろそろ授業に戻るべきではないか? 今度は、ちゃんと歌ってみせる」
「あー……そうなんだけど、どうしよ。体調悪いとか言って出てきちゃったのに、簡単に戻れないよね」
いっそ、本当に保健室に連れて行くか? なんて事を依恋が考えた時だった。
「む……」
カルディアが、僅かに、ほんの僅かにだけれども表情を変えた。
無表情から、眉が釣り上がる。変化は僅かだけれども、印象の変化は大きい。
そして、カルディアは窓の外へと視線を向けた。
そんなカルディアに向かって、依恋は言う。
「な、なんなの……?」
「……来る」
「えっ……?」
何が――とは、依恋は問わなかった。
だって、何が来るかなんて、聞かなくても分かってしまっていたから。
――来るのって、やっぱり……
あの、球体――〈卵〉と、カルディアが呼んでいたもの。あれに間違いない。
だって、カルディアはあの時と同じ顔をしている。
「でも、あれはカルディアが倒して……」
「一つで終わりではなかった。というだけの話だ」
言うと、カルディアは依恋の方へと向き直った。
「僕はこれから迎撃に向かう。君は早く避難してくれ」
「待って、迎撃って――」
「パラディオンで出る」
言うと、カルディアは扉を開けて屋上へと走っていった。
:――:
都市防衛用機構、パラディオン・システィマより、第一〇六八コロニー住民の皆様へお知らせします。
ただいま、当コロニーは敵性存在による攻撃を受けています。
大変危険ですので、外出は避け、可能ならば地下避難区画まで移動してください。
繰り返します。
都市防衛用機構、パラディオン・システィマより、第一〇六八コロニー住民の皆様へお知らせします。
ただいま、当コロニーは敵性存在による攻撃を受けています。
大変危険ですので、外出は避け、可能ならば地下避難区画まで移動してください。
――パラディオン・システィマは、これより攻勢防御を行います。
:――:
「ちょ、ちょっと――」
依恋の言葉を背に、カルディアは屋上へと飛び出した。まずは外に出なくてはならない。階段を降りたりするよりも、この方が早い。
カルディアは考える。
依恋は、ちゃんと避難してくれるだろうか、と。恐らくは大丈夫であるだろう――とは、カルディアには考えられない。
依恋の事は、カルディアでは理解しきれない。いや、人間という存在自体のことが、理解出来ていないのかもしれない。
依恋の事が分からない、と考えてしまうのは、人間の中で一番依恋と接しているからなのだろう。カルディアにとって、依恋は重要な判断基準の一つだ。
――いや――
「今は、思考領域を無駄にするべきではない」
パラディオン・システィマから送られてくる情報=敵に関する情報を受信。それまでの思考を、オフに。
第一〇六八コロニー外へと向けられたレーダーの観測データによると、〈卵〉は放物線を描いて、空中を飛んでいるようだ。
このまま行くと、前回とほぼ同じ地点に落下する。
落ちる前に迎撃することは、出来ないし、しても意味がない。第一〇六八コロニーの外へと向けられた武装は、パラディオンが運用する装備の十分の一にも満たない。
第一〇六八コロニーの中に迎え入れて、パラディオンで迎撃する。それが一番だ。
そのためには――
「
呟くように言うと、カルディアは屋上から跳躍する。
地を蹴って、空へ。まるで、翼でも生えているかのように軽々と、カルディアは跳んだ。
屋上のフェンスを容易く超えて、空へ。そのまま重力に引かれて、地面へ。
しかし、その姿が地に落ちるよりも早く、落下地点がスライドして、穴となった。そこからせり上がってくるのは、白亜の機械巨人。
カルディアが呼び出した、パラディオンだった。
落下するカルディアはパラディオンの胸部、翡翠色の結晶体へと吸い込まれる。同時に、パラディオンの両眼が輝いた。
カルディアという意思を受け入れて、パラディオンが完全に起動したのだ。
同時に、パラディオンは空――ドームの天蓋へと、頭部を向ける。
「来たか……!」
その視線の先で、人工の空が砕けて、青に裂け目が生じていた。
あの時と同じ。敵が、〈卵〉が、第一〇六八コロニーの外から撃ち込まれた砲弾として、コロニーの内側へと攻め込もうとしているのだ。
先を取る事は出来そうにない。ならば、落下予測地点――つまり、前回の戦闘地点まで、移動する。
「行くぞ」
その太く、巨大な四肢を振るって、パラディオンが都市を走る。
:――:
盛大に道路を破壊しながら着弾した〈卵〉は、クレーターの中心部で直ぐ様に変容を始めた。
内側から破れるようにして、元の容積より大きく。その身をぼこり、ぼこりと沸騰するように盛り上がらせながら。
ナノマシン・ケイオスで出来た身体を、作り変えていく。
変容が完成するまで、然程の時間も必要としなかった。
出来上がったその姿は、異形の代物でありながら、美しいものでも有った。
姿は人間の女性――をベースとしている。長い髪を流した裸身は美しい。その眼には布が巻かれており、目隠しをされているようであった。
頭と、胴体は人間であるが、四肢に当たる部分は人間のそれではなかった。
両腕は、存在していない。肩から先が、まるで無理矢理もぎ取られでもしたかのように存在していないのだ。
その代わりというわけでもないのだろうが、その背中からは鳥のものにも似た翼が大きく広げられており、放射状に広がるシルエットを形作っている。
脚部はそれに輪をかけて奇妙な様相を示していた。
人間のそれに近い形をしているのは、太腿の半ばまでで、そこから先は黒い箱型の物体となっていた。
箱型の物体は、前方だけが、まるでメッシュを貼ったかのように、内容物が透けている。
それはまるで、プレイヤーが再生した音楽を増幅して届かせるための、アンプでありスピーカーだった。
主となっているのが美しい女性型であっても――いや、だからこそ――その異形は際立っていた。
完成した異形の女は、天を――自らが降ってきた裂け目を仰ぐと、その口を開いた。
そして――
「――!」
音が、走った。
空間が振動して、それが伝播する。
その振動が向かった先に存在しているのは――白亜の機械巨人だった。
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