三話・囀るな小夜啼鳥

3-1


「っあぁ……」

 午前の授業が終わって、依恋は思わず自分の机に突っ伏して、呻き声を上げた。

 原因は、疲れとしか言いようがなかった。正直、マラソン大会終了後ぐらいの疲れで即眠りたいぐらいだった。

 だって、そうだろう? 朝からカルディアがずっと隣に居たのだから。

 何かがあったらフォローしなければ……なんて気疲れが原因で大変なことになっていた。

 そもそも、朝イチの挨拶からして、依恋は思い出しただけで胃が痛む。

 ――何? カルディア・ホットサンドって……

 黒板に書かれたその名前を見た瞬間、依恋は机に頭を打ち付けていた――そして、不本意ながら、カルディア以上に教室の注目を集めてしまった。

 確かに、苗字がないのは不自然だと依恋も言ったし、それに対して、カルディア自身も後で苗字を設定しておくとは言っていた。

 だからって、ホットサンドは無いだろう? と依恋は思ってしまう。なんで? そんなに気に入ったの、ホットサンド?

 その後も、カルディアはちまちまと奇行を積み重ね――そして、それ以上に、その美貌で人の目を集めていた。集めまくっていた。

 教師からの問いに、カルディアは完璧な答えを返した。その上で、時々余計な質問をした。その上で、子供でも分かって当然な質問をしたりもする。

 午前中で既に、クラスメイトからのカルディアの評価は、頭が良いけど天然入ってる、というものに固まりつつあった。

 ――というか、私がそうした!

 カルディアが頓珍漢な事を言うたびに、依恋はフォローを入れ続けた。半ば食い気味で。

 ――だって、そうでもしないと、ロボバレしそうだったし……

 カルディアの頓珍漢な答えは、人間だったらしないような代物だった。それを何か適当な言い訳で誤魔化し続ける。

 本当に、本当に疲れた……

「いやー、お疲れだね、依恋」

「うん……」

 机に突っ伏したまま、投げかけられた澄花の言葉に返答する依恋。

「いやー、すごいねカルディア君、大人気」

「うん……」

 光景を見ては居ないけれども、休み時間ともなれば、どうなるかはもう想像するまでもない。

 カルディアの机の周りには、多くのクラスメイト――主に女――が集まっていることだろう。ちょっと黄色い声が聞こえてくる。

「でもさ、他人事みたいにしてて良いの?」

「……他人事でいさせてよ」

「いやぁ、無理っしょ? あんだけやらかしといて」

「……あ、やらかしたの、私の方なんだ」

 冷静に考えると、頓珍漢な事を言うよりも、必死になってそれを取り繕おうとする人間のほうが、ムーブとしては愉快だ。

 そして、何故そんな事をするのかということまで考えられたら……色々な矛先がこちらに向くのは時間の問題だ。

 そして、その時は正に今だった。

「ちょっと、希咲さん!」

「う……ん……?」

 声がしたので、顔を上げてそちらを見る。そこには、仁王立ちしている少女の姿が有った。

 気の強そうな釣り目に、額を見せてヘアバンドで押さえたヘアスタイル。でも一番特徴的なのは、ウェーブの掛かった黄金の髪だろう。

「委員長か」

「委員長こんちゃー」

「どうも、黒井さん」

 金髪の少女は、このクラスのクラス委員長、辺見へんみ嶺亜れいあ。澄花に対して見せる笑顔は、なんとも華が有る。

「で、委員長、何の用? 正直疲れてるから、早めに済ませてほしいんだけど」

「あなた、ホットサンドさんとどんな関係ですの!」

 その苗字を出されて、思わず依恋は吹き出した。ガード不能過ぎる。

 そんな依恋を、嶺亜は怪訝そうな目で見ていた。

「ねぇ、人の名前で笑うのはさすがに失礼じゃないの、希咲さん……」

「あ、それは私も思うー」

「うん、ごめん……」

 客観的に見ると、そうなるのだなぁ、なんて思ってみたり。

「謝る相手が違うのではなくて?」

「はい、ごもっともです……」

 半目で見てくる嶺亜に、依恋はぐったりしたままそう返した。

「で、委員長、なんのよーなん?」

「そうでした。希咲さん、あなた、ホットサンドさんの家に上がり込んだりしたそうですけれど、どんな関係ですの!」

 と、首を傾げながらの澄花の問いかけに、嶺亜は答える。その矛先は、やはり依恋だ。

「えー」

 確かに部屋に上がったりはしたけれども、全ては成り行きとしか言いようがないし、関係と言っても、お隣さん以上の何かでは無いような気がするのだけれども。

 ――それよりも、ロボットだって正体を知ってるほうがおっきいかな……

 そんな事を思いながら、依恋は人囲いの中に居るカルディアへと目線をやった。偶然か必然か、カルディアの視線と依恋の視線が交錯する。

 カルディアはそれを確認してか、うん、と頷いて見せた。

 ――いや、何その、僕は上手くやっているぞ、的なポーズ……

 上手くやっているつもりなら、依恋との関係も上手いこと誤魔化すような言い方をしてほしかった。いや、そんな事を、カルディアに期待するほうが間違っているのは知っているけれども。

 そんな依恋に向かって、仁王立ちしたまま、再度言う嶺亜。

「えー、じゃなくて、どうなんですの!」

「の!」

「いや、なんで澄花まで乗ってるの……それはともかく、関係とか言われても、たまたま隣に越してきて、たまたま食べるもの持ってなかったから私の家から食べるもの渡しただけだって……」

「本当にそれだけですの……」

「こっちとしては、委員長がなんでそんな事気にしてるのかのほうが分かんないんだけど」

 半目を向けてくる嶺亜に対して、同じく半目で返しながら、依恋は言う。

 実際、なんで嶺亜がここまで必死なのやら。

 依恋の疑問に対して、嶺亜は頬をわずかに染めながら、目を逸らして言う。

「わ、私は代表ですの!」

「代表……あー、そういう?」

 そういう視点を持って見てみると、なんとなく、カルディアを囲んでいるクラスメイト達が、ちらちらとこちらを見ているよう気がする。

 ――ファンクラブか何か?

 実際、それに近いものになっているように依恋には見えた。美形の力ってすげー。

 嶺亜に向かって、澄花は言う。

「だいひょーって事は、委員長もその一員なんだ?」

「……」

 ぷいっと目線を逸らしたのでは、肯定したのと一緒だろう。

「意外にミーハーなんだ、委員長……」

「なっ! ななっ!」

 依恋に言われた嶺亜は、顔をリンゴのように真っ赤にして、一歩仰け反った。

「図星なやつだ」

「へー、委員長ああいうのが良いんだー」

「うっ、うう……」

 うわーん! と声を上げながら、嶺亜はにやにやと笑う依恋と澄花に背を向けて逃げていった。

 そんな嶺亜を見て、依恋と澄花は互いに顔を見合わせた。

「やりすぎ?」

「かもねー」

 苦笑いを交わしながら、再度依恋は机に突伏する。

「なんかどっと疲れた……」

「はいはいおつかれおつかれー。ご飯食べよっか」

「うん……」

 依恋は澄花に向かって返しながら、再度視線を嶺亜――が去っていった方向へと向けた。

 ――委員長がそういう感じだとは思わなかったなぁ……

 ここはむしろ、カルディアを褒める所なのかもしれない。ちょっと人を惑わし過ぎな気もするけれども。

「ところで澄花、次の授業ってなんだっけ」

「んー、音楽」

「……音楽かぁ」

 何故だろう、また面倒なことになるような気がしてならない依恋だった。


:――:


 第一〇六八コロニーにおいての音楽の授業は、人類がコロニーに引き篭もる以前のものと然程変わらない。

 生徒達は音楽室に移動し、教師の指導を受ける。そんな当たり前の、何時も通りの光景。

 ――ってわけじゃないんだよね……

 と、そんな事を、依恋は思う。

 今日の授業内容は、合唱の練習。近く、クラス対抗の合唱コンクールが有るため、その練習兼ねたものだ。

 練習も、今回が初めてではない。ある意味慣れたもの。

 そんな何時も通りの光景の異物は、当然のことながらカルディアだ。

 男女毎、そしてパートごと――ソプラノ、アルト、テノール、バスの四つで、依恋はアルトだ――に別れたクラスメイトから離れた位置で、カルディアは練習を見学していた。

 いきなり入っても対応は出来ないだろう、という配慮から、そうなったのだった。

 休み時間にカルディアの事を囲んでいた女子達は、どうにもそちらの事が気になって仕方ないらしくて、ちらちらと視線を送っている。

 ――うーん、分かりやすい。

 その所為で、あからさまに女子は練習に身が入っていないのは、依恋から見てもちょっと問題な気がしないでもない。

 まぁ、勝ったからなんだ、というような程度のコンクールではあるんだけれども。

 依恋もまた、カルディアの方へ視線を動かす。

「……」

 無言で、無表情。いや、真剣そう、なのだろうか。目鼻立ちが整っている――うわっ、まつ毛長っ――上に、白髪に赤い目という浮世離れしたカルディアがそうしていると、教室が非日常へと成り果てる。

 食事や買物に付き合ったりで慣れたような気はしていた依恋だけれども、そんな事はなかったようだ。

 少しだけ視線をやるつもりが、ついつい目を長居させてしまう。

 ――うーん、ちょっと目の毒ってレベルかも。

 そんな事を、依恋が考えたときだった。

「なるほど」

 そう、カルディアが呟いた。

「どうかした、カルディア君?」

 音楽担当の女性教師が、カルディアに向かって問う。

「教諭、鑑賞は十分だ。参加の許可を」

「……本当に大丈夫」

「問題ない」

 心配そうに言う女性教師に向かって、カルディアは当然のこととでも言うかのように頷いて見せた。

 ――本当かな……

 そんな様子を見て、依恋は、おそらくは担当教師以上の不安を覚える。

 ロボットであるカルディアが、何かやらかすのではないか――なんて不安は、教師が覚えるわけもないのだから、当然なんだけれども。

 ――大丈夫かな、なんかもーハラハラする……

「……希咲さん」

「うっ……」

 軽く横から腹を小突かれて、依恋は呻いた。

「ちゃんとやってくださいな」

 小声で言うのは、依恋の隣に立っている嶺亜。小突いてきたのも、当然嶺亜だ。

「ごめんごめん……」

「ホットサンドさんが気になるのは分かりますが、大いに分かりますが」

 眉間にシワを寄せて言い終わると、直ぐ様、嶺亜は正面へと向き直った。

 基本、大真面目な娘なのだ。だからこそ、クラス委員なんてものを引き受けているんだろうけれども。

 依恋はそんな事を考えながら、嶺亜に向かってい言う。

「……気にしてるの、私達だけじゃないみたいだし、ちょっと止めても良いんじゃない?」

「うーん」

 言われて、嶺亜は辺りを見回す。まともに練習になっていないのは、このパート自体といえる状態だった。大凡半分の生徒が、そわそわと身を捩ったり、視線を動かしたりと落ち着いていない。

「そうしましょうか……」

 はぁ……と嶺亜は溜息を大きく吐く。そんな姿を見せられると、真面目に生きるのも大変なものだと依恋は思わざるを得ない。

 ――さってと……

 アルトパートの練習が止まったので、依恋は安心して、カルディアへと視線を戻す。

「大丈夫か?」「問題ない」「まぁ、そんな真面目にやってるわけじゃねーし、最悪口パクでも……」「ちょっと男子ー」

 そんな会話に混じりながら、カルディアは合唱練習の列に入っていく。

 入っていったのに、カルディアは目立って仕方がなかった。まるで一人だけ、深海でむやみに光を放っているようだ。

「さて、どうなるんだか……」

「気になりますわね……!」

 あからさまにテンションが上っている嶺亜を横目に、依恋はカルディアを注視する。

 多くの生徒が見守る中で、カルディア達の歌が始まった。

 それを聞いて、依恋と嶺亜は小さく声を上げた。

「うわ……」

「上手……ですが、何か違和感があるような……?」

 嶺亜の言う通りだった。

 間違いなく、上手い、と言えるのだ。まるで、プロででも有るかのように。音程はしっかりしているし、声もよく響いている。合唱だと言うのに、聞き分けることが容易なレベルだ。

 だが、同時に、聞いているものに違和感を覚えさせる歌声でも有った。

 それは何故か。

 ――まるで、カルディアが歌ってるよーな気がしない……あ、もしかして……

 依恋は、カルディアの練習が一通り終わると――

「委員長、ちょっと抜けるね」

 と言って、アルトパートの輪から抜け出した。嶺亜の呼び止める声が聞こえたが、スルー。

「上手くね?」「ああ、上手くいった」「いやなんだよそれ」

 笑い声混じりに、肩を叩かれたりしているカルディアの元へ、男子を掻き分けながら依恋は進む。

「はいはいちょっとごめんねー」「なんだよ希咲……」

「む……」

 そして、表情を変えないままのカルディアの肩に手を置いた。可能な限りの笑みを――歪んでない自信はないけど――浮かべて言う。

「カルディア君、体調悪そうだね?」

「いや、僕のコンディションはばんぜ――」

「悪そうだねぇ! 風邪とかひいてるんじゃないかな!」

 両肩をがっしりと掴んで、依恋は教師に頭を向けて言う。

「せんせー! カルディア君体調悪いみたいなんで、保健室に連れていきますねー!」

「え、希咲お前保健委員じゃ――」

「連れて行くんで!」

 返答を聞く前に、依恋はカルディアの手を引いて、音楽室から出ていった。

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