二話・それでも、ありがとう

2-1


 第一〇六八コロニーにおける住民の足は、主に無線給電型の自動車である。その名の通りコロニー中央に立つ中央塔セントラルは、都市全域への無線給電を実現しており、送電に他の媒体を必要としていないのだ。

 不意の避難警報の結果、住民の私有物たる自動車は、多くが路上駐車されている状態にあった。

 色とりどりの車が、まるで菓子を散らかしたかのような様だ。

 それらを、まるで紙くずのように吹き飛ばしながら、パラディオンは疾駆する。

 弾き飛ばされた車は、上下すら自由になって、ガードレールの上を飛んで、ガラス窓に飛び込んで破片と破裂音を撒き散らす。

 瞬間的に、パラディオンは球体を間合いへと捉える。

 左足を踏み込む/道路が大きく陥没する/引かれた右拳を突き出す。

 突風を巻き起こす高速の鉄拳。しかし、それは球体へと届かなかった。

 ひん、という、風の悲鳴。

 同時に、パラディオンの鉄拳が停止させられる。

「なるほど」

 無理やり拳を停止させられた事による、肩への負荷を認識し/その程度を問題ないものと確認しつつも、パラディオンは、鉄拳を停止させたものを見ていた。

 パラディオンの白い右腕に、黒い何かが巻き付いている。紐にしては太い、そして何よりも生物的なそれは、何か――?

 蔦の類ではない。触手、触腕ではない。漆黒の鱗持つそれは、先端部に爬虫類の頭部を着けていた。

 蛇の――いや、竜の首。

 無数のそれが繋がっている先は、件の球体――いや、それはもう、球体の形状を保っていなかった。

 それは、巨大で太い蛇の胴体になっていた。これが、ナノマシン・ケイオスの変容の結果だった。

 それは無数の頭を持つ、巨大な蛇――

「認識名称を登録。登録名称コード〈多頭竜〉」

 言いながら、パラディオンは自由な左腕を大きく振りかぶる。同時に、左腕側面が大きく展開する。

 パラディオンの両腕には、攻防一体型の電磁フィールド形成装置が内蔵されている。バリアとして展開することも出来るし、展開したままぶつければ武器とすることも出来る。

 電磁の結界を纏った左腕を、鉄槌としてパラディオンは振り下ろす。その目標地点は、右腕に絡みつく首達だ。

 血液――いや、血液ではない、液状化したナノマシン・ケイオスだ――をその内から弾け飛ばしながら、〈多頭竜〉の首が千切れ飛ぶ。

 液状化したナノマシンは都市の四方八方へと飛び散った。それに触れたビルが、まるで溶けるように形状を崩れさせる。

ウィルスか」

 〈多頭竜〉がその身の内に孕んだ液状化ナノマシンは、コンピュータ・ウィルスを含んでいる。ナノマシン・ケイオスを建材としたビル群などがそれに触れれば、構成を維持するのが難しくなるのは必然だ。

 パラディオンがその例外となるかは実際毒を受けてみる他ないが、あまりに危険が勝る。

「触れずに戦うしかないか」

 奇妙な音声――生物の声ではない、機械的な合成音声だ――を撒き散らしながら、〈多頭竜〉の胴体部が身を捩る。

 それを見ながら、パラディオンはバックステップ/脚部前方のスラスター噴射/右腕を振り払って力を失った〈多頭竜〉の頭を投げ捨てる。

 パラディオンは当然、〈多頭竜〉から目を切ることはない。故に、当然の事ながら、それが起こるのも見ていた。

「……なるほど」

 〈多頭竜〉の首。パラディオンが引きちぎった部分から、まるで花が咲き、枝が伸びるかのようにして、新たな首が生えていた。

 あの〈多頭竜〉の首には、再生能力が有る。

 〈多頭竜〉は、再生した首を、早速利用してきた。首を大きく振るう。すると、首が本来の長さを越えて伸びる。音を超えた速度で迫る頭部が、衝撃波を放ちながら迫ってくる。

 竜の首が空を走ると、それに遅れてビルの窓が触れてもいないのに破裂音を鳴らして破壊されていく。

 首が向かう先は、パラディオンだ。

 パラディオンもそれを迎え撃つ。両腕を前方に突き出す。

「電磁フィールドシステム起動」

 パラディオンが言うと、両腕側面が展開。電磁フィールドを発生させる。

 不可視の障壁が展開され、そこに〈多頭竜〉の頭が打ち付けられる。あたかも、壁に向かって鞭で打擲するが如く。

 弾ける。

 液状化したナノマシンを撒き散らしながら、パラディオンの寸前で、〈多頭竜〉の頭が弾け飛んでいく。

 基本的に、〈多頭竜〉にパラディオンの防御システムを突破する能力はない――パラディオンは、そう判断する。

 ウィルスは危険だが、それも電磁フィールドで防ぎきれる。

 ならば、このまま力押しで行くか? 首には再生能力が有る。問題は、それに限界があるのか、そして首以外に再生能力が有るのか、ということだった。

 〈多頭竜〉の首による打擲は、未だ続いている。弾け飛んだ首の数は、どう考えてもパラディオンが確認したものよりも多い。つまり、首を再生させながらどんどん攻撃に回しているのだと推測できる。

 そんな真似をするのに、再生に限りがある――とは、推定できない。少なくとも、消耗を待つのは危険だ。

 と――パラディオンのセンサーが、それを捉えた。

 両腕を前に突き出し、電磁フィールドを維持したまま、パラディオンは首だけで上を見る。

「そういう手を取るか」

 そこには、〈多頭竜〉の首が三本、顎を開いている光景があった。

 無数の首を囮にし、パラディオンを防御に専念させることによって隙を無理やり作り出す。この〈多頭竜〉は、ただの獣ではない。

 ――〈多頭竜〉の首が、枝垂れ柳のようにして、障壁の上からパラディオンに降り注いでくる。

 開かれた顎には、無数の牙が覗く。

 それらを全て、パラディオンの装甲で受けきれるとは限らない。故に、パラディオンもそれを無策では迎えなかった。

 ギリギリまで引きつけ、降ってきた首が食らいつこうという正にその瞬間、パラディオンは行動を起こした。

 電磁フィールドを展開したまま、脚部前面スラスターを起動。体勢を変えないまま、後方へ滑るようにして動く。

 道路を削り、粉塵を巻き上げるパラディオン。

 その前方――ちょうど、電磁フィールドの存在している位置に、多頭竜の首が飛び込んでくる。

 花火が咲いたかのように、三つの頭が弾けて散っていく。

 一度攻撃は凌いだ。だが、敵は電磁の城壁を乗り越えて攻め入る術を手に入れた。このような方法でそれを防ぐことが、何度も通用すると考えるべきではない。

 ならば――

「打って出る」

 電磁フィールドを張ったまま、パラディオンは一歩踏み出す。

 巨大な足が道路を踏みしめると、その振動が発生し、まだ残っていた自動車が恐怖に慄くように跳ねる。

 〈多頭竜〉の首が飛ぶ/フィールドを展開したまま、パラディオンは左腕で打ち払う。

 また別の首が飛ぶ/今度は右腕で打ち払う。

 飛んでくる首を迎撃しながら、パラディオンは一歩一歩〈多頭竜〉へと近付いていく。

 複数の首が飛ぶ/両腕を同時に突き出して破壊する。

 頭上から首が降ってくる/拳を振り上げて弾けさせる。

 ありとあらゆる攻撃を打ち払いながら、パラディオンは進軍する。

 それは白亜の城が、そのまま突撃して、城壁で敵軍を薙ぎ払っているかのような有様だった。

 その威圧が、〈多頭竜〉へ影響を与えた。

 豪雨の如き、竜の首による打擲が、止んだのだ。

 闘争の最中に、奇妙な静寂と拮抗が生まれた。出来上がった空気が重く、粘ついていた。

「……僕は、行くぞ」

 一歩、パラディオンが踏み込む。

 ずるり、と身体を引き摺って、〈多頭竜〉が下がる。

 もう一歩、パラディオンが踏み込む。〈多頭竜〉が下がる。

 だが、この応酬も長くは続かなかった。

 〈多頭竜〉が、パラディオンに背を向けて、逃げ出したのだ。

 姿勢を下げて、尾と身体を左右に振っての逃走。俊敏なそれは、スケールが大きくなってはいるものの、爬虫類が行う逃走そのものだった。

 ビル群の曲がり角へ吸い込まれるかのように、〈多頭竜〉が逃走する。

 逃げ場など、何処にもない。ドームの外へ出る手段は、〈多頭竜〉自身が天蓋へ開けた裂け目だけだ。

 ならば、この逃走は、パラディオンへと奇襲をかけるための逃走だということになる。

「――させるか」


:――:


 身を伏せた〈多頭竜〉は、ビルの合間を縫うようにして、第一〇六八コロニー内部を疾走する。

 最高速度ではパラディオンの方が早くとも、トップスピードへと至る加速力、そして、縦横無尽に都市の隙間を駆け抜ける走破性では、〈多頭竜〉が勝る。それら全てを生かしての逃走は、さながら影が走るが如き様だ。

 〈多頭竜〉の戦闘コンセプトは、基本的には内部に詰まったウィルスによる構造崩壊を狙ったものだ。

 再生する首を相手にぶつけて、その質量を攻撃とする。同時に、首自体が弾けてウィルスを撒き散らす。ナノマシン・ケイオスを含んだ物体なら、ありとあらゆるものを破壊しうる殺戮兵器。

 だが、その全ては、パラディオンに対しては通らなかった。電磁フィールドによって直接触れないままに攻防が可能なパラディオンとは相性が悪い。

 だが、だからといって、〈多頭竜〉の敗北が決まったわけではない。

 パラディオンは打倒しうる。

 〈多頭竜〉は認識している。パラディオンの電磁フィールドを、自分の首が乗り越えた瞬間を。そう、パラディオンの電磁フィールドは全方位へは展開出来ていないのだ。

 電磁フィールドを展開したまま、両腕を振り回すその様は、驚異的である。だが、それは同時に、パラディオンの認知の外からの攻撃には対応しきれない事も意味している。

 故に〈多頭竜〉は逃げる。

 逃げて、パラディオンの認識外から奇襲の一撃を見舞う。そして、毒を浴びせてやるのだ。

 〈多頭竜〉の毒ならば、パラディオンを一撃で打倒しうる。ナノマシン・ケイオスで構成された物質ならば、その全てが形を保ってなどいられないのだ。

 パラディオンさえ撃墜おとしてしまえば、〈多頭竜〉を止められるものは、この第一〇六八コロニーには存在しない。

 後は、破壊と殺戮を振りまくばかりだ。

 〈多頭竜〉はビル街の谷間を駆けずり回りながら、その頭部、全ての口から舌を出してちろちろと遊ばせる。

 〈多頭竜〉には、人並みの知性は与えられていない。だが、闘争を有利に運ぶために必要な程度の知性と、凶暴な感情は存在していた。

 〈多頭竜〉に存在する感情は、破壊と殺戮への渇望。そして、嫉妬と憎悪だ。

 森羅万象ありとあらゆるものを――とりわけ、生有るものを、砕き、壊し、嬲り――殺す。

 それこそが〈多頭竜〉という存在/兵器の、存在意義なのだ。

 第一〇六八コロニーの建築物を、毒によって溶解しつくし、逃げ惑う人間を一人一人、竜の顎で噛み砕き尽くすのだ。

 あまりにもか弱く脆い人間の身体ならば、〈多頭竜〉の牙で撫でるだけでも、血の華を咲かせて、ずたぼろの肉塊へと成り果てるだろう。

 そのためにも、パラディオンを――

 〈多頭竜〉が、道路の角を這いずるようにして曲がった。その視線の先に、それはあった。

 それを無数の頭/無数の目で認識して、〈多頭竜〉はその歩みを止めた。

 〈多頭竜〉の前方から、高速で飛翔――否、突撃してくるものが有る。

 風を裂き、一直線に殺到するそれ。

 あまりに鋭い切っ先を持つそれ。

 翡翠色の刀身を持つそれ。

 噴射炎を撒き散らしながら飛ぶそれは、刃を持ったミサイル――いや、スラスターを備え付けられた、剣だった。

 その爆発的な速度に、そしてそれ以上に、想定外の存在に〈多頭竜〉は反応出来なかった。

 奇襲をかける側として動いていた事が、逆に奇襲を受ける事を想定させなかったのだ。

 避けることも迎え撃つ事も選べず、ただ立ち止まった〈多頭竜〉。

 その腹に、翡翠の刀身が突き刺さる――

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