1-3


 奇妙な会話をしながら、料理をしたり、食べたり。

 依恋はそんな今の状況を楽しんでいた。

 カルディアの言動は奇妙だったり唐突だったり、変な部分が抜けていたりはするものの、本人が真摯に対応しようとしていることと、本人が悪い人間ではない事はよく分かる。

 ――でも、結局の所、カルディアって一体何者なんだろう。

 その事は、良く分からないままだ。というか、さっきから、カルディアという名前以外はよく分かっていない。その名前にしたって――

「ね、カルディアって、なんて苗字なの?」

 苗字も知らないのだ。なので、対面しているカルディアに向かって、問うた。

 問われたカルディアは、一度食事の手を止めて言う。

「苗字は設定されていない」

「え、無いの……?」

 流石に、それは奇妙だ。やっぱり記憶喪失? にしては、言っていることがやっぱりおかしい。本当に何者なんだろう。

「識別名称としての苗字――姓は必要か?」

「いや、ひつよーか、って……そういうのじゃないでしょ」

「ならば、どういうことだ」

「普通有るものだって、苗字とか」

 常識的に考えて、そういうものだろう。いや、もしかしたら――と依恋は考える。

「もしかして、何か複雑な家庭の事情とかあった? だったら、ごめん……」

 カルディアの様子を見るに、何の事情もないということはないはずだ。それが、両親や出自に関するものだとしたら、自分の言葉は余りにも無神経に過ぎた。

 もしかしたら、彼を傷付けたかも……と思い、依恋はカルディアの顔を見る。

「……」

 特に表情を変えること無く、ホットサンドに手を伸ばしている姿がそこにはあった。

 ――あ、そういうんじゃないやこれ。

 依恋は思わず半眼になって、カルディアを見ていた。

「……何か?」

「いや、別に……」

「先も言ったとおり、僕に姓が無いのは、設定上の問題だ。識別には呼称が有れば十分だと判断していたが、どうやらそうではないらしい」

 やっぱり、言っていることが依恋には良く分からない。いや、言葉自体は明瞭では有るのだが……別の言語を母語にしている人間と会話したらこうなるのかもしれない。

 第一〇六八コロニーにおいて、別の言語を母語にしている人間なんて、過去を舞台にしたフィクションにしか存在しないのだけれども。

「まぁ、苗字は普通有るものだよ、普通」

「君がそう言うなら、そうなのだろう。後で設定しておく」

「そんな簡単なの……?」

「登録設定を変更するだけ――!」

 言葉の途中で、いきなりカルディアが立ち上がった。まるで、何かの知らせを感じ取ったかのように。

「な、何!? いきなりなんなの!?」

 カルディアがあまりに勢いよく立ち上がったものだから、テーブルからサラダが零れ落ちた。

 そんなカルディアを咎めようとして、依恋は彼の姿を見た。だが――

「……え?」

 そこで何も言えなくなった。

 カルディアがその面に浮かべていたのは、今までの生真面目そうな無表情ではなく、険しいものだった。

 何かを見ている。何かを睨んでいる。

 その視線は窓の外に向けられており――青い空を、スクリーンに映し出された人工の空を見ていた。

「……何が、有るの」

 恐る恐る、依恋は聞いた。

 そう――背筋に冷たいものが走るほど、恐ろしかった。

 何が恐ろしいというのだろう。恐れるようなことが、何かあるというのだろうか。有るはずがない。

 そう、理性が告げているのに。恐ろしい。恐ろしさが、止まらない。

「何を、見てるの……?」

 依恋の問いに、カルディアは視線を動かさないままで言う。

「……敵」

「て、敵?」

 はは、と依恋は苦笑していた。いや、顔だけは、苦笑の形を作っていた。

「敵なんて、居ないし。来ないでしょ? ね?」

 常識的に考えて、そうだろう。そうに違いない。そうだと言って欲しい。それはまるで、懇願だった。

 カルディアに、冗談だと言ってほしかった。

 でも、そんな事にはならないと、依恋は理解していた。もし冗談だとしたら、カルディアの横顔は、あまりにも真剣過ぎた。

 真剣に敵を見ていた。

 だから、依恋の苦笑は表情だけにならざるを得なかった。

 矢のような視線を虚空へと放ったまま、カルディアは言う。

「敵は来る。いや、今まさに来ている」

「そんな、そんな事……」

 敵って何? 敵が来たら、どうするの? 敵と君は何の関係があるの?

 聞きたいことは、いっぱい有った。でも、依恋には何も問うことが出来なかった。

 そんな依恋を横目に、カルディアは動き出した。

 颯爽とした、と言っていい確かな歩みで、カルディアはダイニングキッチンから、そして、三〇二号室から出ていった。

「なん、なの……」

 分からないことだらけの依恋だったが、カルディアが部屋から出る前に漏らした言葉だけが、頭の中に響いて仕方がなかった。

 ――戦争が、始まる。

 カルディアは確かに、そう言っていた。


:――:


 『それ』は見つけた標的を前にして、常よりも激しく身悶えし、震えによって表面を波打たせていた。

 巨体が震えることにより、大気もまた大きく震え、それが周囲の異形の樹木へと伝わり、枝葉が空中に落ちることになる。

 異形の羽持つもの達は怯えて、金属を無理やり捻り上げたような鳴き声をあげながら、『それ』から距離を取ろうとする。

 霊峰、大河、或いは巨大な生き物。巨大にして力有るものは、それだけで最早神に等しい。

 そんな周囲の変化を意に介する事もなく、『それ』は更に大きくその身を震わせた。

 その震えは、どのような感情を反映したものだろうか。

 憎悪と怒りで肌を泡立たせているのか。

 歓喜と欲情に身を震わせているのか。

 羨望と嫉妬で嘔吐しそうになっているのか。

 あるいは、それらの全てか。

 『それ』はその身を震わせながら、全容をわずかに変形させる。

 まるで、上から何かを押し付けられているかのように、全身を窪ませる形へと。

 ぎりぎりと弓を引き絞るかのように、じわじわとした変形。それはまるで、何かを蓄えているかのような――

 と――

 『それ』の変形が、止まった。ぎりぎりまで変形したその姿は踏み潰された蟇のようで、元の球形とは似ても似つかない。

 その潰れたような姿のままでは居なかった。

 それはまるで、引き絞られた弓を離したかのように。

 瞬間的に、『それ』の姿が元のものに戻る。

 あまりにも急激で、強烈な動き。魔物の断末魔のような、爆発的な音声と震え。

 魂さえも砕くようなそれに中てられて、異形の羽持つもの達が力を失って地へと落ちていく。

 『それ』は元に戻る際に、その身体の一部を吐き出していた。

 いや――その表現は適当ではない。

 『それ』は自らの一部を吐き出すために自らを変容させた。そして、吐き出された『それ』の一部は、地に落ちるのではなく、空中を放物線を描きながら飛んでいた。

 その軌跡はまるで、砲弾のよう――いや、そうではない、砲弾そのものなのだ。

 『それ』は自らの一部を砲弾として撃ち出した。『それ』の変容は、砲撃を行うためのものだったのだ。

 砲撃が行われてから程なくして、砲弾は放物線の頂点へと達する。後は、上りと線対称の軌跡を描いて落下していくだけである。

 その軌跡の先に存在するもの。

 砲弾の落下予定地点。

 攻撃目標地。

 グラウンド・ゼロ。

 それは第一〇六八コロニーの、天蓋だった。


:――:


 都市防衛用機構、パラディオン・システィマより、第一〇六八コロニー住民の皆様へお知らせします。

 ただいま、当コロニーは敵性存在による攻撃を受けています。

 大変危険ですので、外出は避け、可能ならば地下避難区画まで移動してください。


 繰り返します。


 都市防衛用機構、パラディオン・システィマより、第一〇六八コロニー住民の皆様へお知らせします。

 ただいま、当コロニーは敵性存在による攻撃を受けています。

 大変危険ですので、外出は避け、可能ならば地下避難区画まで移動してください。


 ――パラディオン・システィマは、これより攻勢防御を行います。


:――:


「え……本当に何か来るの……?」

 鳴り響く、都市防衛用システムからの警報。それは音声だけでなく、テレビのモニターや、携帯端末へも表示されている。

 依恋はそれらを確認して、それでも動けないでいた。

 告げているのは、第一〇六八コロニーが攻撃を受けているという事。地下避難区画まで逃げろということ。

 そう、ここに居てはいけない。なのに、動けない。

 ねぇ、攻撃って、何?

 誰からそれをされてるの?

 そんなこと言ったって、何も変わってないよ?

「やっぱり何かの間違い――」

 そう思って――思い込みたくて――依恋は、カルディアが視線を向けていた先に、自らも視線を向けてみた。

 その、瞬間だった。

 世界がひび割れ、砕け散る音を、依恋は聞いた。

 悲鳴というよりは絶叫。音声というよりは、振動。それが、降り掛かってきた。周囲を満たす、上下の振動。それが音と衝撃の混ざったものだと、依恋は理解した。

「え、あっ、な、何!?」

 思わず、声を上げて依恋は床に尻餅をついた。

 環境管理が成されているため、第一〇六八コロニーでは、当然の事ながら地震による被害なども出たことはない。そんなものは、記録とフィクションの中にしか存在しないのだ。

 では、これは何だ。攻撃なのか。

 そう考えて、依恋は再度顔を上げる。そして、空を見て――

「……え……?」

 言葉を失った。

 空が、割れていた。

 まるでガラスにボールを投げ当てたかのように、第一〇六八コロニーに空を投影するためのスクリーンが割れて、穴が空いていたのだ。

 青い空に大穴が開き、その先青空の裂け目から、積み重なった灰色の靄――雲が覗いていた。

 ――あれが、外の空……

 生まれて初めて見るそれは、依恋には美しいとは思えなかった。色彩も含めて明快な青空とは違い、渦を巻くような混沌の灰雲。何が起こるのかを予測できない、外界の狂気そのものの姿だった。

 でも、どうして空が割れるなんて事が――

 そう、依恋が考えて、視線を動かす。

 原因が見つかるまで、僅かな時間しかかからなかった。

 大穴が空いた空の下、道路の上に、それはあった。

 見つけたは良いものの、それが何なのか全く理解できず、依恋は言葉を失って、それの事を見ていることしか出来なかった。

 それは、変容する巨大な球体だった。表面を波打たせ、次々に色を変える、異様な球体。

 球体が存在する地点の道路は破壊されており、蜘蛛の巣のようなヒビ割れが伸びている。その様子から、依恋は理解する。

 この球体は、外からやってきて、第一〇六八コロニーの天蓋を突き破って、ここに落ちてきたのだ――と。

 まるで隕石のように、落ちてきたのだ。

「あはは……何これ……」

 とても現実とは思えない光景だった。信じられない光景だった。

 そんな冗談みたいな光景が、依恋の口から力ない笑いを漏らさせた。

 ――だって、空が割れて、なんか変なのが地面に突き刺さってて……しかも、攻撃? じゃあ何? あの変なの、敵の攻撃なの?

 冗談みたい。馬鹿みたい。

 なんか変な男の子に出会って、ご飯食べさせたら血相変えて出ていって、そうしたら空が割れて、なんか変な大きいのが落ちてきて……

 依恋は、ぺたんと尻を床に着けたままだった。足に力が入らなくて、立ち上がれなかった。早く逃げなきゃいけないらしいのに。

 そして、立ち上がれないまま、依恋は思う。

 変わらないような気がしていた日々は、決定的に変質してしまって、もう戻ってこないのだと。

 まるで教科書のページを捲ったみたいに、決定的な変化が起こってしまったのだと。

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