étude 3 物々交換専門家
ポンと机の上にマワリが本を投げ出した。
「もう読まないから、売り払って夕食の足しにしておくれ」
「足しになるとも思えないけど」
私は本を手に取ってみたけど、今にも崩壊しそうなほど古い。タイトルは「剣聖伝説の嘘と真」である。本当に本が分解しそうなのを、どうにか扱って奥付を確かめる。
発行年は、十五年ほど前だ。奇跡としか言いようがない。
「この本、実はすごい価値がある?」
「まさか。何日か前にごみ捨て場で拾ったのでね」
……つまりゴミじゃないか。
「ほら、トキコ、夕飯の買い出しに行くのだろう。今日は豪勢にしておくれ」
豪勢になるわけないけど、しかし、この老婆はどこか底知れないのだった。何かを予感しているかもしれない。いや、それはちょっと常識から逸脱している、ような……。
結局、私は買い物袋に本を入れて、小屋を出たのだった。
時間はすでに夕方で、日は低い位置にある。今日は一日、休みで、午前中は双子の店に行き、そこでお昼ご飯に呼ばれてから、グルーンの小屋にも行った。
整備に出した剣を受け取りに行っただけで、グルーンも愛想がないので、すぐに自分の小屋に戻って、夕飯の支度になるはずが、食材がなかった。
で、買い物に行くついでに、と、マワリが本を投げたわけだ。
リーンの街にも古本屋街がある。最上層の第四層に、比較的、書店がいくつもある地帯があり、その中に何軒も古本屋がある。
私もたまに、情報収集に繰り出すけど、図書館に納品される前の新刊を読む程度だ。古書店や古本屋も、図書館にないような古びた本がたまに出るので、見回ることもある。ただ、顔なじみになるほど、巡ったりはしない。
ロープウェイで第四層へ向かいつつ、頭の中は、夕飯の材料でいっぱいだった。
そんな感じで、時間も惜しいので、ロープウェイの乗降場所から一番近い古本屋に向かう。店内には身なりのいい老人の客が一人いるだけだ。私はすぐにカウンターに向かい店主の前に本を出す。
「売りたいんですけど……いくらになりますか?」
「ふむ」
店主がメガネをかけて、本の状態を確認し始める。意外に時間がかかりそうで、じれったい。
「あの本を売るのですか?」
いつの間にか背後にいた老人が声をかけてくる。変な雰囲気のない、誠実な声だ。
「売れるなら、ですけどね」
よそ行きの笑みを見せつつ、そう応じると老人が声をひそめる。
「ここから二ブロック離れた、スーガ書店を知っていますか?」
「ええ、知ってますよ」
私の返答に、老人が穏やかに微笑んで見せた。
「あの店なら、三アースで買い取るはずです」
「まさか」
三アースは、清水のボトル三本分で、もちろん、大金じゃない。
でもこの老人は、あのゴミのような本にそれだけの価値があるというのだ。
途端にこの老人が不思議な存在に思え始めた私に、査定していた店主が声をかけてくる。
「どうも、買い取れませんな。これはゴミです」
「そうですか……」
もう一度、老人を確認すると頷かれてしまった。
……まぁ、良いだろう。信じるに値する老人に思える。
私は店主に断って、ゴミ認定された本を手に店を出る。でもすぐに背後に足音を感じて、振り返った。
するとどうだろう、例の老人が追いかけてくる。
「変に思われるかもしれませんが」老人がやっと私に追いついて言う。「手伝わせてもらえますか?」
「手伝う? 何をですか?」
「その古本を大金に変えるんです」
いよいよ変な展開で、荒唐無稽、というか、この老人はまともな思考力を持っているのか、疑わしい。
でも、服装はよく見れば高級そうな背広で、髪の毛も整えられている。髭もだ。肌のツヤもいいし、かすかに香水の匂いが香る。
全く、一分の隙もない、好々爺、というか。
きっと私はそんな雰囲気に飲まれたんだろう。
「では、一緒に」
正直、手元のこのゴミが金になるとは思えなかったけど、たまには見ず知らずの老人の相手をするのも、社会に貢献するはずだ。
二人で老人が言ったスーガ書店へ行くと、店員が先ほどの書店よりも真剣な目でゴミを吟味し始めた。あまりに真面目な表情と鋭い視線を、ボロボロの紙の束に向けているのが、可笑しい。
老人がそっと耳打ちしてくる。
「たぶん、三アースでしょう。それがギリギリです。無理に交渉して、値を釣り上げるのは、賢くない判断です。三アース、と言われたら、あそこの古本と交換したいと言うのです。あの「リーンの街の秘密、発見!」という本です」
……本気で言っているのか?
彼が指差している古本は、棚の中でも表紙を表に向けているが、どう見てもまともな本ではない。じっと目をこらすと、値札は三アースだった。手元の「剣聖伝説の嘘と真」同様の、古びた本だ。
ゴミが三アースに化けるというのに、ここでまた別のゴミに近い本を交換する理由とは?
「あの本は、ペップ古書で、七アースになるはずなんです」
ゴミが七アースに化ける? まさか。七アースあれば、どこかの食堂で一食を済ませれれる金額だ。
「三アースですな」
店主の声に、私はハッとした。そんな私の背中をそっと老人が押してくる。
ええい、もう、どうとでもなれ。
「あの本と交換したいんですけど、できますか? あそこの「リーンの街の秘密、発見!」という本です」
私の言葉に店主が訝しげな顔をする。それから何かを思案したかと思うと、頷いた。
「良いでしょう。商談成立です」
こうして私の手元のゴミは、ややまともなゴミと取り替えられた。
店を出ると、老人が「では、ペップ古書へ行きましょう」と私を先導し始める。
「おじいさんは、どういう人ですか?」
歩きながら尋ねると、老人が苦笑いした。
「おせっかいな、古書マニアですよ」
「かなり詳しそうですけど、昔から?」
「仕事は新聞編集でしたね。十年前に辞めましたが」
新聞編集!
新聞の編集者は高給取りで、収入が安定している点でも、多くの若者が憧れる職業だ。何より危険がないし、長い距離を移動する必要もない。
リーンでは二種類の新聞が発行され、一方は「リーン日報」、もう一方は「リーン新新聞」である。どちらもほぼ同じ程度の読者を持つ。
ただ、新聞はかなり高価で、私は定期購読したことはない。たまに買うのは、最新情報ではないけれど、広い範囲で発行されている「採掘士新聞」だった。
「書評欄を担当していましてね、ありとあらゆる本をチェックしました」
ちなみに「採掘士新聞」に書評欄はない。
そもそも読書自体が裕福な人間の趣味で、新刊本を買う人なんて、限られる。
新聞も書評も、私とは縁遠い世界だな。
「あそこですよ」
指差された場所に、ペップ古書の看板を掲げる店がある。二人で中に入ると、この店は比較的、新しい本が多いのがわかった。奥にあるカウンターに向かう途中で、棚を眺める。新しい本はいい値段だし、古い本も十アースくらいが多い。
カウンターで「リーンの街の秘密、発見!」を差し出すと、店主がスーガ書店の店主と同じような、本気そのものの視線を本を表にしたり裏にして、ページをめくっていく。
「今度はあの本です」耳元で囁かれたので、老人がこっそり指差す方を横目で見た。「背表紙をよく見て。「続けられる弁当のレシピ百選! 保存食大全」です」
店員に断って、会計を離れて老人が指差した棚の前に移動する。不審がられないようだろう、老人は全く別の方向の棚を眺め始めた。
棚から、老人が指定した本をひっぱり出す。値札は、十アース。
老人は、この店で三アースで交換した本が七アースになる、と言っていた。つまり、七アースと言われたら、それは足元を見られているということ?
うーん、わからない。
迷っているうちに、店員が私を呼んだ。カウンターに戻ると、店員が微笑みながら、
「六アースですね」
と、言った。
老人の見立てが正しければ、一アース、低い金額を言われている。
もう老人を信じる気持ちに揺るぎはなかった。
「別の本を交換できますか?」
「交換?」店員が不審がる。「当店では、そのようなサービスはしていませんが、どの本をご希望ですか?」
私はさっとさっき手に取った本をカウンターに持って行った。
すると、驚くべきことに、店員は軽く頷くのだ。
「良いですよ。交換しましょう。ありがとうございます」
「え?」ちょっと決意が揺らいだ。「この本、十アースですけど?」
「ええ、サービスです」
さらりとした口調でも、苦しい言い訳に聞こえたけど、私としても損はない。
店を出ると少しして老人も出てきた。
「七アースじゃなかったですね」
興味本位で尋ねてみると、老人が少しも動揺せず、頷く。
「さっきの本の相場は、十アースです。ペップ古書は低い値段で買い取るのが常ですから、七アースというだろう、と予測したんですが、店員は私の予測よりがめつかった。そういうことです」
筋の通る理屈だ。
「今度はどこのお店ですか?」
「そうですね。タブッキ書店でしょうね」
「そこでまた本を交換するんですね?」
こくんと老人が頷く。私もさすがに気づいている。
この老人は古書店を何軒も回って、本を売るのを避けて、別の本と交換していくのだろう。本が変わるたびに、新しくなった本を高く買い取る可能性のある店に向かう。そこでまた本を変え、新しい本はまた値段が上がる。
どこかの子供向けの話に似たような話があったけど、それは重要じゃない。
でも、これはちょっと夢があるというか、いや、欲深いというか……。
それから老人の導きに従って、タブッキ書店へ行く。そこでは「続けられる弁当のレシピ百円! 保存食大全」は、十二アースの値段をつけられ、私は即座に「若き天才画家の肖像」という本と交換した。
今度は、マルス古書店へ行って、十八アースの値段で買い取られるところを拒否して、「錬金術はここまで来た!」という本と交換する。
次は古書店リョーサに向かい、二十アースの値がつけられた。
これは大きい。二十アースあれば、夕食の足しどころか、マワリと二人でどこかで食事できる。それはかなり魅力的だった。
というか、目的以上の結果が、すでに出ている。
「あの本ですよ」
老人がまた囁く。
不意に不安になった。まるで悪魔の囁きのようだった。
ちらりと老人が指差す方を見ると、「古代文学全集 第二巻」という本を示しているらしい。値札は、二十一アース。
さらに値段が上がるのは、嬉しい、というより、不気味になってくる。
店員が改めて「二十アースで、ご不満ですか?」と尋ねてくる。
「いえ、あの……」
かなり困る状況だったけれど、私は決断した。
「あの本と交換できますか?」
店員が訝しげに私が指差す棚の方を見て、ちょっと考え込んだ。
断られるか。
しかし、私の予想はあっさりと覆される。店員は満面の笑みになる。
「良いですよ。では、こちらはお預かりします」
こうして「錬金術はここまで来た!」が店員の手に収まる。
私は「古代文学全集 第二巻」を手に、店を出た。あのボロボロのゴミが、かなり立派な本になっていた。
信じられないが、私が手に感じる重さや質感は、夢じゃない。
老人が後から店を出てくる。
「ここらで良いでしょうね」
満足そうに老人が言った。その表情には悪どさやたくらみの気配は少しもない。
完全無欠の善良さがある。
「その本は一年後、今よりも二倍の値段になりますよ。ちゃんと保管しておくと良い」
「二倍? まさか……」
「私の目の良さは、はっきりしていますよ。嘘はつきません」
いよいよ老人の真意がわからなくなってきた。
「何のために、こんなことを?」
こちらが慈善活動のはずが、逆になっていることに、やっと気づいた。
でも、理由はさっぱりわからないのだ。
帰ってきた返事は、意外そのものだった。
「本を少しでも守りたいのです」
「本を、守る?」
「そうです。私はあなたの持っていたゴミにしかならない本を、その価値を知る人に手渡した。あなたからすれば、本を交換しただけかもしれせん。でも私からすれば、交換を受けた書店は、元の書店よりは大事に扱う。価値を認めているのですからね。そしてそれを買う人も、価値を知っている。価値を知っている人が持っていれば、その本は捨てられたりしない」
わかるような、わからないような、理論だった。
「でも最後にはゴミになるんじゃないですか?」
「それは確かに、もっともな考えです。全てが最後にはゴミになる。ただ、ゴミに価値を見出す人には、ゴミじゃない。あなたの周りにも、そういうものはありませんか?」
うーん、すぐには思いつかないな。
考えている私に、老人は一度、頷く。
「一年後、その本を査定してみてください。そこで私の考えの成否がはっきりします。楽しみでしょう?」
「一年後、生きているか分かりませんけどね」
思わず本音が漏れてしまった。老人はそれでも、穏やかな笑みを崩さなかった。
「その刺青や服装を見れば、採掘士なのは、わかります。不測の事態もあるでしょうけど、しかし、それは本とは関係ない。その本も、幸運に恵まれれば、また誰かの手に渡って、守られるでしょう。こればっかりは、神に祈るのみです」
本のことを神に祈るなんて、どこか可笑しかった。
でも、その祈りに少しだけ貢献するつもりになった。
「私の名前は、トキコ・トキ。あなたは?」
「名前は伏せさせてください。古書店協会から睨まれるのは、嫌ですから」
それもそうか。
小さな落胆が顔に出たのか、老人が小さな声で言った。
「呼びたければ、目利き、と呼んでください」
「目利き……」
その呼び名は、老人にはぴったりに思えた。
「また会いましょう、目利きさん」
「ええ、トキコさん。あなたの未来にも、祈りを」
少し目を伏せてから、老人は深く一礼すると、背中を向けて歩き去った。私はしばらく彼の背中を追っていた。
いつの間にか日が暮れていて、街灯が灯る中、私は小屋に戻った。買い物もしたので、かなりいつもよりずれ込んでいる。
「何をしていたんだい?」
中に入ると、マワリが何かの本を読んでいる。ここのところ、いつもそうだ。そういう欲求が高まっているのかもしれない。
「色々あってね。すぐ、ご飯にするから」
私は食材の入った袋から、例の「古代文学全集 第二巻」を取り出して、机に置く。
マワリがちらりと視線を向ける。ちょっとだけ目を見開いているに気づいた。
「豪勢な本を持ってきたね。買ってきたのかい?」
机に読んでいた本を投げ出すと、マワリは私が持ち帰った本を手に取る。そしてしげしげと眺めた。
「こういうものを読みたかったんだ」
「それ、来年には四十アースになるらしいよ」
「まさか、変な冗談は言わんでおくれ」
私は肩をすくめて、台所で料理を作って居間に戻った。するとマワリは「古代文学全集 第二巻」を真剣な顔で読んでいる。私は無言で机の上に料理を並べた。
「その本も、どうにかしてくれんかね」
マワリが言っているのは、さっきまで読んでいた本だ。
タイトルは「亡霊に会った時の対処法 改訂版」だった。「剣聖伝説の嘘と真」と遜色ない古さだった。
私はそれを手に取りつつ、目利きと名乗った老人のことを考えた。
「また幸運に巡り会えたらね」
私の言葉に、不思議そうな顔になったマワリに、私は小さく笑っていた。
(了)
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