episode 3 花 B-part

 私の背中でシーマが気を取り戻したのがわかった。

「大丈夫?」

 声をかけるが、まだ声は出せないようだ。

 私は小走りに洞窟を急ぎ、外へ向かっていた。荷物はだいぶ整理したが、それでも全部を捨てるわけにはいかないので、相当に重い。

 走りながら、緩やかな斜面を進む。

「な……」

 シーマが短く呻く。結構、揺れているから、それで苦しいのかもしれない。でも時間は足りないくらいだ。早くシーマを医者に見せたい。そのためには多頭龍から出なくては。

「なぜ……」

 どうやらシーマは、自分が生きているのが不思議なような。

「申し訳ないけど」説明する必要があるかな。「死ぬのは目に見えていたから、生命の種を使った」

 私の背中で、シーマが身体をはっきりと強張らせたのが、わかった。

「つ、使った?」

 声が震えている。

「生命種、を……使った?」

「書類を少しだけ見てね。体に埋め込むだけらしかったので」

「お、下ろせ!」

 突然にシーマが怒鳴ったので私は反射的に足を止めていた。

「早く医者に見せるべきだと思うけど?」

「それは、無意味だ。下ろしてくれ」

 渋々、シーマを下ろす。彼はまだ体に力が入りきらないようだが、それでもしゃがんだまま、自分の腹部を確認した。止血用のパッチを引き剥がす。

 そこには醜く肉が盛り上がっているだけで、もう血が流れるような傷はない。

「助かったじゃないの」

 ホッとして私が言う目の前にでシーマが短剣を取り出したので、私は慌ててそれを叩き落とした。

「何するのよ!」

「殺せ。殺してくれ」

 その口調は命令というより、懇願に近かった。私には意味がわからない。混乱する私を、シーマがじっと見据えた。

「生命の種は不完全だ」

「不完全……?」

「俺は、俺じゃなくな、る……」

 シーマの声が細くなり、彼が俯く。

 声をかけようとしたが、それはできなかった。

 彼の背中から何かが噴き上がるように生え、同時に彼の体が激しく震えたかと思うと、やはり、何かが彼の体から噴き出す。

 私は反射的に距離を取った。それでも正体が掴めない何かが迫ってくるので、距離をさらに置くように後退。

「何? これは……」

 シーマがいた場所には、巨大な存在が立っていた。

 背は私の場合以上はある。人間に近い四肢のバランスと、一つの頭部。全身に無数のトゲが生えていた。

 シーマの面影はどこにもない。

 生命の種の影響であるのは、明らかだった。

 私の行動は、間違っていた。

 しかし、それを悔いたり、反省している暇はない。

 化け物がこちらへ跳躍、速すぎる!

 横に跳び、化け物は私のいた場所を拳で打ち据えている。地面が砕ける。

 剣を引き抜き、素早く反転し、攻撃に移る。

 私の黄金色の剣が一閃し、化け物の片腕を斬りとばす。

 容易に切れた。すっ飛んだ腕が遠くまで飛んでいく。

 シーマを殺すことになるかもしれない、と思った。

 でも躊躇っている余裕はないし、そもそも、私はそんな躊躇いを持ち合わせていなかった。

 化け物の膝を蹴り、首を落とそうと剣を振るう。

 が、腕の断面から、無数のツルが飛び出してくる。こちらを捕らえる意図は明白で、目標を変更し、剣でそれを薙ぎ払う。薙ぎ払うが、奔流は止まらない!

 距離を置こうとするが、ツルはもちろん、化け物もこちらへ突進してくる。

 着地と同時に、私は言葉を口にした。

「封印式六号、限定解放」

 背中に灼熱の感覚と、新しい器官が生まれる感触。

 ローブを押し上げて、二対四本の巨大な腕が生まれる。

 二本で化け物の両腕を押さえ込み、残り二本はツルをまとめて掴み止めた。

 ジリジリと、化け物と私が拮抗する。

「封印式第四号、限定解放」

 左腕に熱が宿り、その直後、服の袖がスルリと解けた。私の左腕が膨張した。

 真っ黒い鱗に覆われたその巨大な腕の先、指の先には鋭い爪。

 その左腕で、私は化け物を殴りつける。化け物は身を低くして、それを受け止めた。

 強烈な一撃のはずだが、通じているのか、いないのか。

 もう一度、殴りつけると、バランスが崩れた。

 ここが勝機、私は前進し、化け物を押し込み壁に叩きつけた。

 全力でその動きを拘束し、まだ人間のままである右手で、剣を振るい、化け物の腹部を切り裂く。

 この化け物の中にシーマがいる、という確信はなかった。

 しかし、無視もできなかった。

 私の巨大な左手が、無理やり、化け物の腹部に突き込まれる。

 まるで内臓を全て引っ張り出すように、巨大な鱗に覆われた手が、化け物の中身を引っ張り出した。

「シーマ!」

 私の手の中に、赤桃色の液体に塗れたシーマの体があった。しかし、悲惨な姿で、ほとんど原形をとどめていない。

 化け物が激しい声で咆哮する。

 それをもう一度、壁に叩きつけ、解放して私は身を引いた。

 化け物は地面に倒れ、小さく声を上げている。

「シーマ! 大丈夫っ?」

 呼びかけても、答えはない。

「シーマ!」

 かすかに、彼の瞼が動いた。

「う……」

 私はかがみ込んで、彼の顔に顔を寄せる。

「ごめん、勝手なことをして」

 自分で言っておきながら、図々しいな、と思ったけど、他に言えることはない。

 その言葉に、シーマは、少しだけ、でも確かにニヤリと笑った。

「余計なことを、して、くれたな」

「ごめん」

 シーマはじっと私の姿を見て、それから起き上がりつつある化け物を見る。

「自分の、見てみるものが、信じ、られないな。もう、死後の、世界か?」

 どう答えていいかわからかなかった。

 化け物は起き上がり、大きく咆哮した。まだ死ぬことはないらしい。

「あいつを仕留めなくちゃいけない」私は早口に言った。「方法は?」

「殺すことは、できない。ただ……」

「ただ?」

「時間が、経てば、消滅する」

 シーマがゆっくりと続ける。

「蕾ができ、花が咲く。そこで、終わる」

 なるほど、まったく理解できない。でも、わかることもある。

 とにかく時間、ということか。

 これで方針は定まった。

「シーマ、あなたを病院に連れて行くのより、優先するわよ」

「その必要は、ない」

 思わずシーマを凝視してしまった。彼は今度は力のない笑みで、自分の手を私の前に掲げて見せた。

 その指先が、半透明に変わって、かすかな音ともに砕けて、粉になった。

「俺は、死ぬ。生命の種、の、作用でな」

 何も言うことはできなかった。見る間に、シーマの腕が全て、粉に変わる。

「感謝、する」

 苦しげにシーマが言った。

「人間として、死ねることに」

 そう言って彼は瞼を閉じ、もう動かなかった。カサカサと音を立てて、彼の体が崩れていく。やがてその首筋も半透明になり、顎から頬へと進み、髪の毛まで透明になると、その体は一瞬で崩れた。

 残ったのは、ボロボロになった、私が見繕った装備一式だけだった。

 化け物が咆哮している。

 悲しみはあった。でも怒りは、なかった。ただ、自分が不甲斐なかった。

 化け物が動きを再開し、こちらへ突っ込んでくる。

 私はシーマの痕跡を一瞥し、立ち上がり、化け物に向かう。

 今は、戦うだけだ。

 化け物の片腕から、荊のようなツルが押し寄せてくる。右手の剣で斬り払い、背中からの腕で絡め取り、引きちぎる。

 残った腕で化け物と組み合い、しかしこちらの方が腕が多い。

 私の剣が化け物の首を切り裂く軌道を描く。

 しかし化け物はのけぞって、わずかに皮を切られるだけでやり過ごした。

 続けて、巨大な左腕の爪で切り裂こうとするが、驚くべきことに、その私の腕を、足を持ち上げて止めてくる。

 ただ、姿勢は乱れた。

 強引に押し倒す。

 しかし、これはどうやら相手の術中だった。

 私が先ほど切り裂き、抉った腹部の傷から、二本の新しい腕が生えたのだ。

 押し倒しにかかっていた私はその間合いに入っている。

 本能が逃げるべきことを告げ、即座に動いた。

 拘束を解いて、後方へ跳ぶ。

 着地して、相手を見ると、あまりのことに私は絶句していた。

 腕は四本になり、そのうちの一本はツルの集合が腕の形になっている。

 そして首には、私が切った辺りからもう一つ、首が生えて、頭が生まれていた。 

 その頭部も、目が無数にあり、気味が悪い。

 化け物が激しく咆哮する。その背中に何かが盛り上がると、それは翼のように広がった。

 首筋に、球形の何かも生まれているのが見えた。

 あれが、蕾か?

 花が咲くまでどれくらいかかるか、シーマは言わなかった。

 ただ、花は咲くのだ。

 それまで、辛抱すればいい。

 奥の手を、使おう。

「封印式九号、限定解放」

 首筋の刺青が熱を持つ。

 違和感のようなものが思考に混ざるが、これは仕方のないこと。

 目の前の化け物を包み込む何かをイメージする。

 私は目を閉じ、頭の中の違和感を押し出すようにイメージした。

 強烈な耳鳴りが起こった。私は目を開ける。

 化け物が咆哮し、こちらへ飛びかかろうとした。

 すぐ目の前だ。

 だけど、それはできない。

 化け物は、何か見えない壁にぶつかったように、はじき返されている。

 次の瞬間には、前後左右、上にも動けない。

 私の、空間制御術は成功したらしい。

 いつまでも拘束可能ではないが、少しは時間が稼げる。

 空間制御がいきなり破綻しないように、化け物視界に収めつつ、私は意識を整えた。

 しかしそれも、長くは続かなかった。

 人の気配がした、と思った時には、五人の男がこちらへ駆けてきて、二人は私に、三人は化け物へ向かってくる。シーマを追ってきた連中だとすぐにわかった。

 それほどまでに、生命の種は重要なのだ。

 私に向かってきた二人は、私の姿に驚いたようで、大きく距離を置いて動きを止めた。

 一方、化け物に向かった方の三人は、何事かを言い交わしながら、化け物の隙を窺っている。

「もうやめなさい!」

 私が一喝すると、私の前にいた二人は数歩、後退する。しかし逃げるという選択肢はなかったようだ。彼らはこちらに突っかかってくる。

 私は左腕を振るい、一人を弾き飛ばした。

 この時、私の集中が乱れた。

 二度目の激しい耳鳴り。

 化け物の方を見ると、空間制御による拘束は、破綻していた。

 三人の刺客と、化け物が切り結び始める。

 もちろん、自殺するようなものだ。

「逃げなさい! 早く!」

 私は自分に向かってくる一人を無視して、三人の方へ向かう。

 化け物のツルが激しく動き回り三人をあっという間に拘束する。

 そして目の前で、その三人は大きく裂けた化け物の口の中へ放り込まれた。

 咀嚼音もなく、ただ一瞬で、三人が消えた。

 蕾が大きく膨らみ、割れ始める。

 私に向かってきていた刺客は、どこかへ逃げたようだった。

 私は一人で、剣を構えて化け物と対峙する。化け物はまるで知性があるように姿勢を整え、そのツルは隙を探すようにうごめていた。

 逃げるという気にはならなかった。

 怖いとも思わなかった。

 ただ、シーマために、ということだけを考えていた。

 シーマの目的や考えを無視した自分の行動を、どうにかして償いたかった。

 この化け物が時間が経てば自然に消えるとしても、私はその最後を確認したかったし、自分で決着をつけたかった。

 だから、自然と体は動いた。

 走り込み、攻撃する。

 ただそれだけだ。

 私の背中から生えた四本の腕が化け物を押さえ込み、左腕と右手の剣が、相手を切り裂く。

 化け物は激しく抵抗する。それでも私は攻め立てた。

 化け物の傷から、ツルが生え、あるいは腕が生える。首や肩から新しい首が生え、頭が生まれた。

 攻撃すればするだけ、こちらが不利になる。

 そう分かっていても、私は攻撃をやめなかった。

 私の剣が首の一つを刎ね飛ばした。

 その断面から、三本の首が生え、三つの頭が生まれ、無数の目が私を見据え、裂けた口が耳障りな声を上げる。

 全てを切り裂くために、私は戦い続けた。

 少しずつ立場が逆転してくる。私は防御に回る時間が増え、化け物の攻撃が、体を揺さぶる。

 ひときわ太い化け物の腕の打撃が、私を打ち据えた。吹っ飛ばされ、地面を転がり、倒れこんだ。

 目の前の景色が揺れているが、しかし不思議と意識ははっきりしていた。

 起き上がり、剣を構える。

 背中の四本の腕は、健在。左腕も問題ない。

 化け物の背中にある蕾を確認する。今にも開きそうだが、まだ開いてはいない。

 雑音がすると思ったら、それは自分が喘いで呼吸している音だった。

 やれやれ。

「四号、六号、封印式、起動」

 むず痒い感触の後、巨大な左腕はしぼみ、背中の四本の腕も萎れるように背中に戻って行った。そうして私は人の姿に戻った。

 決着をつけよう。

「封印式九号、限定解放」

 腰のあたりに熱が起こり、そこから全身にひんやりした感触が広がっていく。首から頭の先までそれが進んだ。

 私の全身は、白銀の鎧に覆われていた。

「封印式十二号、限定解放」

 声と同時に、全身の血管が燃え上がるような痛み。

 この能力を行使できる時間はそれほどない。長く使える封印式ではないのだ。

 私は地面を蹴った。今までとは全く違う、超高速の動き。

 身体能力の激増により、剣が視認不可能な速度で疾った。

 化け物の腕が一瞬で六本、まとめて切り飛ばされ、さらに片足も切り刻まれる。

 剣は一時も止まらず、光の筋を残して舞い踊った。 

 首が一振りで三つ、もう一振りで三つ、飛ぶ。

 肩から脇へ深い裂傷が生まれ、さらに胸を横断する裂傷が続く。

 血飛沫がまるで赤い霧となり、それでも私は止まらない。

 化け物をバラバラに解体していく。

 私が動きを止めた時、そこには巨大な肉塊が転がっているだけになっていた。

 蕾だけは傷つけなかったので、それは目の前にあった。

 徐々に大きく、膨らんでいく。

 大きく距離を取る。全身の熱は痛みに変わり、少しも動きたくなかった。

「十二号、封印式、起動」

 声と同時に体の痛みが少しは治まるが、しかし、完全には消えない。重すぎる倦怠感に、無意識に剣を杖のようについていた。全身が何かに抑えつけられているかのようだった。

 白銀の鎧のまま、化け物の残骸を見る。

 蕾が少しずつ、開き始めた。

 同時に、散らばっている肉片が動き始める。ツルが溢れ出し、近くにある断片とくっつき始めた。

 お互いに引き寄せあい、一つに固まろうとする。

 私はただ、それを見ていた。

 倒すのは、不可能なのだ。それがわかった。

 化け物だったものが、全く新しいものに変わっていく。立ち割られていた肉塊が一塊になり、ずるずると形を変えていく。

 すでに人のような姿は、影も形もない。無数の足を持ち、無数の腕を持ち、無数の触手を従え、無数の首と無数の頭を持つ存在。

 この世に生物を設計した存在がいるとすれば、目の前のこの姿は、設計者を冒涜している。

 化け物の口が裂け、咆哮が連なる。数え切れない眼球がそれぞれバラバラに動いて、周囲を見ている。

 その背中では、蕾が、開いていく。

 化け物が立ち上がり、こちらへ腕と触手を伸ばす。矢のような速度だった。

 私は一刀で切り捨てた。身体中が痛むが、しかし、抵抗しなければ、命はない。

 切断されたそこからまた腕が、触手が、生まれる。

 際限なく成長する、真の怪物。

 どれほど体を損なっても、決して、倒れない。

 私を飲み込むように化け物が本体ごと、突進してきた。

 大きさがまるで違う、私には抑え込むことはもうできない。私は触手を切るが、とても間に合わなかった。

 触手が私に絡みつき、持ち上げて来る。

 息が詰まり、それでも剣は捨てなかったのが、最後の意地だ。

 負けたくない。死にたくない。抵抗の意志を示すために、剣を強く握った。

 真下で、無数の口が大きく裂け、口腔がいくつも並んだ。

 血の気が引くような光景。

 でも、もう恐れる必要はないのだ。

 目の前で、蕾が、開いていった。

 化け物の動きが緩やかになり、口が閉じる。私を拘束していた触手も緩み、解ける。着地して、間合いを取るのは、体に染み付いた基本的な対処。

 私は目の前の光景を、ただ見つめた。

 全ての頭が真上を見て、目玉が何かを探すように激しく動いた。

 その背中には、真っ赤な花が咲いていた。

 光の粒子が、舞い上がり始める。

 私はその光景を、ただじっと見ていた。

 花が開くのと同時に、化け物は足を折り、地面に座り込んだ。

 その体も徐々に変化し、まるで花を捧げる一本の植物のようになった。腕から触手が伸び、触手からは無数の葉が広がる。

 その植物のような体は、シーマの体に起こったように、少しずつ透明になり、端の方から崩れ始めた。キラキラときらめく粒子が、取り巻くように漂った。

 やがて花も萎れ始める。その時には、全体の崩壊が始まっていた。

 幹、枝、葉、全てが大量の粒子となり、それが舞い上がる中で、花は赤い燐光を伴って消えていった。

 幾筋かの赤い帯が立ちのぼり、天井に当たって、広がり、溶ける。

 最後に残ったのは、化け物から変わった巨大な結晶で、それも手を触れるまでもなく、自然と崩れ、粒子の波が広がり、辺りを包んだ。

 粒子から顔をかばい、私は、その煙が消えた後、その中心部を確認してみた。

 積もっている粒子に埋もれるように、赤い種がいくつか、落ちている。

 粒子が消えていく中で、赤い粒だけが残るのが見えた。

 生命の種だ。

 しかしそれは私には、恐怖の対象にしか思えなかった。

 ここに至って、やっと私は恐怖を取り戻したようだ。

 剣を構えて狙いを定めると、切っ先で、生命の種を突き壊した。

 見つかる限り、生命の種を破壊して、少し安心している自分を感じた。

 「九号、封印式、起動」

 全身から白銀の鎧が潮が引くように消え、腰が少しムズムズする程度になる。

 やっと終わった、と私は思った。

 しかし、後味の悪い、終わり方だ。

 それに、何があったのか、何が起こった、詳細なところは、自分でもよくわからなかった。

 言えることは、シーマは消え、生命の種もまた、消えたということだ。


 化け物の最後を見届けた日の日没直後に、私は多頭龍の外に到達した。

 その日は何も考えられず、預けていたテントを受け取り、それを張って、ゆっくり休んだ。

 翌日、シーマの装備も受け取って、私は二人分の荷物とともに乗合馬車で、リーンへ戻った。まるで夢でも見ていたような気がしたが、実際に、私の手元にはシーマの荷物はあり、シーマはいない。

リーンに帰り、小屋に戻るとマワリがぼんやりと小屋の外で座り込んでいた。こちらに気づき、目を瞬いている。

「おかえり、トキコ。どうしたね?」

「いや……、ただいま」

 マワリはシーマのことを聞いてこない。彼の荷物は、私の手にあるんだけど。

「聞かないの?」

「聞かなくてもわかるわい」

 マワリはそう言って、顎をしゃくって小屋の入り口を示す。

「休んだ方がいいな。ひどい顔だ」

 無意識に自分で頬を撫で、何もわからないけど、とりあえず頷いて、私は小屋に入り、自分の部屋でベッドに倒れこんだ。その日は夕方まで眠り、マワリが作った夕飯の後、また眠った。

 翌朝、体を洗い、それから第三層の、懇意にしている医療士と錬金士の双子がやっている店に向かった。

 歩きながら、考えていた。

 シーマは確かにいたし、生命の種も確かにあった。

 でも今は、どちらも消えた。

 私が請け負った任務も、戦いも、まるで悪夢のようだった。

 体の疲れだけが、その悪夢が、夢ではなく現実だとはっきり告げている。

 気が重かった。数日くらいでは、忘れられそうもない、ふり払えそうもなかった。

 やがて目的の店に着いた。ドアを開けて中に入る。

「いらっしゃい、トキコ」

 医療士でもあるトゥルボルトが笑顔で出迎えてくれた。すぐ、優しさが表情に浮かぶ。

「疲れているように見えるけど、大丈夫?」

 どういうやら私は相当、ひどい顔をしているらしい。

「これがいつもの顔だよ。失礼な」

「そう。まぁ、一杯、出すよ。待ってて」

 彼は少しして、カウンターに座っている私の前にコーヒーカップを持って戻ってきた。

 一口飲むと、いつもと少し味が違う。

「何か混ぜているね?」

「鋭いなぁ。悪いものじゃないよ。それに不味くもないはずだ」

「確かに、不味くはない。美味しいよ」

 ゆっくりとコーヒーカップを干す。トゥルボルトは何か、薬を用意していた。

「疲れが取れる薬を渡しておく」

 白い錠剤の入った小瓶が私の前に置かれる。

「一日一錠で大丈夫だから、適当なタイミングで飲んで」

「わかった。お代は?」

「サービスするよ。いつか、何か、手を貸してもらう事態があるかもしれない」

 うん、としか答えられなかった。

 そんな私もどうやら、いつもの私ではないらしい。

「それで、用事は?」

 トゥルボルトはさりげなく、尋ねてくれた。

「うん、そう。聞きたいことがある」

 何でもどうぞ、とトゥルボルトの返事。

「生命の種、って知っている?」

「生命の種?」

 私がじっと見ている前で、トゥルボルトは目を細め、それから何か考える素振りをした。しかし結局、最後には首を振った。

「ごめん、知らないな。聞いたこともないと思う。薬か、それともその材料かな?」

「うーん……」

 言われてみれば、薬には見えないし、その材料でもない。ここに来たのは、あの生命の種が一時的にとはいえ、シーマの傷を治したからだ。

 トゥルボルトが知らなくても、無理はない。

 多くの都市が、多すぎる秘密を持っている。

「ごめん、忘れて」

 私の言葉に、トゥルボルトは深入りせずに、頷いて、コーヒーのお代わりを注いでくれた。

 私が席を立つ時、トゥルボルトの妹であるマシェルルトに会っていかないのか、と聞かれたけど、私は遠慮して、店を出た。

 買い物をして、家へ戻った。マワリは留守だった。

 一人で食事の用意をして、マワリが帰ってこないので、一人で済ませた。

 風呂を沸かして、日も高いうちから入る。

 風呂から出て、ゆっくりと過ごした。

 どうしてもシーマのことを忘れられなかった。仕事の中で仲間を失うのはこれが初めてではないし、きっと、これからも何度も起こるはずだ。慣れなくちゃいけないし、受け入れられるようにならなくちゃいけない。

 それでも今回ばかりは、自分の失敗を思うと、やりきれなかった。

 夕飯の時間になり、マワリが帰ってきた。どうしてか、魚を大量に持って帰ってきた。

 雰囲気が出る、とマワリが言うので、小屋の外で魚を焼いていると、知り合いの採掘士の一人が訪ねてきた。魚がちょうど焼ける、ということで、まず三人で魚を食べた。

「そう、話があったんだ」

 採掘士が魚を一匹、食べきってから言った。

「この近くなんだが、多頭龍が一つ、変なことになっているらしいぞ」

「変なこと? 詳しく話しておくれ」

 魚の骨を口から吐き出しつつ、マワリが質問する。

「詳細を俺も知らないんだけど」採掘士が魚をちょっと火で炙る。「どうも、多頭龍が、植物に覆われているらしい」

 思わず、立ち上がっていた。

「な、なんだよ、トキコ、急に」

「その植物って、半透明なんじゃない?」

 採掘士が丸くしていた目をさらに見開く。

「なんだ、知ってたのか?」

 私は状況を理解して、小屋に飛び込んだ。そして最低限の装備を身につけ、キウを引き出す。

「気をつけてな」

 マワリがいつの間にか近くに来ていた。

「ごめん、行ってくる。すぐ戻るから」

 私はキウを走らせ始めた。

 キウの体力を考えて休憩したけれど、それでも目的地には翌朝には着いた。

 私とシーマが潜った多頭龍は、透明な植物のツルにびっしりと覆われ、無数の葉が茂っている。そして真っ赤な花がいくつも咲いていた。

 赤い花から、赤い燐光が天に舞い上がっていく。

 周囲では採掘士や関係者が意見を交わしながら、その光景を見ている。

 異質な光景だった。

 異質な光景だけど、どこか美しい、そんな光景だった。

 私はただ、黙って、それを見ていた。

 長い間、見つめていた。



(了)

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