episode 3 花 A-part
人類と多頭龍の戦いは遠い昔の出来事。
人類はその文明とその要素を失いながらも、生き残った。
苦しいながらも、まだ、人は生きている。
剣術の稽古に集中する期間を設けて、特に決めていなかったけど、一週間は、みっちりとそれを続けた。
師であるマワリは眺めているだけで、私は一人で、木刀を振るか、あるいは真剣を構えて、体の動きを確認した。
そんなわけで、少しは仕事をしないといけないな、という気持ちになったのだった。
蓄えが減るのも、その気持ちを後押しした。
私たちが生活する街リーンは、多頭龍の封印体を軸に、四層の台地があり、それぞれをロープウェイと果てしない階段が結んでいる。
私は一層、つまり地上のはずれにある小屋に住んでいる。マワリが唯一の同居人だ。
軽装で、同じ一層にある鈴屋という店に向かった。
中に入ると、広いホールを中心に、幾つかのブースがある。それぞれのブースが、仕事の斡旋人、情報屋、武器屋などの店舗で、つまり、この店に来れば私のような採掘士は、その仕事、仲間、道具、情報、全て揃うのだ。
採掘士というのは、多頭龍の内部に潜り込み、その体内の希少な物質を持ち帰る職業である。
店内はそこそこ賑わっていた。
私はどこのブースにも寄らずに、奥の壁にあるただのドアへ向かう。その横には、背広の男が直立していた。お互いに顔を確認し、男がドアを開けてくれた。私は頭を下げて、中に入る。
短い通路の先には、やや狭いフロアになっている。
真ん中に円形のバーカウンターがあり、ぐるっと椅子が囲んでいる。
客は二人だけだ。
ここは上得意の採掘士だけが入れる部屋だった。
二人の先客がこちらに気づき、手を挙げる。私はゆっくりと歩み寄った。
「暇そうだね」
私が声をかけると、二人がそれぞれに、その通り、という感じの動作をした。
「仕事はないことはないが、受けたくない」
「へえ」二人とも、並の腕ではない。「難易度高め?」
「そういうわけでもないな」
片方の男がこちらへ身を乗り出す。
「観光ガイドの仕事だ」
どういうことだろう? わからないので、先を待つ。
「どこぞの間抜けが、多頭龍の最深部まで眺めに行きたい、という仕事を誰かに受けてもらおうとしているのさ。その程度のこと、俺たちにもできるが、面倒だ、ということ」
「いいじゃないの、受けてあれば」
二人組が顔をしかめるが、すぐに、妙案が浮かんだぞ、という顔になる。
「お前が行けよ、トキコ」
「え? 私?」
「仕事が欲しいんだろ? 渡りに船じゃないか」
変な流れになってきた。
「私、その間抜けのこと、何も知らないし、そもそも、どこの多頭龍に潜るの? 期間は? 報酬は?」
「まずは受けろよ。そうすればわかる」
「そんな素人みたいな真似、できないね。他の仕事は?」
いくつか、仕事の話を聞いたけど、私に合う仕事はなさそうだった。私は基本的に一人で行動して、大物を狙うこともない。地味に稼ぐタイプだ。
その日は、結局、仕事の口は見つからず、家に戻った。
翌朝、朝食を食べていると、誰かが小屋のドアをノックした。マワリは素知らぬふりで食事を続けるので、私が出た。
背広にネクタイという、明らかに場違いな人間がそこに立っていた。
「お役人か何かですか?」
思わずこちらから質問すると、相手の男は、こちらの顔をじっと見る。
「その頬の刺青で、間違いはないとわかった。あなたがトキコさんだね?」
お役人ではないらしい。そして一方的にこちらを知っているのは、少し不愉快だ。
「そちらさんはこちらを知っていても、こちらはそちらを知らない」
「失礼した。僕は、シーマというもので、あなたがガイドを受けてくれるかもしれない、というので、交渉に来ました」
その一言で、昨日の話を思い出した。
この男が、例の間抜けらしい。
「立ち話も失礼ですから」シーマが話す。「どこかで落ち着いて話を聞いていただけますか?」
「こちらは朝ごはんの最中だけど」
シーマは少し驚いたようで、頷き、喫茶店の店舗名を口にして、そこで待っていると言って去って行った。
小屋の中に戻ると、マワリが皺だらけの顔を綻ばせて、
「いい男だったじゃないか。そう思わんかね、トキコは」
「何も思わないけど」
「でも話は聞くわけだ」
睨みつけると、マワリはひょひょと笑って、食事に戻った。
黙々と食事を済ませると、仕方なく、私は喫茶店へ向かった。まだ早い時間だが、リーンは賑やかだ。
喫茶店に入ると、シーマが手を振って席を示した。私はそこに至る前に店員にオレンジジュースを頼む。
席に着いて、シーマが何か言うより先に、私が言葉を発する。機先を制する必要がある。
「仕事を受けない可能性もある。その上で、話を聞く。それでいい?」
「いいですよ、それほど悪い話でもないのです」
テーブルにオレンジジュースが来た。シーマはコーヒーを飲んで、話し始めた。
「僕は、ファバスという街から来ました。多頭龍の最深部を見たくて、そこまでの護衛を探しています。大人数ではなく、一人か二人で、行動できる方がいいのです」
「一人か二人、ね。そうなると、ほどほどの難度の多頭龍になるけど」
「詳しくは相談して決めたいと思っています」
まぁ、無難な意見である。
「気になるところを聞いていい? まず、私が知らないそのファバスという街の近くの多頭龍に潜らない理由。そして、最深部を見て、どうするのか?」
「一つ目の疑問は、ファバスの近くの多頭龍は、ファバスの住民には物珍しくない。二つ目の質問は、多頭龍の最深部には、まだロマンがあると思うからです」
分かってきたぞ。
「そちらさん、もしかして、多頭龍の探検を題材にして、本でも書くの?」
シーマが微笑む。
「そういうことです」
やれやれ、変な相手に捕まったな。
私はオレンジジュースを飲みながら、考える。場所を選べば、それほど苦労せずに安全に仕事をこなせる。
うーん、受けてもいいか。少し仕事をしたいし。
「じゃあ、受けましょうか、シーマさん。報酬は?」
「受けてくれるんですね」シーマが身を乗り出す。「ありがとうございます、感謝します」
それほどのことでもないけど。
「で、報酬は? あまり安いなら、考え直す」
「報酬はとりあえず、これだけ出します」
彼は言いながら、カバンから分厚い封筒を出してくる。受け取る前から、かなりの額とわかる。法外とも言える。
「これはもらい過ぎだよ。半分でいい」
私は半分だけ抜いて、押し返した。彼は頷いて、「必要に応じて、言ってください」と引き下がった。
シーマがこれからのことを聞いてくるので、私は図書館へ行く、と応じた。そこで情報を確認するのだが、シーマはそこも見てみたい、というので二人で行くことになる。
ややこしいが、仕事だ。
図書館に移動し、閲覧室に向かう。閲覧室の中でも地図の閲覧室を借りた。狭い部屋の壁に待機状態の絵画の画像が表示されている。台に乗った機械を調節し、操作すると、壁の画像が地図に変わった。
中心にあるのがリーンで、その周囲にある多頭龍の死骸や封印体が点在しているのがわかる。
「距離に関する要望は?」
言いながら、私は地図に同心円を表示させる。一番小さい輪は一日で往復できる距離、その次の輪は片道一日、一番大きい輪は片道二日だ。
シーマはじっと地図を見ている。
「そうですね、片道一日程度が、良いだろうと思います」
真ん中の輪の近くの多頭龍の情報を私は確認する。地図の上では、四つほど、当てはまる多頭龍がある。
それをメモに取ると、装置を待機状態に戻す。
「今度は情報屋ですね?」
どこかウキウキとしたシーマに、頷いて応じておく。シーマも何か、メモに記していた。
結局、鈴屋へ行って、しかし裏のホールには行かず、表のホールで、情報屋のブースに入る。
四つの多頭龍のうち、一つは小規模でシーマの期待には応えられそうもないので、除外。もう一つ、あまりに探索が進んでおらず、危険なので、これも除外。
つまり、二つのどちらかになる。
情報屋は様々な情報を私の前に見せてくる。少し悩んだが、
「こっちでいい? シーマ」
私は隣に座っているシーマに用紙を見せる。
私が勧めている多頭龍は、最深部まで探索が進んでいる一方、龍の眷属も出現する、適度な難易度の多頭龍だ。最深部までもそれほど時間は要しない。時間は要しないが、ただ、眷属は頻出するらしい。
用紙を受け取ったシーマは、じっくりと目を通している。私は私で、情報を確認する。
ここで手に入る情報を元に装備を考えるので、重要な要素になる。
「良いでしょう、気に入りました」
「そう。じゃあ、あなたの装備を整える必要がある。用意してある?」
「そこも知りたいので何もないんです」
やれやれ、全くの素人とは。
結局それから、私はリーンの街の馴染みの店を巡って、シーマの装備を整えた。
「これでどうですか?」
軽鎧と、丈夫な素材の衣類、腰には安っぽい剣と、無数のポーチ。
背広よりは、マシな感じになったな。
二人で店を出ると、シーマが私を見て行った。
「その刺青は何ですか?」
彼の視線は私の頬に向けられている。そこには複雑な刺青がある。
「気にしないで」
「カッコイイですね。僕も少しはやった方が良いのかな」
「馬鹿らしい」
今度は食料品を扱う店に行って、私は携行糧食のための材料を買った。シーマは横にくっついて、私がカゴに放り込んでいく食材を眺めて、たまにメモを取っている。
買い物が終わると、
「作るところを見て良いですか?」
と、尋ねてきた。
本当に何から何まで、知りたいのか……。
落ち着かない。
「私は料理研究家じゃないよ」
「知識として、知りたいのです」
断っても良かったけど、その気力もなかった。結局、二人で並んで、私とマワリの小屋へ戻った。帰ってみると、マワリはない。どこかに出かけたんだろう。
私は台所で、買ってきた食材を調理し始める。下ごしらえをするものはして、皮を剥き、刻み、すり下ろし、鍋に入れていく。火にかけて、そのうちに茶色いペーストのようなものができてくるので、そこに粉を入れる。ペーストの粘度が増す。
「これは、なんていう料理ですか?」
「名前はないね。マワリが教えてくれた。マワリに聞いて」
「マワリ?」
「一緒に暮らしているお婆さん。すぐ帰ってくる」
出来上がったペーストを乾燥させるために、枠に流し込む。固まったところを切り分ければ、これでいい。
「これは美味しいのですか?」
メモを取っていたシーマが、そっと匂いを嗅ぎつつ、聞いてきた。
「明日、嫌でも味わうことになる」
少しすると、マワリが戻ってきた。シーマはマワリにもいくつか質問を投げかけたが、マワリは丁寧に応対していた。その度量の広さは、やはり、無駄に歳は取っていない、ということか。
明日の朝、この家で集合と決めて、シーマは帰って行った。
「奇特な若者だね、あの男は」
マワリがボソッと言った。
「奇特というか、まぁ、変人だね。多頭龍探索の取材をして、どうするやら」
「何かあるのだろうよ」
マワリは大きなあくびをして、
「お前さんがいない間の食事は、用意してくれたのかな」
などと言う。
「携行糧食を多めに作ったから、それでも食べておいて」
あからさまなマワリは嫌な顔をした。
「お前は料理が下手すぎる」
翌日、シーマは私が見繕った服装と、装備でやってきた。
「じゃ、行きましょう」
万全の装備の私は、荷物を背負い、リーンの中心部へ向かう。
「荷物が多いから、他の連中の馬車に相乗りさせてもらうよ」
「一人だったら、どうするんです?」
「キウに乗る。一頭、面倒を見ていてね」
キウに乗りたかったなぁ、とシーマはしきりにこぼした。
乗合馬車は人口密度が濃かったが、とりあえず、目的地の多頭龍には夕方には着いた。
街とは言えないが、採掘士向けの店舗がいくつかある。しかし宿は暴利なので、とても泊まれない。
食事だけは店で済ませ、私は自分とシーマの分の二つのテントを組み立て、その日はそこで寝た。
翌朝、やはり店で朝食を食べ、その店にテントなど、多頭龍の中では無用の装備を預けた。これは安価で受けられるサービスで、採掘士の大半が利用するため、安い値段設定でも大きく儲かるのだろう。
シーマは興味深く、この小さな市のような場所を見物し、メモしていた。
準備が済んで、私たちは多頭龍に潜ることになる。
地面にうずくまり、ほとんどが地中に沈んでいるその多頭龍は、実際にはまだ生きている。しかし、はるか昔、魔法使いと呼ばれた存在は、生きたまま多頭龍を封印した。だから、この多頭龍が暴れ出すことはない。
開かれた口の前に立つ。目の前に真っ黒い巨大な穴がある。
私は額にあげていた多機能ゴーグルを操作して、標高を今の地点がゼロになるようにした。シーマにもそうするように、伝える。
「緊張してきた」
「心配ないさ、私がそのためについている。じゃ、行こう」
私たちは多頭龍の中へ踏み込んでいく。
すぐに明かりが乏しくなり、それぞれにゴーグルを目元に下げ、暗視機能を使う。
多頭龍の内部はそれぞれの個体で差があるが、基本的には、全くの暗闇ではない。今、潜っている多頭龍は、洞窟のように見える内部のそこここに、太い血管のようなものが縦横に走り、それがぼんやりと赤い光をたまに放つ。脈動のように見えた。
私はこの多頭龍に潜ったことはない。でも、おおよそは事前の情報から想像した通りだった。
外に市があったように、採掘士も私たちだけではなく、入り口に近い地点で活動している集団がいる。
「彼らは何をしているんだい?」
シーマが質問してくる。視線は、壁を槌で叩いている集団に向いていた。
「たぶん、何かの鉱物か、物質を採取してるんでしょう。詳細は知らない」
「あれで生計が立つのかい?」
「それも知らない」
私たちはどんどん先へ進む。シーマのために、何度か休憩を取った。徐々に空気が蒸し暑くなってきた。これも事前の情報で知っていた。水分をこまめに補給する。
「水は貴重だから」シーマに注意しておく。「加減してね」
「浄水装置を持ってきたはずだけど?」
「あれは数回しか使えないの。それに重いから、何かあればすぐに捨てる」
シーマが天を仰いだ。やっと多頭龍というものを理解できてきたようだ。
そこからしばらく進むと、誰かの叫び声のようなものが聞こえてきた。
「な、なんだ?」
「眷属でしょ」
私は剣の柄に手を置いた。
前方から誰かが走ってくる。三人、いや、二人か。
三人目に見えた一体は、トカゲが二足歩行しているような異形だ。
やはり、龍の眷属、だった。
「シーマ、ついて来なさい!」
私は荷物を捨てて、走り出した。二人の採掘者がこちらに気づき、逃げろ、という身振りをするが、私は無視した。
二人の採掘士とすれ違い、そして眷属に切りかかった。
一撃で眷属の腕、そして首が飛んだ。
「す、すごいな」
トカゲが力なく倒れるのも見ずに、声に振り返ると、すぐそこにシーマがいた。
「そんなに近くにいると、危ないけど」
「ついて来い、って言われたから」
困ったような顔のシーマの口元。目元はゴーグルの下で見えない。
採掘士たちが地面に腰を下ろし、「助かった」と口にしている。
私は彼らの元へ行き、仲間の有無を確認するが、二人きりだったらしい。眷属は五体ほどで、戦っている最中に武器を失い、仕方なく逃げたという。確かに彼らの腰には鞘があるが、剣はない。
荷物を取りに戻り、そこから予備の短剣を取り出す。二人の採掘士は固辞しようとしたが、私は無理やりに持たせた。彼らは入り口の方へ歩いて行った。
「こういうことはよくあるのかな?」歩みを再開するとシーマが質問してくる。「つまり、武器を渡すこと、だけど」
「採掘士は、助け合う必要がある場面が多い。私は大抵、一人だけど、通りすがりに助けてくれた仲間も多いの。だから私も、助けられるのなら、彼らを助ける。それが、採掘士のルール」
「へぇ、興味深いな」
先ほどの採掘士が倒したらしい眷属が四体、死骸となって転がっていた。剣も落ちている。
さらに先へ進むと、いよいよ人の気配はなくなってきた。
「どうして君は、女性なのに採掘士をやっているのかな?」
「え? なんで?」
いきなりの質問だ。
「こんな危ない仕事を好んで選んでいる理由が気になったんだ」
私は少し考えた。
「特に理由はない。向いているから、かな。全部の男性が好戦的で、全部の女性がお淑やか、というわけではない。そうじゃない?」
「先入観に囚われるな、ということかな」
「先入観とは違うね。多様性を受け入れろ、という感じ」
背後で、サラサラとシーマがメモを取る音がした。全く、私は彼の中でどう捉えられているんだろう?
前方で、何かが動く気配がした。立ち止まり、シーマを制する。
「注意して、眷属だよ」
「どこに?」
私にもよく見えないのに、彼に見えるわけがない。
多分、さっきと同じトカゲのような眷属だ。しかし今、背景と同色に近くて、見分けるのが難しい。
荷物をそっと降ろして、剣を引き抜いた。
剣を構え、前方を探る。
判断は一瞬だ。
飛びかかってきた、と気付いた時には目の前に眷属がいる。
剣は無意識にその頭部を刺し貫いていた。
しかし、命を失った体がのし掛かってくる。耐えきれずに背中から倒れこみ、即座に死体を蹴り飛ばした。ずるりと刃が抜けて、剣は自由を取り戻す。
起き上がる余裕はなく、横に転がる。寸前まで私がいた場所に、眷属が飛び込んでいた。
二体だけではない。次の眷属が迫っている。視線を走らせ、やっと相手の数がわかった。生きているのは、あと三体。
シーマの位置を確認。壁際に身を寄せて、剣を抜いている。どこか、不安定な握りだ。
これは、期待できないな。
私は打って出ることにした。素早く間合いを詰め、一体の眷属、その爪の一撃の回避と同時に、腕を斬り飛ばす。次の一撃で、首を刎ねた。
残り二体。
地面を這うように迫ってくる眷属による噛みつき攻撃。足で鼻先を受け止め、翻した切っ先を、その頭に突き立てた。
これで、あとは一体。
その一体は真上から降ってくる。大跳躍から、天井を蹴っての急降下。
私は剣を引き抜き、撫で切りに最後の一体を二枚に切り裂いた。
「やれやれ」
ゴーグルにかかった血液を拭い、剣の血も払った。鞘に収めると、少し落ち着く。
シーマは剣の切っ先を下げて、こちらを見ている。
「すごいな、すごい腕だ」
「それはどうも」
私はシーマの肩を叩く。
「剣を鞘に戻しなよ。それとも少し休む?」
「あ、いや、どうかな……」
「休むことにしよう。少し離れてね」
ここは眷属の血液の匂い、激しい生臭さが酷い。
私たちはもう少し先へ進んで、休息する。ちょうどいい突起にシーマは腰を下ろし、私は荷物を降ろして、医療用具を入れたポーチを取り出した。
「どうした? 怪我をしたのか?」
慌てた用意シーマが訊いてくるが、それほどのことでもない。
「大丈夫だって、ちょっとテープを貼るくらい」
私は袖をめくり上げ、先ほど、眷属に押し倒された時に地面に擦れた肘の辺りを確認する。少し擦り剥け、色も変わっている。
取り出した塗り薬を刷り込んで、上に保護用のテープを貼った。
「本当に大丈夫か? 医療に関しては、少し、知識がある」
シーマが本気で心配しているようだけど、本当にそれは大袈裟すぎる。
「このくらいの怪我は、採掘士をしていれば、よくあることだから気にしないで。こういう時に間に合う程度の知識は私にもある」
「そうか……」
休憩が終わり、私たちはまた先へ進んだ。
眷属がまた現れるが、今度は容赦なく、一方的に切り捨てた。保護色を見破る方法もわかってきた。多機能ゴーグルの設定を加減すると、輪郭を強調することができた。
実戦慣れしていないシーマを守るように戦うのは、やや面倒だが、不可能ではなかった。ちゃんと安全圏に身を置いているからだ。その程度の分別があるのは、ありがたい。
そもそも眷属は私を集中的に狙ってくる。これは多くの多頭龍の内部でも言われていることで、龍の眷属は、手強いと判断した相手を集中的に、先に狙う。強者を多数で押し潰し、残った弱者はどうとでもなる、という発想らしい。
龍の眷属は、何かを守っている、と論ずる人間もいる。
まぁ、詳細は誰にも、わからない。
私ではなくシーマに向かっていった眷属が一体いたが、シーマは剣を振るい、あっさり切り倒しているのが視界の隅に見えた。
なんだ、意外にやるじゃないか。
私は最後の眷属を切り捨て、息を吐いた。情報に聞いていたよりも、やや眷属の襲撃が頻繁だ。シーマの元に戻り、荷物から地図を取りだす。シーマも覗き込んでくる。
「何か気になる?」
「襲撃がちょっと多い気がする。何か、あるかもしれない」
「どんな理由が考えられるのかな。情報にない展開が起こる?」
私は逡巡した。
「先行する採掘士がいるのかもね。眷属の出現は、採掘士の多さに比例する、という説もあるのよ。確証はないけれど」
私は時計を確認する。
「眷属にも生活リズムがある、という説も聞くね」
「夜は寝る、ってこと?」
「違う違う。食事の時間帯がある、ということ」
シーマはうんざりしたようだったが、まぁ、私も同じような気持ちだ。
時計を確認したのは、眷属の食事の時間を知っているわけではなく、眷属と遭遇した時間帯を確認し、彼らの周期を予測したかったからだ。しかしどうも、当てになりそうもない。不規則だ。多分、さっき私自身が言ったように、先行する採掘士がいるんじゃないか。
「とりあえず、もう少し進もう。そしたら今日はもう休む。時間も悪くない」
「わかった」
私たちは荷物を背負って、先へ進んだ。
眷属の声が遥か遠くで聞こえた気がしたが、眷属には会わなかった。
時間が外では夜になる頃、私達も休むことにした。
正確には、シーマは、だが。
荷物を置いて、私は座り込んでいる。シーマは寝袋にくるまっていたが、まだ起きている。
「どうも、落ち着かないな」
シーマがぼやくように言う。
「何かお話をしたほうがいいかな?」
からかい半分に聞いてみるとシーマの苦笑が返ってきた。
「ダメだ、メモしたくなって、余計に眠れない」
私は携行糧食を少しだけかじった。この食べ物は、少量で栄養補給でき、かつ、満腹感も得るように考えて作ってある。シーマはどんどん食べたが、私はより満腹感が得られるように、ちょっとずつ食べていた。
「シーマ、じゃあ、私から聞いてもいい?」
「何?」
「あなたは、普段は何をして生活している?」
シーマは少し考えたようだった。
「事務員だよ、ただの。役所の仕事の一部だけど、実際は孫請けになっていて、公務員ではないな」
「それが嫌で、ここまで来たの?」
「そうなるね。退屈だったわけじゃない」
退屈ではなくとも、満足もしていない、ということか。
「多頭龍のことを調べて、本でも書くの?」
「……そうなるね。ここの最深部まで行って、戻ってくる。その行程の全てを克明に描いて、一冊の本にする。そうすれば僕が生きていたことを、誰かが知ってくれる」
「少なくとも私は知っているし、他にも大勢いると思うけど」
私はシーマの顔を確認しようとしたけれど、よくは見えなかった。
「そうだと良いのだけれど、先はわからない」
何か考えがあるのだろうけど、私には伝えたくないのかもしれない。あまり踏み込んでも悪いと思って、話題を少し変える。
「本が売れると良いわね」
シーマがこちら側に寝返りを打った。ニヤニヤと笑っていた。
「本気でそう思っている?」
「いや、そうね……」私は苦笑いした。「思ってない、本当は」
「だろうね」
シーマが上を向くようにまた寝返りを打つ。
「僕もそう考えている」
「なのにここまで来た」
「そう、来なきゃいけなかった」
いけなかった?
私は質問しようとしたが、シーマの発する雰囲気は、どこか重く、深刻に思えた。さっきとはガラリと変わっている気配に、私は眼を細める。
何を考えているか読み取ろうとしたが、無理だった。シーマはただ、真上を見ている。
「やる気はわかるけど」
私が言うと彼は少しだけこちらに顔を向けた。
「無理はしない方がいいよ。気の緩んでる奴もすぐ死ぬ一方で、ガチガチに緊張している奴も、意外に早く死ぬ」
「僕は大丈夫だ。ありがとう」
「大丈夫という人間も、早く死ぬ」
苦笑いしたシーマはまた上に視線を戻す。
「じゃあ、なんて言えばいいのかな、こんな時」
「知らないわよ。多分、みんな、すぐに死ぬんだろうね」
シーマが吹き出し、笑い出した。
「そうかもしれないな。そういう場所で、そういう仕事だし」
私も口角が上がるのを感じつつ、また糧食を少しかじった。
「明日には最深部に着く位置まで、今日だけで進むことができた。疲れを感じなくても、実際には疲れているはずだから、早く眠ったほうがいいよ」
「明日、到着するんだな?」
「そうなるね。だから、早く眠ることをお勧めする」
シーマが息を吐く。
「緊張しているのかもしれない。眠れそうもないな」
「なら、目を閉じて、じっとしていなさい」
「後半は僕が見張りを交代するから」
私は返事をしなかった。シーマも黙り、私はゆっくりと糧食を噛んでいた。
世の中には色々な人間がいる。多頭龍に潜ってその冒険を本にして売ろうなんて、だいぶ時代遅れだ。もちろん、そういう作家もいるが、一部だけだ。
しかもシーマは、どうもそういう立場になっての成功を目指しているようではない。
そもそも、何を目指しているのか、私にはよく理解できない。シーマも説明しようとはしない。私には教えたくないのかもしれないし、あるいは、誰にも教えたくないことかもしれない。
そしてそのことは私の仕事には大きな影響を与えない。
私がやるのは、シーマを最深部へ連れて行くことだ。
シーアに言ったように、採掘士はとにかく、死ぬ。すぐに死ぬ。
私だって、油断すれば、すぐに死んでしまうだろう。シーマの場合は、もっとひどい。私が死ねば、きっと彼も巻き添えで死ぬ。
まぁ、そう簡単には死ぬ気もないけれど。
しばらくすると、シーマがかすかな寝息をたて始めした。どうやら眠れたらしい。緊張していると言っていたが、やはり疲れていたのだ。
私は最後の糧食の欠片を口に入れて、嚙み砕く。
私は今日は寝るつもりはなかった。眠っていても、何かあれば瞬間的に目覚めることもできるし、そうでなくても、警戒用の装置も持参している。その中に入れば、とりあえず、安心しては眠れる。
でもどこか、嫌な気配がしている。はっきりとは言葉にできない。
こういう感覚は無視できない。
今夜は徹夜して、シーマを警護することにしよう。
あくびが漏れる。シーマはもう起きる気配はない。多頭龍の中では普通の、鼓動のような音が、かすかに聞こえてくる。この多頭龍は生きているのだ、と感じる瞬間だ。
私はじっとして、動かなかった。
時間がゆっくりと、流れていく。
シーマが目を覚ました時、私を見て目を丸くしていた。
「寝なかったのか?」
「少しは眠った」
嘘だったし、シーマに通じるとも思えなかった。数日の付き合いだが、この男は意外に鋭い目を持っている。
私の言葉を受けて、少し黙っていたシーマは、寝袋から出ると、それを素早く片付けた。その間に私は水を沸かし始めた。
多頭龍の中で水を沸かすのは、極めて危険とされている。無煙式の加熱装置を使うが、それでも蒸気が出るし、その匂いや気配を眷属が察する、というのは間違いのないところだ。
それでも、まぁ、朝くらいは許される、と私は考えている。
「そんな具合で、今日は大丈夫なのか?」
荷物をまとめたシーマが、鍋を挟んで私の前に座った。私は鍋の中に茶葉をいくつか放り込んだ。発熱装置は使い捨てで、そろそろ機能を終える。
「そんな具合って、どんな具合?」
「眠気をお茶で紛らわすような具合、だよ」
「そんなことはない。朝に温かいものを飲むのは、私の習慣の一つ。気持ちを整えるためにね」
鍋の中身を濾して、出来上がったお茶をシーマにも差し出した。彼が手をつける前に、私は一口、素早く飲んだ。うん、悪くない出来だ。
携行糧食の二食分を取り出して、半分をシーマに差し出す。ついでに干し肉も一切れ、彼に渡した。
「干し肉は先に食べたほうがいい」私は干し肉をかじりつつ言う。「塩気があるから、お茶の後に食べると、のどが渇く」
シーマは何も言わずに、私に倣って干し肉を口にした。
しばらく黙って、私たちは朝ごはんを食べた。
「そんなに気にしないでよ」
ちょっと沈黙に耐えきれず、私から声をかけていた。
「私は一晩、眠らないくらい、何のこともない。よくあることだから」
「もう過ぎたことだし、忘れるよ」
「そうしてもらえると助かる。無事に帰れるさ」
干し肉を飲み込み、お茶を飲み、携行糧食をかじる。
食事が済んだら、荷物を背負って、私たちは先へ進んだ。
やはり朝のお茶に引き寄せられたのか、眷属が頻繁に出てくる。しかし少数の集団でやってくるので、私だけでも対処できた。シーマは剣を抜くだけで、実際には倒すことはない。
数時間の行軍の後、休憩になった。私は飴を取り出し、一個をシーマに渡す。彼はしげしげと飴を眺め、口に入れた。二人で座り込んで、黙っている。
私は地図を取り出した。指でなぞる。
「最深部にはあと数時間で到着する。この分なら、特に危険もなく、行けるでしょう」
「早く着きたいものだよ」
シーマがそういった時、私はそれに気づいた。
剣を抜きならが立ち上がり、シーマに飛びかかる。
純粋な驚きの表情へ剣を向け−−私の剣はシーマの背後で剣を打ち払った。
シーマが身を投げ、私は立ち上がる。
いつの間にか私を三人の人間が囲んでいる。全員がどこにでもいそうな採掘士だ。全員が多機能ゴーグルをつけていて、顔ははっきり見えない。
得物は剣だった。これといって特徴はない。
個性らしい個性のない三人だった。
こういう強盗も、たまには多頭龍には出る。
誰も一言も発さないまま、三人は一気に間合いを詰めてきた。
私も一人に狙いをつけ、一度、二度と剣を合わせたと見せて、別の一人を抑えるために攻撃を向ける。
しかし三人目は無理だ。シーマへ向かっていく。
私の方は二対一。相手は素人の身ごなしではない。
熟練の剣士、しかも人間を相手にするような手合いのようだった。
集中が極限まで高まる。
一人が切りかかってきた。それはもう、見ていない。
私は何も見ずに、剣を振っていた。
自然と体が動く。
二本の剣がすれ違い、血が宙に舞った。
ぐらりと刺客の一人が揺れるのは、無視。
私の体が脱力の後、跳ねるように移動。もう一人を間合いに捉える。
剣がぶつかり、しかし私の剣が小さな旋回ののち、相手の胸を刺し貫いていた。
剣を引くと、相手が倒れる。先の一人も、少し呻き、倒れこんだ。
これで、あと一人だ。
シーマの方を見ると、彼はその一人と激しく切り結んでいた。
私が駆け寄る前に、シーマの剣が攻勢に出て、相手を押し込んでいく。
そして鮮やかに、襲撃者を切り捨てた。
重い音を立てて倒れた男を、シーマはじっと見下ろし、剣の血を払う。
今まで見たことのない、慣れきった、熟練者の動きだった。
「驚きね」
私は彼に歩み寄った。彼は剣を納めず、私も抜き身で剣を提げていた。
「観光客にしては、素晴らしい手並み、ってところだわ」
「もう、隠すことはできそうにない」
シーマがこちらをじっと見た。
「隠す? では、この男たちは、あなたを狙っているのね?」
「そうなるな」
「追われる心当たりがあるわけだ」
シーマは無言だった。しかし気配は、張り詰めている。
「あなたは、犯罪者ということ?」
「行ったことは犯罪だ。何人も切っている」
切っている、というのは、斬り殺した、という意味以外に取りようがない。
「その誰かの身内が敵討ちに来た、って感じでもないね。今の三人は、動きが素人じゃない。よく訓練されて、実戦の場数を踏んだ、そんな使い手だった。私の考えは間違っている?」
「正確な分析だ」
「それで、私はどうしたらいいのかしらね。あなたをどこかに差し出すべき? それとも一緒に、奥へ進むべき?」
シーマが息を吐いた。重い息だ。
「トキコさん、君には何も教えていない。だから、何も知らない、ということでこの場で別れることもできる」
「私がいないとあなたは死ぬと思うけど」
答えはない。シーマは黙って、こちらを見ている。
仕方ない。私としても、シーマが剣を使うとはいえ、このまま捨て置いても、寝覚めが悪い。
「いいわよ、ついていく。ついていくから、最低限は知りたいわね」
「知れば、生かしておけない」
剣を構える素振りを見せるシーマ。私は、間合いを少し加減し、手の位置もさりげなく変えた。いきなり切られることはない位置。
「これでも口は堅いわ」
考えている気配のシーマは、すぐに決断した。
「私はファバスの首長に仕える、秘書武官、と呼ばれる立場のものだ」
「秘書武官?」
それぞれの街が独自の政治体系を構築しているため、想像しづらい立場のものも多い。
「その秘書武官が、こんなところに一人で何をしている?」
「任務の一つだ」
「多頭龍の最深部に行く任務?」
シーマは黙っている。私も沈黙を返し、返答を催促する。
しかし、シーマは口を動かさず、手を動かし、剣を鞘に納めた。
「ここまでの案内には、感謝する」
そう言い残して、荷物をまとめて背負った彼は奥に向かって歩き出した。
「ちょっ! 待ちなさいよ」
私も自分の荷物を背負って、後を追う。
「一人で行くつもり?」彼の後についていきながら、声をかける。「あなた、一人で最深部にたどり着けるつもり? たどり着いたとして、そこからどうやって無事に帰ってくるの?」
「何も心配はしていない」
硬い声が返ってくる。
全く、突然、強情になって!
「送って行ってあげるわよ」
私はシーマの横に並んだ。彼はこちらをちらっと見て、止まることなく、歩き続ける。
「あなたはそれほど悪い人には見えない。むしろ、真面目すぎる。だから、私はあなたの味方になることにする」
「トキコさんが罪を背負うことになるが、それでいいのか」
「それは私が考える。あなたの心配の領域ではない、と答えておく」
私たちは並んで、先へ進んだ。
徐々に周囲の空気に熱が滲んでくる気配がある。汗がうっすらと浮かぶ。
もう最深部が近いのだ。
「あなたの本当の目的は、言えないのね?」
シーマは顔を歪めていた。それはかすかに、見える。
「言えない」
「なら良いわ。聞かない。黙って付いて行って、目的を果たして地上まで戻る」
やはりシーマは何も答えなかった。
空気が明らかに熱を持ってきた。壁や天井での脈動が発する赤い明滅も強くなり、私は多機能ゴーグルを外した。それくらい明るいのだ。
隣ではシーマもゴーグルを外していた。
人間より大きな岩を超えたとき、前方が急に開けた。
巨大な球形のようなものが、目の前にあった。入り口を探すと、下の方に人が通れる穴がある。そこに行くまで、やや急な斜面を下がる必要があった。
「あそこが最深部だと思う」
私が言うとシーマは無言で頷き、斜面を下り始めた。
一方、私は足を止めていた。シーマがこちらを振り返る気配。
「先に行って、シーマ」
声をかけるのと同時に、私は剣を抜いた。
私の前に、五人の男が並んでいた。やはり採掘士のようだが、気配が違う。強烈な殺気。剣を抜いた五人が、一斉に動き出す。
ここで支えるのは、難しい。数の不利がもろに出てしまう。
「シーマ! 走って!」
私は一人の攻撃を回避し、もう一人の攻撃を弾き返す。
残りの三人は、斜面を降りていく。シーマを攻撃するつもりだ。
援護に行く必要があるが、私に当たってくる二人は、手練れのようだった。斜面という地形を物ともせず、強烈な攻撃を打ち込んでくる。
しかし、負けるわけにはいかない。
剣が翻り、一人の剣を手からもぎ取り、弾き飛ばした。
懐から短剣を引き抜き、シーマに向かう一人の背中へ投げつける。
どうなったのかを確認する暇もなく、私に当たってくる二人目の攻撃に対処。
剣を合わせる中でこじ開けるように隙をつくり、そこへ剣を突き出す。
私の剣に相手を切った手応え、太ももを浅く裂いたようだ。
剣を失った一人が短剣を抜いて、それで切りかかってくる。
間合いが近いために、その手を掴み止めることができた。
即座に、逆にその私の手を掴んでくる。締め技をかけられそうになるので、即座に蹴り飛ばし、間合いを確保。
剣が襲いかかってくるのを、身をそらして回避。即座の返しの一撃は、相手が太ももを負傷していることもあり、回避が不完全。今度は肩を切り裂いた。
目まぐるしい攻防に切れ目ができ、私は間合いを取って、呼吸を整えた。
一人はほとんど無傷だが、短剣を使っている。もう一方は剣を持っているが、怪我により万全ではない。
ただ、やはり二対一では余裕がない。
短剣の方が私の方へ飛び込んでくる。私は懐から二本目の短剣を抜き、投擲。しかしジグザグのステップで回避される。
短剣を打ち払い、反撃。
私の剣が相手の肩に食い込んだ。
なぜ、避けなかった?
本能が警告を発するのと同時に、私は身を引いた。
短剣を持っていた刺客が私を抱きすくめるような動作をするが、辛くも逃れる。
そしてその体を貫いて私に伸びた剣の切っ先も、私に届かなかった。
一人が死んででも私を倒す意志には感服するが、成功しなけば意味はない。
私は即座に反転し、剣を仲間に突き立てていた男を切り捨てた。首に赤い線が入り、血が飛沫く。
倒れた二人を残して、私は斜面を駆け降りた。
シーマと二人の刺客が戦っている。
三人だったはずのうちの一人の刺客が、斜面に倒れていた。私の投げた短剣が背中に突き立っていた。
シーマが悲鳴をあげたのは、私が斜面を降りきった時だった。見れば、彼は腹部を押さえて、間合いを取ろうとする。その腹部から赤い液体が溢れ、地面にボタボタと落ちた。
私は刺客の背後へ襲いかかった。
一人が私に気付く。もう一人はシーマにとどめを刺す動きだった。
私にぶつかってくる一人は、強引に切り倒すしかない。早くしないと、シーマが危ない!
私の一撃を、刺客の剣が受け止める、そこへ私はさらに二度、三度と、連続して剣を叩きつけた。
相手の剣が折れて、切っ先がすっ飛んで行った。
私の剣がそのまま刺客を両断するように斬り伏せた。
残りの一人がシーマへ剣を振りかぶる。
私の手が、持っていた自分の剣を投げた。
宙を走った剣が、刺客の肩に当たった。刺客の動きが乱れる。しかし致命傷ではない。
私は走り出しながら、倒したばかりの刺客の、私がへし折った剣を拾い上げる。
そのまま間合いを詰め、シーマを優先した最後の一人にぶつかった。
剣は、振り下ろされていた。
シーマと、刺客が苦鳴を漏らした。
刺客が倒れる。だけど、刺客を見ている余裕などない。
シーマを見た。
倒れているが、動いてもいる。腹部の傷は血が大量に流れていて、最後の一撃で、肩が少し切れていた。
「しっかりしなさい!」
駆け寄ると、わずかにシーマが声を発するが、意味をなさない。
しゃがみこんで腰のポーチから、止血用の道具を取り出す。
「ここまで、きたのが」シーマが苦しげに言う。「せめてもの救いだ」
私は腹部の傷を止血しようとして、それに気づいた。
彼の服の下に、厚い書類の束が入っているのだ。しかしそれすらも剣が貫通し、書類は真っ赤に染まっていた。
「この、変な紙の束じゃ、命は助からなかったようね」
束を引っ張り出し、傷を確認する。浅いとはとても言えない。
どうにか傷口を押さえるように、処置を施す。すぐに医者に見せる必要があるのは、間違いない。急いで外まで引き返せば、間に合うだろうか。
難しいが、唯一の選択肢だ。
「時間がないわ。さっさと用事を済ませましょう」
私が言うと、シーマは上体を起こそうとする。私が手を貸して、彼を立ち上がらせた。しかし歩けない。シーマは書類をかき集め、抱えている。
仕方ない。背負うことにした。
「迷惑をかける」
私は黙って、彼を背負って多頭龍の最深部に入っていく。
そこは強烈な熱気に満ちていた。
ほぼ丸い空間の真ん中に、赤いガスが渦巻いている。まるで炎のようだが、炎ではないのがわかる。
「それで」私は背中のシーマに声をかける。「どうすればいい?」
シーマは苦しそうに息をしながら、応じた。
「この書類を、燃やしてくれ」
「はいはい」
書類なんて、どこでも燃やせるだろうに。
私はシーマを下ろした。
「次は?」
「これだ……」
懐から、小さなケースが取り出される。受け取ると、ガラス状の何かに密封された、小さな種のようなものが見えた。
「何、これ?」
「生命の種、と呼ばれていた」
聞いたこともない。というか、ただの種だ。
「これも燃やすの?」
「それを破壊するには、普通の火では無理だった」
へぇ。光にかざして中を確認するが、やっぱりただの種に見える。
「どういうものなの?」
「それは……」いよいよシーマの息が荒い。「傷を、治癒させる」
何を言われたか、すぐには、よくわからなかった
「治癒させる? じゃあ、今、使えるじゃないの」
自然な発想だった。どの程度の治癒か知らないけど、現にシーマは死にかかっている。
私がそういうと、シーマはすでに土気色の顔を強張らせた。
「それは、しては、いけない」
上体を起こして座っていたシーマがぐらりと揺れる。慌てて私はそれを支えた。
「しては……、いけない……」
シーマはそう言ったきり、意識を失ってしまった。体からはすでに熱が失われつつある。
傷を治癒させる、とシーマは言った。
私はシーマの傍らの書類を手に取り、それを読み始めた。血に染まっって読めない部分もあるが、どうやら、生命の種とやらの研究に関する書類らしい。
読み進めて、やっと目当ての記述にたどり着いた。
生命の種の使い方。
それは非常にシンプルだった。
情報が少ない、というか、私には詳しいことが何もわかっていないのが、どこか恐ろしかったが、ここでシーマを死なせるのは、間違っていると思った。
私は書類をまとめて、目の前のガスの渦に放り込んだ。紙の束は一瞬で燃え、舞い上がり、消えていった。
そして私は、生命の種の入ったケースを強く握り、振りかぶった。
(後編に続く)
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