étude 2 水着にまつわるエトセトラ
新しい剣の調整の後、私は例によって双子の店へ行っていた。
そこで、想定外の誘いを受けたのだった。
「プール? 何、それ」
場所はマシェルルトの部屋で、彼女は椅子に座って、さっと足を組み替えた。
服装が服装なら、セクシーだったかもしれないけど、彼女はいつもの作業着のつなぎ姿である。そんな彼女の横で、兄のトゥルボルトが苦笑いする。
「リーン百貨店の屋上にできた、新しい観光スポット」
「観光スポット? 何かの展示?」
はぁー、っと大げさにため息をついた妹の横で、未だ苦笑いのままのトゥルボルトがチラシを差し出してくる。
受け取ってみてみると、なるほど、海水浴のような服装の人々が描かれて、その向こうに四角い枠がある。水で満たされているらしいその中に入っている人もいる。
「水浴びね」
私はちらっと窓の外に視線を向ける。リーンは一年を通してそれほど気温に差はないけど、今はちょうど暑い時期で、日差しもやや強いかもしれない。
「なんとここに!」
作業着にポケットから、さっとマシェルルトが紙の束を引っ張り出した。
「チケットが十枚、あります」
さすがに驚いてチラシをチェックしてしまった。プールとやらは時間制で、一つのコマが二時間で区切られている。日中のみの営業だから、一日は五つに区切られるようだ。
その上、各回の入場者数が限定されていて、チケットの値段は、とても安いとはいえない。
それが十枚、目の前にある。
「五枚ずつで、別の日の別の時間帯で、つまり、五人で行けるのね」
そう言ってマシェルルトは自分を指差し、次にトゥルボルトを指差し、私を指差した。
「あとは、グルーンさんと、マワリさん」
めちゃくちゃなことを言い出したので、私はさすがに当惑した。
「マシェトトゥルは良い、私もかなり嫌だけど、良しとする。でも、グルーンもマワリも、来ないと思うけど」
「そこはトキコの交渉次第でしょ」
「交渉の余地がないって、言っているけど、わからないかな……」
そんな私を無視して、マシェルルトはチケットを三枚、こちらに突き出す。
「善は急げよ。まずはグルーンさんね。ほらほら」
「私自身も、あまり乗り気じゃないけど?」
「さっき、良しとする、って言ったじゃない。良しなんでしょ?」
言葉の綾なんだけどなぁ。
「着ていくものがない」
「買えばいいよ。うちは金貸しはやらないつもりだったけど、トキコには貸してあげる。安い金利でね」
「それくらいの経済的余裕はあるけど、やっぱり気乗りしない」
頑として跳ね除けるつもりの私に、突然、マシェルルトが上目遣いに視線を向ける。
「私を傷つけたこと、忘れたの?」
はっきり言って、ひどいと思うけど、この一言は効果的と言わざるをえない。
やれやれ。
「大丈夫だよ、トキコ。無理なら無理でも」
トゥルボルトがさすがに助け舟を出してくれたけど、私はさっと三枚のチケットを受け取っていた。
「二人分のチケットが無駄になるかもしれないけど、それでもいいね?」
「トキコを信じてる」
途端にニコニコと笑うマシェルルトには顔をしかめるしか、反撃の方法がない。そしてそんな反撃は、彼女には全く通用しないのだった。
結局、それからグルーンの工房へ舞い戻ったけど、彼はひたすら誰かの剣を研いでいて、まともに振り向きもしなかった。
「仕事が暇だったらな」
どうにかしてかき口説くつもりの私が熱弁を振るう前に、彼はそっけなく結論を口にした。
これで一人、脱落だろう。チケットは置いて、工房を出た。
帰ってみると、珍しくマワリは小屋にいて、薄汚れた本を繰っている。
「浮かない雰囲気だね、トキコ」
さすがに我が師だけあって、察しがいい。彼女の向かいの椅子に座って、机の上にチケットを放り出す。
「プールって知っている?」
「噂ではね。その様子だと、双子に誘われたかい?」
皺だらけの手が机の上のチケットに伸びて、ちらりと視線を向ける。すぐにチケットは放り出された。
「この老婆が、水着など、着れるものかね」
……根本的な指摘だった。そして言い返せない。
「水着にならなくてもいいよ。ほら、雰囲気とか、そういうのを感じれば」
「それではつまらない」
水着を着たいのか、着たくないのか、どっちなんだ。
「海に行ったことがあってね、あれは奇妙だった。水が塩辛い。あの塩辛さは殺菌効果があるのかねぇ」
わけのわからないことを言い出したけど、私はもう投げやりだった。
「プールの水は塩水じゃないと思う」
「じゃあ、何か、殺菌効果がある薬品があるんだね。その辺は双子の兄が詳しかろう。なるほど、その辺には興味がある」
私にはこの老婆の興味の対象が皆目、わからなくなった。
それからマワリはしばらく海について熱弁し、その話はやたら滅多に脱線した挙句、最後は、魚にも海で生きる魚と川で生きる魚がいる、というあたりに落ち着き、結びは完結だった。
「海の魚のほうがうまいな。あれも塩のせいだろう」
どうでもよかった。海の魚なんて、滅多に買えないし。
その後、夕飯の支度をしてから居間に戻ると、チケットは消えていた。マワリに限って転売したりしないだろうけど、まぁ、良いか。高価なゴミだなぁ。悲しくなるのは、なぜだろう。
これでマシェルルトの願いは届けられた。
でも結局、三人で行くんだろうな。
その翌日、私はリーンの街に唯一の百貨店へ行った。この建物の屋上が諸悪の根源だけど、しかし水着なんて、ここ以外では取り扱っていない。
水着も色々とある。派手なものから、地味なもの。
私が狙っているものは一つで、ないかと思ったけど、その屋上のプールの開設に伴う、海に関する商品の中にちゃんとあった。
店員が物凄い視線、胡乱げというよりは不審しかない視線を向けてきたけど、必死に無表情を作って、これは贈り物で買うんです、的な雰囲気を添えて、会計をした。
そんなこんなで、チケットに書かれた日付になった。百貨店の入り口の前で待っていると、遠くからでもウキウキとした歩き方とわかる妙な足運びで、マシェルルトが来る。すぐ横にトゥルボルトもいた。
「ちゃんと来たね。ありがとう」
「こちらこそ、お招き、ありがとう」
「じゃ、行こうか。楽しみだなぁ」
三人で階段を上って、屋上へ向かう。屋上には仮設の更衣室が作られ、しかも男女それぞれ二部屋、用意されている。どうやら客の入れ替えのときにスムーズにする為らしい。
私の横でマシェルルトが着替える。かなり露出の高い水着で、色も派手だ。でも、彼女にはよく似合っている。周りの女性も、それぞれの水着で、彩り豊か。
「何? トキコ、着替えないの?」
「後から行くから、安心して」
どうもマシェルルトは浮かれているようで、特に気にもせず、私の発言を聞き流した。
すぐに前の時間帯の客が退場したようで、係員が入場を呼びかけ始める。周囲の女性が更衣室から出て行く。
誰もいなくなってから、やっと私は水着を着て、プールに出た。
すぐに視線が集中する。でもこれは予想していたから、耐えられる。いや、耐えられないけど、耐えられると、自分に言い聞かせる。
大丈夫。私は、大丈夫。
周囲を見回して、大きな日傘の下にいるトゥルボルトを見つけた。彼は遮光メガネをかけて、椅子にほとんど寝そべっている。まだこちらには気づいていない。
彼も水着姿で、薄手の上着を羽織っている。
その彼に近づいていくと、最初、妙な視線を向けてくる。私だと気づいていないらしい。
なんか、嫌な予感。
「遅くなった」
すぐ横に立った私に、トゥルボルトは口をぽかんと開けて、何か言おうとしているようだけど、何も言わない。いや、言えない。
「ここまで目立つとは思わなかった」
そう言う私のつま先から頭の先まで眺めて、トゥルボルトは、遮光眼鏡を外し、もう一度、見た。
「なんていうか、わからなくはない」
そんな感想だった。
「わ! まさか、トキコ?」
声を振り向くと、すでにプールに入っていたらしく、水滴をキラキラさせてまとっているマシェルルトがいる。
彼女は私を指差して、爆笑した。
「あっはっはっは! 何、それ! どこで買ったの? 水着だけど、それ、漁師の水着じゃないの!」
……返す言葉もない。
私が来ているのは、全身を包む真っ黒い水着だった。どこかの海辺で、海中に潜って貝だか何かを採る漁師が着る、水着だ。
水着だ、間違い無く。
「あっはっはっは!」
「ちょっとマシェ、そんなに笑っちゃ悪いよ」
トゥルボルトがフォローしようとするけど、彼の顔も笑いを堪えきれていない。
悲しい。なぜか、ものすごく悲しい。
「ごめんごめん、トキコの気持ちもわかるよ」
真剣な表情で、マシェルルトが言う。
しかしその真剣さも次の瞬間には跡形も無く崩壊した。
「でも漁師スタイルで、プールに来るなんて! あっはっはっは!」
居たたまれない。逃げたい。
いや、逃げてもいいんじゃないか?
「トキコが刺青を気にしているのはわかるよ」
マシェルルトよりは表情を抑制したトゥルボルトが声をかけてくる。
「でもそれじゃ、逆に目立つ。やりすぎだよ。プッ」
……なんでこの双子と親しくしているのか、わからなくなってきた。
「あっはっは! うーん、久しぶりに笑ったなぁ。じゃあ、行こう、トキコ」
もう私の精神は何も感じなかった。返事はただ、反射行動に過ぎない。
「どこへ?」
「水着を買いに行くんだよ、今から。そんな格好より、もっといい格好をしなくちゃ!」
そう言って、マシェルルトが私の手を取って、更衣室の方へ引っ張っていく。
「買いに行くって、どこへ? 今から?」
「早く早く! 時間になっちゃう。この建物の中には水着の売り場があるんだから、水着なんて売るほどあるよ」
売るほどなかったら、売れないのでは?
「トキコはスタイルもいいし、刺青だって、目立つけど、かっこいいよ」
フォローされても、なかなか、立ち直れなかった。
「その漁師スタイルと比べればね」
……酷い。
結局、二人で水着のまま売り場に行って、そこでマシェルルトが水着を買ってくれた。二人で走って屋上へ戻る。そして私は彼女の監視のもと、水着を着替えた。
「うん、良いね」
ビシッとマシェルルトが親指を立ててみせる。私は普段から露出を控えているのに、今の水着はほとんど下着だ。
当然、刺青もほとんど全部、見えてしまう。
「強引に誘っちゃったけど、トキコにも楽しんで欲しいの」
私の手を引いてプールに戻りつつ、マシェルルトが静かな口調で言った。
「私も元気になったしね。もう何も、貸借りなしだからね!」
「……うん」
マシェルルトも、気にしていたんだ。私と同じくらい。
そんな気の遣い合いを、これで一区切りにしよう、ということらしい。
私は改めて、プールに出た。やっぱり視線を集中的に受けるけど、さっきとは違う。好奇の目だけど、今度はどこか恐れのようなものが感じ取れた。
やっぱり、刺青は、不気味なんだろう。
これを隠したかったけど、こうなっては仕方ない。
「ほら、泳ごう!」
バシッと私の背中を叩いて、マシェルルトは駈け出すと、勢いよくプールに飛び込んだ。
視線を受けるくらいなら、水の中に隠れよう。
思い切って、私もマシェルルトのあとに続いた。水しぶきをかすかに感じた時には、体が水中に沈んでいる。立ち上がると。肩から上が水面から出た。
髪の毛をかきあげて、隣に立っているマシェルルトを見ると、満面の笑みだ。
「トキコ、泳げる?」
「泳げないよ」
「お風呂屋さんで泳いだりしなかった?」
「そんなに行儀が悪くなくてね」
そんな話をしつつ、お互いに水を掛け合ったり、泳ごうと試してみたりしているうちに、トゥルボルトもやってきた。上着を脱いだ彼の上半身は意外に筋肉質だ。
そんな彼にどこかの女性が話しかけ始めると、マシェルルトが私を引っ張り寄せ、
「私の兄はこの人と付き合ってますから」
女性はマシェルルトとトゥルボルトを見比べ、双子と気づき、次に私をじっと見た。何を思ったのか、プイッとどこかへ行ってしまった。
「マシェ、ややこしいから、やめてよ」
私の抗議もマシェルルトはどこ吹く風だ。私はトゥルボルトに謝罪しようとするが、そこに嗄れた声が飛んでくる。
「いつの間にそんな関係になったのかね、お前たちは」
三人で声の方を見て、唖然としていた。
マワリがいる。もちろん、意識体ではなく、実体だ。
その年老いた体を、水着で包んでいる。
さっきまでの私と同じ、漁師スタイルの、黒い水着。
「「「あっはっはっは!」」」
三人で爆笑したのは必然で、止める術はなかった。
不満そうなマワリは何も言わずに水に入ると、器用に泳ぎ始めた。その姿があまりにも漁師そのものだったので、さらに笑いが止められない。その上、彼女は水面から消え、潜っていく。
死ぬかと思うほど、笑った。
「盛り上がっているな」
今度の声に、私たちは笑顔のまま、振り向いた。
「何が面白いんだ?」
そこにいたのは、グルーンだった。彼は普通の水着で、ちょっとがっかりした空気が三人の間に広がる。グルーンが首をかしげる。
「時間を作ってきてのに、なんだ、その顔は」
「いや、あれと比べるとね」
マシェルルトが水面に戻ってきたマワリを指差す。
「あれはマワリか? 漁師の服装とは、奇抜としか言えん」
「さっきまでトキコもあの服装だったよ」
少しの躊躇いもなく、マシェルルトが私の肩を叩く。言わなくてもいいことを。
一方のグルーンといえば、訝しげな顔で、あまり深入りしない気になったようで、プールに入ってくる。
「無理したんじゃないの?」
こっそりと尋ねてみると、グルーンが片方の眉を持ち上げる。
「誘ったのはそっちだろう」
「そうだけど、てっきり、仕事を理由にこないと思ってた」
「さっき、時間を作った、と言っただろう。その通りの意味で受け取れ」
プカリとグルーンが水面に仰向けに体を浮かせたので、私はびっくりした。
「器用だね」
「子どもの頃、海の近くに住んでいた」
初めて聞く話だ。
「懐かしくなるかもしれない、と思って来てみた」
「どう? 何か感じた?」
「どうかな。曖昧だが、懐かしくはある」
私も同じように浮かんでみた。上には青空しかない。雲がゆっくりと流れていく。
「こんな時に言うのもあれだが、お前はなかなか、綺麗だな」
不意打ちを受けて、私は姿勢を乱して半ば水没する。少し水を飲みながら、立ち上がった。
「な、な、何を、いきなり……」
「率直な感想だ。言葉の通りに受け取ってくれ」
冗談ではないらしい。
恥ずかしいけど、ちょっと嬉しいような。
「しかし」
グルーンが水に浮いたまま、こちらを横目で見る。
「月賦は少しも負けないからな。今日、遊んだ分もしっかり働いて、早期に支払ってくれると助かる」
「善処します……」
「俺も本来は、仕事をしないと、生活が成り立たない」
……申し訳なくなる。
「まぁ、良いさ。今日は楽しもう」
明るい口調で、グルーンが口にした言葉に、私は彼を見る。彼の表情には珍しく、穏やかな笑みがある。
「たまにはこんな日も良いさ。そうだろう?」
私は少しだけ気持ちが楽になったのを感じた。
「そうかもね」
「そうなんだよ」
私はもう一度、彼の横に浮かんでみた。
真っ青な空。白い雲。周囲の喧騒。
全てが眩しく、楽しさ、愉快さに包まれている。
確かに、こんな日も良いかもしれない。
たまには、良い。
(了)
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