episode 2 剣 B-part
剣の見本市が撤収されているのを横目に、私はロープウェイで、第二層に上がった。
もちろん、目的地はグルーンの工房だ。
昨日の夜、私は確信していた。今の剣は、確かに切れる。拵えが悪いだけで、刃そのものは何も申し分ない。悪いものではないだ。
でも、あの剣では、私は実力を出せないと感じた。
もちろん、そんな言葉を口にしても、信じない鍛冶師がほとんどだろう。実力を出せる剣とは何か、と聞き返すはずだ。
もし聞き返されたら、私はこう答えるしかない。
直感だ。
形や数字や言葉で説明できるものではない。
ただ、そう感じる。
今まで使った剣でも、そういう感覚を受けることはあった。でもグルーンに依頼してからは、あまり感じたことがない。
違和感がまったくないのだった。
馴染みすぎて、不自然さを感じない。
どうしてグルーンの剣にそんな印象を抱くのかは、わからない。
相性がいい、ということなのか、それとも、もっと別の何かか。
なんにせよ、私はどうしてもグルーンに剣を作ってもらうつもりだった。
材料なんて、どうとでもなる。
グルーンの小屋が見えてきて、入り口の扉が開いているのがわかった。熱気を逃がすためかもしれない。
何気なく中に踏み込んで、私は足を止めていた。
昨日も同じ場面があった。
「これは、奇遇ですな」
やや驚いた様子で、男が言う。
ヴァヴァリアだった。
昨日と違うのは、グルーンがまともに相手をしていないことだった。グルーンは奥で剣を打っている。炉で熱し、叩き、水で冷やす。炉で熱し、折りたたみ、叩き、水で冷やす。
「あなたの剣は」ヴァヴァリアが私からグルーンに視線を向ける。「相当な出来栄えとお見受けしますが」
「恐れ多いことです。まだ粗悪なものばかりですから」
グルーンは振り向かない。少し息が上がっている。そんなグルーンに、ヴァヴァリアは構う様子もない。
「名工中の名工、剣仙アスールの最後の弟子にして、その工房を受け継いだ、正統な後継者。なぜ評価されないのか、不思議なほどです」
「名前ばかり、立派でして。実が伴わないのです」
グルーンは動きを止めない。ひたすら、剣を鍛えていた。
ヴァヴァリアは少しその様子を見てから、
「私が剣を打って欲しい、と言ったら、どうしますか?」
と、尋ねた。
それに対するグルーンの返事は即答だった。
「私より優れた刀鍛冶にお頼みするべきかと、存じます」
「ぜひあなたに、といえば?」
「とても、ご期待には応えられないかと」
私はヴァヴァリアとグルーンの間に進み出た。
「無理をおっしゃられても、困ります。あの通りですから」
私を見て、グルーンの背中を見て、ヴァヴァリアが頭を下げる。
「無理を言いました。お詫びします」
「とんでも無いことです」グルーンが作業を続けたまま言った。「天位騎士様のご厚情、感謝いたします」
私は絶句していた。ヴァヴァリアのことを知っているのだ。
ヴァヴァリアその人も、今の一言には、さすがに衝撃を受けたようだった。
「知っているのですね? 天位騎士だと」
「お名前を存じていたのです」
「それでも私に剣を作らないというのは、オットーのこともあるのでしょうね」
グルーンの手が動きを止め、振り返った。私はグルーンとヴァヴァリアの表情を確認したが、ヴァヴァリアは険しい表情で、グルーンはそれに対して、無表情だった。
無表情のまま、グルーンは何も言わずに、元の姿勢に戻ると、作業を再開する。また甲高い音が連続して響く。
ヴァヴァリアは小さく息を吐き、
「失礼します」
と、丁寧に頭を下げて、私にも一礼して、工房を出て行った。
彼の姿が消えてから、私はやっと緊張を解くことができた。
「無礼にもほどがあるでしょう、グルーン」
私が声をかけると、鼻で笑われてしまった。
「天位騎士が俺などを切るために剣を抜くものか」
いや、剣の見本市で、私に剣を向けたけど。
「でも、良かったの? 認めてもらえたのに」
「どうでも良いさ。俺は今の状況に満足している。……いや、満足はしていないか。今の状況こそ、自分を鍛えるのに最適と思える」
そんなものなのかな。わけわからない。
とりあえず、話をしないと。そのために来たわけだし。
「剣のことなんだけど」
「なんだ? 渡したものに、不備があったか?」
「ないけど、あまり手に馴染まない気がする」
自分で言っておいて、受け取って一日で、馴染まないもなにもないな、と考えていた。
でも、グルーンは何かを察したようだった。
「分かっている。修正が完璧じゃなかった。我慢してくれ」
「新しい剣、私には作ってくれる?」
そうだな、とグルーンが呼吸の合間に口にする。
「時間をくれ」
うーん、そうか……。
できるだけ早く、とお願いしたかったけど、それは言えなかった。目の前で天位騎士のヴァヴァリアが素気無く断られているのに、無名の私が催促するのは、ちょっと難しい。
それきりグルーンの手は鋼を打ち、私はもう何度もやっているように、壁の剣を眺めた。
「すぐには出来んぞ」
痺れを切らしたように、グルーンが言った。
「もうちょっとここにいる」
私は遠くから壁の剣を見た。
そのうちの一本は、この前、使わせてもらったものだ。綺麗に磨かれた鞘に納まって、そこにある。
壁の剣には他に手にしたことのあるものは、一つもない。
どれもが名刀であるのは気配でわかる。
ヴァヴァリアも、それを見抜いたのかもしれない。
彼にはこの中の一振りを所有する実力がありそうだ。
私は、どうだろう。
少し強く、グルーンが槌を振るう。水が熱を引き受け、蒸発する音もする。
小屋の中は、熱い。
それがグルーンの心の熱のようにも感じた。
抑え込まれた、誰よりも強い、彼の情熱。
剣への、熱意。
マワリと暮らす小屋に戻ったのは夕方だった。多頭龍を出た時、グルーンと見た夕焼けが自然と脳裏に浮かんだ。
小屋が見えた時、誰かが表に立っているのがわかった。
それも、嬉しくない相手だ。
「さすがに」私は彼の前で立ち止まり、顔を見え上げた。「今回は奇遇とは言えないわね」
「お話は、中で」
私を待ち構えていたヴァヴァリアは、感情を消した声で、私を小屋の中に入るように求めるみぶりをした。
「私の家ですけどね」
中に入ると、マワリが椅子に座り、もう一人、男がいた。
「来たか」
振り向いたオットーが、こちらを酷薄そうな目線で見据える。
「こんなところに、何のようかな? 腰抜けさん」
背後にいる、私に続いたヴァヴァリアを気にしつつ、オットーを貶めておく。ヴァヴァリアに比べれば、オットーはその比じゃなく、不愉快だ。
「その減らず口を二度と開かせないようにするために来た」
今までで一番、淡々としたオットーの声だった。
「ヴァヴァリアと決闘をしてもらう」
さすがに私はヴァヴァリアを振り返った。かすかに目を伏せ、こちらには反応しない。進んで望んでいないが、しかし、オットーを止める素振りもなかった。
オットーが懐を探りながら、言った。
「怖気付いているのか? 小娘」
「怖気付いてはいない。しかし、そちらさんは天位騎士だと聞いているけど」
「つまり、怖気付いた、ということか」
オットーが不愉快な笑みを口元に浮かべて、やっと書状を取り出した。
それが開かれ、突きつけられる。誓約書のようだった。どうも、これに署名すれば、後々、私もヴァヴァリアも、後腐れないことになるようだ。
私の前に、ヴァヴァリアが署名した。私は文面をよく確認し、それでも書くのを躊躇う。
「良いのですか?」
質問の相手は、ヴァヴァリアだ。彼はかすかに顎を引く。
私にはヴァヴァリアと切り結んでも、得はない。多分、私が切られてしまう。
頭の中を色々な考えが巡る。無意識にマワリを確認すると、あの老婆は、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
まさか、私が死ぬのを望んでいるわけでもない、はずだ。
それが背中を押した。
私はペンを手に取り、素早く署名した。
オットーがもう私が死んだかのような興奮で紙を手に取ると、小躍りするような足取りで出口へ向かう。
「場所は、第一層、長距離バス停留所。期日は明日の早朝、最初の教会の鐘が鳴った時だ」
こちらを気にすることなく、一方的に言って、オットーは立ち去った。ヴァヴァリアも無言で頭を下げ、後に続く。
小屋には私とマワリが残された。
「なんで、ヴァヴァリアは、あんな小物に同行しているか、聞いた?」
「いや。剣の見本市と関係あるのだろうさ。見本市も終わったから、帰る前に精算する、ってことじゃろうて」
「ややこしい」
私は予定を考え、腰の剣に手を置いた。
やはりこの間に合わせの剣では、難しい。
「ちょっとグルーンのところへ行ってくる!」
マワリはモゴモゴと何かを言ったけど、私は構わず家を出た。夜の街の喧騒を駆け抜けて、グルーンの工房にひた走った。彼の工房の周囲は静かで、その静けさを、槌が鋼を打つ音がかすかに乱している。
工房に飛び込んだ。
「グルーン! ちょっと!」
「大きい声を出すな」
彼は小屋の奥にいた。こちらを小さく振り向き、また向き直って作業を続ける。
私もさっきの決闘の話をして、明日の早朝までに剣がいる、と告げた。
それを聞いても、グルーンは少しも動じた様子もなく、刀を打っていた。
「よくわかった」
そんな、落ち着いた声が返ってくる。
「明日の早朝、教会の初めの鐘がなる時だな」
まるで明日の天気を確認するような、気のない言葉だった。私もさすがに、不安になる。
「心配するな、まともな奴を届けるよ」
私は、その場で立ち尽くすしかなかった。
「心配はいらない」
グルーンが繰り返す。
でも、とても落ち着かなかった。
結局、自分たちの小屋に戻って、私は今ある剣で戦うために稽古をした。
稽古は気を入れてやったが、少しずつ、不安が勝ってきた。
準備期間が短すぎる。
しかし、こればかりは仕方がない。
マワリを恨みそうにもなる。止めてくれれば良かったのに。あんな顔をして、私をけしかけたようなものじゃないか。
必死に振るう剣が、月明かりを照り返していた。
翌朝の早朝、支度をする。
「鎧は良いのかい?」
マワリが声をかけてくる。やはり心配している気配のない、軽い調子だ。
「無駄でしょうからね。じゃあ、行ってくる」
「遠くで見ているよ」
意識体で眺める、ということだろう。
私は軽装で多機能ケープをまとって、家を出た。朝の街に人気はない。その静けさが、少しだけ私を冷静にした。
バスの停留所に着く。バスは今の時間、まだ一台もない。広い空間が開けていた。
人は二、三人いる。でも、バスを待っている風でもない。とりあえず、私もそこに立って、相手を待つ。時計を確認。わずかに私が早かった。
続々と人が姿を現してくるが、誰もがバスを待っているようでもない。
もしかして、見物に来ているのか?
数人、採掘士仲間が混じっている。本当に、見物らしい。オットーが周囲に知らしめるために、呼んだとしか思えなかった。
停留所の周囲を人が二重ほどに囲む頃になって、オットーがヴァヴァリアを従えてやってきた。私は空間の、開けている中央へ進み出る。
「逃げなかったようだな」
オットーが挑発してから、滑らかに決闘の要旨を口にした。
重要なのは、お互いに勝負の結果として命を失うことを受け入れる、ということだ。
教会の鐘が鳴り始めた。
「時間だ」
オットーが引き下がり、ヴァヴァリアが前に進み出てきた。
「天位騎士が」私は彼にだけ聞こえように言った。「なぜあんな低脳の言う通りにする?」
ヴァヴァリアがかすかに笑った。
「ただ、あなたの剣を知りたいのですよ」
返事はそれだけだった。
オットーのことはどうでも良いらしい。それもそうか。ヴァヴァリアはオットーとは別のことを考えているってことになる。
つまり、私とヴァヴァリア、二人がそれぞれの剣を競う、純粋な勝負ということだ。
もう言葉の段階ではなかった。
無言で、お互いに剣を抜いた。ゆっくりと構える。
強烈な圧迫感を感じる、後退したくなる。
耐えて、構えを変える。
ヴァヴァリアはピタッと剣先を止め、こちらを見ている。見ているが、まるで何も見ていないようだった。
その瞳は、マワリが見せる精神統一の姿に似ている。
私も集中を高めなければ、勝負にならない。
しかし、そんな間を作ってもらえるわけもない。
ヴァヴァリアの鋭い踏み込み、そして斬撃。
横薙ぎを体を後ろへ傾けて避ける。続けざまの袈裟斬りは剣で止めた。
競り合うのは無理、大きく跳んで離れる。
それは予測されている、再び間合いが消滅。
鋭い振りの連続。
集中が高まるのを感じる。ヴァヴァリアの剣がはっきりと見え、私はそれを危ういところで全て、回避するか、跳ね返した。
回避の中で、ヴァヴァリアの隙のようなものが見える。
そこに剣を差し込めば、反撃できる!
剣を突き込む––いや、突き込もうとした。
背筋に悪寒が走り、またも大きく後退。
今の一瞬は、危なかった。完全に読まれていると感じた。
ヴァヴァリアは無理には攻めてこない。剣を構えて、こちらを伺っている。
今の誘いを拒絶したことで、警戒しているか。
なら、攻めて活路を探るのみ!
私は無心に踏み出す。
私の剣を、ヴァヴァリアは機先を制して、弾いていく。様々な展開を試すが、全てを受け止めらえる。
ダメか、腕力が弱い! ヴァヴァリアの受けを崩すには速さしかない。
体がほとんど無意識に、力を抜いた。
速度を重視し、手数を増やす。
ヴァヴァリアはそれをすべて受け続ける。まるで攻めの気配はない。
攻められない、というわけではないと、私にはわかる。
一瞬、考えていた。ヴァヴァリアの意図を。
だけど、その一瞬さえも、ヴァヴァリアには見抜かれていた。
彼の剣がすぅっと私の手元に差し込まれる。
手指を切られないように手を引いた時、彼の剣が閃き、私の手には強烈な手応え。
剣が手を離れていた。
空中に舞い上がった剣は、ヴァヴァリアの手に落ちていった。
二本の剣を下げ、ヴァヴァリアがこちらを見る。私は睨みつけるしかなかった。
険しい表情のヴァヴァリアは奪った私の剣をじっと見つめ、それをもう一度、宙に放った。
そして一閃。
ヴァヴァリアの剣が私の剣を二つに断ち割っていた。
「何をしている!」怒鳴ったのはオットーだった。「切れ! 早く切ってしまえ!」
私はそんな言葉を無視して、ヴァヴァリアを見る。
降参するしかない。
しかし、したくなかった。認めたくない。
剣士の端くれとして、負けたのだから、死を与えて欲しかった。
「トキコ!」
突然の声に、振り向くと、人垣を割って、グルーンが転がるように現れる。
そしてこちらに一本の剣を放ってきた。
受け取り、抜く。
黄金色の金属が冷え冷えと光り、複雑な模様が全体に施されている。質素な拵えだが、それさえも好ましく思える。握っている柄は、手に張り付くようだった。
ヴァヴァリアが剣を構え直した。
こちらも剣を構え、でもその時、全く新しい感覚が湧いた。
体がより自然に動けるような、剣がまるで手足そのもののような、そんな感覚。
お互いに、踏み込む。
剣と剣が激しくぶつかり合う。
振るう剣の遠心力、手応え、反動、反転、次の一撃への力の変換。
ひたすら、剣が舞い踊る。
その張り詰めた糸のような舞踏は、突然に限界を迎えた。
お互いに、一歩、下がる。
地面に二つのものが落ちた。
一つは、私のケープの首元を止めていた留め金。ケープが肩から滑り落ちる。
もう一つは、ヴァヴァリアの肩から散った血だった。わずかに肩が裂けていた。
私の剣の方が、深く当たった。
お互いに、視線をぶつけて、機を測る。
不意に、ヴァヴァリアの視線が変わった。何かをこちらへ伝えようとしている。
それがふと、わかった。
私の了解を察してか、ヴァヴァリアが攻めてくる。
今までと同じなような、激しい攻撃。でもさっきとは違う。もちろん、油断すれば切られる。本気の斬撃だ。
なのに、猛攻をこちらが捌くことを知っているような、そんな気配だった。
やがて、激しい攻撃の中で、私の剣がヴァヴァリアの剣を絡め取るように、地面に切っ先を落とすことに成功する。そのまま剣を全力で押し込み、さらに剣を叩きつける。
甲高い音を上げて、ヴァヴァリアの剣が折れた。
切っ先はオットーの真横に落ちた。彼はよろよろと尻餅をついて、こちらを見ている。
「私には」姿勢を正して距離を取ったヴァヴァリアが折れた剣をこちらに見せる。「代わりの剣はない。これまでだ」
ヴァヴァリアはそう言って、こちらに背を向けた。私も剣を鞘に納め、地面のケープを拾い上げる。
オットーが何か喚いているが、ヴァヴァリアは何も言わずに、人垣を割って、去っていった。オットーがそれを追っていくのを見ながら、私はグルーンの姿を探した。
しかし、グルーンはいない。まさか、帰ったのか? 結果も見ずに?
全く、無頓着というか、残酷というか。
私の命がかかっていたんだけど……。
私はグルーンの小屋へ向かうため、小走りで人垣を割っていった。
グルーンの小屋へ行くと、今日は何の音もせず、静かだった。熱も感じない。
あまりに静かなので、そっと中に入り、工房の奥の、グルーンの私室へ向かう。
その途中で、工房の隅のゴミ箱に、大量のゴミがあるのが目に入った。しかし、どう見ても普通のゴミではない。
よく見ると、飾り紐が多い。組糸で綺麗な模様が編まれていた。
他にも、小さな金具などがいくつか混じっている。
なんだろう?
ゴミ箱から離れて、私室のドアを少し開ける。
狭い部屋の中のベッドに、グルーンの背中が見えた。
「起きてる?」
小さな声で囁くけれど、返事はない。寝ているようだ。
その時、部屋の机の上に無数の宝石があるのがわかった。どれも小粒で、カットされている面がちょっと不自然だ。
どこかで見た宝石も混じっている。
それを見て、ピンときた。やっと、気づけた。
今、私の腰にある剣は、新しく作られたものだ。そのための材料の採集は、失敗した。では、どこから材料を調達したのか。
グルーンは、剣の見本市で剣を買い、それを材料にして、新しい剣を作ったんだ。
飾り紐も、宝石も、飾り物の実用性のない剣を鋳直してしまった後の、残骸なんだ。
そして、昨日、彼が必死に作業していた剣が、今の、私の腰にある新しい剣。
「ありがとう、グルーン」
小声で囁くが、返事はない。
仕方ない、疲れているようだし、帰ることにしよう。
部屋のドアを閉めようとすると、
「大事にしろ」
と、くぐもった声がした。グルーンを見ると、ピクリとも動かない。
「月賦で料金を払え」
今度こそ、グルーンははっきりとそう言った。思わず苦笑してしまう。
「わかった」
ドアを閉めて、そっと私は工房を出た。
◆
こんなことがあって良いわけがない。
どいつもこいつを、恨めしい。
俺こそが、実力を持っている。誰もに求められ、称賛される実力だ。
それを、示してやる。
◆
グルーンの工房を出て少しして、背後で悲鳴が上がった。
反射的に振り返り、即座に全力疾走に移る。
グルーンの工房から、ヴァヴァリアが出てきた。私は剣を引き抜き、彼に向ける。彼は新しい剣を手に持っていて、その刃には血がベッタリとついていた。
私が剣を向けても、ヴァヴァリアは動かない。
「グルーンを切ったのか?」
剣を一振りして血を払うと、ヴァヴァリアは剣を鞘に納めた。表情には感情はない。
「答えろ!」
私がじりっと前に出ると、ヴァヴァリアは首を振った。
「グルーン殿を切ってはいない」
ヴァヴァリアは身を引いて、私に中に入るように身振りをした。
私は剣を油断なく構えて、グルーンの工房の中を見た。
倒れていたのは、オットーだった。その手には短剣が握られている。
グルーンは、オットーの横に跪き、じっとしていた。
「グルーン殿を切ろうとするのは明白だった。止めようがなく、仕方なく、切った」
悔やんでいる口調で、ヴァヴァリアが話す。何を悔やんでいるのだろう。
一方の命を狙われたグルーンは、オットーの口元に耳を寄せて何かを聞いていたが、身を起こした。
「申し訳ない。迷惑をおかけした。手続きは、私が行う」
ヴァヴァリアが私とグルーンに頭を下げた。
「こちらこそ」グルーンが頭を下げる。「一門の弟子同士の争いに、天位騎士様を巻き込んだ挙句、その剣を汚してしまい、申し訳ないことです」
「私の力不足です。頭をお上げください」
グルーンは、頭を下げたままだった。
「グルーン殿、改めて、お話があります」
ヴァヴァリアが、小屋の中のグルーンの前に進み出て、その肩に手を置いた。
「ハンブリア都市同盟のために、剣を打ってはいただけませんか? あなたの剣は、素晴らしい。あなたもさらに多くを学べるはずです」
グルーンは黙っている。
私も、黙って成り行きを見ていた。
グルーンがどう決断しても、許せるような心理だった。
「お断りします」
グルーンがはっきりと答えた。
「私にはここでやるべきことがあります。まだ知らないことも多い。精進します」
「どうしてもですか?」
「はい」
ヴァヴァリアはグルーンの肩から手を離すと、深く頭を下げた。
「いずれ、またお会いできますように」
ヴァヴァリアは頭を下げたままのグルーンからこちらの方へ来ると、
「あなたの腕には、感服した」
「引き分けですよ」
私が言うと、ヴァヴァリアは、呆れた顔になる。
「天位が欲しくないですか?」
「称号じゃ、飯は食えないですからね」
「この街の人は、実利主義ですね。良いでしょう。あなたも、また、いつか」
深く頭を下げてから、「保安官には話をしておきます」と言ってヴァヴァリアは小屋を出て行った。
私はその背中を見送り、それからグルーンの方を見た。彼も頭を上げていた。
「全く、面倒なことね」
「こういうこともある」
グルーンは、足元のオットーの体を見ていた。
「あなたを」私はグルーンの横顔に言う。「殺したところで、自分の技量が上がるわけではない。そうでしょ?」
「技量なんて、関係ない」
苦々しげな声。
「自分より技量の高い人間がいれば、どうやってでも排除する。殺すのはやりすぎだが。それくらい、俺が邪魔だったんだろう」
まるでグルーン自身にに罪があるような、そんな悔恨を含んだ声だった。
「だからこんなところで、隠れるように生きている?」
「鍛冶師なんて、やめた方がいいと思うときもある。でも、親方は、俺を見出した。だから、ここを守る」
「それがヴァヴァリアの誘いを断って、ここにいる理由?」
グルーンがニヤリを笑う。
「お前から二十四回払いの月賦で、その剣の料金を払ってもらわないといけないからな」
まったく……、容赦ない。
「外で待とうよ。気分が悪いんじゃない?」
私がそういうと、グルーンはかすかに首を振った。
「いや、ここにいる。自分が招いたことを、よく理解したい」
グルーンはまた、オットーの体を見ていた。
私は自分の家へ戻った。
マワリが待ち構えていて、ニヤニヤと笑っている。
「天位騎士を切るとは、なかなか、やるじゃないか、トキコ」
「師匠が優秀でね。それと切ってはいない、引き分け」
数人しか知らないが、マワリは先先代の剣聖の弟子だった、と聞いている。
しかし今は、すでに体が老いていて、そんな気配は少しもない。
「まだヒヨッコだが、度胸はある」
マワリが私に歩み寄って、ポンポンと腕を叩いてくる。
「死ぬのが負けて、それ以外はみんな勝ちさ」
「そうかなぁ。それを言うなら、どちらも死んでないから、本当に引き分けね」
私は居間の机の上にあったお茶を手に取る。今日は比較的、普通の臭いだ。一口飲む。苦い。でも気持ちが少し楽になった。緊張していたらしい。
「天位はもらわなかったんだね?」
「必要ないでしょ。マワリだって、天位は受けなかった」
「それは私が不良だっからさね。ひゃひゃひゃ」
私は自分の部屋のドアに手をかけた。
「今日は早かったから、ちょっと寝る。夕飯の前に起こして」
「お昼ご飯は食べていないだろう」
「食欲がないの。大丈夫、夕方には治る」
私は自分の部屋に入り、剣を横に置いて、ベッドに横になった。
天井を見上げると、いろいろなことが頭に浮かんだ。
ヴァヴァリアの鋭い剣。死神の気配。
オットーの死体。もう動かなくなり、あとは葬られるだけ。
グルーンの姿と、私の剣。
誰もがそれぞれに主張がある。押し付ける人もいれば、耐え忍ぶ人もいる。
私にできることは、剣の腕を磨くこと、そして、採掘士として生きていくことだ。
目を閉じると、じわりと眠気がやってきた。
疲れていることが、はっきりと感じられた。
私は眠りに落ちる寸前に、また、ヴァヴァリアの剣の残像を見た。
見えない剣が、目の前を、踊る。
(了)
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