episode 2 剣 A-part

 後に、多頭龍の時代、とか、人龍大戦、などと呼ばれる時代があった。

 人類文明は多頭龍と呼ばれる超常の存在とぶつかり合い、大きく存在として後退した。

 かろうじて多頭龍を退け、長い時間が過ぎた。

 まだ人類は生きている。


 私は重い足取りで歩いていた。

 気が重い。とにかく、気が重い。

 行かなくていいのなら、行きたくないけれど、そういうわけにもいかない。

 というわけ多頭龍によって建つ街、リーンの第三層の端へ向かって、私は歩いていた。装備はほとんど家に置いてきた。ただ、腰に剣を下げている。

 正確には、剣ではないのだけど。

 第三層の端に近い位置にあり、庭からは遠くまで見渡せる、小さな工房。しかし、初見の人はこの小屋を工房とは思わないだろう。

 看板も何もないのだ。そしてボロボロで、どこかの誰かは廃墟と勘違いするかもしれない。

 私は立て付けが悪い扉を、どうにかこうにか壊さずに開けた。

「グルーン、いる?」

 小屋の中には熱気が満ちていた。熱を逃がすためか窓が開いていて、そこからの明かりが全てだった。

 小屋の奥に屈み込んでいた小柄な男が立ち上がった。

 頭に小さなツノが生えている彼は、亜人の一種で、鬼、と呼ばれる種族の一員だ。

 名前をグルーンという、懇意の鍛治師だ。

「どうした?」

 作業着の下には頑強な肉体がある気配を、動きから感じる。

「あぁ、その……」

 ちょっとためらいつつ、私は腰の剣を鞘ごと外した。私が声を継ぐより先に、グルーンが素早く剣を奪い取っていた。

 鞘から剣を抜く、というか、柄と鍔だけが鞘から外れた。

 刀身は、なかった。

「ごめん、壊した」

 彼が何か言うより先に、私が言ったわけだけど、それはグルーンにはどうでも良かったらしい。じっと剣の柄にわずかに残っている刃を見てから、

「馬鹿が」

 とだけ、言った。そして剣の柄と鞘をセットにして、近くの作業台に置いた。そのまま私に背を向けて、立っている。ただ立っているのだ。仁王立ちである。

「えっと……」

 どう切り出したら良いんだろう。しかし、黙っているわけにもいかない。

「あのー、新しい剣を作って欲しいんですけど……」

「素材はどうする?」

 グルーンが動き出し、壁にいくつも掛かっている剣を眺め始める。口調は静かで、逆に怖い。

「私、採掘士だから、いくらでも言われれば取りに行くけど?」

「そもそもだ」

 グルーンがこちらを振り返る。

「刀身が消し飛ぶ、という事態は、鍛冶屋の限界を超えている」

「えー」

 思わずセリフを棒読みしているみたいになった。

「私のことは詳しく聞かない、って、先代と約束したでしょ?」

 腕組みをしたグルーンが、こうなるとわかっていればしなかった、と小さな声で言った。それからやっと私の方に向き直った。

「長さ、形状は前のままでいいのか?」

「そうだね、あれは使いやすかった。とにかく頑丈に作って」

 重い溜息の後、グルーンはまた視線を壁に向けた。

 その壁には十本を超える剣が掲げられている。そのほとんどは彼が作った剣だが、数振りは彼の師匠の作品だ。

 ちなみに彼の師匠の数振りは、一本で、デタラメな値段が付けられている。もちろん、売るつもりはないようだけど。

 壁の剣をグルーンが見る時は、過去の経験を思い出す時だと私は知っている。どうやったら、私の要望に応えられるか、考えているんだと思う。

 しばらく黙っていたグルーンは肩をすくめると、

「明後日の朝から、この街に刀剣の見本市が出ると聞いている。知っているか?」

「え? 知らない。そうなの?」

 なら、グルーンに剣を壊したことを黙って、しばらく別の剣で我慢すればよかったかもしれない。まぁ、グルーン以上の鍛治師はそうはいないんだけど。

 そんな考えは何も知らないグルーンが、元の作業に戻りつつ、背中を向けて続けた。

「大規模な商隊が主催するんだ。そこをまず当たるべきだろう」

「つまり、もう私に剣は作りたくない、ってこと?」

「そうは言っていない。俺が作るまでの間、お前が使う剣が必要だろう、ということだ」

 おぉ、危ない、もう見限られるかと思った。

「作ってくれるのなら、良かったよ。材料について、要望があったら教えて。採りに行くからさ」

「俺が、見本市でお前に見合った剣を用意したらな」

「え? その辺の奴を、一本、貸してくれれば良いじゃない」

 作業に戻ろうとしていたグルーンが、怖い顔でこちらを見た。

「嫌だ。貸さないぞ」

 強烈な怒気に、さすがに私も食い下がれなかった。

 どうも、私に貸すと剣が壊れると思っているようだ。

「わかりました……、じゃあ、明後日の朝、ここに来るよ。一緒に、見本市へ行こう」

 グルーンは小さく頷き、作業に戻った。

 私は小屋を出て、庭から遠くを見た。遥かな地平まで、ほとんどを荒野が占めている。森は少しだけ見えた。それ以外に、巨大な構造物のように見えるのは、多頭龍の死骸だった。

 背後の小屋から、鋼を打つ音が聞こえてくる。

 私はそっと小屋を離れると、買い物をしてから、第一層、地上の外れにある自分の小屋へ向かった。

 私の小屋もグルーンの工房をバカにできない古さだけれど、最低限の手入れはしている。

 扉を開けて中に入ると、椅子に老婆が座って、目を閉じていた。いつものことなので、私はその横を通って台所へ向かい、買ってきたものを調理し始めた。

「たまには」

 いつの間にか、真横に老婆が立っていたけど、これもいつもなので、驚かない。とにかく、気配を消すのがうまい。

「まともなものを作らんのか、この娘は」

「この後に作ってあげるから」

 そう応じつつ、私は鍋の中で食材と少量の水をかき混ぜ、水気を飛ばしていく。

「剣は手に入らなかったようだね」

 同居人の老婆、マワリが私の剣帯を確認する気配。

「もう貸すのは嫌だってさ。まぁ、ちょっと壊しすぎたけど」

「あの男の剣も、そう悪くはないな。ただ、お前がデタラメなのさ」

 私は鼻を鳴らして、返事に代えた。マワリも鼻を鳴らして返してくる。

 鍋の中身が煮詰まったので、トレイの中に移した。あとはこれが乾燥したら切り分ければいい。さて、マワリの食事を作ろう。

 鍋を洗っているうちに、マワリはお茶を淹れ始めた。彼女の淹れるお茶は私も知らない薬草が大量に入っていて、臭いがひどい。私はそっと台所の窓を大きく開けた。

「お前が使うのに見合う剣は、おそらく、打てるものなどおらんだろうよ」

 お茶をすすりつつ、マワリが静かに言う。

「あの男にはだいぶ封印を伝えたが、まだ練りあがってはおらん」

 封印ね、と私は頷く。

 多頭龍の時代を終わらせた大魔法使い、彼の魔法から派生した三つの術がある。

 力を付与したり、逆に抑え込んだりする、封印。

 医療などを司る、法印。

 物理力を行使する、術印。

 マワリは封印を相当、使う。私はどれも不得手だ。グルーンは一時期、マワリに師事していた。刀鍛冶だが、封印を併用することで、通常の剣の性能、その限界を超えた剣が創造できる。

「しかしいずれ、お前のための剣が生まれる気もするな」

「いずれ、じゃなくて、すぐに欲しいけど」

 私は雑炊が出来上がり、その鍋を手に居間へ向かう。

「じゃ、食事にしよう、マワリ」

「また雑炊かね。嫌だね、料理とは呼べん」

 私は無視して、居間の机に乱暴に鍋を置いた。


 私たちが暮らすリーンは、他の町や都市と同じく、多頭龍を中心に広がっている。リーンは四層に分かれており、それぞれの層をロープウェイと長すぎる階段が結んでいる。

 早朝、第二層のグルーンの小屋へ顔を出すと、グルーンは目を丸くしていた。

「どういう風の吹き回しだ?」

 私は顔を逸らす。

 家を出る時、マワリが散々、絡んできて、少しは着飾れ、もっと着飾れ、と言ってきたので、結果、普段は実用一辺倒の私が、そこらの町娘のような格好をすることになったのだった。

「気にしないで」

 そう言い返すと、グルーンも普段から無駄なことは言わないので、そのまま、一緒に家を出た。

 第一層へ降り、リーンのメインストリートへ向かう。

 そこは普段から、時折、街へやってくる商隊が市を開くことが多いが、今回は刀剣の見本市ということで、ずらりと刃物が並んでいるのは、すごい光景だ。

 グルーンとともにゆっくりと歩いて、店舗を見ていく。

「鍛治師って」

 私はグルーンに話しかける。ちなみに彼はいつも通りの作業着だ。

「剣を見る時、どこを見るの?」

「……特にないな」

 グルーンが立ち止まり、店頭の剣を手にとって眺めつつ、私に応じる。

「剣は飾りではない、と師匠はよく言っていた。剣は武器だし、武器であるからには、敵を倒したり、自分や味方を守れなければ、意味はない。そしてそこには、鍛冶師が関与できる要素があるとすれば、長持ちする、ということになるのだろうな」

「それ、私が頻繁に剣を壊すことを、皮肉ってる?」

「いや、ただ、理屈を口にしている。鍛治師は剣を作るだけで、剣は鍛治師のものではなく、剣を使うもののもの、ということになる」

 売り込んでくる店員を無視して、グルーンは剣を戻し、次の店へ移動した。私も後を追う。

「ああいう剣は、俺の性には合わない」

 グルーンがそっと指差したのは、店舗の一画に、飾られている剣だった。刀身は分からないが、柄も鍔も鞘も、細かさない細工が施されている。キラキラと光を反射して、綺麗だった。

 綺麗だけど、実用品には見えない。

 私は値札を探して、数字を読み取る。すぐには理解できなかった。

「買えるか? トキコ」

 グルーンが不敵に笑ってこちらを見た。

「買えないわよ、家が買える値段じゃないの」

「観賞用にしても、高すぎる。珍しく、気があったな」

 それからいくつかの店舗を見て、グルーンは何本か、剣を手にしたけど、買うことはなかった。

 グルーンの様子を観察していると、どうも、剣の重心をしきりに気にしているようだった。どうしてだろう? よくわからない。

 そんな具合で、ゆっくり進んでいくと、「グルーンじゃないか?」と誰かが声をかけてきた。

 私もグルーンも店舗から視線を外し、声の方を見た。

 そこには着飾った若い男がいた。装飾の多い背広、革靴、腰には剣を下げている。その剣は明らかに飾りだったし、男は見るからに、剣士ではない。

「オットーか」

 グルーンが呟き、軽く頭を下げた。

 オットーと呼ばれた男は私をチラッと見てから、グルーンに歩み寄ると、彼の姿を確認するようなそぶりをした。

「おいおい、グルーン。我らが師の工房を継いだはずの鍛治師が、そんな格好で、ここで何をしているんだ? 他の鍛治師の作品の見物か? お前の剣はどこにあるんだ?」

 グルーンは頭を下げたままだ。

 私にははっきりとは分からないが、我らが師の工房、といったということは、オットーも鍛治師なのか。とてもそうとは見えなかったけど。

 黙ったままでグルーンがいるのに気を良くしたのか、オットーは彼の肩に手を置き、彼の体を揺すった。

「まさか、師の工房を継いでいながら、この場に出す作品がひとつも出来ていないのか? お前があの工房を継いだのは、師のお考えだったが、こうなっては、さすがに我が師といえど、判断を誤った、と言わざるを得ないな」

 まだグルーンは黙っている。

 私はオットーを睨みつけたが、向こうはどこ吹く風だ。あるいは、ただの町娘と思われているのかもしれない。

 そのオットーが、少し私を見てから、何かに納得したような顔になった。

「なるほど、女に入れ込んでいるのか? こんな小娘に? まさかなぁ。ははっ、まさか、まさか」

 さすがに私も頭に来た。

 無言のまま、私は手を伸ばして、オットーの襟首を掴んだ。

 そのまま吊り上げてやりたかったが、そうはできなかった。

 目の前に、剣が差し込まれたからだ。

 オットーは目を丸くしているが、これはただ驚いているだけ。グルーンは剣の持ち主のほうを見ている。私は視線を剣から動かさなかった。

「失礼」

 剣が引かれてから、やっと私は剣を持つ相手を見た。

 どこかの国の軍服を着ている。装飾からして、ただの下士官という感じではない。

 剣が小さな動きで、腰の鞘に戻った。一瞬だけ見ても、見るからに出来のいい剣だった。

 私はオットーを解放した。

「ヴァヴァリア殿!」オットーが喚く。「切り捨ててください、この無礼者を!」

「武器を持っていないではないですか」

 ヴァヴァリアと呼ばれた男が、すっと、オットーと私を遮るように進んだ。動きにも隙がない。かなりの腕だろう。

 しかし、どこかで聞いたことのある名前だ。どこでだろう?

「ヴァヴァリア殿! これでは収まりません! そのような小娘など、図に乗らせていいものですか!」

 しつこく、オットーが喚いている。

 さすがに私も怒り心頭だ。抑えようとしたけど、我慢も限界を超えた。

 すぐ近くの店舗から剣を一本、拝借し、鞘を払った。

「お手合わせ、願おうか」

 私の方をグルーンが見る。そして小さく、首を振ったが、私も同じように首を振った。

 オットーは嬉々とした表情で、「剣を抜いた! 切ってください!」と叫んでいる。

 私たちの中で、ヴァヴァリアが一番、落ち着いているようだった。まだ若いが、気配は凪いだ水面のような男だ。

 そのヴァヴァリアは自分の剣に手を触れず、私と同じように近くの店舗の売り物の剣を手に取った。ゆっくりと鞘から抜いて、私と剣を合わせた。

 瞬間、私は自分が冷静になるのを感じた。剣を手に取った時の激情は去り、周りの音も聞こえなくなる。

 見えるものも目の前の男と、その剣だけに。

 呼吸が苦しくなるような錯覚。

 剣の重みを感じなくなる、錯覚。

 相手が動き出すのがゆっくりと感じられた。自分の動きも遅い。

 何が起こったのかは、遅れて感じ取れる。

 一度ずつ、剣を振ったが、お互いに空を切った。

 再び切っ先を向け合い、探り合う。

 油断せず、相手の剣を待つ。

 日差しが陰るような気がするが、どうでも良かった。

 ヴァヴァリアの剣が繰り出される、私は避ける。

 隙がない、打ち込めない。

 ヴァヴァリアの連撃が迫ってくるが、まだこちらには余裕がある。右から、左から、鋭い弧がが狙ってくるのを、体のバランスは維持し、身を躱してしのぐ。

 そしてヴァヴァリアの攻めが途切れた時、好機が見えた。

 私は剣を繰り出す。

 もちろん、命を取るような攻撃ではない。彼の制服の肩にある飾り紐を切るつもりだった。

 寸前までの非情さ、緊迫感は消え、はっきりと余裕が生まれた。

 だから、一撃を受けられてもそれほどの衝撃ではなかった。

 私の剣を、ヴァヴァリアの剣が受け止めていたのだ。切っ先は、彼の飾り紐には到達していない。

 そのまま二人とも、動きを止める。

 ゆっくりと、ヴァヴァリアが一歩、後退して、鞘に剣を収めた。

 どうも、私の負けらしい。そう考えるよりなかった。ヴァヴァリアは私の攻めを見切っていた。あの瞬間の私の緩みを突けば、決定的な勝ちを形にできただろう。

「お見事でした」

 私は頭を下げて、鞘に剣を戻した。悔しいが、実力は実力、勝負は勝負だ。

 グルーンも頭を下げている。オットーが緊張を解く気配。

 だが、ヴァヴァリアはまだ強い気配を放っていた。

「失礼ですが」

 私は顔を上げた。ヴァヴァリアがこちらを見ている。

「どなたに剣を師事なさっているのですか?」

 私は肩を竦める。

「ただの小娘ですよ、この通り」

 いつの間にか周囲に人だかりが出来ていた。私を知っている人もいそうだけど、首をつっこむような奴とは付き合っていない。

 私の答えに納得できるはずもなく、ヴァヴァリアが渋い顔をする。

「その言葉は、私が謝罪し、取り下げる。見事な剣だった」

「あなたの謝罪も、あなたの取り下げも、必要ない」

 ちょっと意地悪かな、と思いつつ、私はヴァヴァリアを無視して、オットーを見る。オットーはまた怒りが表に出てきたようで、顔を赤くして、私の顔と、ヴァヴァリアの背中を見ている。もう少し挑発すれば、火を噴きそうだ。

「剣の道を歩む者として、聞きたいのです」

 ヴァヴァリアは平然としている。私もそれを見て、少し落ち着いた。

 だけど、師匠のことについて話すのは、難しい。

 そう思っていると、人垣から誰かが出てきた。ほとんど転ぶような、危なっかしい足取りだった。

「その娘が何か、いたしましたか? 騎士様」

 老婆は、マワリだった。

 私もグルーンも唖然とした。唖然とするしかない。あまりに突然だったのだ。

 私たちの顔をヴァヴァリアが見て、こちらは胡乱げな顔だ。

「お婆様、あなたは?」

「その娘は、私の弟子でございます。そちらの鬼も」

 今度はヴァヴァリアが目を丸くする番だった。

「あなたの弟子なのですか?」

「はいはい」マワリが顔をシワでいっぱいにして、笑う。「もう身体も弱り、大したことはできませんがの。そちらの鬼には、封印を教えております。今はそちらに力を注いでおります」

「それは……また……」

 なかなか驚きから立ち直れないようで、ヴァヴァリアはうまく言葉が出ないようだった。

 それに乗じて、

「良い演武になりましたな。私どもは、これで」

 と、マワリは私とグルーンを連れて輪を抜け出してしまった。

 だいぶ歩いて、見本市からかなり離れたところで、やっとマワリは歩くのをやめた。

「老人をこき使うんじゃないよ、このバカ弟子」

 そう言って、マワリが私の腕を叩いた。そしてグルーンの腕も叩き、しかしこちらには、

「トキコが迷惑をかけたね」

 と、優しく声をかけたりする。ちょっと納得いかない。

 グルーンもグルーンで、恐縮して、「申し訳ありません」と答えるんだから、なんか、不公平だなぁ。

「それで、剣はどうするんだね? グルーン?」

 私が尋ねる前に、マワリがグルーンに質問した。

「いえ、その、新しく作るつもりですが、材料を手に入れる必要があります」

「見当はついているのかね?」

「昨夜、調べました」

 なんだ、グルーン、乗り気じゃないか。

「なら、これから二人で打ち合わせをするといい。老人は疲れた、家に帰る」

 マワリのその一言で、その場は解散になり、私はグルーンの工房へ移動して、彼が調べたという情報を確認し、明日にでも鉱物を取りに行くことになった。

 私がマワリと暮らす小屋に着いたのは、日が暮れかけた頃だった。

「やるかね?」

 私が小屋に入ると、即座にマワリが言った。ニヤニヤ笑っているところを見ると、私の心中は十分に察しているらしい。

 私は頷いて、身軽になると、稽古用の木刀を持って、外に出た。

 そこには薄い青に発光する、人型が漂っていた。私の眼の前で輪郭がはっきりとして、若い女だとわかる。

 私は視線を小屋の方に向け、しゃがみこんでいるマワリがいるのを見る。

 目の前にいる光の女性は、マワリだ。正確には彼女の意識体で、封印による魔法だ。しかも姿をめちゃくちゃ若くしている。

「さて、やろう」

 マワリの意識体の手に剣の代わりの光の棒が現れる。光と侮っていると危ない、この棒が意外と痛いのだ。

 私とマワリはお互いに得物を向け合い、まずは型の稽古をした。いくつかの型を繰り返す。

 さすがにヴァヴァリアも察することができなかったようだが、私に剣を教えたのは、マワリで間違いない。

 ただし、意識体で教えていたので、体が年老いていても、問題なかった、ということになる。

 型の確認が終わると、乱取り、と呼んでいる、実戦に近い動きをする稽古になる。

 今でも私はマワリにしっかりと打ち込むのは難しい。一日に一度か二度だ。大抵は受けに回り、その中で隙を探ることになる。

 私の腕や足にマワリが振り回す棒が当たると、電気が走ったような痛みが生まれる。

 マワリは、もう何年も前だけど、剣を習い始めてすぐ、全くの最初から私を容赦なく打ったものだ。どうして私が稽古をやめなかったのか、逃げなかったのか、今になってみれば不思議である。

 一発、私の木刀がマワリの腕を打った。打ったはずだけど、木刀は意識体をすり抜けた。

 やれやれ。

 それをきっかけに、マワリが身を引き、私は稽古が終わったことを知った。汗が噴き出し、額を服の袖で拭った。

 いつもはマワリとの稽古の後、一人でも稽古をするけれど、珍しく、今日はマワリがすぐに意識体を消さなかった。

「あの男の剣が気になろう」

 そんなことを言う。

「それほど気にはしていない」私は呼吸を整えながら、応じた。「命がかかっていないからね」

「本当の勝負なら、負けないかね?」

 どう答えていいか、わからなかった。

 実際、勝負はやってみないと、わからないのだ。実力が全てではない。千に一つ、万に一つは、圧倒的な弱者が圧倒的な強者に、デタラメな強運を発揮して勝つかもしれない。

 ただ、ヴァヴァリアに関しては、相手の実力の全てを見た、とも思えない。

 余力の影のようなものは見た気がした。

「剣を再現してやろう」

 そう言うなり、マワリが棒を構えて、踊るように動き始めた。

 体が躍動し、棒が燕のように翻る。

 私に対してヴァヴァリアが繰り出した連撃を目の前で再現している、と分かった。

 さらにマワリは動き続け、あの時はなかった動きに繋がっていく。

 一通りの運動が終わり、マワリがピタリと停止する。

「どうして」私はさすがに心を打たれていた。「そこまで動きを理解できるのですか? 一度しか、見ていないはずです」

 気づくと、口調が改まっていた。

「師匠、教えて下さい」

「お前が未熟なのだよ、トキコ。教えてもいい。最短距離の剣術は、まず一撃で相手を倒すのが、第一になる。それで足りなければ、二撃目に繋げる。それでも足りなければ、足りるまで、攻撃を続ける」

 私は話に聞き入っていた。

「もちろん、途中で牽制を混ぜる。欺瞞も含める。つまり、ポイントを押さえれば、再現は可能になる」

「それは、私にはできません」

「稽古しなさいな」

 目の前でマワリの意識体は消え、むくりと、小屋の方でマワリが立ち上がった。

「しんどい、しんどい、やれやれ」

 腰を伸ばしてから、マワリが小屋の中へ入っていった。

 私はしばらく、手元の木刀を見て、ゆっくりと構えを取った。

 ゆっくりと木刀を振る。木刀の先を見つめ、体の動きを細かく、意識する。

 木刀と体の動きから無駄を削ぎ落とすことを考える。

 頭の中では、何度も、ヴァヴァリアの剣が閃く。

 稽古を続けるうちに、ヴァヴァリアの剣の向こうに見える、ヴァヴァリアの本気の剣の気配が見え始めた。

 そこには誰もいないのに、殺気のようなものが、迫ってくる。

 気づくと、私は木刀の切っ先を地面に向けていた。

 一瞬だけ、目の前に剣が見えたが、掻き消えた。

 私は大きく息を吸い込んで、吐いた。

 体に疲れがあるのと同時に、何かの確信が心にはあった。


 翌朝、早朝から一人で稽古をしてから、支度を整えた。

 これから向かう多頭龍はリーンから数時間の距離だ。だいぶ探索が進んでいて、安全な部類に入る。念のため、二日分の携行食料と、二日分の清水を確保できる携帯浄水器を用意した。

 マワリの部屋に声をかけると、まだ寝ているようで、扉越しに唸り声が帰ってきた。

 外に出て、飼っている二足歩行の動物、キウに飛び乗る。キウは大荷物こそ運べないが、持久力がある。それに飼い主に忠実だ。頭も良い。

 待ち合わせ場所へ行くと、すでにグルーンは待っていた。今日はさすがに作業着ではなく、しっかりとした装備をしている。

「これを貸す。今日だけだ」

 そう言って、グルーンが手に提げていた剣をこちらへ放ってきた。キウの上で受け取り、反射的に少しだけ刃を抜いた。

 背筋が冷えるような、光が漏れる。

「俺の作品の中でも一、二を争う一本だ」

 身軽にキウの上にグルーンが乗ってくる。私の後ろで、器用にバランスを取った。

「壊すなよ」

 まだ驚きから立ち上がれない私に、グルーンが笑い混じりに言ってくる。

「うん」さすがに素直になってしまった。「わかった」

 私たちはキウに乗ってリーンの街を離れると、荒野を進む。

「これは独り言だが」

 キウに揺られながら、グルーンが話し始めた。

「親方は、たくさんの弟子を育てられた」

 親方、というのは、グルーンの師であり、あのボロボロの工房の前の主人だ。

「俺などは、最後の弟子だ。今でも、どうして俺を弟子にしたのか、わからない」

 才能があるからでしょう? と言い返そうと思ったけど、何か言ったら話が終わってしまいそうで、私は開きかけた口を閉じた。

「そもそも、天位騎士のための剣を作る鍛冶師、鍛冶師の頂点である剣仙の称号を得るほどの人が、何で好き好んで、鬼を弟子に取る?」

 質問しているけど、きっと、答えを望んではいない。答えは、グルーンの中にあるんだと思う。

「俺は最初、冗談だと思った。剣仙が俺を弟子にする、なんて、理解できなかった。弟子入りしてからも、大変なことだと思い知らされた。同時に、親方を恨みもした」

 キウは何も聞いていないように、一定のテンポで歩を進める。

 グルーンは風の中、静かに話していた。

「兄弟子たちは、散々、俺を冷遇した。外に出ても、人間は俺を、鬼なのに剣仙の弟子になった存在、として、冷ややかに見たし、鬼たちも俺を、人間に媚を売っている、と平然と口にした。どちらも反論できなかったよ。耐えるしかなかった」

 私の背後にいるグルーンの顔は見えない。でも、声には悔しげな色が濃かった。

「だから、オットーのような奴には、慣れているんだ。ただ、頭を下げて、平謝りすればいい。それで相手は満足する。それが結論だ」

「それは」

 さすがに私は口を挟んでしまった。

「卑屈なんじゃないの?」

「口論や殴り合いが、全てじゃない。若いな、トキコは」

 そうかねぇ、などと応じつつ、私は考えていた。

 グルーンの師匠であるアスールという刀鍛冶のことを、私は少しくらいは知っている。

 彼は、グルーンが今言ったような、弟子になることでグルーンが置かれることになる苦境を想像できないような、そんな人ではないと思っていた。

 きっと、アスールは、全てを考えていたんじゃないかな。

 グルーンにそれだけの才能があったはずだし、その才能が損なわれるような事態になれば、さすがにアスールも手を貸したはずだ。

 つまり、グルーンはちゃんと師匠の期待に応えているんだ。

「グルーンは、強いね」

 私がそう言っても、返事はなかった。肩越しにチラリと後ろを見ると、グルーンはそっぽを向いて、どこかをじっと見ていた。視線を追ったけど、私には何も見えない。

 前方に小さな山のようなものが見えてくる。

 その多頭龍の周囲には朽ちかけた小さな建物がいくつかある。探索の初期段階で使われた施設の名残だった。

 その廃屋にキウで近づき、適当な棒にキウを結びつけた。少し嫌がるキウを撫でてなだめる。

 グルーンはすでに地面に伏して動きもしない多頭龍の、その胴体に開いた穴を遠くから見ていた。何を考えているかは、やっぱりわからない。

 私はその横に並び、彼の背筋を叩いた。

「さて、行こうか」

「頼む」

 私たちはそれぞれに多機能ゴーグルをかけると、真っ暗闇に通じる穴に向かって鱗の残骸をよじ登り、中へ入った。

 多頭龍の内部は大抵、薄暗い程度の光量がある。理由ははっきりしていないが、龍の体内には発光する物質があるのだ。

 しかし、見た目は完全に洞窟である。空気は湿っているように感じた。

 私はグルーンを先導する形で、奥へ進んでいく。

 この多頭龍はすでに探索が終わり、さながら廃坑だ。しかしグルーンには使えるものがあるという。

 いくつかの物質を掛け合わせ、別の物質を生み出す。そのための部品になるというのだ。

 私には詳細はわからないけど、全てはグルーンに任せておけばいい。

 一時間ほど穴を奥へ進み、圧迫感が強くなってくる。空気が少し淀んでいる。

 休憩をすることにして、二人で私が作った携行糧食を口にした。

「こんなものを食べているのか?」

「意外と、美味しいでしょ?」

「いや、不味い」

 ……食料を奪いたかった。

 休憩が終わって、再び前進。夜にはリーンに戻る予定なので、長居はできない。

「あったぞ」

 足を止めて、背後のグルーンを見ると、彼は身をかがめて、壁に顔を近づけている。多機能ゴーグルの機能を操作しているのが見える。そして彼は腰に下げているいくつかの器具の中から、金槌を取り出すと、壁をたたき始めた。

 叩いて落ちる欠片を手のひらで受け止めると、それを今度は腰のポーチから取り出した試薬の入っている瓶に落とし、様子を見ている。私はそれを多機能ゴーグルの暗視機能を使って、眺めているのみ。

 しばらくして頷いたグルーンが、

「ここから二キロほど、採取する」

「はいはい」

 グルーンが背中から下ろした電動掘削機を組み立て、私がそれを使って壁を崩す。

 激しい衝撃をコントロールして、ぼんやりとした視界の中で、壁から剥がれるように鉱物が落ちていく。その中でも大き目の塊を、グルーンが回収した。

「よし、いいぞ。次だ」

 私を置いていくように、鉱物を背囊に収めたグルーンが先へ向かう。私は掘削機を抱えて、後を追う。

 本当なら、私はグルーンの護衛をするべきなんだろうけど、この多頭龍にはそういう敵性の存在はいない、とはっきりしている。だから私は荷物運びと力仕事担当になる。

 半時間ほど進んで、またグルーンが壁を確かめた。そして私に掘るように指示する。言われるがままに、ここでも鉱物を採取した。さすがに腕が痺れるし、ついでに音が反響して、耳が痛い。

「まだ足りない?」

 グルーンに尋ねる私の声も、どこか曖昧に響いた。

「そうだな」グルーンが背囊を背負い直す。「あとは、リーンで都合できると思う。時間か?」

「予定を少し越えたくらい」私は時計を確認した。「明るいうちには帰りつけないけど、まぁ、子供じゃないし、問題ないね。帰るとしましょうか」

 その場で電動掘削機を分解する。それを私が背負った。行きはグルーン、帰りは私と決めていた。結構、重いが、これも力仕事で私の仕事である。

 入ってきた穴に着いた時、ちょうど夕日が地平線に半分ほど見えていた。グルーンが唸った。さすがに感動したんだろう。私もちょっと見惚れた。

 キウの元に戻ると、私を見てちょっと嬉しそうな空気になったけど、すぐに私とグルーンが乗ったことで、不機嫌そうな唸り声をあげた。鉱物の分、行きよりも重いのだ。

「ごめんごめん」謝りつつ、首筋を撫でた。「ちょっと我慢して」

 リーンへ戻る道の途中で、完全に日が落ちた。空は満天の星空である。

 空気がひんやりして澄んでいるように感じた。静寂も不快ではないし、キウが地面を踏む音もどこか心地よい。

 二人とも黙っていた。何かを話すような、そういう空気ではない。

 沈黙も、悪くない。

 そんな中で、私の視界で何かが動いた。

 反射的に腰の剣を抜いていた。

 軽い手応えと、何かがあさっての方向へ飛んでいく気配。

「グルーン! 伏せていて!」

 キウが私の手綱の引きを受けて足を折りたたみ、伏せている。グルーンはそこから転がり落ちるように地面に降り、そのまま伏せている。

 私は身をかがめて、周囲をうかがった。

 さっき飛んできたのは、矢のような手応えだった。どこかに射手がいる。

 多機能ゴーグルを調整し、周囲を精査。荒れ地なので人間が都合よく隠れるような場所はない。じっと視線を動かす。

 風を切る音は、背後!

 身を捻ると、私をかすめて矢が飛び過ぎた。

 今度は相手をちゃんと見ることができた。地面に土と同色のシートを被って伏せていたようだ。一人、こちらに背を向けて、逃げようとしている。

 私はその襲撃者をとりあえず確保する気になった。走り寄るのも面倒だ、足を止めよう。

 手を腰に差していた短剣に伸ばし、投擲しようと腕を振るう。

 それを投げられなかったのは、別の方向から矢の気配があったからだ。

 今度は捻る程度では避けられない、前に体を投げ出し、前転。立ち上がり、剣を構えたところへ、二本、三本と、矢が飛んでくる。

 射手は二人。やはりシートで隠れていた。二人ともボウガンを持っているのが判明した。

 一人はそのまま私を釘付けにして、もう一人はグルーンの方へ駆け寄った。

 グルーンにボウガンが突きつけられた。

 悲鳴を噛み殺し、私は前に飛び出した。グルーンが危ない、と思った。

 ボウガンの矢を走りながら斬り払う。過たず、全てを撃墜できた。

 しかしその時間が、グルーンには致命的だ。

 いや、致命的なはずだった。

 襲撃者はグルーンの背囊を奪い取ると、何か、卵のようなものを二個、こちらへ放った。

 冷静さを欠いている自分に気づいた時には、球形の閃光弾が激しい一瞬の光を発して、爆発している。

 多機能ゴーグルの暗視機能が一時的に機能不全。ゴーグルを外すが、閃光弾の光は私の視覚も麻痺させている。

 ボウガンの発射音と、矢が飛んでくる音。

 反射的に剣を振るい、打ち払った。一本、受け損なったが、私には当たらなかった。

 肝が冷えるとはまさにこのこと。矢を音を頼りに斬り払うなんて曲芸、好きになれるわけはない。

 次の矢を待ち構えるけど、やってこない。

 視覚が回復した時には、もう襲撃者たちは遠く離れている。キウではないようだが、何かに騎乗しているのが影ではっきりわかる。

 全く、油断していた。

「グルーン? 大丈夫?」

 グルーンが起き上がり、頭を振る。

「死んではいないようだ。お前はどうせ地獄に落ちるが、俺はそこに行くはずがない。一緒にいるってことは、生きている証拠だ」

「元気でよかった」

 彼を立ち上がらせる。私の目で、彼の姿を確認するが、土に塗れている以外は、特にこれといって、大きな怪我もないようだ。

「目当ては私たちの採集した鉱物ってこと?」

「よくある嫌がらせだ」服の土を払いつつ、グルーンが応じる。「ここまでやってくるとは、暇な奴らだ」

 よくある?

「心当たりがありそうね」

「親方が生きている時もあったが、亡くなってからは、一時期、ひどいものだった。俺に剣を作らせないのだ」

 私の頭にオットーの顔が一番に浮かんだ。しかし彼はこういう荒事に自ら臨む感じではない。手下を使うタイプである。

 気に食わない奴だ。

 事態が収まったのを察したか、キウがこちらへ歩み寄ってきて、甘えたような声を出した。私はしばらく、撫でてやった。

「良いじゃないの」

 どこかグルーンが落ち込んでいるようだったので、私は声をかけた。

「また採集すれば良い」

「いや、しばらくは、しない。お前に迷惑をかける」

「そんなことないよ。いくらでも付き合うから」

 その言葉にはグルーンは答えず、散乱した荷物を拾い集め、

「帰るぞ」

 とだけ、簡潔に言った。

 私は黙ってキウに乗り、やはり無言のグルーンを連れて、夜も更けたリーンの街へ帰った。


 グルーンと多頭龍に行ってから、一日を置いて、私はまた剣の見本市へ出ていた。今度はグルーンはおらず、私一人だ。

 多頭龍探索の時、グルーンが貸してくれた剣は、あの日、即座にグルーンに返した。今になってみると、もっと見せて貰えば良かったとか、思ったりする。

 今、見本市を流し見ていても、あの剣に比べると、どうしても見劣りする。

 グルーンがやっていたように近くの店の剣を手に取り、軽く掲げてみる。ピンと来ない。店員がこちらに近づいてきて、どこの刀鍛冶が、どういう材料で、どれだけ時間をかけて作ったか、説明してくるが、そういうのも、よくわからない。

 次々と剣を手に取るが、しっくりくるものどころか、まるで手に合わないような、そんな感じだった。

 店舗を次々と確認する。いくつかの店舗で、前に来た時は飾ってあった超高額の剣がなくなっているのに気づいた。売れたらしい。お金持ちって、いるんだなぁ。

 ぶらぶらと歩いていると、目の前にいつの間にかオットーが立っていた。不愉快な笑みを浮かべている。

「なんだ、グルーンは剣の一本も自分の護衛に作らないのか?」

 頭の中で、グルーンの言葉が蘇った。頭を下げて、平謝りすればいい。

 でも私は、頭を下げなかったし、謝りもしなかった。

 私はグルーンではないから。

「その店のような雑な剣など、実戦では役に立たないぞ。飾りのようなものだ」

 オットーはこちらが黙っているので調子を良くしたようで、私がさっきまで見ていた店舗の剣を一振り、手に取った。それを軽く振る。

「これを買うくらいなら、どこかで鉈でも買ったほうがいい」

 そう評価して、店主の険しい顔も受け流して、オットーがこちらの様子を観察するような視線。粘っこさを感じる視線だった。

「剣を探しているのなら、グルーンではなく、私が打ってもいい。これでも腕には自信がある。グルーンよりも、私のほうが優れていると思うが?」

「そうか、なるほどね」

 私は頷いて、彼が先ほど手に取った剣を店頭から選び出すと、握りを確かめた。

 その剣はコマ落としのように、オットーの首筋に当てられていた。刃が皮膚をかすかに押すほど近い。

「確かに、この剣の切れ味は、改良の余地がある」

 オットーを無視して店主の方を見る。オットーは驚きが去ると、青い顔になっている。ちょっと、やりすぎたか。

 剣を引いて、店に戻す。店主も青ざめている。

 オットーは腰を抜かさない点は褒めてもいいが、もはや茫然自失に近い。

「剣は、切れればいい、というのが私の主義」

 怒りが急に湧いて、私はオットーの襟首を掴んでいた。今日は邪魔をするヴァヴァリアはいない。吊り上げられたオットーを、私は睨み上げた。

「お前の剣など、必要ない。私は信頼できる鍛冶師にしか仕事は頼まないし、お前のような人間を信頼することは死ぬまでない。間抜けの作った剣など、こちらから願い下げだ」

 突き飛ばすと、オットーは背中から地面に落ちた。

 私が睨んでいるとやっと危機感が沸いたらしく、ゆっくり立ち上がり、捨て台詞も残さずに走り去って行った。

 すっきりしたといえばすっきりしたけど、逆に憂鬱でもある。

 大袈裟なことを口にしてしまった。反省する気持ちが今は大半だ。

 そんな気持ちのまま、私は第二層のグルーンの工房へ向かった。ドアを開けて中に入ると、やはり熱気が満ちている。作業をしているのだ。

「こんにちは」

 なんとなく挨拶すると、奥の部屋からグルーンが顔だけ出した。

「忙しい。ちょっと待ってくれ」

 そう言って、奥の部屋に戻った。私は壁の剣を眺めて、時間を潰した。

 やっと出てきたグルーンは汗をぬぐいながら、こちらへやってくる。その手に剣があった。

「とりあえず、これを渡す」

 雑の放られた剣を受け取る。

「剣がないと、格好もつかないだろう」

 その剣は、見るからに冴えない剣だった。柄も鍔も平凡だ。

「これ、グルーンが作ったの?』

 そうではないことを知っていながら、聞いていた。グルーンも呆れたようだった。

「俺がそんな剣を作るわけがない。見本市で買った。安いが、上物だ」

「あのさ」

 私は剣を少しだけ鞘から抜いた。刃を見て、また怒りが蘇った。

「グルーンが作った剣を見れば、誰もくだらないことは言わないし、くだらないこともしないでしょ。なのに、こんな剣を私に使わせて、それじゃ、逆効果じゃないの?」

「なんだ、オットーと会ったのか?」

 う、意外に鋭い。でも構うもんか。

「そうよ、剣を探しに行って」

 その一言で、グルーンは苦り切った顔になった。しばらく黙っていたけれど、

「気にするな」

 というのが返事だった。

「気にするに決まっているでしょ!」

 思わず怒鳴る私に、グルーンは何も言い返さなかった。ただ、私を見ている。黙って、見ているだけだ。

 私はどこか虚しくなって、背中を向けるしかなかった。グルーンは時に引き止めるでもなく、私が出て行くのを見送ったようだった。

 どうして、グルーンは黙っていられるのか、不思議だった。

 鍛冶師は評判が全てのはず。兄弟子とはいえ、あそこまで口汚く言われて、頭に来ないんだろうか。自分に傷をつけられて、嫌じゃないのか。

 歩いているうちに、私の怒りは少しずつ萎んでいった。

 グルーンは、きっと、そういうことにずっと耐えてきたんだろう。それは彼も口にしていた。私とは忍耐力が違うのか。それとも、彼はもう諦めているのか。

 私はグルーンの腕を信用して、信頼している。それはオットーに対して言った通りだ。

 そしてその信頼と同じものを、多くの人がグルーンに向けて欲しい、と思っているようだ。

 それが、実は違うのかもしれない。

 信じるものは人それぞれだし、そもそも、大勢に尊敬されれば幸せ、などという単純な公式はない。

 グルーンが話してくれたことを深く考えてみれば、彼はきっと、アスールが自分を見出した、というその一点を頼りに、耐えてきたんじゃないか。

 そのただ一人から向けられた期待が、何よりも彼を強くして、どんな苦境にも耐える力になった。

 ただ、私にはそんなグルーンがあまりに孤独に見えて、それが切なかった。


 帰り道、どうしても気持ちを抑えきれず、私は第一層、地上にある飲食店に向かった。

 似たような店は何店舗かあり、この店も他と同じく、採掘士の情報収集と仕事の斡旋の場になっている。

 常連客は、表のフロアや個室ではなく、裏のフロアに入ることができる。私もそのうちの一人だった。

 賑やかな声に満ちている表のフロアを突っ切り、バーカウンターの横にドアに近づく。ドアの横に立っている男がそっと扉を開けてくれた。

 一気に周囲が静かになる。短い通路の奥が、目当てのフロアだ。

 抑えられた照明の下で、数人の採掘士が小声で会話をしている。二人組と、四人組だ。

 二人組の方が私に気づいて、一人が手を挙げた。顔見知りだ。手を挙げて応じて、歩み寄る。

「元気かな、トキコ」

「ボチボチかな」

 ウエイターが近づいてきたので、オレンジジュースを頼む。

「なんだ」二人組の片方が私の腰を見ている。「どこの誰の剣だ?」

「これは貰い物」

 見せてもらえるかい? と言われたので、素直に腰から外して、手渡した。鞘から少し抜いて、二人がそれを確認する。

「よく手入れされているな」

「そう? まだ使ったことはない」

「だろうね、何かを切ったような気配はない。綺麗なものだ。それでもこの拵えは、もっと別になかったのか?」

「だから、貰い物で、使うつもりはない」

 話の流れが私の考えと一致したので、話題を振ってみる。

「剣を作りたいんだ、前の奴はダメになってね。それで、そのための材料を手に入れる必要がある。その手の採集の動き、何かある? 最近、この街に流れ込んでいる鉱物とか」

「何かって、買い取るのか? 自分で採集するんじゃなく? お前が?」

 うーん、返事に困る。

「ややこしくてね」

「剣なんて、見本市で買えばいいじゃないか。いや、あれも今日までか」

 説明が本当に難しい。

「とにかく、安全に、確実に、素材が欲しい」

「そう言うなら」一人が考える素振り。「その手の採掘団を教えるけど、最近はあまり、盛っていないはずだけどな」

「とりあえず、お願い」

 この話は終わり、ということらしく、相手の一人が身を乗り出してきた。

「これは噂だが」

 ひそひそ声に、私も耳を寄せる。

「どこかの騎士が、マワリを探しているらしい。その話、聞いているか?」

「マワリを? なぜ?」

 予想外だったので、私は思わず聞き返していた。相手も首を捻る。

「それは知らない。ただ、そういう噂だよ。マワリという人間は、お前のところの婆さん以外、知らないが、どこかに同名の奴がいるのかもしれない」

 ちょっと、嫌な予感がした。

 オレンジジュースがちょうど運ばれてきたので、ストローを使わずに、一息に飲み干す。

「剣の素材の件、よろしくね。採掘団の情報、整えておいてもらえると助かる。じゃ、帰るわ」

 私は小走りにフロアを横切り、通路を抜け、表のフロアも抜けて、外へ走り出した。

 マワリと暮らす小屋にはすぐに着いた。息も乱れてもいない。

 ドアを開けて中に入って、私は足を止めた。

 ドアを開けてすぐの居間、そのテーブルで、マワリが男と向かい合っていた。

「おかえり、トキコ」

 のんびりと、マワリが言うけれど、私にはほとんど聞こえていなかった。

 男がこちらを見る。

「お邪魔しています、トキコ殿」

 椅子に座ったヴァヴァリアが、穏やかに話しかけてくる。

 私の頭の中の混乱もすぐに治まり、冷静さが頭を占めた。そっと背後のドアを閉める。

「急いで帰ってきたようだけど、何かあったかね」

 マワリを無視して、空いている椅子に腰掛ける。

「ここにはどういう用で? ヴァヴァリアさん」

「いえ、マワリ様にお話をしたいと思いまして」

 話、ね。

 視線をマワリに向けると、どこか嬉しそうな顔をしている。いつもより口調も滑らかだ。

「たまには都会の話も聞かなくては、生きる張り合いがないものね。娘の流行も気になるし。もうそんな歳でもないが、ひょひょひょ」

 ひょひょひょ……。

 眉をハの字にしたヴァヴァリアが、机の上のカップでお茶を一口飲み、

「そろそろお暇させていただきたく思います」

 と、頭を下げた。マワリは引き留めようとする気配だったけど、私はすぐに席を立って、

「またいつか、いらしてください」

 社交辞令で、ヴァヴァリアの背中を押す。彼は微笑んで、頭を下げて、小屋を出て行った。

 私は部屋に引き返し、マワリの向かいの椅子に腰を下ろす。

「昨日の話はしたはずだけど」

 昨日の、グルーンと私が襲われたことだ。

「あの人は関わりないさ」あっさりとマワリは断言する。「あの人がどういう立場か、お前、知っているのかね」

「どこかの街の騎士でしょ?」

「その程度の剣に見えたか?」

 返事はできない。渋面を作るのみだ。

 マワリは私の真意を察したようで、何かに納得して頷いた。

「彼は、現役の、天位騎士だよ。ハンブリア都市同盟の剣術指南騎士、と名乗っていた」

 ハンブリア都市同盟のことはよく知らなかった。今、多頭龍に依って立つ町や都市が無数にあり、その中のいくつかが同盟を結んでいる、という話を聞いてはいる。ハンブリアもそのうちの一つだろう。

 その都市同盟のことは知らなくても、天位騎士、という言葉の重みははっきりとわかった。

 騎士を名乗るのは、自由にできる。自称騎士など無数にいる。

 でも、天位騎士は違う。天位騎士は、唯一の最強騎士、剣聖が強さを測り、認められたものだけが名乗れる称号だ。

 今の剣聖は名前は私でも知っている。しかし顔はよく知らないし、どこにいるのかも知らない。もちろん、実力も見たことがない。

 ただ、剣聖を名乗るからには、尋常ではないはずだ。

 ヴァヴァリアはその剣聖とおそらく、剣を合わせた。

「納得できたかね、トキコ」

「この間の手合わせに関しては、納得がいきました。こちらが手を抜いたように、向こうも手を抜いていた」

「あれは遊びのようなもの。気にするほどではない。お前自身が言ったじゃないか、やってみなければわからない、と」

 確かに、私はそう口にした。

 それが無謀のように思えるのが、今の心境だった。

 肩書きなんて、実力とは関係ないはずなのに、しかし重い。

「恐れる必要はない」

 静かな、しかし深く響くマワリの声が、私を震わせた。

「天位騎士も」マワリがお茶に口をつける。「色々と、いるらしい。権力に走るもの、金に走るもの。徒党を組んで剣聖を脅かすものもいるらしい。全く、落ちたものよの」

「ヴァヴァリアを持ち上げてる?」

「人格者に見えるがね。オットーには手を焼いている、とも言っていた」

「人格者なら、あの間抜けを放っておかないと思うけど」

 冷静になれ、とマワリが目を細める。冷気さえ漂う視線だった。

「そこがお前の弱いところさ、トキコ。落ち着きなさい」

 マワリが目を閉じ、深く息を吸い、細く吐く。そうしてからこちらを見る目には、どこか静かな湖のような、落ち着きがある。

 何度も見ている、マワリの精神統一は、とても真似できそうもない。

 そこが私の弱いところ、未熟な点なんだろう。

 いつになったら、克服できるのかは、とてもわからない。

「トキコよ、これは好機でもある」

 マワリはこちらを凪いだ瞳で見た。

「お前の知らない、剣の高みを見る機会だと思えば良い」

「真剣で、ですか?」

「それが一番良かろうが、負けてしまえば、それまでのこと」

 視線にやっと感情が戻ってきたマワリだけど、その瞳の色は、いたずらの色。

「まさか、自分が相手を切る気ではないな?」

「天位騎士を切れば、私こそが天位騎士、じゃない?」

「くだらない冗談だね」

 マワリがあくびをして、椅子の上で背筋を伸ばす。

「そんなに、あの男が嫌いなのか?」

「いけ好かない、と言っておく」

 男前だと思うけどねぇ、と呟くと、マワリは椅子を降りた。

「稽古は積んでおきなさい」

 背中から、いつも以上に真剣な声。私は頷いておく。

 その日も夕飯の後、一人で稽古をした。マワリは顔を見せなかった。

 一度だけ、ヴァヴァリアとは剣を交えた。あの直後の稽古で、彼の剣は想定できる限り、想定して、動きを追った。

 しかし、それは全て忘れることにした。

 剣で切り結ぶ時、相手が想定通りに動くことなど、ありえない。

 常にその場その場での最適解を探すことになる。

 得意も不得意もない。そんなことは剣の前では些事。

 自分が切られる前に、相手を切る。

 方法は一つではない。

 攻撃、防御、回避、様々な展開がある。

 集中力、判断力、決断力、様々な要素がある。

 しかし、決着は一つ。

 勝つか、負けるか。

 冷酷で、しかし絶対の、評価。

 私は木刀を何度か素振りして、それを置くと、グルーンが渡してくれた剣を手に取った。

 鞘から引き抜くと、その刃が完璧に研がれているのが、光の反射でわかった。

 剣を構える。

 動く必要はない。

 頭の中で、剣が目まぐるしく、無数の軌跡を刻んでいく。

 相手の姿は、見えない。見えるのは、相手の剣の切っ先の描く弧。

 私はそっと、剣を鞘に戻した。

 勝つためには、この剣では、ダメだ。





(後編に続く)

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