étude 1 手作りの味

 トゥルボルトとマシェルルトを頻繁に訪ねているのは、やっぱり責任を感じる、というか、責任しかないからだ。

 その日も、私が好きな食料品店から、果物を三種類をほど見繕って、双子の店に向かった。

 私はまだ剣を修理に出していない。でも、剣を持っていないのも変かな、などとよくわからない理由で、柄だけになった剣をどうにか鞘に差して、腰に帯びていた。

 双子の店は応急修理が終わって、今は職人がすぐ前の通りの端のほうで、壁になるのだろう木材を切ったり組み立てたりしている。

 顔見知りになってしまった職人に挨拶して、店の中に入る。

「やあ、トキコ」

 顔を上げたトゥルボルトが微笑む。穏やかで優しい表情だけど、私には少し胸が痛い。

「これ、お土産」

 袋をカウンターに置くと、彼はちょっと中を覗き込み、また笑った。

「いつもありがとう。でもそろそろ、お返しをするのが難しいかもね」

「お返しなんて、いらないよ。こっちこそ、迷惑かけたし。まだこっちがお返しをしていく番だからね」

「そうか、うん」

 頷いたトゥルボルトが袋を手に取り、しかし、すぐに何かに気づいたように、改めてカウンターに置きなおし、中身を取り出していく。

 何だろうと思っている私をよそに、彼は果物を眺め、何かを考えていた。

 まさか、質が悪いとか?

「悪くなってる?」

 実は結構、奮発したのだ。それに、店のことも信用している。

 でも、あるいは……。

 不安になった私に、トゥルボルトは首を振る。

「大丈夫だよ、問題ない。ちょっと面白いことを思いついてね。トキコ、今日の予定は?」

「藪から棒、って感じだけど、どうやら暇らしいね」

 実際、剣を直すまでは仕事を受けられない。剣を直すのを先延ばしするのも、そろそろ限界だし、何より、稼がないと生きていけない。

 先延ばしにする理由が、鍛冶屋が怖いから、というのも妙な話だけど。

 その鍛冶屋も、そろそろ気づくだろう。

「なら、ちょっと店番していて」

 唐突な提案に、私の思考は少し戸惑った。

「どこかに出かけるの? お客さんが来たら、私じゃ応対できないけど」

「出かけないよ。奥にいるから、お客さんが来たら、呼んでくれればいい。これは蛇足だけど、トキコが暇なように、うちの店も当分は暇だと思うけどね」

 それもそうか、暴漢が暴れた直後だし……。

 私は彼の提案を受け入れて、カウンターの奥に立った。トゥルボルトは私が持ってきた果物を手に、マシェルルトの工房や双子の生活区画に続くドアの向こうに行ってしまった。

 店番を始めて、三十分が経った。まだトゥルボルトは戻ってこない。しまったなぁ、時間を聞いておくんだった。いつまでここにいればいいんだろう? やれやれ、後の祭りだ。

 それからさらに三十分が過ぎた。店番を任されたものの、どうやら客は来ないと見切りをつけて、私は店舗のスペースにあるトゥルボルトの調合した薬のビンや箱に記載されている、成分や用法を眺めて時間を潰した。

「お待たせ」

 トゥルボルトが戻ってくる。どういうわけか、エプロンを掛けていた。

 彼はそのまま外に通じるドアに向かうと、一旦、外に出て立て看板を店内に入れると、ドアのプレートを営業中から閉店に裏返した。

「ちょっと、店を閉めるの? なんで?」

 さっぱり理由がわからない私を、彼は肩を押して奥へと押しやる。

「まぁ、今日はもう良いよ。お客さんも来ないしね。それよりも、トキコにやって欲しいことがある。遠慮せず、奥へどうぞ」

 そう言って、連れて行かれたのは、双子が普段、使っている台所だった。

「これをつけて。荷物はどこか、隅にでも置いて」

 手渡されたのはエプロンだった。言われるがままに荷物をまとめて置いておき、エプロンをつける。

 事態が全くわからない、から、少し進展。

 私がエプロンをつけている間にもトゥルボルトは火にかけている鍋の中身をかき混ぜている。

 やっと事情がわかってきた。この匂いを嗅げば、誰でもわかる。

「料理を手伝うの?」

 彼の横に並んで、鍋の中身を覗き込む。オレンジ色の粘度のある液体が、ふつふつと少しの気泡を上げている。

「手伝うんじゃないよ」

 ぽんとトゥルボルトが私の背中を叩く。

「トキコが作るんだってば。僕は今日限定の特別講師」

「冗談でしょ?」

「冗談じゃないよ。さ、始めよう」

 言うなり、彼は台所の一角の棚を指し示し、説明を始めた。小麦粉は知っていたけど、この台所には強力粉、中力粉、薄力粉があるという。当然、私には見分けがつかない。容器にラベルが貼ってあって、それでかろうじてわかる。

 砂糖も何種類もある。他にも木の実を粉にしたものや、どうやって作ったのか、栗や芋、かぼちゃの粉末もある。野菜の粉末もあった。

「戸棚の一角は低温に保てるように細工してあるんだよ」

 低温なら食品を長く新鮮な状態に保てるのは知っているけど、私とマワリが生活する部屋にはない。いや、そんな設備のある家庭の方が少ない。

 実は、双子の店は大繁盛なのか?

「じゃ、計量からスタートだね。これがレシピ。測りと分銅はそこに揃っている。頑張って正確に測ってね」

「やったことないけど?」

「僕がフォローするから」

 結局、私はレシピの紙を見ながら、四苦八苦して、薄力粉、砂糖、木の実の粉末をどうにか測った。

 びっくりしたのは、鶏の卵が三つほど、出てきたことだ。

「毎日あるわけじゃないけど、今日は運良く、あったんだ」

「一個、いくら?」

「言えないね。良いじゃないか、値段なんて。値段よりも、美味しいものを作るのに集中して」

 その頃にはトゥルボルトがかき混ぜていた鍋の中身は完成したようで、鍋を火から離して、彼はこちらに専念している。

 卵も計量し終わると、トゥルボルトが台所の床にある蓋を開く。何気ない様子で、何かを取り出した。

「嘘でしょ……」

 今度こそ、私は絶句してしまった。

 取り出されたのは、バターだった。大きくはないが、しかし、大きさは関係ない。

 卵をしのぐ、超貴重品だ。食品を扱う店の中でも、高級店にしかない。

「こればっかりは買えなくてね、自家製だよ」

 さらにとんでもないことを言われる。

「そのバターを売れば、大金持ちじゃない?」

「それはそれで、いい将来かもね。ささ、これも計量して」

 こうして全ての材料が揃った。もちろん、これで終わりではない。

「粉類をみんな振るって。このふるいで。順番は、砂糖、木の実の粉、薄力粉」

 ふるいは金属製で、これも高価だろう。どんどん双子に対するイメージが改まる感じ。

 本当はふるいが何個もあればね、と言うトゥルボルトの前で、私は三種類の粉をふるいにかけた。その間も視線をこちらからほとんど動かさず、彼は器用に、型を取り出している。

「じゃあ、始めよう」

 彼がちょっとだけバターを切りって取り分けてから、そのバターの入ったボウルを差し出してくる。すでにヘラとナイフが用意されている。

「まずバターを柔らかくさせる。ボウルに貼り付ける感じで、伸ばしていくといい。柔らかさが均一になるように」

 四苦八苦してバターと格闘している私にたまに指示を出しつつ、彼はバターのかけらを型に塗っていた。

 どうにかこうにか作業する私への次なる指示は、砂糖を二回で入れる、というものだった。

「はい、泡立て器。今度もボウルから離さないように、擦り混ぜ」

「擦り混ぜ?」

「こんな感じ」

 実際にやって見せてくれたので、私はそれをそっくり真似て、砂糖をバターに入れていく。

「いいね、悪くない動きだよ」

「さっぱりわからない」

「初めてはそんなものだよ。よし、砂糖が入ったら、次は卵。木の実の粉との順番が重要らしいけど、まぁ、その辺は料理研究家の領分で僕はよく知らない」

 知らない?

「自己流ってこと?」

「ま、そうなるね。のんびりしているとバターが溶けるよ。卵も二回で。消えるくらいでいい。混ぜ方は前と一緒」

 私はまた泡立て器で卵を入れていく。砂糖に比べるとすんなり消える。面白くなってきたぞ。

「次は木の実に粉。これも消えるくらいでいい」

 慣れてきたのか、すんなりとこの行程も終わった。

「よし、粉を入れよう。泡立て器の使い方は今までと一緒。粉は一回で入れるから、ちょっと難しいかもしれないけど、頑張って」

 私はそうっと小麦粉をボウルに入れた。ちょっとだけ溢れたけど、トゥルボルトは慣れているのか、特に何も言わない。

 泡立て器を擦り付けるようにボールの中で回すけど、さっきより力加減が難しい。

 必死の思いで生地を混ぜているうちに、どうにか小麦粉は消えていき、卵色の生地が出来上がった。最後にトゥルボルトが自分で生地を軽く混ぜ、頷いた。

「よし、これで完成。型に流し込む作業に移ります」

「何が出来上がるか、わかってきた」

 差し出された、天板の上の型に、私はそっと生地を流した。

 計量したから当たり前だけど、ほとんどぴったりの量で型が満たされる。

「良いね。ここで、さっきの果物の出番だ」

 トゥルボルトが温度を管理している棚から、小さなお皿を持ってくる。

 私が持ってきた果物が、小さく角切りにされている。

「これと、さっきのジャムを入れる」

 こうしてトゥルボルトの指示のもと、私は型の中に果物と、ジャムを落とす。生地が柔らかいので、ゆっくりと沈んでいく。

「これでいいの?」

「あまり出来栄えは気にしなくていいよ、トキコ」トゥルボルトが笑っている。「僕だって素人だし、売り物を作っているわけじゃないからさ」

「でも、卵もバターも使ったんだから、美味しいものを作らなくちゃ」

「いきなりやってそれは高望みだよ。もし、勉強したいなら、またやってみようか」

 彼は天板を手に取ると、台所の流しの下にあるオーブンへ持って行く。

「さっき、中の温度を上げておいた。これは絶対だよ。ここに入れて、あとは焼き上がりを待つのみ」

 オーブンの扉が閉まり、何もついていない手を払うように、パンパンとトゥルボルトが手を叩く。

「焼きあがったものを、マシェに食べさせる、って魂胆だね?」

 片付けを手伝いながら、トゥルボルトに尋ねると、彼はどこか嬉しそうな顔だ。

「きっと、マシェも喜ぶよ」

「どうかなぁ。味が悪くて、嫌がるんじゃない?」

「そんなわけないよ。でも、味の違いには気付くんじゃないかな」

 反射的に彼の足を踏みつけようとしたけど、まるで見えている、予測していたように、彼はそれを回避した。

 全

まったく、完全に手のひらの上、ってことか。

 片付けが終わったらトゥルボルトはオーブンの中を扉のガラスを透かして、眺めている。匂いが漂ってくる。匂いは悪くないな。でも、匂いで良いも悪いもわからないか。

「よし、出すよ」

 手袋をつけて、オーブンから天板を引っ張り出すトゥルボルトを私は凝視していた。

 作業台に天板が置かれ、彼は手際よく、型を一つずつ手にとって中身を別の天板に外して行った。

 黄金色というか、きつね色というか、見た目はものすごく美味しそうな焼き菓子が、そこにあった。

 熱い天板と型を片付けてから、お菓子を凝視していた私の横に、トゥルボルトが立った。

「一つ、食べてみよう」

「うん……」

 どこか、気後れするけど、味見は重要なはず。

 初めて作ったわけで、トゥルボルトが言ってくれたように、いきなり完璧にはできないのは、明らかだ。

 それでも、やっぱり、美味しくできていて欲しい。

 包丁で一個を二つに切り分けて、片方が差し出される。

 手に取ると結構、熱い。摘んで素早く口に入れた。やっぱり熱い。

 でもすぐにそんなことは忘れていた。

 美味しい!

 自分が作ったとは思えなかった。

「良いね、初めて作ったとすれば、百点だね」

 もごもごと口を動かしつつ、そう評価するトゥルボルトの声に、私はおもわず笑っていた。

「私がこれを作ったなんて、信じられない」

「では、審査員のところへ持って行こうか」

 ……そうなるんだよなぁ。

 不安がぶり返したのを感じつつ、私はトゥルボルトに従って、台所を出た。

 向かう先は、マシェルルトの部屋だ。彼女は重傷から回復して、まだ寝ている時間が多いけど、意識ははっきりしている。

 ドアをノックすると、「はぁい!」と強い声が返ってきた。それだけでも私はちょっと涙が出そうだ。

「入るよ、マシェ。おやつの時間」

「匂いでわかったけど、あれ? トキコ? なんで?」

「まあまあ、まずは食べよう」

 トゥルボルトはちゃんとお茶も用意している。

 トゥルボルトはマシェルルトの部屋の机にお盆を置いて、急須からカップにお茶を注いでいる。マシェルルトは、寝台の上で身を起こして、意外に素早い動きで、寝台から足を下ろして、腰掛けるような姿勢。

 私はそんな彼女の横に座った。

「もう具合は良いのに、あと二日は運動は禁止だって」

 唇を尖らせながら、不満げなマシェルルトの言葉に、笑うトゥルボルトとは裏腹に、私はどういう顔をすれば良いか、わからなかった。

「気にしないで、トキコ。ほら、笑ってよ」

 どうやら、表情に気持ちが浮かぶのを隠しきれなかったらしい。

 どうにか笑ってみせるけど、その私の顔を見て、マシェルルトが笑い声をあげる。

「トキコはすぐ、顔に出るね。本当に気にしないで良いの。みんな無事だったんだし。私も勉強になった。もう危ない橋は渡らないことにする」

「うん……」

「さ、お茶が入ったよ。食べよう」

 差し出されたお盆から、私とマシェルルトはカップを手に取る。そして私とトゥルボルトが見ている前で、皿に乗っている焼き菓子を、マシェルルトが持ち上げた。

「お、あったかい。焼きたては一番美味しいからね」

 そんなことを言いつつ、マシェルルトが一口、かじった。

 ものすごく緊張している私のすぐ横で、マシェルルトが口を動かす。どこか、明後日の方向に視線を向けていたけど、にっこりと笑うと、残りの焼き菓子もパクリと食べる。。

「やっぱりトゥルのお菓子は最高だね。美味しすぎる!」

 もし座っていないで立っていたら、私は膝から崩れ落ちたかもしれない。

 そんな私にトゥルボルトが視線を向けてくる。温かみのある、優しい瞳。

 ちょっとうるっときてしまうなぁ。

「でもこれ、作ったの、トキコでしょ?」

 ニコニコしながら、マシェルルトはこちらを見ている。

「トゥルとは、少し味が違うから、わかるの。けど、これはこれで美味しい」

「さっきまで気づいなかったのようだけど?」

 兄の指摘も、妹は少しも動じなかった。

「それは神のみぞ知る、ね。でも今は、トゥルのお菓子と間違えた、ということにしておいた方が、トキコには良さそうね」

 この言葉は、反則だ。

 ぐっとこらえて、私は自分の作った焼き菓子に手を伸ばす。

 一口食べて、口の中に広がる味が、私を少しだけ、楽にさせた。

 幸せに味があるとすれば、きっとこんな味なんだろうな。

「またやってみるかい? トキコ」

「そうね」

 私はやっと笑えた気がした。

「楽しいから、また、教えて」




(了)

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