episode 1 戦 B-part

 結局、もう一晩、双子のところで厄介になることになった。

 夕飯を済ませて、私はマシェルルトの部屋で、彼女の持ち物の本を読んでいた。少し前に流行った物語だ。マシェルルト自身は作業室でまだ作業している。

 耳鳴りがすると、目の前にマワリの意識体が現れた。

「何か収穫はあったかね、トキコ?」

「特にない。そっちは」

「一つ、わかった」

 私は本を傍に置いた。マワリが話し始める。

「赤い鉱石だけど、あれを欲しがっている機巧士がいる。この街ではない」

 機巧士は、機械工学の専門家の呼称だ。

「それは私もぼんやりと知っているけど、詳細が分かった?」

「どうも通信機に使うらしい」

 通信機、というのものは、多頭龍の出現後、最も技術が後退した分野の一つだ。

 無線でやりとりするわけだが、中継機が不足し、また出力も弱く、遅延も当然だ。

 かつて魔法と呼ばれた技術は、今は三つに大別される。

 法印、封印、術印、である。

 その中でも術印が最も通信に向いているとされ、技術は研究されているようだが、順調とは言い難いという噂もある。

「それで」私は考えを巡らしながら質問。「赤い鉱石はどう作用するの?」

「通信距離を一気延ばせるという可能性がある、と聞いた」

 そうなれば、考えられることは一つだ。

「つまり、どこぞの機巧士があの鉱石の存在を知り、採取し、また採掘への道筋も把握しようとした。結果、私が無事に採取し、道筋も仮にとはいえ、確保された。ここまでくれば答えは簡単、技術を独占したいわけだ」

「そうな……」

 マワリが突然、凍りつき、それから周囲を見るような動作をした。

 直後、意識体が消えてしまった。

 前触れはなかったが、何が起こったか、私は即座に察知した。

 これは、まずい。

 服装を変える暇はない。重い装備も必要ない。

 短剣を手にして、靴だけは履き替えて、店を飛び出した。トゥルボルトが何か言ったようだったけど、聞いている余裕はなかった。

 街頭を全力疾走し、ロープウェイに飛び乗る。第一層へ降りるまでが長く、長く感じた。

 地上に降りると、少しも休まずに私とマワリが暮らす小屋へ走った。

 着いた時にはすでに明かりが必要な時間帯だが、小屋に明かりはない。

 そしてその扉は開かれたままになっていた。

「マワリ!」

 居間に入ると、マワリの姿はない。かすかに生臭い匂い。明かりをつけると、床に血痕が散っている。

 二つしかない小部屋を見たが、マワリの姿はない。

 居間に戻ってきて、細部を確認する。なくなっているものはないようだ。強盗とは違う。そもそも、普通の強盗をマワリが撃退できないわけがない。

 なら、目的はマワリその人なんだ。

 床の血痕を確認し直す。量は多いようには見えない。ここでマワリがいきなり殺された、というわけではない、と考えるのが妥当。しかし負傷したかもしれない。

 まったく、油断して……。

 冷静に考えるために、私は蹴倒されたらしい椅子を起こして、そこに座った。

 その時、椅子の下に紙が一枚、落ちていたのに気づいた。

 視線を走らせると、マワリが意識体で私に伝えた、機巧士の詳細な情報だった。リーンにおけるその拠点も書いてある。

 ただ、その情報のために危ない橋を渡って、今の事態があるわけだ。

 無理をする。いや、無理をさせてしまった。

 私は席を立ち、小屋を出た。

 今になって、汗が噴き出してくる。息は乱れないが、どこか胸が苦しい。

 まずは武器を受け取る必要がある。それから、機巧士の元へ押しかけるべきだ。

 と考えたところで、何か、勘違いしている気配が脳裏をよぎった。

 マワリを連れ去った、というのは、どういう意味があるのか。

 考えてみれば、マワリは赤い鉱石のことをほとんど知らない。つまり、絶対に口封じをする必要が生じるような対象ではない。

 どうしてそのマワリを襲撃する?

 閃きは唐突に浮かんだ。

 陽動?

 私は道を引き返し、小屋の中に駆け戻ると、自分の部屋から前に使っていた予備の剣を掴んだ。だいぶくたびれているが、使えなくはない。

 小屋から駆け出し、全力で双子の店へ戻った。

 第二層の店が見えてくると、その家の前に人だかりができているのがわかった。

 人の壁をどうにか抜けて、輪の内側に入ると、二人の男がトゥルボルトを取り押さえているのが見えた。

 そして、この前の巨漢の鬼が槌を振り回し、双子の店を破壊している最中だった。

「何をしている!」

 私が怒鳴ると、鬼がゆっくりとこちらを見た。

 私が切り落とした手の方には、斧のような刃が接続されていた。

 剣を抜き払った私に、鬼が槌についている鎖を引っ張り、そのまま無造作に槌を振り回す。

 片腕がないので、精度が悪い。願ったり叶ったりだ。

 一撃目は回避、間合いに飛び込み、深く踏み込んでいく。

 今度は斧の一撃。剣で受け流すが、相当な重さ。腕力だけじゃなく、斧そのものに重さがあり、一撃が重くなっている。

 鎖が私に叩きつけられるが、回避。鎖を切り払おうと剣を当てるが、鎖は切れない。

 剣の切れ味が悪いせいか。

 間合いを取る、まさにその時、鬼は引っ張り寄せた槌を手に取ったかと思うと、片手で器用に、強く、こちらへ投げつけてくる。

 剣の意外な切れ味に意識を割かれていた私は足運びが不完全、姿勢の乱れが大きい!

 仕方なく、剣を構えて槌を受け止めた。

 押し切られた体が背後に飛ばされつつ、自らも跳んで、鎖の間合いを出る。背中から地面に転がり、素早く立ち上がる。

 私が剣を構え直す前に、鬼が突進してくる。

 休ませない作戦。

 私は地面を転がった時に受けた、全身に感じるかすかな痛みで、感覚が研ぎ澄まされるのを意識した。

 そして、残酷性が、滲み出る。

 こちらからも間合いを詰める。鎖の先で振り回された槌を今度も避ける。大振りだから見抜くのは容易い。

 頭上で鬼が腕を振り回し、ぐるりと一周した槌が再び私に迫るが、同時に私の剣が翻る。

 槌と鎖の連結部を剣の切っ先が捉えた。

 甲高い音、そして風を切る音を伴って、鎖が切れた槌が吹っ飛ぶ。

 驚き、そして姿勢が乱れた鬼へとさらに踏み込む。

 間合いは剣と斧の領域。

 斧が振られるが、姿勢が不完全で、槌と同じくこちらも大振り。力で負けても、当たらなければ意味がない。

 余裕をもって、回避。そしてもう間合いはない。

 私の剣の切っ先が、鬼の片目を切り裂いた。さらに肩を切る。昨日は鎧に弾かれたが、今度は鎧のつなぎ目に刃を差し込んだ。

 さらに太ももを切り裂き、手首を落とした腕の方の肘も、内側を切った。これにより斧を振ろうとした鬼の動きは力を失う。

 足で地面に食い込んだ斧を抑えつつ、足の傷で立つことができずに片膝をついた鬼に、剣を向ける。

「どこの誰に雇われたか、言ってもらおうか」

 言葉の冷たさに気づかないわけもないだろうが、鬼は黙っている。

「どうした、その程度の痛みで、口がきけないか?」

 私は剣を振る。

 無事な方の脚、その膝を剣で刺し貫く。鬼が苦悶するが、別に構わない。剣を引き抜き、無事な方の眼球の前に切っ先を据えた。

「どうだ? 言えるか? 言えないか?」

 鬼は黙っている。

 その目を私が貫ぬかなかったのは、甲高い音を立てて、鋭く飛んできたものがあったからだ。

 見もせずに剣で弾いた。弾かなければ、私の首に突き刺さっていただろう。

 目の前の鬼のように。

 鬼の体が力を失い、背中から倒れる。首には太い矢があった。

 射手を探すが、見えない。夜のせいで、街灯の明かりしかないからだ。建物の中か、屋上にいるはずだが、判然としない。

 トゥルボルトを拘束していた二人の男は、悲鳴をあげて逃げて行った。

 私は素早くトゥルボルトに駆け寄り、周囲を警戒する。野次馬も矢を見て一気に散っていた。

「保安官が来るまで、ここにいる」

 私が言うと、トゥルボルトが首を振った。

「マシェが連れて行かれた」

 予想できていた。その可能性を考えて、ここへ急いで戻ってきたのだ。

「ごめん、私のせいだ」

「……仕方ない、そういう仕事だ、僕も、トキコも、マシェも」


 保安官が来て、鬼の死体を片付け、とりあえずの取り調べをした。

 保安官の役目は治安維持だが、しかし、形骸化している。マシェの誘拐も話したが、捜査すると言っただけで、実際に捜査力があるかは、疑わしい。

 破壊された建物の、無事な部屋で、私はトゥルボルトと相談した。マワリのことも話した。

 二人の人間が連れ去られたわけだが、果たして二人が同じ場所にいるかはわからない。私はマシェルルトを優先することにした。

 マワリの残したメッセージから、相手の根城はわかっている。いつでも踏み込める。

 ただ、現状を考えると、相手は人質を理由に、何かを強制してくる。それが達成されるまでは、人質は解放しないという想像が妥当。最悪の可能性は、人質がすでに死んでいることだが、私のことを知っているのなら、保険として殺しはしないだろう。

 私の想定する、相手の意図は、一つしかない。

 だから私はトゥルボルトにいくつかの依頼をして、トゥルボルトがそれを始めると、私自身も作業を始めた。紙を用意して、地図を書いていく。これがおそらく、重要になる。

 夜が明ける頃、訪ねてきた男がいた。

「全く、騒動ばかりだな」

 男はそう言いながら、堂々と部屋に入ってきた。

 グルーンだった。

 彼は私に長細い包みを渡してくる。

「早く仕上げたが、仕上がりに遜色はないはずだ」

 包みを解いて、剣を取り出す。鞘から抜いて、刃を確認した。綺麗なものだ。金色の合金が光を放つように見える。

「ありがとう、こっちから取りに行く必要があるかと思っていた」

「なに、噂を聞いてね。それと、貸した剣を折った理由も聞きたい」

 さすがにはっきり返事ができなかった。

 今の状況で、聞くか……?

「お前の剣の冴えは知っているが」グルーンが私の腕を叩く。「力で切るな、技で切れ」

「それができれば、苦労しないよ」

 唇を歪めたグルーンが私の腰を見る。そこには予備の剣がまだ下がっていた。

「そいつも貸せ、手入れしてやる」

 返事をする前にグルーンは奪うように剣を手に取ると、状態を検分し始めた。そしてため息とともに剣を鞘に戻すと、

「馬鹿力め」

 と漏らした。相当、呆れているようだ。

 馬鹿力でもないつもりだけど。

 グルーンは懐から小さな包みをと取り出して、私に押し付けると、「気をつけろよ」とだけ言って、去って行った。

 包みを開けて、中身を見て、まぁ、使わないのも悪いかな、何か使うかもな、と決めて、私はそれも身につける。

 これで装備は揃った。

 トゥルボルトもやってきた。

「準備はできた?」

「一応」

「よし、じゃあ、打ち合わせ通りに」


 私は一人でその場所へ赴いた。時間は早朝だから、人気はない。

 リーンの第一層のはずれ、地下に作られた酒場だった。しかし、見たところ、営業しているようではない。

 階段を降りて、重いドアを開けて、中へ入る。

 薄明かりの中に、十人ほどの人間がいた。誰も彼もが、どこか荒んだ雰囲気を漂わせている。

「ヒッグス、って人は、いるかな」

 私が言うと、男たちが立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。力量を推し量る余裕が私にはある。こいつらはちょっとしたチンピラだ。

「私だ」

 想像通り、奥から声がして、男たちが道を作るように立ち位置を変えた。

 金髪の背広の男が立ち上がり、グラス片手に歩み寄ってくる。

「トキコ・トキ、だね?」

「どうやら私も有名人のようで」

「人気者でもある。お誘いもなくここに来るということは、こちらにも手抜かりがあったのだろう。その程度の頭脳を持ち、場数を踏んでいるわけだ」

 私が彼を見返していると、男、ヒッグスはグラスを干して、それをそっと近くのテーブルに置いた。

「こちらの要求は簡単だ。例の多頭龍の中に一緒に入って、例の鉱石の採掘に協力して欲しい」

 どうやら相手は私の想像より利口ではない。今は気づかぬふりをする一手だ。

「どうしてその程度のことで人をさらったり、殺したりしないといけないのか、疑問だね」

「好きで殺したわけじゃない。あの鬼は雇ったものの、あまりに乱暴で、処理したんだ」

 なるほど、と頷きつつ、私は周りを見た。

「ここにいる連中が、採掘をするの?」

「とりあえずは第一陣だ。彼らがやがて、本隊を指揮して、採掘を主導する」

 私はもう一回、周りの男たちを見た。確かに頭脳は疑わしいが、単純な腕力と、その行使を躊躇わない精神性はありそうだ。しかし見たことのない顔ぶれ。よそから連れてきたんだろう。

「いつ行く?」

 私はすでに装備を整えてある。暗に、すぐ行きたい、と匂わせているのだ。

 案の定、相手は乗ってきた。

「話が早くて助かるよ、トキコ・トキ」

 おめでた奴だ。何も知らずに、彼は続ける。

「いいだろう、今からだ。距離的には、今から準備して、それが終わってから移動すれば夕方には辿りつくだろう」

 私は首を振る。

「保険に入る必要もあると思うけど」

「貴重な意見、と言っておく」

「私はそれまで、どこにいればいい?」

「ゆっくりお茶でも飲もう。私がお相手する」

 思わずもう一回、首を振ってしまった。


 マシェルルトの姿を見ることができたのは、出発寸前で、彼女には三人の男が常に張り付いている。この三人は比較的、高い技量を感じさせた。

 リーンの街を、私、マシェルルト、ヒッグス、ヒッグスの部下の総勢二十三名が出発し、予定通り、多頭龍の死骸には夕方に到達した。休息の間、私はマシェルルトと、監視のもとで話すことができた。

「怪我はない? マシェ」

「ごめん、巻き込んじゃって……」

「いいよ、問題ない」

 それが限界だった。監視が私を引き剥がす。

 休息が終わり、ヒッグスの部下二十人が隊列を形成し、私はその先頭に近い位置に立ち、隊をリードすることになった。

 ヒッグスとマシェルルトは最後尾だ。狭くない距離ができていることになる。

 私たちはそれぞれに多機能ゴーグルをつけて、多頭龍の中へ入った。

 デコボコした地面は、どこかヌルヌルとしている。そこが前と違う。明かりは、ところどころにある発光性の鉱物のぼんやりとしたもののみ。どこから流れてくるのか、片隅を水も流れている。

 もし前よりも激しく内部が変わっていたら、全ての予定が崩れるはずだったが、とりあえずは記憶におおよそは沿っている。

 うまくいきそうだ。

 奥へ進んでいき、一時間ほどで、小休止。雑談が空間に響く。男たちは最初こそ緊張していたようだが、ここまで何の障害もなくきたので、余裕が出来たようだ。

 再び前進を始めて、一時間ほどで目的地に着いた。

 私が前に入った小部屋の入り口は、ちゃんとあった。不気味なのは、前と同じ大きさの穴ということだ。あの穴は一度ふさがり、そこを私が吹っ飛ばしたから、形状は変わっているのが当然だ。

 それが変わっていないというのは、やはり多頭龍の中、ということだろう。

「そこか」

 ヒッグスが隊の前に出てくる。穴からは赤い光が漏れていた。

「これでマシェルルトを解放してくれる?」

 ヒッグスはにやにやと笑っている。

「外に出たら、解放する」

 私は彼を睨みつけたが、どこ吹く風だ。さらに、

「最初に君が入るんだ」

 とまで言ってくる。

 私は心を決めて、もう一回、ヒッグスを強く睨んでから、穴をくぐることにした。

 中に入ると、やはり天井から赤い液体が滴り、地面で無数の粒になっている。

 私の後からヒッグス隊が入ってくる。それぞれに感嘆の声を上げている。それを見ながら、私は密かに穴のそばを確保した。ヒッグス自身も中に入ってくる。マシェルルトもだ。

 計画の範囲に、どうにか、進みそうだ。

 視線を油断なく巡らせて、隊の誰かが鉱石に触れるのを待ち構える。

 そしてついに、一人が石に触れた瞬間、私は口笛を吹いた。

 驚いたヒッグスが、こちらを見たとき、小部屋に何かが放り込まれた。私以外の全員の視線がそれを見る。それは布の袋だった。

 その袋が、視認と同時に爆発し、濃厚な煙が噴き出す。私は即座にヒッグスに飛びかかり、蹴り飛ばしてから、マシェルルトの監視の二人も殴り倒す。

 煙を吸い込んだ隊員が激しく咳をして、呻いている。私はマシェルルトを連れて穴を抜けようとする。が、マシェルルトも激しく咳き込んでいるし、混乱している。

「マシェ! 出るんだ! 早く!」

 私の声と同時に、ヒッグスの怒声が響き、剣が鞘走る音。私は煙から飛び出してくる刃を、剣で弾きかえす。

 が、それはヒッグスの剣ではなかった。

 誰かが横から体当たりしてきて、私はよろめく。それこそがヒッグスで、彼は剣を抜かずに、煙が流れ出ていく穴の方へ逃げようとしている。

 しかも運が悪いことに、マシェルルトに気づいた。彼が彼女の手を掴み、穴を抜けた。

 私もすぐに後を追う。

 煙が晴れた。

「動くな! トキコ!」

 やっと剣を抜いたヒッグスが、マシェルルトの首筋に刃を当てる。力み過ぎていて、手が震え、刃が浅く皮膚を切っている。

「罠にはめたな! お前たち! 出て……」

 ヒッグスの声が止まったのは、床が激しく揺れたからで、その時には煙が漏れてきていた穴がどんどん小さくなっていく。鉱石に触れたことで、私の時と同じく、また罠が作動したのだ。

「な、な……」

 声が出ないヒッグスの目の前で穴が閉じると、壁の向こうからかすかに複数の悲鳴が聞こえてくるが、しかし、どうすることもできない。

 そして、前と同じく、地面から人形が次々と現れる。

 私はヒッグスに迫るしかない。マシェルルトを奪わなければ。

 しかしそこに至るまでに、人形を切る必要がある。

「う、うわっ!」

 ヒッグスが自分に向かってくる人形に剣を振るが、弾かれるのみ。人形が鋭い爪の生えた手を振り上げる。

 その瞬間、ヒッグスは、マシェルルトを盾にした。

「マシェ!」

 私の声と同時に、血が飛び散る。

 爪は、マシェルルトの胸に突き刺さっている。その腕は即座に、私が切断していた。

 ヒッグスが尻餅をつき、でたらめに走り出すが、人形たちの一部もそちらを追っていく。彼がどうなろうと、私には関係ない。

 関係ないが、なにもせずに済ます気もない。

 グルーンが渡してくれた、マシェルルトが作った白い金属でできたナイフを引き抜き、投げる。

 ナイフはヒッグスの足に突き刺さった。無様な悲鳴をあげ、しかし這うようにして逃げていくヒッグス。

 もう今度こそ、関わっている暇はない。

 倒れたマシェルルトを守る私は、慣れぬ様子で剣を振ってこちらへ近づいてくるトゥルボルトを見つけた。

「トゥル! マシェをお願い!」

 私はマシェルルトを抱えて、トゥルボルトと合流する。すぐに眷属を端から切って捨てる。

「移動できるように応急処置して! いつまでもここにはいられない!」

 トゥルボルトが黙ったまま、治療を開始する。

 私はとにかく、際限なく現れる眷属を切った。三十体は切り捨てたところで、攻撃はとりあえず無くなった。

 しかし、不気味だ。

 こういう時は、何か起こると決まっている。

「トキコ」トゥルボルトが低い声で言う。「どうにか処置したけど、危ない。早く運び出したいけど、できる?」

「行こう、行くしかない」

「それが良い」

 突然の声は、やはり突然に現れた光からだった。

 マワリの声だ。

「双子は私が先導する」

 私が再び現れ始めた眷属を切り倒しているうちに、光が人間の姿になり、そのマワリが触れる端から、周囲の眷属が吹き飛ばされていく。

 意識体による、術印の攻撃。

 私は少し冷静になれた。

 あとは逃げるだけだ。

「お願い、マワリ。急ごう」


 人形は繰り返し現れたが、切り倒し、蹴り倒し、弾き飛ばし、私とトゥルボルトはマワリの先導で、出口へ進んだ。私はしんがりを守る。

 出口も近い、というまさにその時、地面が小刻みに揺れ始め、背後から何かが激しく擦れる音が響いた。

 私もトゥルボルトも、立ち止まっていた。

 地面の振動は通路の変形ではない、根本から足場が揺れている。

 振動、そして音の発生源は、背後だ。

 そして振り向いた私たちの前に、それが現れる。

 巨大な蛇のようだが、鱗が発達し、それが周囲を削り取っている。

 激しい粉塵と共に突進してきたその頭部から生えた一本のツノを、私はとっさに抱えるようにして、受け止めた。ブーツの底が即座に削れ、踏み抜き防止の金属のプレートが露出して、火花が散る。

 勢いが止まらない!

「龍……」

 トゥルボルトが呆然としているのを背後で確認して、判断は一瞬。

 私は龍のツノを片腕で抱えたまま、片手で剣を地面に突き刺す。

 甲高い音と激しい火花。剣を持つ手には激痛が走った。

 でも、剣を手放すわけにはいかない!

 ギリギリで、勢いをどうにか止めた。トゥルボルトはマシェルルトを庇うように、屈みこんでいるが、無事だ。

 私の横にいつの間にかマワリの意識体がいる。どうやら手伝ってくれたらしい。

「トゥルボルト! 行きなさい!」

 私の怒声で、彼は気を取り直した。少しのためらいの気配の後、妹を抱えて駆け出した。

「マワリ! 二人を援護して!」

 意識体がこちらを伺うが、すぐに決断したようだった。

「死ぬんじゃないよ!」

 ビリビリと響くほどの声を発してマワリの意識体が、トゥルボルトを追った。

 十分に双子が離れてから、ツノを解放し、間合いを取る。あまりに龍が大きく、上下左右、逃げ場がない。

 剣を見ると、大きく歪み、もう剣としては役に立たない。

 攻撃手段のない私を、龍の咆哮が震わせる。

 龍が開いた口の奥に複雑な文様が連続して発光した。

 魔法による攻撃だ。

 原理自体は人間の術印と同じものだが、規模が違う。

 ひとつひとつが人間を焼き払える強さの術印が無数に連鎖し、その莫大な力が高度な術式で収束される。

 もはや人間に防げる威力ではない。

 人間には。

 私は剣を構えて、呟く。

「封印式六号、限定解放」

 背中に熱が発生し、袖と同じように服が解けていく。ケープを押しのけて、それが現れる。

 その瞬間に、龍が術印を解き放った。

 炎が空間を吹き抜けた。

 白い光そのものに見える、激しい熱線。

 生物に耐えられる熱波ではない。

 しかしその中に、私は立っている。

 翼のようなものが私を包んで、炎を防いでいた。

 それでも防ぎきれない熱で、私の肌が焦がされ、痛む。

 熱線が弱まり、私をまるっと包んでいた翼が広がり、やっと私は息を吐く。

 周囲の熱が、私を炙った。

 周囲は通路がかげろうに歪み、背後には龍の一撃が貫通した穴が空いている。一瞬、外が見えたが、壁が即座に修復される。多頭龍は死骸でもこの回復力を持つ。

 その多頭龍には遠く及ばないとはいえ、私の前には、龍がいる。

 だけど、恐れはない。

 龍が怒りのためか、前進を再開。体当たりで私を轢き殺そうとする意図。

 私の背中の翼が、変形する。

 伸長し、解ける。

 二対四本の腕、五指を備えた四つの手となり、大きく広がった。

 龍の体当たりを、まず二つの手が掴み止め、もう二つが壁に食い込んで、龍の動きを完全に拘束。掴み止めた手が口を開くことさえ防いでいる。

「封印式二号、限定解放」

 さらに呟いた私の声の直後、右腕の刺青が発光、やはり熱を伴い、腕が巨大に膨れ上がる。

 羽毛に覆われたその腕の先、手には、私の剣があった。

 羽毛がざわめき、小さな破裂音が連続する。小さな閃光が瞬き、それが雷光へと発展した。

 激しい光の瞬きを、私は直感的にコントロールする。

 剣が龍に向けられ、雷撃へとエネルギーが収斂される。

 力を受けて剣は発光を始め、軋みながら形状が復元していくのが見えた。

 私に逃げ場がなかったように、龍にも逃げ場はない。

 私は剣を前に突き出した。

 解き放たれた力は、水平に走る落雷となり、寸前に解放された龍に衝突、巨大な口から炎が言い訳程度に漏れたが、それさえも消し飛ぶ。

 龍の体を雷撃が貫通、焼き払い、爆風が吹き荒れる。

 激しい騒音が、一瞬の炸裂の後、静まった。

 不思議なほどの静けさ。

 私は自分を守っていた腕であり翼である器官を解き、状況を確認する。

 龍はそこに屍となって転がっている。焼け焦げた肉の臭いが周囲に満ちていた。

 壁にも雷撃が貫通した穴があったが、それはやはりすぐに塞がる。

 しかし死してもなお体が維持される多頭龍と違い、龍は完全に死に、回復する気配はない。

 私の羽毛に覆われた右手の先では、剣が柄を残して消し飛んでいた。

 息を吐いて、封印式を起動させる。

 集中を高めると、背筋と右腕が震え、人間のそれではない部分が収縮するのが感じ取れた。

 やがて背中と腕が元に戻り、刺青が疼くような気配が残るが、それもすぐに消えた。

 これで、おそらく大丈夫だ、もう何も追いかけてはこない。

 そうであって欲しい、という願望が半分だけど。

 私は熱を持っている剣の柄を鞘に戻し、もう一回、息を吐いて、素早く出口へ走った。


 修理の始まった双子の家の、マシェルルトの部屋で、私は椅子に座っていた。

 ベッドで眠っているマシェルルトは、穏やかな顔だ。

 二時間ほど前、少しだけ意識を取り戻したけど、話はできていない。でも傷は治るし、すぐに元気になる、というのがトゥルボルトの見解だった。珍しく実体でここにきたマワリもそう診断した。

 そのマワリの意識体が、部屋に現れる。

「自分はあっさり逃げているんだから、呆れるよ」

 私が言うと、マワリが笑った。

「この私が、あの程度の小僧っ子に自由にされるものかね。腐っても鯛、という言葉もあるね」

 聞いたこともない。

 もう、私からは、言葉もない。

「それで」マワリが問いかけてくる。「あの若造のことはどうする?」

「ヒッグスのこと? たぶん死んだけど、仲間の連中は全滅だし、もう知っている人もいないでしょう。彼らこそが、採掘士の常である、知らぬ間に消えた存在、になったわけだね」

「でも、あの鉱石は存在するんだろう? いつかは、また同じ揉め事が起こるんじゃないかね? どうだい?」

「あの鉱石は、ほとんど持ち出せない。あの罠が攻略されない限りは。龍もあるいは、まだいるかもしれない」

 マワリが頷きながら、唸るような声を出した。

「道筋は変わらないようだね。双子の兄が待ち伏せできたということは」

 そう、あの鉱石のあった小部屋に煙幕を放り込んだのは、事前に待機していたトゥルボルトがやったのだ。本当はあの小部屋からマシェルルトだけを出して、ヒッグスとその仲間は小部屋に閉じ込めるつもりだった。

 うまくいかなかったから、それは謝るしかない。トゥルボルトにも、マシェルルトにも。

 トゥルボルトはそれほど気にしていないようだった。しかし、心の内はわからない。実の妹が、重大な危機に見舞われたわけだし。彼にも迷惑をかけた。

 これから何らかの形で償うしかない。

「それにしても、トキコよ」

 私の周りを漂いながら、マワリが言う。

「その体のことを、どう考えている? お前の体のことは、私も詳細には知らん。しかし、奇跡と言ってもいいだろう」

 私は黙っている。

 無数の、封印式の刺青によって彩られた体。

 十二の能力が封じ込まれた、芸術。

「奇跡なんて」

 私はそっとマシェルルトの額を撫でる。

「大して意味はないね」

 今度はマワリが黙った。

「奇跡なんて、起きないものよ」

 そう私が言った時、マシェルルトの瞼が少し震えた。

 覗き込むと、少しずつ瞼が開いた。

「マシェ?」

 マシェルルトは、一度、瞼を閉じ、開き、こちらを見た。

「ありがとう、トキコ」

 そっと頬を撫でていた。すると、マシェルルトも手を伸ばし、私の手に触れた。

 その手は、柔らかく、ほのかに暖かい。

 生きている。

 この命を、危うく、なくすところだった。

「マシェ、ごめんね」

 無意識の私のつぶやきが、部屋の静けさを際立たせるようだ。

「……良いの」

 静けさの中に、穏やかに流れたマシェの言葉に、返す言葉が思いつかない私に、彼女が微笑んだ。

「良いの」

 そう言って彼女は、手の力を抜いて、瞼を閉じた。

 その目尻から、雫が一筋、落ちた。

「トキコよ」

 マワリがどこか柔らかい声で言う。

「奇跡にも、意味があるものだな」

 私はやはり黙って、静かにマシェルルトを見ていた。



(了)

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