episode 1 戦 A-part

 ある時、多頭龍と呼ばれる存在が地上に現れた。

 地上を席巻し、栄華を極めていた人間の文明を蹂躙した。

 しかし最後には龍は人間によって倒され、人間は生き残った。

 ほとんど全ての文明の基礎を犠牲にして。

 ただ、それもまた遠い昔のことである。


 私は多機能ゴーグルを指先で操作し、周囲を確認する。

 ゴーグルなしでは薄暗く見えるだけの地面、壁、床は、ゴツゴツとした陰影から、はっきりとした輪郭をわずかに強くする。狭苦しい、洞窟のような空間。

 空気はひんやりとしている。音はしない。自分の呼吸音がかすかに反響していた。

 防塵、防炎、耐熱の高性能ケープの内側で、腰の剣の柄に手を置きつつ、じりじりと先へ進んで行く。

 警戒する必要がない場面でも、油断できない。ここはそういう場所だ。

 洞窟のような通路を照らす、唯一にして心許ない明かりは目指す先、壁に空いた狭い穴の向こうから漏れている。赤みがかった光だ。

 周囲の気配に注意しながら、私は身を屈めて穴の向こうへ通り抜けた。

「へぇ」

 思わず声が漏れる。

 これはなかなか……。

 部屋の中は明るすぎて、すでにゴーグルの暗視補正は自動でオフになっていた。そのゴーグルを邪魔なので、額に押し上げ、小部屋を肉眼で確認する。

 鍾乳洞のように見えるが、天井から垂れているのは赤い液体で、地面にはその液体がどういうわけか、無数の粒になって転がっている。少しの窪みに溜まった粒が、時折、こぼれていく。

 液体も粒も、光を放っているので、普通の鉱石とは違う。

 ビンゴ! と叫びたいところだけど、一人だし、まぁ、それほど舞い上がってもいない。

 私の仕事はこういった希少な鉱物を探し、手に入れることだ。

 人は、採掘士、などと呼ぶ。

 地面の粒を一掴み、手に取る。重いかと思ったが、軽い。中空のように思える、実際はどうだろう。

 掌の上でそれを転がし、頭の中では中空かどうかは脇に置いて、どれくらい持って帰るべきか、考えていた。それが第一である。

 ここまでの道順が分かった以上、私のような単独行動の採掘士の仕事はほとんど終わった。あとはどこかの大部隊がやってきて、取れる限りの資源を持っていくだろう。

 私の残りの仕事は、サンプルの採取と、情報を持ち帰ること。

 と、背後で何かがざわめいたと思った時には、私は反射的に手の中の鉱物を落としながら剣を抜いて振り向いていた。

 軽い音を立てて、床を粒が転がる。

 視線の先、背後では、私が入ってきた穴が、歪んでいた。

 いや、歪んだんじゃない、縮んでいる!

 駆け出してももうすり抜けられない。見る間に穴が消えた。

 罠が発動したのは明らか。油断した自分が恨めしい。

 もちろん、閉じ込める程度の罠なわけがない。

 地面が波打ち、バランスを取るために身を屈める私の眼の前で、地面から何かが生えてきた。

 それは手で、腕、肩、と続き、頭が現れ、その時には胸から腰が地面から伸びている。

 茶色い人形はあっという間に十体ほど現れた。顔に当たる位置には、赤い結晶体が光っていた。知性の気配はないが、敵意は強烈だ。

 彼らは、眷属、などと呼ばれる。かつて人間を根本から破綻させた、龍たちの兵隊。

 つまり、龍の眷属である。

 私は剣を構え、即座に打って出た。時間を無駄にはできない。

 何せ、ここは敵意が充満していて、それがもう殺意と言ってもいい強さだ。

 私の黄金色の特殊合金製の剣は、眷属の一体を切って捨てる。飛んだ首が地面を転がる。頭部の赤い結晶が明滅し、やがて暗い色に落ち着いた。

 眷属たちも何もしないわけではない、当然、私に殺到してくる。

 力押し、ひたすら押しまくる、無理くりな攻撃だ。

 でも、舐めてもらっちゃ困る。

 そんな奴らに負ける私ではない。

 翻る刃の軌跡が高速で空間を制圧し、瞬く間に眷属を解体していく。

 最後の一体が倒れて、私は油断なく安全を確認し、息を吐く。

 入ってきた穴のあったところを見るが、もちろん、穴がないし、要は閉じ込められたということだ。

 それでも、この程度の危機はどうとでもなる。

 穴が埋まったあたりの壁を叩いてみる。感覚的に、それほど厚い壁ではない。

 さっさと逃げよう。

 と思った時、またも地面が揺れる。

 また眷属か?

 うんざりしている私の耳に飛び込んできたのは、予想外の音だった。

 巨大な何かが擦れ合う音。どこか聞こえる?

 音はこの部屋の奥から。

 振り返ると、低い岩が砕ける音を伴って、部屋の奥の壁にできた穴から赤い液体が吹き出し、それがすぐに粒状の鉱石に変わる。勢いがどんどん増していくのは明白で、つまり、一気にこちらへ押し寄せてくる!

 決断は一瞬。

 私は左腕を前に突き出す。

「封印式四号、限定解放」

 左腕に刻まれた刺青が光を放ち、膨れ上がる。特別製の服の袖が自然と解ける。

 その袖を押しのけて、異形の腕が出現する。

 うろこに覆われ、巨大な鉤爪を備えた力強い指。人間を一掴みにできるほどの、私の体とは不釣合いな巨大さだ。

 その左腕を振り回して、壁に叩きつける。

 轟音とともに壁に大穴が開く。反動を制御するのにちょっと苦労したけど、私は悠々と、素早く穴を抜けた。

 もしかしたら穴が塞がってくれるかも、と思ったが、そんな親切な展開はなく、私を追いかけるように赤い鉱石の粒が波濤となって私を追ってくる。

 こうなっては逃げるが勝ちだ。

 ただ、相手は本気でこちらを潰すつもりだとすぐわかった。背後からの石に加え、その上、多機能ゴーグルを右手で目元に戻した私の視界で、道の前方がどんどん狭まる!

 赤い鉱石で溺れさせるか、あるいはすり潰す、もしくは通路を潰してそのままペタンコにする意図にうんざりしつつ、私は必死で走った。

 ここで死ぬわけにはいかない。

 というか、どこで死ぬわけにもいかない。

 激しい音に急き立てられ、激しく揺れる地面と不明瞭な視界に構わず、全力疾走した。


 外に出た時の安堵も大きかったけど、私の移動手段である二足歩行の獣、キウがちゃんと繋がれているのを見た瞬間の安堵感は言葉にならない。

 ゴーグルを外すと、月の明かりだけが地上に落ちていて、静けさが迫ってくるようだった。

 すでに私の左手は普通の人間の手になっている。右手には剣を提げていた。

 通路の閉鎖と赤い鉱石の激流を逃れた後、外に出る寸前まで、眷属の追撃を受け、切り捨ててきたのだ。肝が冷える時間だった。

 月明かりに剣を掲げると、刀身にはびっしりと細かな模様が刻まれているのが陰影で明確になる。

 そして明かりの下で見れば、その刃には刃こぼれが多く、かなり傷んでいるのがわかった。修理に出すしかないな。

 剣を鞘に収め、やっと背後を振り返ることができた。

 自分が必死で脱出した、その存在がそびえている。

 そこにあるのは巨大な死骸だ。小山ほどもあるそれこそが、龍の中でも最も強力とされた、多頭龍の一体だった。もちろん、世界にはこの一体だけではない、数え切れないほどの多頭龍が存在する。

 死骸か、あるいは封印された状態で。

 採掘士とはつまり、多頭龍の死骸の内部に入り、そこにのみ存在する希少鉱物を手に入れる仕事なのだ。

 もちろん、危険がないわけではない、というか、危険しかない。まともな職業ではない。

 ただ、実入りは良いし、何よりも、人間社会の進歩や発展の最前線の一角である。

 私は多頭龍から視線を外し、キウを適当な岩につないでいた鎖を外し、首筋を撫でてやる。キウが甘えるような声を出した。

 キウに乗り、手綱を引いて走らせる。

 人間の文明は、多頭龍を中心に展開されている。この多頭龍はまだ調査が完全ではない、珍しい死骸で、町などからはやや離れている。私も来たのは初めてだ。

 調査が完全ではない理由は、私にはよくわかった。あの罠が生きている間は、どんな採掘士も苦労するだろう。

 キウは夜の荒野を走っていく。

 私は食事を取っていないことに気づき、ポーチを探った。

 その時、そこに一粒、あの赤い鉱石の粒が引っかかっているのに気づいた。

 指でつまんで、月に透かして見ると、なかなか美しい。

 この鉱石を手に入れる、あるいはそこまでの道順を把握するのが今回の依頼だった。正直、道順の方は、心もとない。あの自在に変化する内部を考えれば、あてになるとも思えない。

 しかし、この鉱石があれば、仕事の半分は達成できる。

 ちょっとウキウキしながら、ポーチから携行食料を取り出し、私はかじった。

 早く帰ろう。


 私が拠点とする街は、リーン、と呼ばれている。

 町の中心にあるのは巨大な多頭龍で、これは死んでいないらしい。

 大昔に魔法使いがその力によって封印し、そのまま凍りついているという。

 もちろん、その体内は完全に人間に征服され、今でもたまに新種の鉱物などが発見されるが、とりあえずは安全である。

 身を起こしたまま凍りついている多頭龍を軸に、全四層の地盤が構築されている。工学、魔法学などの産物で、崩壊することはないという触れ込みだ。

 私の家は地上、第一層にあり、町のはずれである。同居している老婆、マワリに帰宅を告げようとしたが、留守だった。足腰がだいぶ弱っているが、よく出歩く老婆である。

 仕事の報告をするために、私はキウに乗ったまま町の中心へ進み、ロープウェイで第二層へ移動する。

 各層の間は、ロープウェイか、さもなければ多頭竜の周囲に巡らされている、長い長い階段を使うしか、移動手段がない。

 第二層に懇意にしている錬金士の店がある。小さな店で、看板には「バファの店」としか書いていない。

 ドアを開けて中に入ると、涼しい鈴の音が鳴った。

「いらっしゃいませ、って、トキコか」

 狭いスペースにカウンターがあり、椅子が数脚。他は商品のちょっとした見本などがある。

 声をかけてきたのはカウンターの向こうにいた、若い男だ。

 経営者の一人、トゥルボルトだ。

「今、帰ってきたということは、ほぼ事前の予定通りだね。うまくいった?」

 私が椅子に座ると、トゥルボルトがカウンターの向こうにあるポットからコーヒーを注いでくれた。

「うまくいったといえば、うまくいったかな」

 カップを手に取り、茶色い水面に息を吹きかける。

「トキコ、腕を出しなさい」

 突然のトゥルボルトの声に、私は思わず苦笑いした。そしてケープから右腕を出して、彼に見せた。

「そっちじゃない」

 やっぱりお見通しか。

 私は右腕を引っ込め、左腕を出した。彼がそっと袖を解く。

 すると刺青でいっぱいの私の前腕が現れた。初めて見る人はぎょっとするが、トゥルボルとは慣れているので、少しも動揺しなかった。

 左上の肘が紫色になっているのがわかった。内出血なのははっきりしている。

「これくらい」思わず私は拗ねたように言っていた。「すぐに治るよ」

 実際、すぐに治るのだ。

 全身に施された刺青、それも特殊な刺青の恩恵がある。

 しかし、治るのを知っていても、トゥルボルトが承知するわけもない。律儀な性格なのだ。

「知っているよ。でも治療は必要だよ」

 やっぱり。

 カウンターの向こうから筒のようなものを取り出すと、そこに数種類の液体のカプセルを入れるトゥルボルト。筒のボタンを押してからそれを振り、私の右肘にあてがった。

 もう一度、ボタンを押し込むと、かすかな痛みの後、筒が触れていた肘にひんやりとした感覚がある。それから塗り薬を丁寧に塗り込んでくれた。

「これで一日は安静にしていれば完璧」

「ありがとう」

 袖を戻す私に、トゥルボルトが呆れたように言う。

「トキコの剣の腕はよく知っているし、その体のことも知っているけど、それでも無理のしすぎだよ。体が壊れるかもしれない」

「私の体が壊れるほどの相手に会いたいものだね」

 肩をすくめる私に、トゥルボルトは苦笑いだ。

 そんなタイミングで、カウンターの奥の扉が開いて、女性が顔を覗かせる。トゥルボルトとは性別が違うはずなのに、風貌には通じるものがある。

「帰ってきたよ」

 軽く手を挙げると、女性は頷いて奥から出てきた。汚れきった作業着を着ていて、この部屋の雰囲気にはややそぐわない。

 彼女はマシェルルト、トゥルボルトの双子の妹だ。

「薬の匂いがするけど、怪我したの?」

 作業着で手をぬぐいながら、マシェルルトがトゥルボルトの横に並ぶ。彼は妹の分のコーヒーを用意している。

「いつもと同じだよ、心配ない」

 ふぅん、と私を見る視線には、どこか鋭さがあるが、まぁ、心配の表れの一種だろう。

 私たちはそれぞれにコーヒーを一口だけ飲み、そこで意を決したように、マシェルルトは身を乗り出す。

「依頼のものは、どんな具合だった? 手に入った?」

 私は意識して、マシェルルトを睨む。できるだけ強く。

「かなり苦労した。苦労という言葉の真髄に触れた、という感じ」

 深刻さを含んだ私の声音に、とマシェルルトは苦笑い。やはり顔も仕草も、兄に似ている。

「それだけトキコを信頼しているんだけどね。それでそれで、結果は?」

「信頼されているのは嬉しい。しかし、危ない橋を渡るのは嬉しくない」

 あからさまな皮肉である。

 聞いておくべきことを確認しよう。

「マシェ、どこであの多頭龍の情報を受け取ったの? あそこは探索が不十分だって噂は知っていたし、私も事前に情報を調べてから行ったわけだけど、想像以上だった。孫請けとはいえ、あまりに情報が少なかったと思う。何か聞いていた?」

「そんなに、危なかったの?」

 さすがにマシェルルトも実際のところがわかったらしい。私は重々しく頷いて見せる。

「死ぬかと思った」

「本当?」

「本当」

 事態の深刻さに、彼女は不安でいっぱいの顔になった。

 まぁ、意地悪もこれくらいでいいだろう。

 顔を伏せる彼女の前に、私はポンと例の赤い鉱石の粒を放った。はっと顔を上げるマシェルルトに、はっきりと言う。

「それが唯一の収穫。鉱脈らしいところへの道順は、とりあえずは把握しているけど、完璧かどうかは、一回じゃわからない。中はまだ十分に生きているよ。さて、報酬だけど」

 マシェルルトは私の言葉を聞きながら、赤い粒をじっと見つめ、手に取り、撫でていた。

 ここからが私にとって重要なことだ。報酬をもらわないと。

 それも労力に見合った。

「報酬」

 催促を受けて、マシェルルトは、やっと私を見た。その顔は今は喜びに塗り変わっている。はっきりしているなぁ。

「前金で千アース、渡したよね。任務成功で、残りの千アースを渡す。必要経費は?」

「まだはっきりしないけど」私は腰の剣を抜いてみせる。「これの修理代は欲しい」

 剣をじっと見たマシェルルトの目は真剣そのものだ。

 強気の視線を私に移動させた彼女は、何度か頷く。

「修理代は出す。それと消耗品の分も出す」

 そこで、それと、と黙っていたトゥルボルトが口を挟んだ。

「それと、怪我をした分の治療と補償も払う。そして、こちらの情報収集と情報提供の不手際の分も補填する」

 双子が視線を交わすが、すぐに妹が折れた。ため息の後、彼女はカウンターの下から、金庫が開く音の後、分厚い札束を取り出した。

「じゃ、後払いの分と、経費、お詫びで、二千アース」

 ふむ。一アースで清水のボトルが一本買えることを考えると、相当な額だ。

 これで今回の仕事は、悪い仕事、から、悪くない仕事になった。

 私は剣を鞘に戻す。そこへマシェルルトが突然に気づいたように、

「ちょっと待って!」

 と言うと、奥の部屋へ小走りに入っていった。しばらくして、布に包まれた何かを持ってくる。

「これが新製品」

 カウンターの上で彼女の手で包みが解かれると、そこには真っ白い石のようなものがあった。

 ちょっと警戒しつつ手で触れてみると、石ではないとわかった。

 金属だ。もちろん、見たことがない。

 この双子は、兄は医療品や薬物に通じた医療士、妹は金属錬成に通じた錬金士なのだ。

「どう? 気に入った?」

 気にいるも何も、と思いつつ、その金属の塊を撫で回し、持ち上げ、確認する。

「軽いね」

 羽のように軽い、というと言い過ぎだけど、軽いのは確かだ。

 私が言うと、マシェルルトが頷く。

「武器よりは防具向きかもね。職人の腕次第だけど」

「防具は間に合っているよ、この通り」

 私は自分が装着している軽鎧を軽く叩く。それを見て、マシェルルトは唇を尖らせた。

「じゃ、他に売る」

「待ってよ。いくら? 値段次第ってことにする」

 乗せられているなぁ、と思いつつ、聞いていた。得意げに胸を反らせて、

「千アース」

 と、返事が来た。おいおい、それはまた、高額だな。

 私は自分のものになったばかりの札束を手に取り、素早く数えた。束から五百アース分の紙幣を抜き出した。

「半分だけ買うよ」

 にんまり、と笑う妹を、兄が小突く。私もその光景に、少し気が楽になった。

 日常に戻ったな、という感慨のようなものが湧いたようだ。今に至るまで、知らずに気を張っていたらしい。

 マシェルルトは金属の塊を持って、「すぐに切り分けるね」と言って奥へ行ってしまった。

「悪いね、トキコ」

 トゥルボルトの謝罪に、私は首を振る。

「まぁ、トゥルとマシェには世話になっているから、サービス」

「これはそのお礼だ」

 そう言ってトゥルボルトがカウンターに焼き菓子を出してくれた。食べてみると、なかなか美味い。トゥルボルトの手作りだろう。

「興味本位で聞くけど」

 私はマシェが戻ってこないのを確認して言う。

「どこからの依頼だったの? あの赤い鉱物にはどんな意味がある?」

「よく知らないんだよ」

 途端に、どこか疲れたように、トゥルボルトが答えた。

「マシェが仕事を受けてきた。僕はどうにも、鉱物とか、機械工学には詳しくない」

 機械工学?

「ちょっと探っておいて。気になるから」

「わかった」

 ちょうどマシェが帰ってきた。小さくなった包みがカウンターに乗せられる。


 私は双子の店から、第三層にある鍛冶屋へ向かった。こちらも長い付き合いの店だ。

 第三層のはずれにある工房で、庭からは遠くまで見通せて景色がいい。

 ここに来ると、地盤が本当の地面ではないのが、はっきりと意識される。

 ボロボロの小屋が目的地の工房で、建て直せばいいのに、といつも思うが、主人にはその気がないようだ。おそらく、師でもある前の主人のことを考えているのだと思う。

 建てつけが悪くてこちらを拒絶するような戸を無理やり開けて中に入ると、小屋の主がこちらを肩越しに見た。

「やあ、グルーン、元気?」

 私が中に入っていくと、そこにいるがっちりした体格の、しかし背の低い男は無言で作業に戻った。何かの刃物を研いでいる。

 彼の頭には小さなツノがあった。

 亜人と呼ばれる存在の一員である、鬼と呼ばれる種族なのだ。

 年齢はしらないけど、鬼の老化は人間と大差ない速度で進むはずだから、三十代後半から四十代くらいだろう。

 この若さの職人では、私が知る限り、最高に近い腕利きの鍛冶師である。

「いつ帰ってきた」ぶっきらぼうに、グルーンは背中を向けたまま言う。「剣はどうだった?」

「剣は抜群の切れ味だった」

 私の言葉に手を止めて彼が立ち上がり、こちらへずんずん歩いてくる。

 そして目の前に立つと、

「見せな」

 手を突き出してくる。

 この先の展開、わからないわけがない。

 やや気が引けたが、もともと、見せるためにここに来たのだ。躊躇っても仕方ない。

 私は腰の剣を鞘ごと、彼に渡した。彼は慣れた手つきで鞘を払うと、刃を眺める。

「ふん。無理をしたな」

「相手が硬かっただけだよ」

 やっぱり私は言い訳をしてしまう。即座に反省して、補足の言葉を続けた。

「それにちゃんと切れた」

「相手は眷属だな? 俺の知らない奴だろうな、この具合だと」

 グルーンは鞘に剣を戻した。視線をちらっと工房の奥へ向ける。

「二日で直してやる」

「え? それだけで直る?」

「強度その他の封印は破損していない。すぐできるし、最近になって発見された封印も施してやる」

「じゃあ、お願いする」

 グルーンが壁際へ向かう。その壁には幾種類もの刀剣がかかっていて、ほとんどが彼の作品だ。しかし数振りは彼の師匠のもので、グルーンの作品とは趣がどこか異なる。

 壁にあった一本を手に取ると、それがこちらへ投げ渡された。受け取って、鞘から出すと、銀色の刀身の剣だった。複雑な文様が刻まれている。

 この文様が封印式と呼ばれるもので、剣の強度、硬度を高める機能がある。元は魔法と呼ばれた技術の一端だ。

 剣を鞘に戻した私に、グルーンが皮肉げに言う。

「それを代用で貸すが、派手には壊すなよ」

「うん、わかった。それと、これはついでだけど」

 私は持っていた包みを差し出す。作業に戻ろうとしていたグルーンが、戻ってくる。包みを受け取り、作業台の上で中を確認した。そして手に持ち、撫でている。

 さっきの私とそっくりの動きで、どこかおかしい。

「これは例の双子の妹のものか?」

 興味深そうな彼の声に、私は真剣な声で応じる。

「そう。それ、何に向いていると思う?」

「どうだろうな、考えておく。預かっていいんだな?」

 頷いた私に、グルーンは今度こそ背を向ける。先ほど研いでいた刃物の作業へ戻る。私はしばらく、その様子を見ていた。

「腕は大丈夫か?」

 突然に、グルーンがそう言ったので、驚いた。誰も彼も、よくわかるなぁ。

「剣の破損でわかったの?」

「あの剣があそこまで壊れるなら、腕も壊れる」

 なるほどね。

「雑魚だけど、数が多くて」

「そこまでして手に入れたものが気になるが、俺には専門外だろう」

「私もよく知らないの。新種の鉱物だと思うけど」

「我々の知らないものが、まだ数多いな。そのおかげで、お前は生活できる」

 さすがに私も苦笑いした。

「別にどうしても採掘士で生活する必要はないね」

 どうかな、という言葉が気配に滲んでいたが、グルーンはそれ以上、何も言わなかった。

「何か言ってよ」

「余計なことだから、言わん。余計なことを口にして、すまん」

「はいはい。こちらこそ、腕を心配させて、悪いね」

 グルーンは手を止めない。小屋の中に刃と砥石が擦れる音が響く。

 邪魔しているかな。帰るか。

「じゃあ、明後日にでも取りに来るよ」

「昼までに用意しておく」

「別に急ぎじゃないよ。他の仕事もあるでしょう。寝ている暇、ある?」

「それは俺の自由」

 その通り、と私はバンザイしてから、借りた剣を軽く持ち上げる。

「これは借りておく」

「また明後日、会おう」

 私はグルーンの工房を出た。


 後をつけられている、と感じたのは、グルーンの家を出てすぐだった。

 即座に経路を考え出し、ぐるぐると遠回りを始める。

 リーンの全四層は、最新の増築は別にして、細部まで把握しているのだった。

 これもまた危機管理の一つの手法だ。

 複雑な経路を進むうちにまずは一人、はっきりと尾行者を確認できた。若い男だ。職業は採掘士に見えるが、実際はどうか。

 もう少し進むと、もう二人、それらしい男と女がわかった。ロープウェイに乗ったあたりで撒くようにしようか。

 と、思っていた時には、手遅れだった。

 路地から通りへ出ようとした私の前を二人の男が塞ぐ。

 背後にいる三人はどうしただろう。ちらりと一瞬だけ視線を送って確認したが、まだ姿は見えない。ただ気配だけだが、近づいてくるようだ。

 前にいる二人が、同時に剣を抜く。二人とも顔の半分を隠している。手に持っている剣は、特徴がない。

「どちら様?」

 私が聞いても返事はなかった。それもそうか。

 二人が一気に間合いを詰めてくる。素早いし、連携も悪くない。

 私はキウの上で一人の剣を、抜き打ちで弾き返し、もう一撃は身を捻って回避する。しかしキウの上ではあまりに不利。

 キウを攻撃されるのも嫌だ。

 飛び降りて、キウの胴を叩く。よくしたもので、キウは全力で走って路地を出て行った。

 襲撃者二人は私が目的だから、キウには構わない。二人で巧妙なタイミングで迫ってくる。

 一人の攻撃をまともに防御すると、もう一人を受けるのが難しい。

 しかし、そこまで相手の都合に合わせる義理はないし、同時に捌くのは不可能ではない。

 一人目の剣に私自身の剣を添わせるようにして、わずかに軌道を変える。

 まるで絡みつくように私の剣が小さく、鋭く、軌跡を描く。

 そのまま私の剣は相手の手首を半ばまで切り裂いた。

 即座に手首を捻ってさらに相手の剣を大きく反らし、流れる続けざまの一撃で無事な方の腕、その肘を浅く切り割っておく。

 この間、もう一人の襲撃者は、仲間があまりに私に近い上に、私が一人目の体を間に挟むように踏み込んだため、手を出せなかった。

 これで一対一になったわけだ。

 両腕を負傷した襲撃者を蹴り飛ばし、今度は私から逆襲。

 後退しながらの相手の剣は何の危険もない。わずかな姿勢の変化で、二人目の苦し紛れの一振りを回避して、さらに踏み込み間合いを作らせない。

 私の剣が閃き、相手は受けきれず、剣を取り落とした。

「どちら様?」

 剣先をピタリと眼前に据えてやる。

 同じ問いかけをしても、相手は答えない。空気が緊張し、私は二人を気迫で圧する。

 答えないのなら足に剣を差し込んでやろうかと思ったが、しかしそれはできなかった。

 背後に大きな気配を感じ、振り返りざま、それを剣で弾いた。

 弾いたが、激烈な手応えと反動!

 反射的に力を逃がすためにステップを踏む。どうにか無駄のない動きで、振り返ることができた。

 姿勢が整った時、自分を襲ったのが巨大な槌だと見て取れた。

 その槌は、さっきまでは追っ手にいなかった大柄な鬼が構えている。いつの間に忍び寄ったのか、わからないけど、どうやら私は二対一を打破するのに、少し夢中になったようだ。

 その鬼の向こうには、事前に察知していた追っ手の三人がいる。

 鬼は顔を隠していない。理由は不明。何も考えていないか、私を始末する自信があるか。

 鬼の持っている槌は、どういう意図の武器なのか、柄頭に鎖が付いている。

 鎖を持って振り回すことで巨大な槌を中距離で使う意図があるのか?

 でもここは路地で、もちろん、そんな空間はない。

 どうも、バカの武器、としか言えないが、しかし殺傷力がないこともない。

 純粋に重いのだ。それが難点だった。

 私は自分の剣を見た。わずかに歪んでいる。

 借り物なのに。くそ。

 鬼が槌をぐるぐると鎖で振り回し始めた。路地に合わせて、短く鎖を持っているが、やっぱりバカの武器だ。

 さっさと終わりにしてやろう。

 私は自分から相手に飛び込んでいく。鬼もぼんやりしているわけじゃない、充分に加速した槌が私に向かって飛んでくる。

 想像より速いが、問題外。わずかに剣を当てて、衝撃は体全体に拡散、槌の進行方向だけがわずかに逸れる。

 ここで予想外だったのは、鬼が鎖を操り、私を捕縛しようとしたらしいことだ。

 てっきり、槌の一撃が致死性の打撃なので、それで私を始末するつもりだと思っていた。

 いや、あるいは力加減を間違うような、低能なのかもしれない。

 向かってくる鎖を私の剣が弾くと、今度は鬼が手元で鎖を操り、槌を引きつけつつ、こちらの剣に鎖を絡めようと狙ってくる。

 意外にしつこい!

 あまりに戦い方に理屈が通じないので、私もやや混乱し、鎖が剣に巻きついてくるのを避けきれなかった。二重、三重に鎖が剣身に絡みつく。

 そのまま絡め取る、という時、突然にお互いにとって意外な事態が起こった。

 それは、私の剣が折れたのである。

 グルーンの奴、安物を貸したな。

 鬼の方も意外だったようで対応が遅れた。鎖の手応えを失い、完全に体が泳いだ。

 私は折れて半分も刃がなくなった剣を手に肉薄し、剣とも呼べないその武器で、鬼の手首を切り落とした。手加減している余裕はない。

 返す剣で強く、相手の胸を薙ぎ払う。しかし鬼は手首の痛みもあり、身をのけぞらせている上に、ここは軽鎧に覆われているので、鎧の表面に傷ができるのみ。

 剣が万全なら、斬り裂けたものを。

 鬼は数歩後退し、手首から先がなくなった腕を脇に挟み、もう一方の手ではまだ槌につながる鎖を持っていた。

 まだ無傷の三人の人間は、警戒というよりは恐怖でその場に釘付けになっている。

「どちら様?」

 私の三度目の問いにも、やはり答えはなかった。

 ただ、鬼が一歩後退し、私も一歩、下がって見せた。

 これでお互いの意思は通じる。追っ手たちは一息に逃げて行った。もちろん、負傷した二人の人間も逃げていく。

 私は彼らの後ろ姿を見て、息を吐いて、剣だったものをとりあえず、鞘に収めた。

 グルーンにかなり叱られそうだが、甘んじて受け入れるしかない。

 それよりも右肘にかすかな痛みがある。いずれ治るとはいえ、こう休みがないのでは、それも遠いことになりそうだ。

 さて、これから、どうするべきか。

 追っ手は私のことをよく知っているようだ。多分、家のことも調べているだろう。家で落ち着いているのも、無用心に思えた。

 どこかに身を隠す必要があるだろうか。

 私はとりあえず路地から出て、そこでハッと気付いた。

 そうか、双子に匿ってもらおう。やや危険かもしれないが、トゥルボルトの医療品が必要だし、出向く理由にはなる。

 そして、マシェルルトに聞くこともある。

 一晩くらい、厄介になろう。

 路地を出て、私は指笛を吹く。通りを行く通行人がちらりとこちらを見る中、複数の音の連なりを奏でる。

 しばらくすると私のキウが戻ってきた。

 双子のところへ行く前にグルーンの工房に寄るべきかもしれないけど、ちょっと申し訳ないので、手紙で伝えることにしよう。剣も配送屋に届けて貰えばいい。

 私はキウに乗って、一度、第一層までおり、キウを家へ帰らせた。その程度のことは自分でできる。

 そこから第二層へ戻り、周囲をよく確認して、双子の店に入った。

「え? トキコ?」

 カウンターで何かの薬を調合していたトゥルボルトが不思議そうに見返してくる。

「悪いけど」カウンターに歩み寄る。「ちょっとここに泊めて欲しいんだけど」

「え? え? 泊めて?」

「匿って、ってこと」

 トゥルボルトが作業していた道具を横に移動させ、身を乗り出す。

「何があった?」

「どこかの刺客に狙われた。撃退したけど」

 私は折れた剣を見せる。それを見て、ふむ、とトゥルボルトが頷く。

「何か心当たりは?」

「ありすぎる」

 だろうね、とトゥルボルトは困ったような顔になる。失礼だけど、事実なので、反論できないのが悲しい。

 私はさっき受け取ったばかりの札束からいくらかを引っ張り出す。

「これは謝礼。とりあえず、今晩くらいはここに置いて欲しいんだけど」

「いいよ、好きにするといい。マシェも喜ぶだろうし。奥へどうぞ。誰かに尾行されてない?」

「たぶんね」

 席を立って、カウンターを回り込もうとすると、ぽいっとトゥルボルトが小さな何かを放ってきた。受け取ると、塗り薬の容器のようだ。

「肘の具合が良くないだろう? 大事にしたほうがいい」

 まったく、目ざといなぁ。

「私に剣を抜かせた奴らに言ってよ」

「それもそうだな。マシェの部屋に泊まるといい。嫌がらないだろうから」

 私はカウンターの奥のドアを開けて、中に入った。

 短い通路を進みつつ、これからやることを考えていた。

 まずはグルーンに剣を返して、可能なかぎり早く、私のための剣を回収する必要がある。

 もう一つは、家に帰れないことをマワリに伝える必要もある。

 そして、どこの誰が私を狙っているか、調べる必要がある。

 マシェルルトの部屋のドアを開けると、いかにも女性の部屋という内装で、私はどこか心が緩むのを感じる。

「何? どうしたの、トキコ?」

 背後を振り返ると、驚いた顔のマシェルルトがいる。気配を察して、作業室から出てきたようだ。

「ここに泊めてもらうことになった」

「え? そうなの? 私の部屋に?」

「お兄さんの指示でね」

 勝手な事して、と言いつつも、マシェルルトは私を部屋の中に導いた。

「布団、持ってくるね。何か入り用のものはある?」

「紙とペンが欲しい」

 頷いたマシェルルトが部屋を出て行こうとして、足を止める。

「トキコ、ちょっといい?」

「何?」

「お風呂に入って」

 あぁ、そうか。ここ数日、入っていないな。自分では、よくある事だから慣れているけれど、そうもいかないのだろう。

「タオルと着替えも用意するね」

「悪いね」

 マシェルルトが手を挙げて、部屋を出て行った。

 私は装備を外して、部屋の隅に置いた。それほど重い装備ではないが、それでも身軽になると緊張がさらに解ける。

 少しするとマシェルルトが戻ってきて、私にタオルと着替えを渡してくれた。

 私は風呂に行き、ゆっくりと温まり、体と髪を洗って、マシェルルトの部屋に戻った。ペンと便箋、封筒が用意されていた。やっと手紙を数通、書くことができた。

 まずはグルーンへ代用の剣のことの謝罪と、催促。

 もう一通は、マワリへの状況説明。

 書き終わる頃には濡れていた髪の毛もおおよそ乾いていた。

 店舗の方へ行くと、カウンターでトゥルボルトがやはり何かの薬物を調合していた。

「手紙かい?」

「そう。すぐに届けられる?」

「そうだな」彼は壁にかかっている時計を確認した。「あと一時間で、定期便の配達屋がここに来る。きっと手紙も頼める」

「じゃあ、これを」

 私は二通の手紙と剣をトゥルボルトに手渡した。

「夕食のリクエストは?」

 さりげなく聞かれたけど、私は別に好物もないのだった。大抵は、携行食で済ます。街にいる時も、外へ出ている時もだ。あまり食事にこだわりはない。

 味の良し悪しは昔からあまりわからないし、体が維持できればそれでいい。

「二人の普段通りでいいよ」

「わかった。夕飯になったら呼ぶよ。それまでゆっくりして」

 トゥルボルトが楽しそうに作業に戻った。

 私がマシェルルトの部屋に戻ろうとすると、作業室から彼女が顔を出した。

「夕飯まで、ベッドを使ってもいいよ」

「うん、ありがとう」

 私は部屋に戻り、しかし、ベッドを使うのは申し訳ないので、多機能ケープに包まって床に横になった。いつもこうして寝ているから、ベッドよりも落ち着くのだ。

 私は食べ物の匂いがするまで、うつらうつらと横になっていた。


 翌日の朝、朝食を食べ終わってマシェルルトの部屋に戻ると、そこにぼんやりとした光の塊が浮かんでいた。

 それは即座に人の形になったが、背景が透けている。

 年齢は二十歳くらいで、女性だ。

「やあ、トキコ。昨日は悪かったね」

 女性の声は姿の曖昧さとは裏腹にはっきりとしている。

「マワリ、手紙は読んでくれた?」

 この女性が私の同居人にして、師でもある、マワリなのだ。

 ただし、実際は高齢で、この意識体では若い姿をしている。ちょっと詐欺だ。

「読んださ」

 マワリの体がふらふらと近づいてくる。

「私も危ないかね?」

「危ないでしょうね」

 ひひひ、と姿に似合わぬ声を漏らしてマワリが笑う。

「何かを気にしている連中がいるね。あんたの口を塞ぎたいのか」

「そういう連中には事欠かないから、日頃の行いを反省したいね」

 私は椅子に腰掛けて、マワリと向かい合う。

「マワリ、手紙にも書いたけど、手伝ってくれる? 今のままじゃ、落ち着かない」

「当然さね。そんなお前でも、弟子だ」

 思わず肩をすくめて、少し真剣な気持ちに切り替える。

「気になる点で最も大きいのは、つい一昨日の仕事だろうね」

「そっちの双子からの依頼かね? 双子を疑うのか?」

「彼らが騙されている、という可能性もある。これからちょっと探ってみるけど。そこから追える限りは追ってみるよ。マワリも何か、伝手をあたってくれる?」

 ふむ、とマワリが頷く。そしてどこかそっぽを向いている。何か考えているのだろう。

 少しの沈黙の後、

「また今晩、ここへ来るよ。意識体だがね」

「それでいい。そこで情報交換しよう。マワリはどこにいるの? まだ家?」

「これから朝飯さ。それじゃあ、な」

 意識体はスゥッと消えて、後には何も残らない。

 家にいると危ない、と念を押したかったけど、まぁ、その程度の心配は無用、ってことか。

 私は装備を整理して、短剣を腰に帯び、高性能ケープを身につける。

 作業室を覗くと、マシェルルトが作業着姿で、巨大な鍋のようなものをかき混ぜている。もちろん、料理ではない。鍋の中身は何かの金属のように見える。

 ヘラだろう棒を持っている手が止まることはなく、もう一方の手は温度計のようなものを握って鍋に差し込んでいる。

 話を聞いておくか。

「ちょっといい?」

 私が声をかけると、背中から返事があり、

「手が離せないから、そのまま話して」

 とのこと。

 私は少し考え、

「昨日、渡した赤い粒、覚えている?」

「忘れるわけないじゃない」

 マシェルルトは温度計を見ながら答えた。

「あれはもう出荷した?」

「まだよ。これから解析する予定。それから出荷」

「つまり、採取と分析がマシェへの依頼?」

 うーん、とマシェルルトが唸る。棒を持っている手が激しく動く。温度計を持っていた手は温度計を置いて、脇にあった瓶から粉を鍋へ入れていた。

「聞いている?」

「聞いているよ。そう、採取と分析が依頼だけど、もちろん、相手も私が採取を実際に行う、とは思っていないから、実際には口利きと分析、かな」

「相手は私のことを知っている?」

 え? とマシェルルトが振り返ろうとして、わずかに鍋が揺れて中身が飛び散った。短く悲鳴をあげて、マシェルルトは鍋に戻る。床に散った液体は灰色の煙を上げていた。

 変な匂いに顔をしかめた私に、マシェルルトが言う。

「トキコのこと? うーん、多分、知らないと思うけど。私はトキコの名前を出していないからね。誰か適当な人がいるなら間接的に依頼してほしい、という内容だった」

「それで、マシェは私以外に、そういう採掘士の知り合いは多いの?」

 はっはっは、とマシェルルトの笑い。どこか自信ありげで、逆に不安になるのはなぜだろう。

「それは何人かはいるけど、トキコが一番、実績がある」

 マシェルルトが先ほどとは別の瓶から液体を鍋に垂らすと、小さな破裂音が連続し、煙が上がった。輪をかけて不快な臭いが漂ってくる。マシェルルトは首に巻いていたスカーフで口と鼻を覆った。

 聞くべきことはおおよそ聞いたけど、核心をついてみるか。

「で、依頼人は?」

「他の町の人だよ。機械屋らしい」

 そういえば、トゥルボルとも機械工学、とか言っていたっけ。

「他の町? どうしてここにきたの?」

「それはトキコに潜ってもらった多頭龍に、この町が近いからでしょう。地元民の知識が役に立つと思ったんじゃない?」

 あまり情報は手に入らなそうだ。

 わかったよ、と私は頷き、

「仕事の邪魔をしてごめん、またそのうち、質問してもいい?」

「はいはい。これから、どこか行くの?」

「どこの誰がちょっかいをかけてくるか、気になるからね。じゃ、また」

 店舗の方へ移動すると、トゥルボルトが薬を調合していた。すり鉢で何かを粉にしていて、リズムのいい音がか静かにする。

「どこか行くのかい? トキコ」

「どこの誰が私に向かってきたか、知りたいの」

「武器はどうする? うちには大したものはないよ?」

 必要ないよ、と私は笑ってみせる。

「いざとなれば何とでもない」

「だろうね。余計な心配か。右ひじを見せてごらん」

 私はおとなしく、右腕の袖をめくって見せた。肘の色は肌色に近づいているが、それでもまだ変色している。

「昨日は安静にしなかったようだから、今日こそは安静にしてほしいんだけど?」

「それも、相手に言ってほしいよ」

 トゥルボルトは私の肘に昨日と同じく、薬を注射し、塗り薬を刷り込んだ。塗り薬が昨日とは違うようだった。

 袖を戻して、

「トキコ、気をつけて」

「わかってる」

 私が店を出ようとすると、トゥルボルトが、これを、と言って何かを投げてきた。

 受け取ると、帽子だった。

「こんなので監視を潜れるとは思えないけど」

「気休めさ」

 苦笑いして、私は店を出た。

 リーンの街に拠点を構えて、短くない。街の中で、ありとあらゆる情報が集まる場所も、心当たりがいくつかある。

 歩きながら考えをまとめることにしよう。

 赤い鉱石の存在は無視できない。その依頼主は、他の町の機械屋。

 その街まで乗り込んでいく必要はないだろう。私への脅威はすでにこの街に内在している。

 しかし、私を攻撃する理由とは、何か。何を恐れているのか。

 赤い鉱石の存在は、その機械屋も知っているわけだ。なら、私を消したところで、鉱石の存在はいずれ表に出る。

 じゃあ、口封じ以外の、別の理由か?

 でも、それが皆目、分からない。

 とりあえずの方針として、他の採掘士を狙うことにしょう。私以外に赤い鉱石の採取を依頼されている採掘士がいる目もある。

 私に向かってきた襲撃者は相応に場慣れしているようだった。それなら、今までも暗殺の仕事をしてきた可能性がある。だとすると、どこかの採掘士が突然に姿を消したことがあるかもしれない。さらに、運が良ければ、襲撃を退けている採掘士がいるだろう。

 私は第一層へ降りて、採掘士の出入りが多い飲食店に入った。この飲食店は二十四時間、営業していて、かつ、建物の中が多くの個室に別れてもいる。

 何よりも採掘士に重宝されるのは、個室のいくつかを借りて営業されている、情報屋、口利き屋、である。

 つまり、この店に来れば、採掘士が潜るべき多頭龍の位置、その内部の情報、潜る時の装備、仲間、何より依頼が、全て手に入るのだ。

 店に入ると、ホールは喧騒に満ちている。まだ午前中だが、四十人ほどが酒食を取っている。

 このホールや、個室は表の顔で、常連や実力者は裏に入る。私もカウンターの横をすり抜けて、さりげなくドアを開けて、裏のホールへ移動する。ドアの傍にいた店員は私を横目で見ただけで、黙っていた。

 奥のホールは明かりが薄暗いが、喧騒はない。静かな空間で、十人ほどがてんでバラバラに座って、くつろいでいる。誰もが事情通には名前が通る実力者だ。

 私を見て、一人が近づいてくる。

「トキコ、久しぶりだな」

「そうね。表があまりにうるさいから、足が遠のく」

「確かにな」

 その男の採掘士が薄笑いを浮かべる。

 私は椅子に座って、話しかけてきた男と向かい合った。何気ない話題で話しているうちに、店員が近づいてくる。「オレンジ」とだけ言って、採掘士の男に視線を向け直す。

 さて、本筋に入ろう。

「最近、行方不明になった奴、何か聞いている?」

「行方不明? おいおい、採掘士は命を望んで捨てるような仕事だぞ」

「あぁ、ごめん、言い方が悪かった。この町の中で行方不明になった奴」

 男は顎を撫でて考えたようだったが、

「そういう奴もごまんといる、と思うけどな」

 私は赤い鉱石について聞いてみた。何も知らない、という返事。私はその男に紙幣をそっと渡すと、さりげなく聞き込んでくれるように頼んだ。

「情報屋へ当たれば早いぜ、俺よりか」

「私の情報も売り買いされたら、嫌なのよ」

 なるほど、という男が、運ばれてきた私のオレンジジューズと、自分の持っていた酒のグラスを当てる。

「契約は成立、だな。知り合いに訊いてみるよ」

 ここで突然に思い出した。

「鬼の採掘士で、鎖のついた大槌が得物の男、知っている?」

「そいつは知っている。しかし、元は採掘士だが、今は違うはずだ。というか、今はほとんど暴漢だ。力自慢だが、力以外に自慢するものがない」

「そいつの手を切り落としたよ」

 男が唖然とした顔になる。私はそれがおかしくて、苦笑いしてしまった。

「手下が多い奴だぞ」男が声をひそめる。「いくら頭が無くても、数くらいは数えられる」

「指があればね。今は五本しか指はない」

 首を振った男が、

「そういう喧嘩っ早いところ、気をつけたほうがいいぜ」

 私はオレンジジュースを飲み干すと、席を立った。

「血の気が多いのよ、こう見えて」

「怖い女だよ、トキコは」

 私は片隅のカウンターで待機している店員に硬貨を投げた。受け取った店員が頭を下げる。

 店を出て、他にも似たようなことをしている店をいくつか訪ね、知り合いに質問してみた。

 私が手を落としてやった鬼の情報はだいぶ集まった。実は有名人だったらしい。しかし、悪行で有名なだけだ。暴力で解決できることは何でもやっているようである。

 そうなると、私を暗殺するのに都合がいいから、雇われたのだろう。あの鬼の居場所の情報も流れてきたが、さすがに今すぐにまた、私に手を出すとは思えなかった。

 私と同じ仕事を受けた採掘士の情報には出会わなかった。

 そもそも採掘士は死亡率が高いので、行方不明者は数え切れないのだ。街の中でも、外でも。

 とりあえず双子の店に戻ろうか、と思った時、誰かの視線を感じた。やっぱり帽子程度では欺けないじゃないか。

 剣があれば、いくらでも相手ができるし、実は剣なんてなくても、大抵の相手には負けない自信がある。

 しかし無駄に騒動を起こす必要はない。

 私は通りを歩いて、一軒の食料品店に入った。店員を捕まえて、裏口を抜けさせてもらう。そのまま裏道を通って、進んでいく。

 追っ手の気配はない。

 しかし油断せず、私は双子の店まで戻った。



(後編に続く)

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