第3話


 家についても、しつこいくらいに心配だと言う俊ちゃんを振り切り、瑠璃は自分の部屋で一息をつく。

 青を基調とした部屋の机の上には、ミニチュアサイズの噴水の模型が飾られていた。

 瑠璃は、それを手に取ると、ベッドの上に座る。両手でソレを包みこむと、瑠璃は祈るように目を閉じた。


(お願い、名雪天くんとの記憶を教えて)


 瑠璃がそう願った瞬間、ただの模型でしかなかった噴水からコポコポ、と水が湧きでていく。溢れそうになった水は、粒となって空中に浮かび上がった。瑠璃の周りを取り囲むように、水が浮かんでいるその様は、とても不思議な光景だ。


 瑠璃は、そっと目を開くと目の前の水の粒を覗き込む。水は、それを待っていたかのように5つの滴へと分裂しはじめた。


 赤、水色、緑、黄色、黒。


 ぶくぶく、と5色の滴から泡が湧きだす。記憶を掘り出すようなその情景は、幻想的で綺麗なものだった。いや、ほんとうに記憶を掘り起こしているのだろう。

 水は、どこにでも存在している。空気にも地面にも人間の中にも、必ずそこに在る。すべてを見てきた水は、なんでも知っている。だから、瑠璃は水になんでも聞くのだ。

 しばらく5色の滴を眺めていると黒い滴から映像が流れはじめた。


《み、水無月瑠璃です。ここに来る前は、北海道の方の学校にいました》


 そこにいたのは、オドオドしながら自己紹介をする"瑠璃"だった。教室にいるみんなが、北海道という言葉で好奇の視線を向けてくるなか、ひとりソレらとは違った視線を瑠璃に向けている人物がいた。

 白にも近い薄い水色の髪をまるでスズメのしっぽのように、短く一つに結い上げ、髪とは正反対の宵闇のように暗い瞳が瑠璃をまっすぐ見つめていた。その瞳に宿る陰りは良いモノではない。


 顔を真っ赤にしながらもみんなの質問に答える"瑠璃"は、彼の視線に気がつかない。ただ、この記憶をみている瑠璃だけは、彼の視線にも意味に気づいた。


 ゆらり、と紫色の憎悪の炎が彼の暗い瞳にうつる。


 その瞳を見つめながら、瑠璃は肩をふるりと震わせた。


 すべての自己紹介が終わるとあっけないほど帰る時間となった。"瑠璃"の周りに女の子達が集まる。


《北海道のどこからきたの?》

《やっぱり、北海道って寒い?》


 ありきたりの質問が答える暇もなく飛び交い、するするとまるで天の羽衣のように薄くすり抜けていく。

 転校するたびに答えていた質問だからか、スラスラと口から言葉が紡がれていく。それを誰かの声で遮られてしまうまでは……。


《おい》


 低い声が教室中に響いた。しん、と静かになった生徒たちはその声の方に振り向き、道をあける。


 そこに立っていたのは、先ほど陽気に自己紹介していた名雪天だった。彼の表情は、一見爽やかに、笑っているようにみえるけれど、その笑顔からは陽というよりも陰の気を放っているように思える。


《……お前、昔この街に来たことがあるか?》


 彼の言葉から出たのは意外にも周りの女の子達の質問と対して変わらない、ありきたりなものだった。気のせいか、そう思った私は、縦に頷くと小さく《幼い頃だけど》そう一言答えた。


 その一言で、彼の顔から笑みが消えた。


《水無月瑠璃》


《……俺はおまえが嫌いだ。あのことを俺はゆるしはしない》


 プツリ、

 映像はそこで途絶えた。


 どく、どく、と不自然に脈打つ心臓を瑠璃は手でおさえる。瑠璃の心臓の辺りが青く光を放っていた。


 心臓が、飛び出そうになっていた。比喩ではなく、本当に飛び出そうとしていた。

 映像の中の彼から感じる、つよい憎悪に引きずられて魔女の心臓が飛び出そうとしている。何度か深呼吸を繰り返してから、瑠璃は再び滴の中を覗き込んだ。


 今度は、赤色の滴が大きくなり映像を流そうとするが、寸前のところで邪魔をするように水色の滴が赤よりも大きくなり自身の中へと飲み込んでしまった。

 水色もまた、映像を流そうとするが他の滴に飲み込まれる。赤、水色、全部の色が混ざった滴は、ケンカをしているように反発しあい最後には、泡すら小さくなり消えてしまった。


「…………え?」


 成り行きを静かに見守っていた瑠璃は、何も映さなくなり、ただの水の粒になったものを見つめて、情けない声をだす。


 その声に反応してか、まるで、記憶は全て見せたというように浮かんでいた全ての水が一斉にもとの噴水へと戻る。

 その光景を信じられないものをみるように、ただ見つめているしかできなかった。

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