第2話


「文化祭実行委員、さっそく仕事だ」


 その日の放課後、先生に呼び出されて手渡されたのは、委員会の時に使用する資料の山だった。自分の頭ほどまで積まれた資料を見て瑠璃は、終わるのかと途方にくれる。


「これをまとめて、ホチキスでとめてくれ、頼んだぞ」


 無情にも先生は、そう一言つげると教室を出て行ってしまう。名雪と2人っきりになってしまい、瑠璃は彼をちらりと横目でみる。名雪は、不愉快そうに顔をしかめていた。


「あ、あの……」

「なに?」


 ぎろり、と射殺さんばかりに睨まれて思わず体が縮こまる。彼の瞳を見ないように瑠璃は、顔を下に向けた。


「こ、これ……わたしやるから……」

「……は?」

「かえ、かえっていい、よ」


 吃りながらも、なんとか伝えるとほっと力がぬけた。ドキドキと心臓がひどく高鳴るのは、緊張のせいか、はたまた名雪がコワイからなのか判断がつかない。

 長い、長い沈黙のあと、彼は大きな穴でも出来るんじゃないかってくらいの深いため息をはいた。


「ふざけんな」


 こつん、と彼の大きく骨ばった手が瑠璃の頭に触れる。時間が少しだけ止まったような錯覚を覚え、彼を呆然と見つめる。


「これは、俺が遅刻した罰のようなもん。それを放棄して帰れるかよ。たとえ、嫌いなお前とでもな」


 嫌いと言う言葉に、ちくちくと心が痛む。本当は帰りたいのだろう、名雪は嫌そうな顔をしていた。

 それでも残ってくれる名雪は、真面目で本当はとても優しい男の子なんだということがわかる。もしも、瑠璃だったら耐えられずに逃げ出していただろう。そう思うと、瑠璃の心が少しだけ暖かくなった。


「さっさと、終わらすぞ」

「うん」


 右端と左端、遠くの席に座ってそれぞれ作業を始める。再び沈黙が辺りを包むが、今度のソレは心地よく感じた。



***



 資料作りが終わったのは、野球部の練習が終わる頃だった。日もすっかり落ち、人の気配すら感じられない。

 頼んだ先生もとっくに帰っていた。


「俺、先生の机にコレ置いて帰るから、お前先帰ってろよ」

「え、でも……」

「いいから。お前、細いんだから持てねぇだろ」

「ちょっとなら、もてるよ?」


 なおも食い下がろうとする瑠璃に、彼は煩わしそうに頭をかきあげ、また冷たいあの視線を向けた。


「俺が一緒にいたくねぇの」


 その言葉に、はっとする。そうだった、彼は好きで瑠璃と一緒にいるのではない。これは委員としての義務で一緒にいる。そのことを思い出した。


(なにを勘違いしていたの……?)


 胸がズキズキと何かに刺されたかのような痛みを覚える。


「……夜道はたとえお前でも危ないからな、下駄箱で待ってろよ」

「……ごめんなさい」

「あ、おい!?」


 何故か彼に呼び止められるような声が聞こえた気がしたけれど、そのままカバンを持って教室を飛び出した。



 学校を出てしばらく走ると、誰かにその腕を掴まれた。


「水無月、瑠璃ちゃん?」


 しゃがれた声で名前を呼ばれて、ぞくりと背筋がふるえた。おそるおそる振り向くと中年の少し太った男性が顔をニヤつかせてこちらを見ていた。


「ひぃっ」


 思わず小さな悲鳴がもれる。


「おじさん、瑠璃ちゃんの秘密しってるよ」

「はなして、はなして、はなして!」


 精一杯の力で振り払おうとするが、男の力に敵うはずもなく振りほどけない。じわり、と涙で視界が揺れたそのとき、目の前にいた男性は視界から消えていた。


「瑠璃、大丈夫か?」

「……俊ちゃん」


 黒髪の男性に助け起こされ、瑠璃はホッと安心する。

 目の前にいたのは、水無月俊みなづき しゅん。大学生の兄だ。


「どうした、こんな遅くまで」

「ちょっと、委員の仕事で遅くなっちゃって」

「委員?」


 俊ちゃんの眉間にシワが寄る。彼の表情を見た瞬間、しまったと口をおさえた。


「……委員会とか部活とか帰りが遅くなるようなこと、しちゃダメってお兄ちゃん言ったよね?」


 にっこりと笑顔でなだめるように言ってはいるが、かなり俊ちゃんは怒っているようだった。どうしようかと、瑠璃は内心、頭をかかえる。

 俊ちゃんは、重度のシスコンで過保護なのだ。


「やむ終えず文化祭実行委員をやることになっちゃって……」

「ふーん……明日もそれあるのか?」

「……わかんない」

「そっか、わかった。終わったら連絡ちょうだい」

「え……」


 にっこりとイヤミなくらい爽やかな笑顔で俊ちゃんは言った。


「迎えにいくから」

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