第20話



 梅雨が明け、夏の香りが徐々に感じられる7月2日のころ。香織は地元の駅で1人、立ち尽くしていた。彼女には珍しく、ふんわりとした薄い水色のワンピースにジージャンを着ていて、しきりに髪形を気にしている。

 化粧でもしているのかほんのりとピンク色に頬が染まり、唇は赤色に潤っている。


「香織さん、お待たせ」


 待ち望んでいた人、珠緒に声をかけられて香織は、輝かしい笑顔で顔をあげては息をのむ。珠緒の私服姿があまりにもすてきで声がでなかった。

 紺色のテーラードジャケットに横じまのはいったロング丈のカットソー、白色のスキニーパンツをはいていた。

 二人は、お互いをじっくり眺めたあと、口元を手や腕で覆い隠しては顔を背けた。


 周りの人々が2人の横を通りがかる。どこか初々しい2人に温かい目を向けるもの、忌々しそうに見つめるもの、様々な意味が込められた視線を向けられているのに気づいた珠緒は、何かを消し去るように首を横に振ったあと香織へと視線をもどした。


「お母さん、元気?」

「元気だよ!」


 あれからすぐに、母親の病気は良くなっていった。担当医の人には奇跡だと言われたが、奇跡でも偶然でも母親が助かったことが、香織は嬉しくてみっともなく泣き喚いてしまった。

 看護師さんからこっそりと「魔女の心臓でも使ったの?」と聞かれたが、見に覚えのなかった香織は首を横に振ることで答えた。


 ただ、母親は最近、不思議なことを言うようになった。


《幸薄げなイケメン王子と香織が結婚する夢をみるのよ》

《停電になる夢をみたわ》

《隣の家の犬がやっと懐いてくれる夢をみたのよ〜》


 頻繁に夢の話をするようになった。8割がた夢の通りになるので、もしかしたら誰かが母親に魔女の心臓を使ったのではないかと香織は思っている。


「そっか、よかった」

「珠緒くんは、形見の指輪みつかった?」

「うん」


 香織へと渡そうとした形見の指輪は、あの日から無くしてしまっていたらしく。必死に部屋の中を探していたという。それを聞いた香織ももしかしたら持って帰ったのかもと自分の部屋を探してみたが、結局見つからなかったのだ。


「どこにあったの?」

「僕の部屋。晃くんが見つけてくれてさ」

「そうなんだ! よかったー」

「見つけてくれたお礼を今日さがそうかなって思ってる」

「いいね! 私も手伝うよ」


 香織からも晃に何か渡そうと思い、2人は改札口へと向かった。


 今日は、いま話題の映画を見ようと隣町にある大きなショッピングモールへ向かうところだ。たまたま2人ともその映画が見たかったらしく、2人で出かけることになったのだ。

 改札口を通り抜け、タイミングよくホームに入ってきた電車に乗り込んだ。

 たのしみだねと他愛もない会話が続くうちに、ひと駅なんてあっという間についてしまう。ショッピングモールも駅から歩いて5分くらいのところにあるため、すぐにたどり着いてしまった。


「映画のチケット、買ってくるよ」


 そういって珠緒は、売場へとかけていく。その後ろ姿を眺めながら香織は、ため息をはいた。


「……珠緒くんは、どう思ったかな」


 近くにあったお店の鏡をみて、ため息をはく。普段あまりスカートをはかないけれど、好きな人とのお出かけだから挑戦してみようと思った香織だったが、はやまったかなと不安げに鏡をのぞく。


「香織さん、買ってきたよ」


 もう1度大きくため息をはいたところで、珠緒がチケットをもって帰ってきた。あまりのタイミングに、香織は石のように固まり、珠緒は申し訳なさそうに眉をハの字にさせていた。


「映画まで時間あるし、どこか行く? そこのお店とか」


 そう言って珠緒が指さしたのがさきほどまで鏡をみていたお店だった。香織は、あわてて彼の手をつかむ。


「本屋! 本屋にいきたい」


 珠緒が戸惑いながらも頷くのをみると、そのまま本屋まで手を引っ張る。早足で、歩いてくる人をうまく避けながら、なんとか本屋までたどり着く。香織は、たどり着いたことに安心してホッと息をはくと、自分が何を掴んでいるのか気がついて顔を真っ赤にそめた。


「ご、ごめ……」

「一緒に、みてまわろうか」


 放そうとした手は、珠緒によってつよく握り返されてしまい、あげくの果てには、にっこりと意地のわるい笑みをうかべてそう提案されては、逃げる術など香織にはなかった。

 雑誌の並ぶ棚から趣味本、漫画本とまわって小説の棚へきたところで、香織は見覚えのある表紙にくぎ付けになった。

 四季を表現した木を挟んで男女が立ち尽くすその表紙は、晃があの日に読んでいた本だった。おもわず、手に取り裏表紙をながめる。相も変わらず読みたくなるようなフレーズに心が惹かれる。


「その本、欲しいの?」

「うん、晃が読んでるのみてすごく読みたくなったんだけど、晃が貸してくれなくて」

「ふーん」


 晃という言葉がでてきて、珠緒の表情がみるみると不機嫌なものへと変わっていく。そんな彼にも気づかずに、香織はその本が、自分が手に持っているもので、並んでいるのが最後だと知ると買うかどうかを迷っていた。


「あのさ、香織さんと晃くんって実際のところどういう関係?」

「え? どういうってただのイトコだけど」

「いままで、恋愛感情とかあったりは?」

「あれに? ない、ない」


 あわてることもなく、ただ冷静にそう答えられて珠緒は胸をなでおろす。


 香織は、恋人のように手を繋ぎイチャイチャする自分と晃を思わず想像してしまい、ぶるりと寒気を覚えた。

 イヤな想像を早く忘れるため、話題の元凶となったモノを早くしまってしまおうと香織は、レジへと視線を向けた。


「この本買ってくるね」

「うん、いってらっしゃい」




 香織がレジに並んでいると見知った人物が目に入ってしまった。慌てて目をそらそうとしたが、すでに遅く、目があってしまった。


「よぉ、あれから元気か?」

「…………おかげさまで」


 珠緒について気づかせてくれた喫茶店のあの男だ。香織にとって恩人に近いだろうが彼に対して、良い感情はもっていなかった。正直に言えば、苦手なのだ。

 ワントーン、声が低くなった香織に、気づいているのかいないのか男はニヤリと口角をあげて香織のもつ本を指差した。


「それ、買うのか」

「……そうですけど、それがなにか?」

「ふーん」


 あっと思った瞬間には、香織の手から本が奪い去られていた。ポケットからサインペンを取り出すとカバー下にペンを走らせる。


「ちょっ、なにやってるんですか!!」


 慌てて本を奪い返す。買う前の売り物に信じられないようなことをしたというのに男は反省することもなく、ニヤニヤと笑っている。


「俺のサイン本は貴重だぞ。大切にしろよ」


 ふるふるとペンを振りながら、謝ることなく去っていく男を内心恨みながら落書きされた場所を改めてながめる。


「…………え?」


 そこには、作者と同じ名前のサインが書かれていた。



 呆然としながら帰ってきた香織に、珠緒は不安そうにしながら何度も「どうかしたの?」と聞いている。最近知った本ではあるが、好きな本を書いたのがあの男かもしれないということに香織はショックを隠しきれていなかった。


「あそこで、ちょっと休もう?」


 そう珠緒に言われ手を引かれて、やっとのことで我に返った香織は、大丈夫なことと心配をかけてしまったことをひたすら謝った。彼がホンモノなのか、家に帰ったら調べると内心決意しながら。




 映画の時間まで晃へのお礼の品––––香織は晃が好きそうなゲームソフト、珠緒はちょい高めのスポーツシューズ––––を買ったり、ペットショップをみたり、ゲームセンターにいったりと色々なお店を見て回った。

 途中で見つけた、紫陽花の指輪に惹かれたが値段を見た瞬間に香織は泣く泣く諦めた。


 色んなことがありつつも、時間はあっという間に過ぎていき、映画の上映がはじまる時間になった。

 2人は慌てて、飲み物を買い、席につく。

 広告が流れているにもかかわらず、もうすでに照明は消されて真っ暗になっている。もうまもなく始まるのだろう。


「香織さん」


 ふいに名前を呼ばれて、隣に座る珠緒に視線を向ける。薄暗いなか微かに見える珠緒の表情は真剣そのもので、つい見惚れてしまう。

 珠緒は香織の右手に触れると、唇を香織の右耳へと近づけ、そっと囁いた。


「好きです」


 シンプルな言葉。

 ゆえに、心にまで真っ直ぐ届いた。


 彼の手が離れると小さな小箱が香織の手のひらに残される。


「もしも、また僕と付き合ってくれるのなら今度こそ受け取って欲しい」


 香織からの返事を聞かず、珠緒は始まった映画に視線を向けた。

 香織は、あまりの嬉しさにまぶたをぎゅっと閉じる。楽しみにしていた映画には集中できそうもなかった。


(珠緒くんは、やっぱりずるい)


 珠緒にばかり意識を向けてしまう香織に、受け取らないという選択肢などないのだから。


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