第16話


「本当に行くんだな」

「…………お願いします」


 日曜日。彼の私室に当てた部屋へと香織が向かうと、晃はテレビを見ながら香織へと言葉を向けた。少し緊張しながらも返事をしたが、晃は一向に立とうとしない。


「晃………………いかないの?」

「これ、見終わってからな」


 そう言って晃が指差したテレビでは、子供向けの戦隊モノがやっていた。


「…………男の子って好きだよねぇ。こういうの」

「ヒーローは、かっこいいからな」


 キラキラと目を輝かせて晃は語る。その珍しい表情に驚いた香織は、しばらく晃を見つめる。

 あのあと、あの部屋での出来事を話せる範囲で晃に話をした。一旦、珠緒くんとの関係を改めること、珠緒くんがなにをしようとしているのか察したこと、それと、不思議な女性の声のこと。

 女性の声のことを話したとき、晃は嬉しそうに笑っていたけれど、なぜだか悲しいような苦しげような表情をしているようにもみえた。もしかしたら、晃はその女性について何か知っているのだろうか。きっと、中学の頃彼と過ごすことのなかったその空白の時間に答えがあるのだろう。


 それから、魔女について詳しいヤツがいると晃に教わり、今日これからその人の元に連れて行ってもらう予定だった。

 そんな彼は、いまヒーローに夢中だが……。


「…………ヒーローは、いいよな」

「そうだね」


 ポツリと呟かれた言葉に、適当に相槌をうつ。

 強くて、優しいヒーローは男の子なら誰もが憧れるもの、彼もまたその一人なのだろう。真剣に観ている晃の横で、香織は静かに終わるのを待っていた。



***


「香織、はやくしろよ」


 スタスタと歩いて行ってしまう晃を香織は早足で追いかける。人通りの多い駅前は、一度見失ったら探すのは難しいほどに混雑していた。そんななかを、スルスルと抜けて前を歩く晃はそうとうこの駅に通っていたのだろうか。歩き慣れている。


「まってよー!」


 ひと声かけてから、晃のもとへと走ろうと少し歩みを早めた瞬間。


「きゃっ!」


 なにかとぶつかる衝撃とドサリと何かが地面へと落ちる音がほぼ同時に香織をおそった。誰かとぶつかったんだ、そう瞬時に理解し、急いでぶつかった人に謝ろうと振り向いた瞬間、香織は息をのんだ。



 海の色をそのまま髪に閉じ込めたような透き通ったコバルトブルー。伏せた瞳からのぞくのは、髪と同じ色の……いや少し緑がかった青色の綺麗な女の子。

 女の子は、少し痛そうに地面についた膝を支えながらも香織と目を合わせた。


「大丈夫ですか!? 怪我してませんか?」


 美女と目が合ってしまった。そのことに呆然としながらも、彼女の問いにコクリと頷く。まるで魅了の魔法にでもかかったかのように、彼女から目を離せなくなっていた。それでは、いけないと首を振った香織は、座り込む彼女に手を差し伸べる。


「わたしの不注意でぶつかってしまって、すみません。あなたこそ、怪我してませんか? 足、気にされているみたいですけど」

「ありがとうございます。大丈夫です、これでも丈夫で––––……あれ、あなた」


 美女が香織の手に触れた瞬間だった、彼女は香織をジッと見つめ目を開かせる。彼女とどこかで会ったことがあるのだろうか、香織は首を傾げるが、こんな美女にあったら忘れられないだろう。珠緒と同じくらい、それ以上に綺麗なのだから。


「どうかしました?」

「…………なるほど、あなたとても面白いことになっているんですね」

「え?」


 突然、面白いと評価され戸惑っていると美女と香織の手の間からポコリと水滴が浮かび上がってきた。異様な光景に驚きつつも、香織は理解した。

 彼女も珠緒と同じ魔女。

 否、彼女こそ本物の魔女なのだと。


「残念ながら、わたしはもう助けることはできないけれど、あなたが失くしたものをとりかえす手助けならできます」


 コポリと音を立てながら水滴が大きくなる。それを彼女は手のひらで包むようにすくうと香織の胸元に向かって押し込んだ。

 ぐっと息が苦しくなる。自身の身体に吸い込まれていく、水滴を眺めながらあまりの衝撃に耐えきれず、香織は意識を手放した。



 意識を失った香織の体が倒れる寸前、晃は彼女を抱き止めた。倒れた原因であろう、目の前の女性を睨む。

 女性は、びくりと肩を揺らすと晃に向かって勢いよく頭を下げた。


「すみません。まさか、倒れてしまうなんて思わず」

「あんた、魔女か? コイツになにをした」

「…………記憶を取り戻すお手伝いをしました」

「……………………そうか」


 晃は、女性の答えを聞くなり、香織を背中に担いだ。ダラリと力のない身体から静かな息遣いを感じホッと胸をなでおろす。

 香織を担いでどこかへと連れて行こうとする彼に、女性は慌てて声をかける。


「勝手にすみません。ただ、それをかけた魔女さんの願いだったようなので…………」

「願い?」

「記憶を戻す時期がきたと……手紙が送られてきました。ここを指定したのも彼女です。未来をみることのできる方だったんですね」

「……………………あぁ、彼女に巻き込まれた側だったんだな。すまん」

 晃の言葉に、女性はふるふると首を横に振った。


「それともう一つ……《いつまでもウジウジ引きずってるなんて迷惑よ! しあわせな話があっちで聞けんの楽しみにしてんだからね》だそうです」


「…………ありがとう」


 晃は顔をみせずに女性にお礼を言うとそのまま香織を連れてどこかへと歩いていってしまった。

 彼の瞳から流れた、きらりと溢れた小さな光の粒を、女性は見なかったことにして自分を待ってくれている人のもとへと消えていった。

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