第15話
香織の部屋を教えてもらった珠緒は、部屋の目の前に立っていた。コンコンと優しくノックをするが、返事はない。もう一度ノックをしてから、ゆっくりとその扉を開いた。
真っ暗だった。
カーテンを閉めきり、部屋のライトもつけぬまま香織は膝を抱えて床に座っていた。
「……香織さん?」
泣いているのだろうか。そう思った珠緒が手を伸ばしたその時、彼女はいきなりこちらを振り向いて珠緒の腕を掴んだ。
「おかしいって思わない!?」
彼女の大きな声に驚いて体が震える。そんな珠緒の様子に気づかず香織は、なおも続けた。
「なんでお母さんは、なにも言わないの。あんなに元気でいようとするの!? 心配かけたくないから? 心配くらいさせてよ……それくらいしかできないんだから、つらいんだって、どうして私がこんな目にあわなきゃならないのよ! って怒ってもいい…………弱音はいたって、頼ってくれたっていいのに……」
(………………香織さん)
怒っているのか、悲しいのか、心配なのか、色々な感情でぐちゃぐちゃになっている香織を抱きしめてあげたい気持ちになった。
あと少しだけ近づいて、その手で彼女の背中に触れようとしたその時、彼女の言葉によってピタリとその手が止まる。
「珠緒くんだってそう!」
「え––––……?」
「なにも聞くな、なんて……なんでそんなこと言うの。珠緒くんのこと、たくさん知りたいって思ってきたところなのに、なんで…………。あんな痛そうな、さみしそうな顔で笑われたら知りたいのに心配したいのに、なにもできなくなっちゃう。珠緒くんは、ずるいよ…………ねぇ、晃も…………」
香織が顔をあげると傍にいたのが思っていた人物ではなく、珠緒なのだということに気がつき、言葉がぷつりと途切れる。大きく目を開き、先ほど自分がなにを口にしたのか思い出して口元をおさえる。
静寂が二人を包む。
カチカチと時計の針の音、窓の外で鳥がはばたく音さえも聞こえてきそうなほど静かな空気。それを壊してくれたのは、コロリと床に転がったひとつのお守りだった。
珠緒の手から落ちたお守りを拾い上げた香織は、そのお守りをジッと見つめた。
紫色の組紐に緑色とピンク色の布で出来たお守り。組紐と繋ぐ金具には懐中時計のチャームが付いている。
「…………これ」
「……晃くんから、受け取ったんだ。渡して欲しいって」
初めてみるはずのお守り。それなのにどこか懐かしさを感じるのは何故なのだろうか。
《香織ちゃんには桜の花が似合うからピンクって感じよね。晃くんは……黒色かしら。桜を守るアリみたいに真っ黒》
《大丈夫、なにかあったらアリさんを頼ってみて。彼に無理でも私が必ず繋げるから》
女性の声が頭に響く。その言葉が昔、誰かに言われたものなのだと香織は思い出した。
「…………なにかあったら、アリに頼れ…………か」
ぎゅっとお守りを握りしめる。そうするとその女性から頑張れる力をもらえるようなそんな気がした。
香織は、ぐっと力いっぱい立ち上がると両頬を思いっきり叩く。なにかを振り払うかのように思いっきり。
「香織さん!?」
突然の香織の行動に驚いた珠緒が彼女に手を伸ばす。その手が届く前に彼女は振り向いた。
振り向いて、少し赤くなった両頬をあげ、笑いながら彼女は言った。
「珠緒くん、期間限定の恋人、やめようか」
珠緒の中でその言葉が何度も何度もこだまする。ぐるり、ぐるりと体の中を言葉が巡り、二周三周したころになってやっと意味を理解した。
「…………きみ、も––––––––…………」
「珠緒くん?」
彼が小さな声で呟いた言葉は、香織には届かなかった。ただ、その言葉があまり良いものではないのだということを、珠緒の表情で察した香織は、少しだけ不安になった。そんな香織の不安を払拭させるかのように、珠緒はニコリといつものように笑った。
「なんでもないよ。それより、期間限定の恋人をやめるって意味わかってる?」
「…………わかってる」
「お母さんは、どうするの」
その問いに答えるのに、香織は少しの間、黙り込む。どうすればいいのか香織自身まだわからないでいる。それでも、珠緒との約束を白紙に戻すことに決めたのだ。
「失くしたくないものが増えたから、別の方法を探すよ」
「…………あてはあるの?」
「……………………たぶん」
「そっか」
仕方ないねと珠緒は笑う。
つくったような笑い方。いつもする珠緒の笑顔。それが見ていられなくなった香織は、彼の両頬をふわりと手のひらで包み、その頬をつまんだ。
ふにっとした柔らかな感触。呆然とこちらを眺める珠緒の瞳が、何度か瞬きを繰り返す。
その姿がなんだかおかしくて、香織はくすりと笑った。
「大丈夫だよ。だから、珠緒くんも諦めないで」
初対面のはずの香織に、一つしかないはずの魔女の心臓をあげようとしていたこと。大切な人をなくしかけている香織にその気持ちがわかると言ったこと。まるで、いなくなっても困らないように必要最低限の物しかない部屋。
珠緒の環境、言葉、行動すべてを思い返せば返すほど珠緒が何をしたいのかわかってしまう。
たとえそれが、香織の考えすぎだとしても珠緒をうしなうなんてイヤだと思った。
「私も、諦めないから」
香織の言葉に、珠緒は大きく目を開かせ、ゆらゆらと瞳を揺らした。まるで、水面をたゆたう月のようなその瞳に見入っていると、揺れる月を瞼の裏に隠してしまった。
「珠緒くん?」
不思議そうに香織が首をかしげる。すると珠緒は、瞳を閉じながら少し恥ずかしそうに答えた。
「香織さんが…………まぶしい」
眩しくて目を開けられないのだという珠緒の言葉に、香織自身、身に覚えがあった。
一人きりの部屋がさむかったあの日、迎えに来てくれた彼を思い出す。
あの時の香織と同じ。その光景に、香織はくすりと笑い。彼の瞼に優しく唇を押しあてようとしてやめた。もう彼とは恋人ではなくなったのを思い出した。自分からやめると告げておいて唇で触れるなんてできない。
それでも、あの時の仕返しがしたくて、何かないかと辺りを見回す。それを見つけて、思わずニヤリと口角があがる。ポケットから取り出し、彼の瞼に押し当てる。
柔らかく少し冷たい感触に驚いた珠緒が顔を勢いよくあげた。頬を真っ赤に染めながら瞼を抑えている。
「なに、したの?」
「いつかの、お返し」
さらに顔を赤くした珠緒の珍しい姿に、驚きつつも口元のにやけが抑えきれず、ふるふると震える。
「お返しって…………もう、恋人じゃないのにどうして!」
戸惑い、焦る珠緒の姿に堪えきれず吹き出してしまった。笑う香織の顔を訳がわからないというように珠緒は見つめている。
「ごめん、ごめんね。押し当てたの、コレだよ」
彼の手のひらに先ほど押し当てた。プラスチックでできた透明の袋の中に少し冷たいジェルが入った魚の形のストラップ。香織が家の鍵につけていたものだ。
「なんだ…………コレか」
珠緒はホッと胸をなでおろす。けれど、その表情のなかに少しだけ残念そうなモノが混ざっているようだった。
「びっくりした?」
「びっくりしたよ」
二人の笑い声が、部屋の中に響く。その響きが、一階へと伝わる。チラリと上へ視線を投げた晃は、そっと口元に笑みを浮かべた。
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