第14話
「こんにちは、おばさん」
滑るように病室の引き戸が開く。晃につづいて香織が中へと入る。珠緒は、病室前の椅子で座って待っててもらうことになった。
なにも返ってこないことに香織は疑問を抱きつつ、カーテンを開けた。
「…………っ、おかあ、さん」
ぐったりとベッドに横たわる母親の肌は血色がいいとは言えないもので、弱々しく開いた瞳が香織を捉えてゆらりと揺れた。
ゆっくり手を伸ばして、柵に引っかかっているリモコンを操作するとベッドの背がゆっくりと起き上がる。
「…………ひさしぶり……ね」
起き上がることさえつらいのか、それを我慢しつつも優しげに笑う母親の姿に、じわりと涙が出そうになるのを香織は堪える。
「お母さんの着替え持ってきたよ。あと頼まれてた歯ブラシとかシャンプーとかも……」
「…………ごめんね、香織」
「いいの、謝る必要ないんだよ……あとね、お母さんのお気に入りのブランケット。まだ少し肌寒いからね」
「ごめんね」
何度も何度も謝る母親に、またじわじわと目頭があつくなっていく。心配をかけたくないと、にっこり笑って母親の手を握った。
「ごめんねじゃなくて、ありがとうだと嬉しいな…………お母さん、手つめたいね。マッサージしてあげる」
ハンドクリームを取り出して、冷たくなった母親の手をさする。香織自身の熱が母親にうつるように優しく、優しく。
「香織、もういいよ。ありがとうね」
そう言って離れる母親の手を、もう少しだけ握っていたいと思ったが先ほどよりも元気のない笑顔にもう身体を起こしているのがツライのだと悟った。
リモコンでベッドを操作する母親に晃が話しかける。
「おばさん、コイツに恋人できたの知ってます?」
「ちょ、ちょっと晃!」
一度ならず二度までもバラしやがってと言いたそうに香織は晃を睨む。楽しそうにニヤニヤしているのかと思ったら、晃は穏やかに笑っていた。
「……香織に…………? 恋人って晃くんかしら?」
「な、なんでお母さんまで晃となんて言うの!?」
「あら…………違うのかしら」
ふふっと楽しそうに母親は笑う。その頬が微かに赤みを帯びていることに香織はホッと安心した。
「おばさんがもう少し元気になったら連れてきますね」
「じゃあ、はやく元気にならなくちゃいけないわね……………………」
静かな寝息とともに母親は眠った。しばらく、穏やかな寝顔を眺めてから二人は病室をあとにする。
ゆっくり引き戸は閉まった。携帯を眺めていた珠緒は顔を上げて「おかえり」と手を振る。
香織の傍に行くと、その手をぎゅっと握った。
「お母さん、どうだった?」
母親は一生懸命"元気"を作っていた。たくさん話して、たくさん笑って、つらいのに起き上がったりもして、そんな母親の姿を思い出し、胸のあたりが苦しくなった。そのせいで息をすることさえ苦しくなり、香織は慌てて口をおさえた。
「どうかした?」
香織の顔を珠緒が覗き込む。怪訝そうにしている彼に、香織はなんでもないと首を振った。いま誰よりも苦しい思いをしているのは母親だ。
少し苦しいからと言ってみんなに迷惑はかけたくないと香織は胸の苦しさも息苦しさものみこんで、なかったことにした。
その様子を見ていた珠緒は、何か言いたげに口を開くが一度言葉をのみこみ「そっか」と笑みを作りながら返した。
***
香織の家へと帰ってきた三人は、叔母に挨拶すると香織は自分の部屋へ、晃は自分が寝泊まりしている客間へ珠緒を連れて行った。
畳まれた二組の布団、床に置かれた荷物。その荷物の中身を開け始めた晃に、驚いた珠緒は彼の腕を掴んだ。
「ちょ、なにやってるの勝手に」
「は? なにが」
「勝手に人のカバンを開けてなにしてるんだよ」
「…………ああ」
自分の荷物だ、開けても構わないだろう。そう不思議に思っていた晃だが、そういえばしばらくの間ここに住んでいることを珠緒に話していないということに気がつき、カバンを漁る手を止めた。
今の彼にそのことを伝えたらどんな表情をするだろうか気になった晃は、珠緒を振り返るとポーカーフェイスを努めながらも告げた。
「珠緒、これは俺の荷物なんだ」
「そう、なんだ?」
疑問に思うことはあるのだろうが、言葉の意味をよく理解していない珠緒は眉を歪ませつつも相槌をうつ。
意味を理解してくれないと面白くない。そう思った晃はもう一度、同じ言葉を繰り返した。
「これ、俺の荷物なんだ」
「……………………………………え?」
たっぷりの間があいたあと間抜けな声と表情をした珠緒に、晃は内心笑っていた。香織と出会ってからの珠緒は、色々な表情を見せるようになった。晃はそれが嬉しくて、ついつい二人に意地悪をしてしまう。
(まぁ、俺と香織が一緒に住むなんて予想もしてなかったけど)
「いま、おばさ……アイツの母親の頼みで俺と母さんがここに一緒に住むことになったんだよ」
「そう…………なんだ。じゃあ、もしかして香織さんの首の––––…………」
珠緒は目線を斜め下に向けながら何か言いかけてたが、ぐっと言葉を飲み込むとそれ以上、口を開くことはなかった。晃は、不愉快そうに眉を寄せる珠緒の眉間を軽く指で弾き、ぱちぱちと瞬きをする珠緒に晃はニカリと笑いかけた。
「安心しろ、俺の心臓はもう別のやつに捧げてあるからさ」
そう言うと晃は再び自分の荷物をあさり始める。中から取り出したのは、紫と水色が混ざり合った石のついたブレスレットだ。
「これ、アイツに渡してこい。アイツ、相当キテただろう。気休めにしかならないだろうけど……」
「なに、これ」
「自称凄腕の魔女が作った、お守りだ」
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