第11話

「なんで外で待ってんだよ……あ、その顔じゃ無理か」


 晃の開口一番の言葉がそれだった。直接ぶさいくだと言わず遠回しに言われたほうがグッと心に刺さるのだと香織は気付かされた。


「何かあったの」


「何かあったのはお前だろ。珠緒の家でなにがあった」


 香織の手からさりげなく鞄を受け取った晃はゆっくりと歩きはじめた。香織も彼の数歩後ろをついて歩く。


「なにも、ないよ」


「うそだな……まぁ、話したくないなら無理に話せとは言わねぇよ」


 無理矢理聞かれるのだと覚悟していた香織は彼の言葉に驚いた。思わず彼の背中を凝視していた。ほんの最近まで晃と香織の身長に変わりはなかったのに、いつのまにこんなにも大きくなったのか彼の背中が大きく広いものだと感じた。

 眩しそうにその背中をしばらく眺めていた香織は、晃が振り向いたと同時に目をそらした。


「そういや、お前。病院の緊急連絡先に自分の携帯番号書かずに家のやつ書いたろ」


 そういえば自分のを書かなかったことを思い出す。それがどうかしたのかと首を傾げ、ハッとする。


「お母さんの身になにか!?」


「…………目覚めたってよ」


 晃の言葉が脳内に何度も繰り返され、やっと言葉の意味をのみこめた時には涙が瞳からこぼれた。あふれて止まらない涙をぬぐいながら香織の心の中は、よかったという安心感でいっぱいになる。


「お前、また泣くのかよ」


 晃はポケットから小さなハンカチを取り出すと香織の目元に優しく当ててくれた。しばらく吹いていてくれたが、止まらないことがわかったのか香織の手にハンカチを渡しそのまま、あいたもう片方の手をとって、引っ張ってくれる。


「とりあえず、病院にはお前の携帯番号教えておいたから。これからはかかってくるだろうよ」


「うん、ありがとう。でもお母さんに会いにちょっと今から行ってくるから」


 今繋いでいる手を離してくれと掴まれている手を引っ張るが晃は離してくれなかった。


「やめとけ、泣きましたーって顔で会いに行ったら心配するだろ。行くなら明日にしろ」


「……そうだね」


「あぁ、それとな、お前の母親から頼まれたんだけど」


 彼はまたもやポケットから何かを取り出した。それを見た香織は思いっきり目を見開いた。

 夢の国にいるクマのキャラクター。それは母が大好きなキャラでいつもそのグッズを色々なところにつけていた。そのキャラを家の鍵にもつけていたことを覚えている。

 そして、晃が持っているのはそのキャラのキーホルダーがついた鍵。


「も、もしかして、その鍵って」


「お前の家の鍵。おばさんが貸してくれた」


「な……なんで?」


 ニヤリと晃が笑う。イヤな予感しかしなかった。


「おばさんがお前のこと心配なんだって、だから帰るまで一緒にいて欲しいそうだ」


「……つまり? 一緒に暮らすってこと?」


「そういうこと」


「ぇえええぇええ!?」


 香織の大きな声が辺りに響いた。茜色に染まっていく空に二匹のカラスがカァカァと鳴きながら通り過ぎていった。



***



 歩く速度を少し遅くするという香織のささやかな抵抗は虚しく、香織の家へとたどり着いてしまった。

 我が物顔で、晃は玄関の鍵を開けて家の中へと入る。しかし、香織は中へと入るのを躊躇していた。


「……なにやってんだよ。入れよ」


「うん……」


 なかなか入ってこないのを心配したのか晃は隙間から顔を出す。そんな彼に返事をしながら香織はひとつ頷くと、家の中へと入った。


「おかえりなさい、香織ちゃん」


 玄関に叔母さんが立っていて、香織の思考回路が油が切れたみたいに回らなくなる。


「…………え、叔母さん?」


「しばらく、一緒に暮らすことになったんだけど……晃から聞いてない?」


「きいてました……けど」


 叔母さんも一緒だなんて聞いていなかった香織は、晃に抗議の視線を向ける。彼は、ベーっと赤い舌を出していた。どうやら香織が変な勘違いをしていることに気づいていたのに彼はあえて何も言わなかったらしい。


(……大きくなったって思ったけど違う。中身は小学生のままだ)


 内心ため息をつきながらも香織は靴を脱いで家の中へとあがった。


 包丁がまな板にあたる音。野菜を切る音。誰かに作ってもらうのは数日ぶりで、その音に香織はホッと安心していた。


「私の家に来てもらっちゃって大丈夫なんですか?」


 カウンターから顔を出して、叔母さんの料理する姿を眺める。叔母さんは、作業の手は止めずに話をしてくれた。


「いいのよ。あっちにはダンナがいるし、香織ちゃんもウチに来るよりいつも住んでる家のが落ち着くでしょ?」


「え、叔父さんはうちに来ないんですか!?」


 晃の家に遊びに行くたび見かける叔父さんは、いつも大きめなソファーに寝ころんで本を読んでいた。小説や新聞、週刊誌にたまに漫画も読んでいるその姿は不思議で幼い頃、香織は母親に「あきらのパパさんは、にーとなの?」と聞いたことがある。


「在宅ワークだから、こっちに来れないのよ」


 それなら仕方がないのかもしれないが、なんだか申し訳ないような気がして香織は「すみません」と頭をさげた。


「いーのよ。んで、晃は何をしているのかしら?」


「ゲーム」


「香織ちゃんの家に来てまで何やってるのよ! こっち手伝いなさい」


 手伝いなさいと言われても動こうとしない晃に、叔母さんは「もう!」と頬を膨らませていた。


「私、手伝いますよ?」


「え? いいのよー。それより、晃と遊んでやって、晃となんて久しぶりでしょう?」


「えっ、でも……」


 叔母さんを手伝った方がいいのか晃と遊んでしまっていいのかと香織は悩んでしまう。キョロキョロと二人を交互に見つめていると、晃がこちらを振り向いた。


「遊ぶぞ」


 青色のコントローラを上下に振り、こっちにこいと招く。


「うん!」


 晃の元へと駆け寄り、コントローラを受け取る。彼は一人プレイのゲームをいったん止めて、別のソフトと交換していた。


「なにやるの?」


「お前とやるならマ○カーって決めてた」


 小学生の頃、晃と遊ぶゲームといえばマ○カーで香織は一度も晃に負けたことがなかったのを思い出す。負けず嫌いなんだからとクスリと笑った香織はコントローラを強く握った。


「マ○カーね、オッケー」


「負けたら珠緒となにがあったか話せよ」


「えっ!?」


 突然言われた勝負の内容に驚いているうちに、レーススタートの音声が流れて香織は慌ててボタンを押した。

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