第7話
それから、ご飯を食べ終えた二人は、学校へいこうと時計をみて驚愕する。時計の針は、八と二をさしていた。
「珠緒くん、やばいよ。遅刻しちゃう」
カバンを拾いあげ、振り返る。焦る香織とは違って彼は、窓から空を眺めていた。
「珠緒くん……?」
「玄関の鍵、閉めてきて」
「え?」
彼の言っていることがわからず、困惑する。そんな香織にかまわず、彼はにこりと笑いながら、ベランダへつながる窓を開けた。
「香織さん、お空デートしようか」
ぱちり、と指をならすと後ろからガチャリと鍵のかかるような音が微かに聞こえた。反射的に振り返り、玄関まで駆け寄る。ドアノブに手をかけると、扉は開かず、鍵がかかっていた。
「学校までだけど、行こう?」
天使のように爽やかな笑顔で珠緒は手を差し伸べている。
彼の魔法をこの身で体験できると思うと、期待に胸が熱くなっていく。どきどきと鳴り響く鼓動を聞きながら、香織は珠緒の手をとった。
その瞬間、ふわりと体が浮き上がった。空を飛ぶという感覚に慣れないせいか、ほんの数センチ浮き上がったくらいでも足や手をむやみに動かしてしまい、体が不安定になる。つい、ぐらり、とよろけてしまった香織の体を珠緒がとっさに抱き寄せた。
「大丈夫、おちついて香織さん」
「う、うん」
彼に支えられたことで、ほっと息をはいたが、彼との距離が近いことに気づいて心臓は鼓動をはやめ、体があつくなっていく。
「じゃあ、外にでるよ」
彼のその声を合図に、二人の体はゆっくりと上へと昇っていく。ベランダを通り抜けると、彼は器用に扉を閉めてから魔法で鍵をしめた。
「……なんか、便利ね」
「そうかなぁ?」
香織の言葉に、苦笑しながら抱き寄せていた香織の体を放した。その代わり、二人の手が指を絡ませあい、深くつながっている。
「じゃあ、行こうか。あまり下は見ないようにね」
「うん」
珠緒に連れられて、空へと高くあがっていく。空だけしか映らない風景に、そよそよと風が香織の頬をかすめる。鳥よりも高く飛んでいる、そう思うと無性に楽しく思えた。
「たのしい?」
珠緒が、ちらりと横目で聞いてくる。香織は、満面の笑みで彼の腕へと抱きついた。
「たのしいよ! とっても」
「よかった。なんだか、会ったときに元気がないような気がしたから。笑ってくれて安心したよ」
ドキリと心臓が鼓動をうった。
心底安心したと彼が笑う。その表情を見るたびに、鼓動の音が大きくなっているように感じて、香織は胸に手のひらをあてた。
「ほら、ついたよ」
学校の屋上におろされ、お空のデートはあっけなく終わりを迎えた。ほんの数分という短い間だったけれど、その時間はとても楽しく、終わってしまうのが少しさみしかった。
「ありがとう」
「いえいえ。香織さんとデートできて楽しかった。帰りもデートしようね」
「今度は、空のデートじゃなくて陸でのデートがいいな」
香織が、そう言うと珠緒はニコリと笑って「そうだね」とうれしそうに頷いた。
***
教室にたどり着くと時刻は朝のホームルームまで五分ほど余裕があり、ほっと息をつきながら香織は、席に座った。すると、誰かが香織の目の前に立った気配がした。
「……晃」
そこには、香織をギロリとにらむ晃の姿があった。晃のただならぬ雰囲気に香織は、びくりと肩をふるわせた。
「さっき、屋上から登校してなかったか」
「えっ」
みられていた。さぁっと一瞬のうちに香織の顔が青くなる。なにも答えない香織に、晃は彼女の耳元でささやいた。
「おまえ、珠緒が魔女だって知っていて近づいたのか」
その声は、怒っているとはっきりわかるほど低いものだった。そんな声でささやかれた香織は、処刑台の上で首を切られるのを待っている受刑者のようなそんな感覚におちいる。
「……ち、ちがう」
ふるえながらも、やっとのことで声を絞り出した。
けれど、絞り出した言葉がウソだというのは香織の表情を見れば、一目瞭然だった。
「珠緒の心臓が狙いだろ」
「ちがうよ」
今度は、きちんと否定できたが、晃は先ほどよりも強く香織をにらんでいる。もう、否定の言葉は意味をなさないようだ。
「あのな、珠緒の心臓は––––……」
晃がなにか言い掛けたとき、タイミング良くチャイムが鳴り響いた。忌々しそうに晃は舌打ちをした。
「続きはまあとで、な?」
逃げるなよと香織に視線をむけた晃は、机の上に一冊の本をおくと教室から出ていってしまった。
(……これ)
中をひらいてみると、先日香織が読みたいと言っていた"しき"の男性視点の話の本だった。
(晃は、約束をちゃんと守ってくれたのに、隠し事をしていていいのかな。それに、珠緒くんの心臓になにかあるのかな……)
なんともいえない罪悪感と不安におそわれ、胸のあたりが痛みをうったえる。考えることがあまりにも多すぎて、なんだか頭までもが痛くなってしまいそうだ。香織は、深くため息をはくと、和らげるようにこめかみをおさえた。
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