第6話


 空が白み始めた頃、香織は目を覚ました。

 ゆっくりと起き上がりベッドから抜け出すと窓のカーテンをあける。静かな町並みを、ぼーっと眺めながら深いため息をはくと、香織は登校の時間までに出来る限り家事を終わらせるために部屋をでた。

 洗濯や部屋の掃除を終わらせ、朝ご飯を作っていた七時頃のことだった。誰かの訪問をしらせに呼び鈴が鳴ったのだ。


(誰だろう?)


 首を傾げながらもいったん、ガスを止め玄関ののぞき穴から外をみる。


「……え、珠緒くん?」


 驚きながらも玄関のドアを開けると、珠緒が爽やかな笑顔を香織に向けていた。


「おはよう」


「おはよう、どうしたの?」


 まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、珠緒は目をまるくさせてから、ニコリといつもの笑顔をしてみせる。


「恋人になったことだし、一緒に登校しようとおもって迎えに来たんだけど、マズかったかな?」


「あ、そんなことはないけど……そっか、つき合ってるんだから登校も一緒のがいいんだね」


「うん、今はそんな感じ」


 珠緒の"今は"という含みのある言い方に首をかしげつつ、彼を家へと招き入れる。


「まだ登校まで時間あるし、中で待ってて」


「いいの?」


「うん?」


 なにを躊躇する必要があるのだろうかと疑問におもいながら答えると、彼は苦笑いをしつつも「お邪魔します」と家へと入った。

 家の中に入ると、珠緒は食欲を誘ういい香りに、思わず鼻で匂いをかいでしまう。


「ご飯、作ってたんだ?」


「うん、朝だから軽い食事程度だけど」


「へぇ……」


 珠緒は、じっとキッチンを見つめ白い首を、ゴクリとならした。


「よかったら、食べてく?」


「いいの?」


 きらりと珠緒の瞳が輝いては、香織を見つめる。視界がチカチカと星が瞬くような眩しさに襲われ、香織はぎゅっと目をつむった。


「香織さん?」


 心配そうな声と珠緒が近づいてきたような気がして、思わず体を震わせる。


「実は、迷惑だった?」


「ちがうの、迷惑じゃない」


 思いっきり首を横に振る。

 すると、くすり、と微かに笑うような声が聞こえた。目は閉じたままだからか、珠緒がいまどんな表情をしているのか香織にはわからない。


「じゃあ、どうして目をつむっているの?」


 するり、と冷たい何かが頬を伝った。なにが触れたのかわからず体がこわばる。


「珠緒くんが……」


「僕が?」


「……まぶしいから」


 香織がそう答えると同時、彼女の頬に暖かく、やわらかいものが優しく触れた。突然のことに驚いて目を開けると珠緒がにこにこと笑っている。


「なに、したの」


「ないしょ」


 イタズラが成功した子供のように無邪気に笑う珠緒をみて、香織は頬を赤く染めながら、なにかが触れた頬をぬぐった。


「ごはん、あげないよ」


「それは、困る。香織さんの手作り食べたいし、それに香織さんがかわいい顔をするのが悪いよ」


「なっ……もうほんとに、あげない!」


 ふいっとすねたようにそっぽを向く香織に、珠緒はクスリと笑う。甘酸っぱい雰囲気に耐えきれなくなった香織は、珠緒をにらむと朝ご飯作りの続きをするためキッチンへと向かった。情けない声で謝る珠緒を無視して。

 今日の朝ご飯のメニューは、ハムに目玉焼き、それとわかめと豆腐のおみそ汁だ。おみそ汁は、もう十分に出汁がとれていてあとは具をいれて、おみそを溶かして入れるだけだった。


「……珠緒くん」


「なあに」


 カウンターからひょっこりと顔をだした珠緒の眉が、ハの字に垂れ下がっている。


「目玉焼きの焼き加減はどうする?」


「……ゆるしてくれるの?」


「仕方ないからさっきのは、許してあげる。一人でたべたくないし」


「ありがとう。焼き加減はオーバーミディアムがいい」


「…………え?」


「両面焼いてあって、黄身は半熟のやつ」


「ごめん、むり。半熟で勘弁して」


「えー」


 ブーイングされながらも、熱したフライパンに油をいれ、卵をいれる。時間もあまりないので二人分の目玉焼きを一気に作ってしまう。


「オーバーミディアム? は、また今度、つくってあげる」


「うん、たのしみにしてる」


 嬉しそうな言葉とは裏腹に、彼の表情はどこか悲しげで、なぜだか言いようもない不安が襲う。今にもどこかに溶けて、消えてしまいそうなそんな雰囲気があった。

 どうかしたのか、香織はそう聞こうとしてやめた。なんとなく、また笑顔ではぐらかされてしまいそうな気がしたからだ。焼けた目玉焼きをお皿に移しながら、香織はきゅっと下唇をかみしめた。

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