第3話
"魔女の心臓"について。
一番初めの魔女が生きていたのは数千年前。その魔女は起源の魔女と呼ばれ今でも"フィーネの魔女"という絵本となって語り継がれている。
人々の中にひっそりと身を隠して生活する魔女には、二つの心臓があるといわれる。魔女の心臓は万病の薬となり、その効果は心臓がとまってすぐならば息を吹き返すほどのものである。実際に、その場面を見たことがある者が語るには、その光景はとても美しいものだったという。
「魔女を見分けることは、見た目が人と変わらないため難しいが、人とは違い特殊な力が魔女にはあるらしい……か。探すのは難しそう」
ざわざわとした教室内で香織が呟いた言葉は、ざわめきのなかにすぐに溶け込んで誰にも聞かれることはなかった。
ネットの書き込みを見ながら、香織はため息をついた。調べるのに使っていた携帯を机に置き、次の授業の教科書を取り出した。
まさか、魔女の心臓というものが"フィーネの魔女"と関係しているだなんて香織は思いもしていなかった。お伽話だと思っていたものが、現実にあったかもしれないことだなんて誰が思うだろう。
もう一度大きなため息をはくと同時に授業開始のチャイムが鳴った。すぐに先生が教室に入ってきたのをみて、香織は頭を軽く横に振ると気持ちを授業へと向けた。
***
授業が始まってしばらく経つと、こくり、こくりと香織は船をこぎはじめた。魔法の呪文のように、つらつらと語られる言葉はひどく眠気を誘う。先生がつかうこれは、眠りの魔法だろうか。
(せんせいが……まじょ)
想像してしまったことをはらうように首を軽くふった。パーマのかけすぎでくるくるにねじれた化粧の濃い先生が魔女と考えるのが、なんとなくイヤだった。
どうにか気を紛らわせようと、窓の外を眺める。
この教室からグラウンドを使う体育の授業がよく見えた。見知った顔である晃の姿をみかけ、しばらく眺める。
どうやらサッカーの授業らしく、白線で区切られたコート内を晃は右へ左へと忙しなく動いていた。晃の姿にも目がいくが、彼とは逆にコート内を悠々と歩く色素の薄い髪の男の子が気になった。
(……なにやってるんだろう)
やる気がないのだろうか。首を傾げつつ、男の子をしばらく見守っていると、晃が勢いよく蹴ったボールが彼の顔面に向かって飛んでいくのがみえた。
(あ、あぶない!)
内心、そう叫んだ。
ボールが男の子に当たり、彼は後ろへと倒れる。
その光景がみえて、香織は授業のことを忘れてその場に立ち上がった。
「涼暮さん、どうかしました?」
「…………みつけた」
先生の言葉なんて香織の耳には届いていなかった。
香織は、見てしまったのだ。男の子の顔面にボールが当たる寸前、不自然に上へと曲がったのを見てしまった。自然にみせた不自然さに気づいたのは香織だけなのか、晃が男の子に近づき彼を連れてコートを出ると、再び試合が動き始めた。
(彼は、魔女かもしれない)
確かめたくて仕方がなかった香織は、叱ろうと近寄ってきた先生に目線をあわせる。
「先生、すみません。お手洗いにいってきます」
「え、えぇ」
堂々とした香織に気圧されたのか、先生は叱ることも忘れて彼女が教室を出ていくのを許してしまう。
香織は、先生から了承を得るとすぐさま教室を出る。もちろん向かうのは、お手洗いではなく先ほどの男の子がいるであろう場所だ。
***
学校の階段を二階、一階へと降りていき廊下の端から端まで移動する。香織が足をとめた教室の入り口には、保健室と書かれていた。
コクリと小さくつばを飲み込み、扉へと手をかける。ゆっくりと開いて、中を覗くと探していた男の子がイスに座っていた。
色素の薄い髪が日の光を浴びて絹のように輝き、真珠のごとく白い肌に、こはく色に輝く瞳がよく映えていた。近くでみた彼は、天使と見紛うほど美しかった。
彼以外の人の気配がしないのをみると、つきそっていた晃も保健室の先生もいないらしい。香織にとってまさに、好都合な状況だった。
「……どうしたんですか?」
女の子よりも長いまつげが数度瞬くと彼は、首を傾げながら香織を見つめた。はっと我に返ると慌てて保健室の中に入った。
「あ、あなたは、魔女ですか?」
さりげなく聞く予定だった言葉が、つい口からこぼれた。あわてて口をおさえるが、出てしまったものを戻すことはできない。おそるおそる、彼に視線を向けると、大きく目を見開かせこちらを凝視している。
何かを言おうと香織は、口を開いては閉じる。それを、繰り返しているうちに、彼は和やかに笑ってこたえた。
「はい、そうです」
「……ほんとに?」
「本当です。僕は、あなたの言う通り魔女です。……それがなにか?」
否定されるとおもっていた香織は、彼が素直に答えたことに驚いていた。初対面で、魔女だと証明できるものもなにも持っていない香織にたいして隠し通せるはずなのに、それもせずただ笑っている。
この勢いのままあのことも頼んでしまおうと香織は、こくり、と小さく喉をならして勢いよく頭をさげた。
「あなたの、魔女の心臓をください」
「…………僕のを?」
「あなたのいのちのひとつということは、理解しています。それでも、どうしても必要なんです」
頭をさげながら言う香織を、彼はじっと見つめていた。あまりにも無に近い表情をしていて、彼がなにを考えているのかは読みとれない。
「……いいですよ」
ながい沈黙のあと、優しげな声でそう答えた。
「……いいんですか? 私たち初対面なんですよ?」
「わかってます」
「いのち、もらうんですよ?」
「はい」
「なにに使うかわからないんですよ? くだらないことに使われちゃうかもとか思わないんですか?」
「きみなら、大丈夫」
「……なんでですか、名前もしらない私をなんでそんなに……」
簡単に信じられてしまうのだろうか。
香織は、その場にへたりこんだ。母を助けられると思うと喜ばしいことだが、たとえ二つあるいのちだとしてもこんなに簡単に了承してくれるとは思わなかった。それとも彼にとって、魔女にとって、いのちはそんなにも軽いものなのだろうか。
ぐるぐると考え込んでいると、目の前に細くしなやかな手が差し出された。ゆっくりと視線を上にあげると彼がほほえみながら手を差し伸べていた。
「僕は、
「
「涼暮さん、僕の心臓をあなたにあげます。そのかわりして欲しいことがあるんです」
「してほしいこと、ですか」
魔女である彼がして欲しいこととはなんだろうか。なにかの実験体にでもなれだとか、ありえないようなことを要求されてしまうのだろうか。再びぐるぐると考えはじめた香織の様子をみて、珠緒はクスリ、と微かに笑った。
「僕の恋人になってください」
「…………えっ?」
「僕の誕生日、六月二十五日までの二週間だけでいいんです、なにも聞かずに恋人になってください。この条件をかなえてくれたら、誕生日の日にこの心臓をさしあげます」
「二週間だけでいいの?」
「はい、期間限定の恋人です。もし、この条件をのんでくれるなら僕の手をとってください」
珠緒の手の距離がぐっと近くなる。その手と彼のにこやかな笑顔を交互にみた香織は一瞬だけ考えると、彼の白い手をつかみ握りしめた。
その瞬間、おもいっきり引っ張られたにも関わらず、背中に翼がはえたのではと勘違いしてしまいそうなほど、ふわりと優しく立たされる。
「これからよろしくね、香織さん」
「あ、はい」
「恋人になったから敬語は禁止だよ」
「う……うん」
こうして、涼暮香織に二週間だけという奇妙な恋人ができたのだった。
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