第2話




 香織は、サンドウィッチとコーヒーのセットを頼み、晃は紅茶を注文した。

 少し声の高い店員さんが会計を読みあげるのを聞きながら、香織は晃に小声で話しかける。


「ごめん、ちょっとお手洗いに行ってもいい?」


「……席に運んでおくからな」


「ありがとう」


 はやく行け、そう言うように手を払われてしまい、お礼を言ってからカフェテリアを出た。




 待たせてはいけないと、香織は少し早足で病院内を歩く。キョロキョロとお手洗いの表示がある案内板を探している間に、いつのまにかあまり人気のない場所へと来てしまった。


(あれ、見逃しちゃったのかな)


 とりあえず来た道を戻ろうと足を動かしたとき、どこからか話し声が聞こえてきた。


「昨日の夜に運ばれてきた人、ダメみたいよ」


「あらぁ、気の毒にねぇ」


 ドキリと、胸が鼓動をうつ。もしかして、母のことだろうかそう思った香織は声のする方に向かうと、休憩所で休んでいる二人の女性がいた。服装をみるに、どうやら入院している患者のようだった。


「魔女の心臓があればねぇ」


(……まじょのしんぞう?)


 聞き慣れない言葉に、香織は小首を傾げる。


「あれは、迷信だろう。信じているのかい?」


「昔、みたんだよ。車にひかれた男の子を助けた魔女をさぁ……キレイなもんだったよ 」


 その時のことを思い出しているのか、懐かしそうに語る女性の声を必死に聞き入っていた。もっと詳しいことがしりたくて、体が自然と休憩所の方に動いたその時……。


「どうかしました?」


 優しげに声をかけられ振り向くと、そこには看護師が、心配そうに香織をみていた。

 声をかけられ、自分が今までなにを探していたのか思い出すと、忘れていた感覚がせり上がってくる。ふるり、と体をふるわせた香織は、申し訳なさそうに笑いながら聞いた。


「すみません、道に迷ってしまって……お手洗いはどこですか?」


 数度、瞬きをした看護師はにこりと穏やかに笑うと、快くお手洗いの場所まで付き添ってくれた。


***



「おそい、コーヒーが冷めた」


 カフェテリアへ帰ると、呆れたようなため息とともに晃に出迎えられた。


「ごめん、迷っちゃって」


「だと思った」


 晃は、読んでいた本を閉じるとテーブルの上に置いた。

 星座で彩られたブックカバーに目を奪われる。隠されたページの中には、どんな物語がつづられているのだろうか。


「なに読んでたの」


「んー」


 少しばかり迷う仕草をしてみせた晃だったが、再び本へと手を伸ばすと香織にむかってさしだした。


 どうやら、気になるなら読め、ということらしい。

 香織は、お礼をいいながら受け取ると本の中を開いた。挿し絵は一つもなく文字ばかりが並んでいる。


 "しき"というタイトルの目次には、春、夏、秋、冬と季節の名前が各章のタイトルとして書かれている。"しき"とは四季のことかと納得しながら、あらすじを見ようとブックカバーに手をかけた。


「カバー、外してみていい?」


「あぁ」


 持ち主からの許可ももらえたことで香織は、ゆっくりとカバーを外す。


 大きく白字で書かれたタイトルに、表紙の真ん中には大きな木が描かれていた。枝に描かれているものが季節をあらわしているのか、一番上の枝には桜が咲いているが、一番下の枝には雪がつもっていた。

 そして、その木の下に左右にわかれてたたずむ学生服を着た男女が描かれていた。なぜか男の子だけ背中をむけていて、前を向いている女の子の表情は悲しげだ。


 香織は、この表紙だけでこの本を読んでみたい気持ちでいっぱいになった。どんなあらすじなのだろう、わくわくしながら裏表紙をみる。


《桜の雨がふりそそぐなか、少女は最初で最期の恋をした》


 その一文からはじまったあらすじは、余命一年をつげられた少女が、桜の木の下で出会った少年に恋をする話だと書かれていた。一年後に死ぬ運命であることを少年に隠しながらも、桜の木の下で逢瀬おうせをかわし、そのたびに少年と色々な約束をしていく。

 しかし、突然少年からもう会えないと別れをつげられた少女は"卒業式の日に会おう"と約束をかわすが……。


 そこで、あらすじは終わっていた。このあとどうなるのかが気になった香織は、本にカバーをつけながら晃に視線をなげかけた。


「ねぇ、晃」


「だめだ」


 貸してと言うまえに断られ、香織はムッと口を閉じた。香織の言葉を予想していたのだろうが、最後まで言わせてくれてもいいだろう。


 しかも、いつのまに買っていたのか晃側のテーブルの上には先ほどまでなかったチーズスフレが置かれている。ふわふわ、しっとりとしていそうな、なめらかな表面をみると香織まで食べたくなってしまう衝動しょうどうにかられる。

 食べたい衝動と戦っている香織を知ってか知らずか、彼はチーズスフレを一口サイズにすると口の中へと放り込んで言った。


「まだ読んでる途中だから、ムリ」


「ですよね……」


 香織自身もムリだろうとは思っていたが案の定、断られてしまって––––さらにはチーズスフレを食べる姿も見せつけられ––––肩をおとした。


「…………それの男視点の話なら貸せるぞ」


「貸して!」


 男視点の話があるのかと香織は、晃の言葉に食いついた。先ほどの落ちこみようから一変、香織は目を輝かせながら期待のまなざしを向けると晃はそっぽをむいて「あとでな」と答えた。


「それよりも、さっさと食え。母さんがそろそろ来るぞ」


「うん」


 香織はサンドウィッチに手をのばし、晃はチーズスフレにフォークをさす。会話がなくなり、静かな時間を過ごしていると思い出すのは休憩所で聞いた"まじょのしんぞう"のことだ。


(まじょのしんぞう、か。それがあったら)


 母の命は、助かるのだろうか。母の元気な笑顔を思いだし、胸のあたりがきゅっと痛んだ。


(そもそも、まじょのしんぞうってどんなものだろう)


 なにもわからないことに、ふがいなさを感じ香織は大きくため息をついた。


「母さん、ついたって、行くぞ」


「あ、うん。ちょっと待って」


 携帯を眺めながら伝えられ、あわてて残っていたサンドウィッチを口にいれた。




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