僕の心臓をあげるよ

第1話


 白いカーテンが、風に揺られてふわりと揺れる。

 白い天井、消毒液の匂い、所々に置かれた緑色の観葉植物。


 保健室と、呼ばれた部屋の扉の前に少女は呆然と立ち尽くしていた。


(……天使?)


 色素の薄い髪が日の光を浴びて絹のように輝き、真珠のごとく白い肌に、こはく色に輝く瞳がよく映えていた。天使と見紛うほど美しいその少年は、呆然としている少女に向かってその薄ピンク色の唇を開いた。


「……どうしたんですか?」


 女の子よりも長いまつげを数度瞬かせると彼は、首を傾げながら少女を見つめた。

 少女は、はっと我に返ると慌てて保健室の中に入った。


「あ、あなたは、魔女ですか?」


 さりげなく聞く予定だった言葉が、つい口からこぼれた。あわてて口をおさえるが、出てしまったものを戻すことはできない。おそるおそる、彼に視線を向けると、大きく目を見開かせこちらを凝視している。

 何かを言おうと少女は、口を開いては閉じる。それを、繰り返しているうちに、彼は和やかに笑ってこたえた。

 

「はい、そうです」



 それが、魔女と呼ばれた彼、有明珠緒と涼暮香織の出会いだった……。



***


 雨は、自然と嫌なものを連れてくる。


「涼暮さん、あなたのお母様はあと余命一カ月です」


 ざぁざぁ、と雨が先生の言葉をかき消す。否、涼暮香織すずくれかおりは、信じたくない言葉を雨のせいにして聞こえないフリをした。

 母は、優しい人だった。優しすぎて、人を頼ろうとしない人だった。女手ひとつで子供を育てるのは、どれだけ大変なことか、傍でみていた香織は、よく知っている。


「…………そう、ですか」


 自分の母親の命があと残りわずかなのに、香織の瞳から涙があふれることはなかった。ぽっかりと胸に穴があいたような感覚とどうしようもない不安が押し寄せ、香織は胸元をキュッとおさえた。

 感情が抜け落ちたような香織の表情に、みかねた看護師が香織の肩に優しく触れる。


「心中お察しします。どうか、お母様の傍になるべくついていてあげてください」


「……はい」


 看護師の優しい言葉に香織は、よわよわしく応えた。


雨は止むことをしらず、降り続けている。



***



 落ちついてからの方がいいだろうと、涙をながす香織をみながら先生は言った。母の病状についての詳しいことは、また後日ということになり、香織は診察室をあとにした。


「香織ちゃん!」


 診察室を出ると聞き慣れた声に呼ばれ、振り返った。少し先に母の妹である叔母とその息子のあきらが、こちらに向かってきているのがみえた。


「叔母さんに晃……どうしてここに?」


 そう呟くと、近づいてきた叔母にぎゅっと抱き寄せられた。突然の叔母の行動に驚いた香織は、まるで石にでもなったかのように身を固くしてしまう。


「姉さんが倒れたってきいて、とんできたのよ。香織ちゃんを一人にできないでしょう」


 叔母につよく抱きしめられ、頭をなでられると安心したのか、目頭が熱くなる。香織は誰にもみられないよう、彼女の胸に顔をうづめて、涙がこぼれないように下唇を噛んで、こらえる。


「余命が、あと一カ月だそうです」


 声がふるえないように気をつけながら小さな声で伝えたが、思うようにはいかず自分でもわかるくらいに香織の声は、弱々しくふるえていた。

 叔母が小さく息をのむ。そんな音が聞こえて失敗したな、と香織は眉を歪ませた。


「そう、なの……晃」


「なに」


 抑揚のない声色で、今まで黙っていた晃が口を開いた。

 香織は、自然と彼へ視線を向ける。不機嫌にもみえるようなその表情に、まぶたが微かに痙攣けいれんしているのがわかった。その表情は、彼が悲しいことがあった時にするものだということを香織は、よく知っていた。


「母さん、姉さんの顔を見に行ってくるから、それまで香織ちゃんの傍にいてあげて」


「……わかった」


「それじゃあ、香織ちゃん。おばさんは、姉さんのところに行ってくるから晃と一緒に待っていてくれる? 今日は、おばさんの家に帰りましょう?」


「えっ、でもご迷惑じゃ……」


「迷惑なんてとんでもないわよ。姉さんの大切な一人娘だもの、私にとっても大切な娘みたいなものよ。遠慮なく頼ってちょうだい」


 香織が小さく頷くのをみると、満足したというように叔母は笑った。


「じゃあ、晃。あとは、頼んだわよ」


「わかってる」


 晃が、軽くため息をつきながら手を振ると叔母は、一度晃の背中を叩いてから病室の方へと歩いていった。


「……久しぶり」


「おう」


 長い沈黙のあと、香織がそう声をかけると、どこか気まずげに返される。

 晃は、落ち着かないのか、頭の後ろをむやみやたらに触りながらキョロキョロと辺りを見回す。

 しばらくそんな行動をしていた晃が、とある方向を見てピタリ、と動きを止めた。右腕につけた時計を確認したあと、香織へと視線を向ける。


「時間かかるだろうから……。とりあえず、そこのカフェテリアにでも入るか」


 晃が、指さした方には、病院の案内板にカフェテリアの文字があった。

 そういえば朝からなにも食べていないことを思い出した香織のお腹が、空腹をうったえはじめる。


「……そうしよっか」


 鳴ってしまったお腹の音を誤魔化すように笑顔でそう答えると、晃は安心したように口元をほころばせた。

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