第三話 やりたいこと



《あー……今日もダメだった》


 部屋についてベッドに倒れこむなりハヅキは呟いた。質の良さそうな真っ黒い服を着て横になるその姿に、ボクはまたかと内心ため息をついた。ハヅキがこんな風に落ち込みながら帰ってくるのを毎日のように見ていた。


––––ハヅキは、毎日毎日なにをしてそんな風になって帰ってくるの?


《あー……就活》


––––しゅうかつ……?


 それはなんだろう。ボクにはまったく想像がつかなかった。彼の国には珍しいものがたくさんある。初めて知るような言葉ばかりで、彼と話しているとまるで冒険しているようなそんなワクワクした気持ちになる。


《働くために活動すること。やりたい仕事に就くために自分を売り込むんだ》


––––きみは充分裕福そうなのに、まだお金が必要なの!?


《裕福……? 僕は一般家庭の人間だから裕福じゃない。普通に働いて払わなきゃいけないお金だってたくさんある》


 どうやら裕福だと思っていたハヅキは、彼の国では普通らしい。ボクはそのことに今までで一番驚いた。

 清潔そうなシーツで寝れる彼が普通だなんて到底信じられない。


––––やりたい仕事にって言ってたけどハヅキもやりたいことがあるんだね


《…………え》


––––あるんでしょ? だからシュウカツをしてるんじゃないの?


《……僕のやりたいこと》


 そう呟いたっきりハヅキは一言も喋らなくなった。ずっとシーツに顔を埋めてピクリとも動かない。


––––ハヅキ?


 呼びかけても返答はない。もしかしてとイヤな想像が頭に浮かび、ボクは思わず口を手で塞いだ。


––––ハヅキ、シュウカツのせいで死んじゃった!?


《人を勝手に殺すな!》


 大きな声をあげながら起き上がったハヅキにホッと胸をなでおろす。よかった、彼は生きていた。


––––何も答えないから死んじゃったかと……。


《黙って…………くらいで…………ねぇ》


 ボソボソと何かを呟いたハヅキだったけれどボクにはなんと言ったのか聞こえなかった。首を傾げつつも、ボクはなにより気になることを聞いた。


––––それで、ハヅキのやりたいことってなに?


《……そこに戻るのか》


 ハヅキは大きなため息をはくと、出会ったときと同じようにベッドを背にして膝を抱えながら答えてくれた。


《ない……やりたいことなんてないんだ》


––––え……。


《正確には、やりたいことはあった。けど、就活を始めると同時にやめたんだ》


––––意味がわからないよ。やりたいことで働くためにシュウカツしてるのに、やりたいことをやめたの?


 なんで? どうして? の疑問が並ぶ。ハヅキはボクの疑問に道を探すようにときおり言葉につまりながらも答えてくれた。


《…………僕、物語を書いていたんだ。書いてネットの海に流して……。小さなコンテストにいくら応募してもかすりもしなかった。それがつらかった。そんなときに親に言われたんだ、いい加減夢をみてないで就活に専念しろって、そう言われて僕、ホッとしたんだ》


––––やめたかったの?


 ハヅキは静かに首を振った。


《わからない、わからないんだ。やめた今でもたまにB5のノートを開きたくなる。でもあのときなんでホッとしたのかわからないんだ》


 今にも泣きそうな震えた声で、彼は言った。


《未来がわからない、決まらない。真っ暗でなにも見えないんだ》


 ボクとハヅキは似ている。真っ暗でなにも見えなくてどうしていいかもわからず戸惑っている。自分と同じだと思うと彼の下がった顔をを上へとあげたい。それにはどうしたらいいだろうか。

 ボクには彼が言っている言葉の意味がわからないものが多い。"ねっと"だとか"こんてすと"だとか彼の国の住人ではないボクにはわからない。それでも彼に聞きたいことがあった。


––––ねぇ、ハヅキ。物語を書くのに、その"ねっと"だとか"こんてすと"だとかが必要なの?


《…………それは、紙とペンがあれば物語は書ける……けど》


––––じゃあ、シュウカツっていうのをしながら何か別のことをしてちゃいけない決まりとか?


《…………それも、ない》


––––じゃあ、いいんじゃないかな。書き続けるのも、やめるのも。シュウカツしながら書くのも、書かないのも。誰かが決めるんじゃなくて、ハヅキが決めていいんじゃないかな


《……僕が決める? 誰かが言ったからじゃなく》


––––うん、ハヅキはもっと自由に考えていいと思う


 ハヅキが上を見上げる。彼にボクは見えていないだろうけれど、ハヅキとボクの視線は交わっていた。


《……ありがとう、ライト。まだ答えはわからないけど、僕がどうしたいか考えてみるよ》


 そう答えたハヅキの黒い瞳がきらりと光った。暗い夜空に散りばめた星のような輝きに、ボクは彼が初めて眩しいと思った。


《自分の未来がみえなくて真っ暗だったけど、ライトのおかげで光の筋がみえた気がするよ》


 ハヅキがお礼を言うたびにボクの体の真ん中あたりがポカポカとあたたかくなる。この気持ちはなんだろうか。

 胸に手をあててみる、なにも変わらず鼓動をうつ心臓がそこにあるだけだ。ボクはこの気持ちの正体を考えようとして、やめた。

 予感がした。この気持ちの正体を知ってしまったら、何かが終わってしまうような気がした。


《今度はライトの話を聞かせろよ。冒険のもっと詳しいことが聞きたい》


––––ボクの話ね、わかった!



 けれど運命ってやつは残酷で、無慈悲で知りたくなかったことをボクもハヅキも気づいてしまうのだ。


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