第ニ話 葉月とライト
ちゅんちゅんと楽しそうに歌う小鳥の声に目を覚ます。カーテンから差し込む微かな光が朝であることをつげていた。
僕は、ベッドから起き上がり大きく背伸びをしてカーテンをあける。
あぁ、今日も一日が始まってしまった。
エントリーシートを書いて、落とされ。面接までいったと思ったら、また落とされる。それを繰り返す日々に僕はうんざりとしていた。周りはどんどん内定が決まっていくというのに、親には「まだとれないのか」「真面目にやっているのか」毎日、毎日そればかり。
うんざりだった。少し前の生活に戻りたかった。学校に行って、勉強して、家に帰るとB5サイズのノートに自分とは違う別の世界の人の物語を書いていたかった。
一年前の僕ならそう思っていただろう。今は、違う。書くこともイヤになりそうになっていた。就活で書くことをやめるよう親に言われた時、ホッとしている僕がいたのを覚えている。
書くことしか取り柄のなかった僕の自己アピール欄はずっと空白のままだった。
「……行きたくないな」
––––君は朝から暗いね
声が聞こえてギロリと天井を睨む。
「うるさいな、またお前か」
––––うるさいとは、よき相談相手にひどいもんだね
声の主はわざとらしくため息をはいた。この声は、数日前から聴こえるようになったものだ。幻聴だろうと無視をすると応えるまで話しかけてくるので、なるべく返事をするようにしている。
おかげで、親からの視線がさらに痛くなってしまったが……。
––––昨日はどこまで話したっけ
「僕はいまから、着替えなきゃいけないんだが」
––––じゃあ、着替えながら聞いて
暗に聞きたくないのだと伝えたつもりだったが、声の主はそんなこと知ったものかと勝手に話を始める。
––––ココに閉じ込められる前は、それはそれは素敵な場所にいたんだ。
「へぇ……」
軽く相槌をうちながら袖に腕を通し、シャツのボタンをしめる。
––––故郷であるコルドから温かい国といわれているホトに向かう途中だったんだ。
「……コルドに、ホト?」
その二つの単語に馴染みがないもののどこかで聞いたことがあるような気がして、僕は思わず手を止めた。けれども、それがどこでなのかは思い出せない。喉に小骨が刺さったような小さな違和感に僕は眉を寄せた。
––––コルドはとても寒い国なんだけれど、ホトはとても温かくて珍しい果物がたくさんある国だって噂で聞いたよ。ボクはそれを食べるのが楽しみだった。
「……果物か。そういえば最近食べてないな」
僕は赤く色づいた甘いイチゴがのったショートケーキを思い浮かべる。お祝い事があるたびに母が作ってくれたそれは、僕の大好物だった。
––––君のところにはどんな果物があるの?
「……そうだな、僕のところにはイチゴっていう赤くて甘いものや楕円形の黄色くて酸っぱいレモンに、オレンジ色の皮をむいて食べるミカンがある」
––––いちごにれもんに、みかん? 君のところも果物が豊富なんだね
「他の国から輸入もしているからね……ミカンは寒い冬にコタツに入って食べるのが一番美味しい」
寒い冬の時期、小さなコタツを出しては最も温かい真ん中を兄と取り合いつつミカンをむいて食べていたのを思い出す。明るい兄がこの家から出て行ってからコタツを取り合うことはなくなったけれど……。
––––こたつ? こたつってどんなもの?
「コタツは、暖房器具……机に柔らかい布団をかぶせて温まる機械のこと」
––––……君のところは、果物だけではなく技術も進んでいるんだね。いいな、行ってみたい!
まだ見たことのない場所に彼は興奮したのか、その声は随分と弾んでいた。彼は真っ暗な場所に居ると言っていたが、そう思わせないほど彼は明るく––––それが羨ましいと思った。
「お前…………名前は、なんて言うんだ?」
––––初めて、ボクのこと聞いてくれたね。でも、ボクにとって名前は大切なものだから安易に人に教えちゃいけないんだ。
ごめんね。
そう彼は、申し訳なさそうに呟いた。教えられないなら仕方ない。僕は、キョロキョロと辺りを見回すと机の上にポツリと置いてあるB5のノートに触れた。
「じゃあ、僕はお前のことをライトって呼ぶことにする。呼び名がないと不便だからな」
––––……え!?
「どうした?」
––––ううん、なんでもない。いい名前だなって……ボクは君のことをなんて呼べばいい?
「そうだな––––……」
さて、どうしたものか。彼、ライトが名前を教えないのに僕の名前を教えるのは少し癪だった。
僕は触れていたノートの一番下に書いてあった文字が目についた。
「……––––葉月。僕のことは葉月と呼んでくれ」
––––うん、わかった。改めてよろしくねハヅキ。
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