応報の時
多少の攻撃を躱しながら、相手の「尊厳」を保ちつつ魔術で仕留める――アレアの想定した闘いの流れは、果たして脆くも打ち砕かれていた。
元来、魔術は自身の精神力と魔力が絶妙な兼ね合いによって発現する現象であった事を、アレアはオーネスとの闘いで失念していた。
「……っ!」
槍術に明るくないアレアであったが、彼女の目からもオーネスの槍捌きは実に見事なものであった。魔力によって底上げをした身体能力であるにしろ、一切の油断が出来ない。アレアはオーネスの戦闘能力が途方も無い時間と経験、そして積み上げられた技術によって支えられている事を思い知ったのである。
「オーネス、早いところやっちまえ!」
概して敵の応援というのは精神を削っていくのに有用なものであり、それは長い時を生きたアレアにとっても変わらない。
狙いを定めて毒を吹き掛ける魔術も、何故か思い通りに扱えない。
その理由がオーネスの胸に輝く「魔除け」のもたらす精神的効果であると気付いた瞬間、アレアは激痛と共に短く叫んだ。太股を貫く槍が、赤い血を吸って輝いていた。
「好機!」
オーネスはそのまま槍を更に深く突き刺してアレアの動きを止めると、腰に提げた剣を抜いて彼女を袈裟斬りにしようとした。
ここしか無いっ――。
目に涙を浮かべつつも、アレアは息が止まる程の集中力を以てオーネスの顔を目掛け、プッと息を吐いた。途端にオーネスは「むっ」と顔を背けて隙を見せた。彼女が最も得意とする「毒」の魔術であった。
「オーネス!」
周りの兵士が叫んだ。同時にアレアの纏う原装に縫われた紋様が発光し、太股に刺さったままの槍がドロドロと溶け落ちた。
「何という悍ましき術、やっぱりアイツは魔女だったんだ!」
しかしアレアは表情を歪めたままである。
魔力によって槍の除去、止血は完了したものの、持てる魔力の絶対量が大きく減ってしまったのだ。
ここからは魔術を多用出来ない――アレアの手が開かれ、そこに何処からともなく光の粒子が集まると、次第に長い杖として発現した。
「素晴らしい、やはり魔女とはこうあって欲しいもの! さぁ続けようぞ!」
オーネスは毒の影響で片目を潰されていたが、戦意は減退するどころかむしろ増しているようだった。
よく鍛えられた剣がアレアの杖と激突する、魔力を込めた杖はしかし断たれなかった。
オーネスは構う事無く身を屈め、アレアの足を払おうとする。
対するアレアは杖を地面に突き刺して身体を浮かせると、オーネスの後ろへ華麗に移動した。
渾身の力で杖を横に薙ぐアレア、しかし彼女の目は大きく見開かれた。魔力を纏い、込められた力も常人の数倍以上となっている杖の攻撃を、オーネスは片腕で受け止めたのである。彼の腕は痛々しい程にへし曲げられ、甲冑からは血が滴っていた。
「……このオーネス、これぐらいでは折れぬ!」
ここでもう一度、魔術を――アレアは精神を統一し、オーネスに目掛けて毒気を含んだ火炎を吹こうとした矢先……。
火炎の代わりに込み上げるものがあった。抑えきれずに吐き出したそれは、鮮血だった。
「討った、オーネスが討ったぞ!」
アレアの脇腹には、深々と剣が突き刺さっていた。
オーネスはそのまま剣を持ち上げるように動かすと、アレアの上半身から大量の血が吹き出た。
「見事なり、オーネス! 止めを刺せ! さすがの魔女も首を刎ねられたら動けやしない!」
隊長がオーネスに向かって短刀を投げ付けた。
ルーゴにおいて、強力な敵を討ち取った時には短刀で首を断つのが習わしであった。
強敵と相まみえた事への感謝、そして勝利を収められた事への感謝を短刀に込める――武勲と名誉を重んじるルーゴならではの儀式だった。
「魔女アレアよ、このオーネスは感謝する! 貴様は女でありながら、今までのどの敵よりも気高く強かった。よってこのオーネス、丁重に貴様の首を頂戴する!」
アレアの後ろ髪を掴んだオーネスは、首を斬りやすくそしてすぐに「絶命」させられる最適の角度に傾ける。
目が霞む。痛みも……今では痺れにしか思えない。魔女って、こんなにあっさりと死ぬんだな……。
自らの魔力によって心臓を止めるといった事も、もしかすると出来たかもしれない――しかしアレアは自殺を良しとせず、あえてオーネスによる名誉ある処刑を受けようとした。
ファリナよりも先に逝く事への謝罪、仕方なしと言えども殺めてしまった多くのルーゴ人への謝罪。そして――とうとう護る事の出来なかった我が子達への謝罪……アレアは目を閉じて「最期」を待った。
その時である――洞穴に匿ったはずの者達が、道の向こうから走って来たのだ。幼く、それ故感じたままの気持ちを何よりも優先する彼らは、アレアが可愛がった孤児院の子供達だった。
「お母さん! お母さぁん!」
ひどく懐かしく思える声だった。アレアは声のする方を見やり、驚愕した。
「あ、貴方達……! 一体何を!」
兵士達はポカンとして子供達を見つめている、オーネスも同じであった。
「止まりなさい、止まりなさい!」
子供達の後ろには、巨体を揺らして追って来るラウードの姿があった。彼女は血に濡れたアレアを認め、「あぁ!」と叫んだ。
「ルーゴの皆様! どうか院長と子供達をお救いくださいませ、私めの命でよろしければ喜んでお渡し致します故! どうか、どうかお慈悲を!」
呆気にとられていた隊長であったが、我に返ったらしく「捕らえろ!」と他の兵士に命じた。すぐにラウードは捉えられ、そして子供達も槍で脅されて降伏した。
「愚かなり、サフォニアの子供よ。しかしその勇気は認めよう」
一人の子供が鼻を啜りながらも怒鳴った。降伏を示す諸手を、アレアは流れ続ける涙で見続けられなかった。
「うるせぇ! お前らなんか、お前らなんかお母さんにやられちゃえばいいんだ!」
「お母さん? もしかするとあの魔女がお前らの母親か?」
兵士達は苦笑いしたが、オーネスと隊長だけは笑みを浮かべなかった。
「そうだ、俺達は捨てられたんだ! でも、でも……お母さんだけは、俺達を可愛がってくれた! 魔女でも何でもいいさ! お前らみーんな、お母さんが倒してくれるんだ!」
とうとう兵士達は高笑いをし、それから槍で突くように子供を驚かせた。
「止めて! 私だけを殺せばいいでしょう!」
アレアが叫ぶ。オーネスも「子供は捨て置けばいい!」と兵士達を諫めたが、彼らは聞く耳を持たずに子供を脅し続けた。
「……この野郎!」
一人の子供が兵士に向かって飛び掛かった。体勢を崩した兵士だったが、すぐに子供を蹴り飛ばし、腰の剣を抜いた。
「レイト! 止めなさい!」
ラウードは悲痛な声色で子供を止めようとするが、なおも子供(レイト)は兵士に飛び掛かる。
「離せ! ガキといえども俺達は殺せるぞ!」
「負けないぞ! お前らなんかに負けないんだ!」
「このっ――」
レイトは顔を蹴り上げられ、そのまま気絶してしまった。兵士は残った子供達を睨み付け、「よく見ておけ、俺達を嘗めるとどうなるか」と怒鳴り――レイトの首に剣を当てた。
「レイト、レイト! どうかお止めください!」
ラウードが叫び、子供達は泣いていた。
声を出す事すら赦されぬ、極限の恐怖に当てられていたのだ。レイトの白い首から細い血が流れ出た瞬間――プツン、とアレアの頭の中で何かが切れた音がした。
護らねばならない、たとえこの身を「人ならざるもの」としても、私は皆を護らねばならない、護らねばならない……護らねば……。
「――止めろ」
刹那。
その場にいた全ての者が硬直した。直接に心臓を撫でられるような、冷たく純粋に感じる事の出来る「恐怖」、絶対的命令を下した者は、やがて皆がアレアであると気付いた。
「ぐぁっ!」
アレアを掴んでいたはずのオーネスが、突然に吹き飛ばされた。彼を介抱しようと数人の兵士が集まると同時に、「何だこいつは!」と隊長が驚嘆の声を上げた。
「お……お母さん?」
覚醒したレイトはアレアを呼んだ。しかしそのか細い声に応答は無い、最早「お母さん」は人の姿を殆ど失っており、災禍を纏う悍ましき「魔獣」に相応しかった。
剥かれた両目は燃えるように赤く輝き、先刻の姿からはあまりに遠い変貌ぶりに、隊長は震えを抑えきれず、絞り出すような声で言った。
「……わ、私はたった今……理解した。この国は……」
魔獣――アレア――は悪夢の産物に似た造形の腕を横に振るった。
傍にいた兵士達の身体が、ズルリと滑るように両断された。
声も出せない兵士達は、腰を砕いて這いずるように逃走を図ろうとするが、幾ら足掻いても移動が出来なかった。全てはアレアの用いた魔術の効果であり――それに気付く者は一人としていない。
「攻めてはならなかったのだ――」
突風が吹き荒れるような音、それは魔獣の発する怒声であり――侵略者に対する絶対応報の宣告であった。
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