狂える魔女
「……ねぇ。ファリナ」
肩をアレアに揺すられたファリナは、咄嗟にその手を払った。アレアは驚嘆するような表情を浮かべる。
「ご、ごめんなさい……びっくりしてつい……」
混じり気の無い、純粋な嘘であった。
私に触らないでくれ。負の感情がアレアの接触を拒んだのである。
「ファリナ、最近おかしいわよ? ニールマンゼ、調心を掛けてあげて」
オガルゥの言葉に頷いたニールマンゼは、ファリナの前に座って頭を撫でた。途端にファリナは全身に寒気が走り、またしてもその手を払った。
彼女にとって、他の魔女は最早忌むべき対象へと成り下がった瞬間である。四人は互いに顔を見合わせた。
「ちょっと貴女……それはさすがにニールマンゼも傷付くでしょう、本当にどうしたのよ」
ザラドは不安げな顔でファリナの目を見た瞬間――両眼に光る剥き出しの敵意を感じ取り、即座に飛び退いたのである。
「ザラド?」
「オガルゥ、今……ファリナが私に……!」
四人が一斉にファリナを見やる。そして寸刻を置かず――自分達に向けられている明確な敵愾心に各々が反応し、オガルゥとニールマンゼは咄嗟に杖を手に取り、ザラドはその場で身構え、アレアは怯える幼鳥を護るように背中を丸めた。
「ファリナ……! 実の姉妹よりも強い結束を……『手を取り合って生きて行こう』って約束を、貴女は今、粉々に破壊しようとしているのよ! その愚かさを理解しているの!」
ニールマンゼが叫んだ。木々に留まる鳥が羽音を立てて何処かへと飛び去って行く。
「……耐え切れない、私には耐え切れないんです! 貴女達は私に無いものを全て持っている、そして自由にそれを発揮出来る! 一度たりとも感謝はされず、ただ見ているだけだった私の事を、きっと『母に相応しくない』と罵っているんだ!」
「な、何を――」
オガルゥの言葉を遮るように、ファリナは「だってそうじゃない!」と怒声を飛ばした。金色の目には大きな涙を浮かべながら。
「何も出来ないのよ! オガルゥやザラドのように頭が良くない、ニールマンゼのように膨大な魔力を持ってもいない、そしてアレアのように――温かく大きな母性がある訳でもない! 結界を張るだけじゃ、誰も私を必要としてくれない!」
「……勘違いだよ。ファリナ」
懸命に彼女をなだめようと声を掛けるアレアは、おずおずと話し始めた。
「……私、知っているよ。前に沢山雨が降った時、山の麓の大きな川が氾濫したでしょう? 川沿いの村はあっという間に流されそうになったけど……ファリナが結界でその村を護った事、私は知っているよ?」
シクシクとアレアは涙を流した。膝の幼鳥は彼女を慰めるように震える手を突いている。
「……私ね、そこの村に行ったんだ。元々村には名前なんて無かったんだって、でも『奇跡』が起きたその日に、押し寄せる水流を結界で食い止めるファリナを見た人がいたの。その人は村長さんで……その後に、村に名前を付けたんだって。……名前、どんなものだと思う?」
しゃくり上げるように泣くアレアは、ファリナが「堕ちて」しまわないよう、必死に言葉を続けた。
「……名前は『トラデオ』。そこの土地で発達した言葉で、意味は『聖母の村』だって。……ファリナ、もう貴女は――」
ファリナは振り返ると、当ても無くその場から駆け出した。聞こえる自分を呼び止める声を無視し、何度も躓きながらも森から出て行くと、次第に空から雨が降って来た。
私は一体どうしたいのだろう? あそこで立ち止まっていれば、皆に謝れば……もしかすると仲直りが出来たのかもしれない。でも――もう何もかも遅い。四人と永訣を決めた私の前に広がるのは、幾多の分かれ道――そして一つだけの終着点。
きっとそこには、「後悔」しか無いのだろう。
ファリナは泣いた。
大声を上げて泣いた。
誰もその涙を掬う事は無かった。
雨に混じって地面に落ちる幾つもの慟哭の水滴は、これより始まる絶望と愚行の旅への餞であった。
どうせ後悔するのなら、果ての無い悔恨を遺して死んでやる。長い時間が掛かってもいい、膨大な恨みを買ってもいい。
私は――私が認める「母」になるのだ。収穫の夜など終わらせてやる。人間は自分の足で歩かねばならない、独立独歩こそが真の巣立ち、隠された真実に目を背けず、明けて見つめなくてはならない。
例え、四人を殺してでも!
しかしファリナの心はひどく乱れていた。本当にそれだけの理由なのだろうか……と。
それから一七日が経ち、ファリナは自身を聖母と崇めるトラデオ村に向かい、悪魔的な計画を遂行し始めた。
自身には力が無く不可能な「魔女狩り」、それを代行する存在の育成。
彼女はトラデオ村を温床に選んだ。
魔女伝説の続きとして第七章に手を加えて語り(自分以外の魔女は悪だと思い込ませるものだった)、魔女に対抗出来る人間が育ちやすい基盤作りに奔走したのだ。
村人達に生まれ持った魔力を増やす術「調心」を授け、シャネという「魔力増強」を促す果実を作らせ、食する事を奨励した。またその計画を他の魔女に悟られないよう、村を結界で封じ込め、存在を秘匿するのにも余念が無かった。
次第に村人達は魔力の匂いが強くなっていったが、何人かは増え過ぎた魔力に耐える事が出来ず、やがて発狂してしまうという事態に陥った。
ファリナは怯える村人にその失敗を「魔力に酔った」、と誤魔化して育成を続けた。そして収穫の夜が三回目を迎えようとした頃――求めていた人間が育った。名前をライキ、といった。
ファリナはライキに接触した後、持てる素質を計るには、如何なる方法があるのだろうか――立案、棄却を繰り返した。
そして彼女は……村を覆う結界の範囲を狭める事に決定した。度重なる実験の成果により、多量の魔力を保有する人間は結界が狭められると――抑制が効かなくなり、即座に発狂する事を突き止めた。
もしライキが発狂しなければ、大量の魔力を扱える度量を持つ事に他ならない!
彼女は結界を狭めてライキの素養を計ろうとした時――別の魔女が結界をすり抜けた事に気付く。
その魔女こそがザラドであった。
魔力に飢えた彼女は村人を襲って行ったが、結果として魔女への復讐心をライキに芽生えさせる事に成功した為、ファリナの計画は一気に進んだ。
そして彼女が一番気を付けた事は、事ある毎にライキに選択を迫り、「全ては自身の決めた事だ」と暗示を掛ける事だった。
その暗示はファリナにとっても必要な「自己肯定」の手順であった。
トラデオのみに伝わった「恨み」の魔女伝説、それこそがファリナの準備した、「母となる」為の下地である事に、気付いた村人はとうとう現れなかった――。
はずであった。
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