教えられた通りに
ようやく垣根の森に続く道までやって来た二人は、森の奥がボンヤリと白く輝いているのを認めてその場に立ち止まってしまった。
いつ何時に後ろから恐るべき女が追い掛けて来るか分からない、抑え難い恐怖に急き立てられながらも足を動かせない超常的現象。
立て続けに起こる非日常に二人はひどく困惑した。
「あの光……どうも篝火じゃない、この森には光る動物なんていないはずだ……今日は一体どうしちまったんだよ!」
「とにかく行ってみよう、ここにいても奥に行っても、危険な事には変わりないから」
ライキはワリールをなだめながら歩を進めるがその実、光の正体が彼女じゃなかったらどうしようと内心怯えていた。
試しに彼女の名前を呼んでみようかとも考えたが、大声を出したら女に気付かれる可能性が上がると懸念して止めた。
垣根の森は他の森と大差は無く、むしろ人の手がところどころ入っているようにすら思えた。人が一人通れる程の道は整備(草木を足で踏み倒すぐらいであったが)されており、その道は二人を光の方へと誘っているようであった。
「大体何だよ、この道。……段々腹が立ってきたぞ、ちくしょう!」
ワリールは足下の灌木を蹴り飛ばし、垂れ下がる枝をへし折った。
「ど、どうしたんだよワリール! 様子が変だ――」
「変じゃねぇよ、お前こそおかしいぞ、こんな状況で冷静でいられるなんて! クソッ、無性に腹が立つ、何だ、あんな光!」
突然ワリールは足下の石を拾い上げ、光の方へ放り投げた。一瞬だけ光が揺らめいたようだった。ライキは再び投擲の体勢に入った彼の腕を掴んで制止した。
「止めろ! おかしいぞさっきから! 石なんて投げても解決しないだろう!」
「黙ってろ!」振り解こうとする男の力に負けたライキは、すぐ近くの立木に身体を打った。
「…………そうだ、そうだよ、元はと言えば……お前が爺さんを殺した、そうだとも、殺したに違いないんだ!」
少年は何か言い返そうとして――言葉が詰まった。いつも優しかったワリールが自分を糾弾している、しかも謂われの無い理由で!
心臓が高鳴る、口内から段々と水分が減っていくようだった。喉が渇き、鼻が痛くなる。少年は悔しさと悲しみのあまり泣き出しそうであった。
「俺が語り手になろうとしたのを阻止したのも、きっとライキ、お前の仕業だろう! 俺は知っているんだぞ、あぁ、ドンドンと怒りが込み上げるんだ! ちくしょう、ちくしょう!」
ワリールは口汚くライキを罵りながら、手当たり次第に草をむしり取り、立木を蹴り飛ばし、殴り付けた。
「何しているんだよ! 早く逃げよう、それに大声を出したら――」
ライキは頬の辺りが突然熱くなり、続いて強い衝撃を覚えた。
気付いた時には身体は横たわっていて、果たして自分はワリールに殴られたのだと認識するのに時間が掛かった。
「ど、どうして……」
「どうしても、こうしても無いんだ! 前から気に食わなかった、お前の事が気に食わなかった! どうしてお前が、どうして俺じゃなくてお前が!」
彼はライキに馬乗りになり、鍬のように大きい手でライキの首を掴み――力を込めた。
「……っ」
ギリギリと締め上げられる内に、顔の表面が急激に熱くなっていくのをライキは感じた。
このままだと、必ず俺は死ぬ。どうにかして逃げ出さないと――。
「どうしてお前がジリに気に入られたんだ! 俺が、俺の方が魔女を理解しているのに!」
彼の発する言葉の意味を考える事も出来ず、ライキは掠れる視界を保とうとワリールの腕を必死に握るだけであった。
目が痛くなる、唾液が口から吹き出て声が思ったように出せない。その声は初めてライキが屠殺した家禽の断末魔に似ていた。
少年の人生が森で果てるまで僅かの時、草木を素早く掻き分ける音が響いた。
「離しなさい!」
聞き憶えのある声だった。
ライキが声のする方を朧気な目で見やると、そこには旅の魔女、ファリナが斧を携え立っていた。
「な、何だお前は! もしかしてさっきの光は……いや、もうどうでもいい。それよりその斧でどうしようって言うんだ?」
「こうするんです!」
ファリナは斧を振りかぶり、ワリールに目掛けて刃を落とそうとしたが、体格はもちろん――恐らくは腕力も比にならないであろう彼に柄を掴まれ、華奢な身体を突き飛ばされた。
「ぐっ……!」
ライキにとってワリールが斧を手にした瞬間、この時こそが好機だった。
幸い自由だった手を伸ばし、太い枝を思い切りにワリールの眼球を目掛けて突き立てた。
「ギャッ」という声を上げて男の身体がのけぞり、斧を手放したらしい音が聞こえた。ようやくライキの身体は自由となったのである。
「痛ぇ、痛ぇ……! この野郎……お前らなんか纏めて殺してやる!」
片目を押さえながらも敵意を剥き出しにする男との記憶を、交わした会話を、全てをライキは捨て去った。
目の前にいるのはワリールであってワリールではない、何らかの理由で狂った哀れな男。
すまない、俺はまだ死にたくないんだ――。
少年は斧を手に取り、頭上に振り上げる。
「無駄に力む必要は無い、ただ目標の中心を見て下ろすのがコツだ」かつて少年を可愛がってくれた、優しい男の言葉だった。
「ごめん、ワリール」
彼は無我夢中だった。自分の命がどれ程の価値を持っているのか、どうして生き延びたいのかも理解出来ない彼は、それでもなお迫る危機を払う為に斧を振り下ろしたのだった。
重たげな音が響く。
それから、森は静寂に包まれた。虫も鳥も鳴かない、不気味な空間だった。
少年は前のめりに倒れる男が絶命しているかどうかを確かめる為に、何度か柄で小突いた。狩猟の時と同じような行為に、少年は吐き気を覚えた。
「……貴方は悪くありません」
ファリナがライキの背中を撫でた。
柔らかな刺激すらも今の彼にとっては不快であり、少年はその場で嘔吐した。吐瀉物が地面にぶつかり跳ねて、飛沫がワリールの亡骸に付着する。なおもファリナが背中を摩り、連動するようにライキは嘔吐いた。
「全ては……あの魔女、ザラドの計略です」
ようやく嘔吐きが治まったライキの脳裏に、村に狂気をもたらした女の顔が浮かび上がる。
「ザラドって……村に現れた女の事か」
「そうです、あの魔女は結界を張り直そうとした私を魔力で縛り上げ、トラデオ村に住む人々を全滅させようとしたのです……昼に貴方が言った通り、村は四人の魔女にとって害にしかなりませんから」
そういえばそのような事を言ったかもしれない――とライキは思い返しながらも、矢継ぎ早に圧し掛かるストレスにたまらなくなった。
フラフラとライキは立ち上がり、何処へ行くのかと問い掛けるファリナに返事もせず、虫の如く意思を感じさせない足取りで歩き出した。
村の様子が気になる――。
ライキは朧気な頭で思った。
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