第117話

二十二.異質な光景



 驚愕したアオイの目の前で、それらは徐々に実体が朧になり、透き通ってゆき、完全に消え去った。さらに驚き目をみはったアオイ。

「消えた……」

 今、ここに在ったのは、間違いなく、興福寺に在るという八部衆像。国宝。そればかりでなく、霧の中朧に見えた輪郭の数々も、全て興福寺国宝館に在るという仏像に見えた。勿論彼が砕いた物も国宝の一つ。

「どういうことだ……」意味がわからなかった。

「国宝一つ砕いちゃったのか、俺……?」

 意味も理由も解らなかったが、もし本物だとしたらそこが気になった。




 時は遡り。


 アオイが気附かず悪魔の術中にはまり偽の影を追っていたその頃。冥界入りの仲間はアオイのいないことに既に気附いていた。


「私が悪い」唇を噛み自分を責めリリナネは言った。「あの子は様子がおかしかった。私がもっと注意してなければいけなかったのに……」


「お前の所為じゃない」

「あいつなら心配要らない。きっと。すぐに追いつくだろう」

 口々に慰めるイオワニとカタジニ。


「でも……この広い冥界で……こんな霧の中ではぐれたら……」到底無理、二度と会えない。けれどそれを言葉にすると本当にそうなりそうに思えて、口をつぐんだリリナネ。


 アヅが言った。重い口調ながら、その口の端に優しい笑みを含み。

「今朝、マアシナの部屋で、お前たちは感じなかったか? 一瞬、六つの識が交錯した。その時、俺は異質なモノを垣間見た。かつて見たことのない光景を」

 なんだ、お前もか? そんな顔附きになったイオワニとカタジニ。

「ああ、俺も見たぞ」

「貴様も見たのか」

 リリナネもまた見ていた。信じられないといった面持ちで問い返した。

「それって、地上が何処までも明るい星々で埋め尽くされた……地平線まで……」

 皆、同じ光景を見ていた。カタジニとイオワニが続けざま答えた。

「ああ」

「夜空の星より何倍も明るい、しかも美しい色とりどりの星が混ざり合った、眩い平原だった」

 再びアヅが口を開いた。

「あの光景が我々の記憶の裡に存在しない以上、あれはアオイ君の見た光景だ。あれはおそらく、彼が住んでいた世界だろう」

「うむ」

 頷き、霧の奥にたたずむフィオラパをちらりと見やり、イオワニは言った。案内のフィオラパは、彼らが足を止めると、やはり先へ進まずその場で待っていた。そのフィオラパをちらりと見て、意味ありげにニヤリと笑い。

「ならば奴は、星の天津国(あまつくに)からこの定めを完遂させるため遣わされた男だ。故にきっと追いつく。奴抜きでは、この定めは成就せん」

 リリナネは目尻をこすり頷いた。

「定めの導きを信じよう」冥界入り筆頭アヅハナウラ。「アオイ君がここで逸れたならば、それもまた、彼にとって必要な事なのだろう。それが定めの意思ならばきっと何かを得て戻ってくる」

 全員、得心がいった顔で頷いた。

「それよりも……」眉間皺をいつものように人差し指で軽く押さえ、背後に流し目をくれてイオワニ。「やって来たようだ」


 気附けば周囲に黒い影。群れなしていた。

「ようやくお出ましか。待ちわびたくらいだ」鼻息荒くカタジニ。豪快な笑みを浮かべ。

 そして次の瞬間。

 身構えた四人に四方八方から襲い来た人型の石塊、土塊。とても土塊とは思えない俊敏さ。

「くっ」面食らいながらも笑みを崩さずカタジニは。「脆いが、速いな。まるでアオイセナの様だ」軽口を言った。

「貴様は」呆れ顔でイオワニ。「よくそんな冗談を言う余裕があるな」

 かばい合い、また、己に襲い来る敵を砕きながら戦う四人。リリナネもまた聖杖ふるっていたが、ここでの彼女の役割は少し違う。当然、彼女の剣技は他の者に劣る。皆が自分を庇って戦っていることは明白だった。

「太陽神魂呪を」思わず口にした彼女に。

 イオワニは言った。

「やめとけ。シュスの苦しみを見てきただろう。そいつはいよいよどうにもならない時のために、最後の切り札に取っておけ」

「うむ」然りとばかりに頷いたアヅとカタジニ。

「このくらいこのカタ様が片付けてやる。お前は大船に乗ったつもりでいろ」逞しい豪腕ふるい磊落に笑った豪傑に。

 またまた目尻をこすりながらリリナネは言った。ただ、今度はいつもの軽口だった。いつものカタジニとのやりとり。

「すまない……。男色でなければ貴様はクムラギ中の女から惚れられただろうな」


 カタジニは不服そうに口を曲げた。

「冗談のつもりか。俺様は女からもててもちっとも嬉しくないわい」

 全員噴き出して笑った。


 噴き出しながらイオワニが言った。「ジレンマだな」

 聖杖ふるう手を思わずとめて、怪訝に問い返したリリナネとカタジニ。

「じれ……」

「なに、それ?」

 迂闊に無防備な体勢さらした二人。に、襲いかかった土塊打ち砕いてイオワニは言った。

「聖女様がフィオラパから聞いた言葉だそうだ。こういう時に使うんじゃないのか?」

 自身は休むことなく聖杖ふるいながら、アヅナウラが説明した。彼は聖女の叔父故に、それらの語群よく聞いていた。

「二つの事柄どちらとも決しがたい状況に陥ったときのことを言う。カタの意思はどちらか明白故その言葉あてはまらぬ」

「なんだそうなのか。とんだマンザイだな」

 戦いながら楽しげに笑った四名。

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