第118話

二十三.[巨石]



 こちらは霧中に独り。

 混乱しながらも、気を取り直し、歩を進めたアオイセナ。その前に突如立ちふさがった巨大な影。霧の中、見上げた。全体像が見えない。

 彼は石ころだらけの急な斜面の中腹にいて、それは、斜面に半ば、文字通り半分くらい埋まって現れた。南米の古代文明風ピラミッド。巨石建造物。霧に隠され全景は見えないが、眼前に石の階段がある。ピラミッドの外壁に刻まれた頂上へと続く石段。まるで、登ってこいと誘っているかのよう。


 何なんだ……、さっきの仏像といい、これといい……。

 意味がわからなかった。悪魔の業でないことは確か。いや確信は持てないが、聖杖で軽く突いてみたが変化ない。悪魔の造物ならば聖杖の魔力によりボロボロと砕けるはず。

 いや、確かとは言えないだろ。悪魔の幻覚かも知れない……。

 何が起こるか解らない。全て、人の予想、人に想像しうる想定の限界、それ以上のことが起こりうる。そもそも、いったい誰がここの様子を見てきたというのか。誰もいないはず。


 様々に思い迷ったがしかし。逡巡したのはわずかな時間。アオイは階段を登りはじめた。


 さほど高く登る必要はなく、天辺が見えた。霧の中朧に浮かぶ方形の石の広場。彼が顔をのぞかせると、小さな影が慌ただしく動いた。


 アオイは目をみはった。動く者が存在することにまず。そして霧の中朧に見えるその姿にさらに。


 広場にいたのは、七つほどの、小さな、人に似た影。アオイが姿を見せると、はじめ慌てふためいたように動き、顔を寄せ合い何やら相談する様子を見せ、何やらうなずきあった。その姿は。以前ユタが紙に書いてくれたあのアレにそっくりだった。

 白くフサフサの体毛に覆われ、猿に似ていて、猿そっくりだが、むき出しの顔は蜥蜴そっくり。すっくと立った二本足と両手も、むき出しで鳥の脚に似ていて、鋭いかぎ爪を持っている。


 これ! 守宮(やもり)猿じゃないのか⁉︎ なんで冥界に‼︎ ますます面食らったアオイ。


 顔を寄せて何やら聞き取れない言語で相談し合っていた守宮猿だったが、そのうちの一頭が仲間から離れ、アオイの前に来た。口がわずかに開いたが、言語として聞こえなかった。脳内に直接届いた。人の言語、つまり日本語が。


「マヌシニの国より来し若者よ。マアシナの御子を受け取りに冥界に入りし若者よ。我らは感じる。姿見えねどもそこに汝の在ることを。汝に伝えおく。必要なことを。そこにて、冥界にて、汝が迷わぬように。されど時間が限られている。危険を感じれば即座に離れよ」


「あ……、あの……」アオイは驚愕しながらも問いかけたが、こちらの言葉は相手に聞こえないようだった。守宮猿はアオイの言葉を無視して続けた。




二十四.[助言、そして伝言]


「剣士よ。戸惑うことはない。そこは我らの世界と汝らの世界の境界の次元。狭間の次元ゆえ、二つの世界の事物が幻影として現れるのだ。陽炎の如く。されど幻ではなく実体としていずる。もし、試みにそなたが足もとの石ころを取り、我に投げれば我は傷を負う。しかし我らが現実世界から消え去り冥界に入り込んでいるのではなく、我らは現実世界にありながら、そこに幻として顕れているのである。ゆえに霊力弱き者はそのこと自覚ない。我らは、汝が我らの側に来たこと幽かに感じる。独りはぐれていることも」


 次いでアオイの脳裏に舞い降りたのは、とても言葉や図形では説明できない次元のイメージ。守宮猿が見せてくれたイメージ、図像。それはやはり『階層』という言葉でしか表現できない。現実世界、重走して存在するいくつかの世界、そして別次元の冥界、アオイが現在いる場所はその深部、現実世界に近付くほど浅い階層となる。けれど現実と最も近いマウオラの層は個々の命に等しく一つずつ在る、その事一つ見ても、三次元的なイメージでは捉えきれない。けれど。


 なるほどと、アオイは思った。

 ここは深層だから霊的に高度なものしか降りてこれない。歳月経た仏像とか、守宮猿とか。人の姿はない。けれど比較的浅い階層なら、人も多く入り込んでいるのではないか。霊能者、霊が見える人、神を感じる人、それらの人は現実世界で霊を見ているのではなくて、知らず冥界に幻として現れ、そこで微細な周囲の存在を感じ取っているのではないか。さらに、逆に、霊障、ポルターガイスト、それらの現象も説明がつくじゃないか。


 得心がいった心持ちのアオイ、自身の仮説を脳内で反芻し、整合性を検証しはじめた。そんな彼の様子を知って知らずか、守宮猿は言葉を継いだ。その内容。仮説に夢中になっていたアオイを瞬時に現実に引き戻した。


「脅威が迫っている。気をつけよ。汝が独り引き離されたのは、汝に興味を抱いたモノがいるということ。その策にはまっているのだ。若者よ。この先何があろうとも、惑わされてはならぬ。悪魔の術中にはまる。汝が汝で在ること、今日まで知り得たこと、覆されぬよう、逆に悪魔の言葉の裏から真実を嗅ぎ分け、己の自性を強固たるものとせよ。できねば、汝、悪魔に壊されよう」

 食い入るようにして話を聞いていたアオイだが、むろん、もっと続きを聞きたかったが、いや、聞いておくべき内容だったが、脱兎の如く身を翻し石段駆け下りはじめた。死にものぐるいで。


 はじめに守宮猿は言った。危険を感じれば即座に離れよと。意味がわかった。足もとの岩が徐々に朧に、透き通りはじめたのだ。巨石が消え始めている。斜面に半分埋まって現れたピラミッドだからさほど高く登っていないとは言え、落下すれば確実に大怪我。


 もつれそうな足をとばし、三段ごと一足飛びに階段駆け下りた。地上一メートルほどの処で完全に足場が消え失せ、足が抜けた。咄嗟に受け身を取り、ゴロゴロと斜面転がった。


「くはっ、ヤバかった」


 地面から顔をあげ、感嘆の声をあげた。


 危機一髪だった。


 立ち上がり、体の点検をした。上手に転んだおかげで打ち身にもなっていない。もちろん打った所は痛いが怪我はない。捻ったところもない。少し擦り傷があるが、これくらい小学生でも気にしない。

 ホッと一息つくと、俄然気になった。最前の守宮猿の言葉。脅威が迫っている。


「何が来るんだ……?」

 守宮猿が脅威と呼ぶからには、かなりの大物。もちろん悪魔……。


 考えたがわからない。見当もつかない。


 アオイは腹を決めた。来るものは逃れようがない。第一この状況自体が、そいつの策中に陥った結果だという。なら、ジタバタあがいたって来るものは来る。守宮猿が言うように、心を強く持ち惑わされないようにする他、彼にできることはない。


 アオイは歩を進めた。どちらへ向かうべきか、もはやそれすら考えず。どの方向へ進んでも、それが現れるはず。仲間達を捜しだしマアシナの御子を受け取るべくマナハナウラのもとへ向かう、それは必然的に、待ち受ける脅威をクリアした後。


 霧の中に大きな影が現れ、アオイは足を止めた。大きい。しかしさっきのピラミッドほどではない。丸っこい。人の頭部に似ているが桁外れに大きい。彼は油断なく近付き、そしてハッキリその正体を見極め。あんぐりと口をあけた。目が点になった。それは脅威ではなかった。間違いなく。そして冷静に考えれば、八部衆像が現れるなら、これが現れても不思議はなかった。何ら。

 これ……。


 東大寺、盧舎那仏。つまり奈良の大仏。斜面に埋まり頭部だけ、否、肩から上だけ地上に出して。


 暫くの間呆気にとられていたアオイだったが。我に返った。チャンスだと。再びこれほど都合良いものが現れるとは限らない。この機を逃す手はない。懐の小刀を抜き、肩に飛び乗った。大仏の頬、緑色の表面に、切っ先をあてた。「ごめんなさい」と手を合わせてから。良心が咎めたが既に国宝一つ砕いている。

 ひらがなの曲線を小刀で刻むのは難しい。カタカナで書いた。緑青(ろくしょう)の表面に切っ先でカリカリと傷をつけ。はじめアオイセナと刻みそうになり、思い直しセナアオイと刻んだ。


『オレハ、セナアオイ、イキテイル』


 続いて何を書くべきか迷った。細々書けばきりがない。そもそも、クムラギがある世界のことをどう説明していいか分からない。『異世界にいる』では狂人のたわ言と受け取られかねない。イタズラ確定する。迷った末こう刻んだ。


『キヅイテ、モウスグ』


 そこまで刻んだところで、切っ先がスッと抜けた。刻めなくなった。物象が不確かになり。徐々に朧になりはじめ、やがて透き通り。


「クソ」何が起こるか知らせたかった。あと少しだったのにと悔しかったが。


 消え去る盧舎那仏を祈るような想いで見送った。届いてくれと。少なくとも、自分が生きていることは伝えられる。奈良の大仏のほっぺに落書き、それは全国区のニュースになるはず。それを見た家族は、俺が生きていることにきっと気付いてくれるはず。


 もとの世界に戻れるとは思っていない。ただ、無事でいることをその人々に伝えたいだけ。


 盧舎那仏が完全に消え去ると、再び霧中に独りきり。前よりさらに孤独を感じた。ひしひしと。もといた世界に思い馳せ。


 誰かに笑われた気がした。霧の奥で。何者かがフッと笑った。

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