第102話
五.[友人]
クムラギの街路を二人は並んで歩いた。
秋風心地よく吹いていて、秋空は何処までも高く清んでいて、遥か上空に動かぬ鱗雲、下層に流れるちぎれ雲。しかし二人は、どちらかと言えばうつむき加減で、難しい顔をして歩いた。時に腕組みして。
アオイが話したかったのは、大魔導師のこと、召喚呪のこと。しかし、オニマルの話したかったことは冥界入りする友へ。伝えておきたいこと。託したいこと。
「町の人は皆大丈夫だと言っているがお前はどう思う?」
アオイに意見を訊かれてオニマルは厳しい顔で答えた。正直な処を。彼は曖昧に誤魔化せるような性格ではなかった。
「原理神召喚は、そんなに生やさしいものではない。本来人に召喚できるものではない。自然界の摂理をねじ曲げて呼び降ろすんだ。わずかな希望すらないとは言わないが、覚悟は、しておいた方がいい」
「そうか……」
アオイは仄かな期待を抱いていたが、それが甘いものであることを改めて知った。もともと心の奥で分かっていたこと。けれど分かりたくなかったこと。それを冷静に言葉にされた。腕組みして空を睨め上げた。
冥界入りをひかえた剣士とその友人、クムラギで一二を争う剣士二人が並んで歩いていると、道行く人は皆会釈して通り過ぎる。雰囲気を察して話しかけてこないが、話したげな顔附きの人々。
赤ん坊を抱いた若い女性が近付いて来て、アオイに言った。
「剣士様。どうかこの子の頭を撫でてやって下さい」
それは、冥界入りする勇者に触れてもらうことで、強い子に育つよう願うお呪い。
アオイは母親に笑顔を返し、その赤ん坊の額にそっと触れた。優しく髪を撫でてやると、赤ん坊は喜び、彼の指をつかまえようと小さな手をのばしてきた。
この子達の未来を守るためならば、俺はこの身を犠牲にして惜しまない––。シュス様も同じ気持ちに違いない––。その覚悟を少し理解できた気がした。
その後も、会釈して通り過ぎる人々に二人も無言で会釈を返して、自然ひと気ない方角へと足が向き、やがて大河ラーのほとりに辿り着いた。アオイがはじめて小鬼族と戦った大通り。その門をくぐり。
階段状の石の護岸を降りて行き、水寄せている流れの側に並んで立った。
オニマルがあらたまった口調で言った。少し笑みをまじえ。
「お前の記憶は戻りそうにないな」
「そうだな」
「冥界へ行く前に言っておきたいことがある」
「うん」
オニマルは水面を睨み付けるようにして、言った。照れて。
「俺はお前に、アオイセナに出会えたことを誇りに思う。お前は我が生涯最高の友人だ」
「ぶ」
アオイは目を丸くして真っ赤になった。
「急に何を言い出すんだ––」
オニマルも真っ赤になりながら言った。
「言うな。俺だって恥ずかしいんだ」腕組みして顔を背け水面をことさら睨み付けた。「きっと事成し遂げて無事に帰ってこい」ぶっきらぼうに言った。
アオイも水面へ目を移した。
「ああ」
スッと照れくささが消えた。友人の言葉を素直に受け止めた。「ありがとう。きっと帰ってくる」
友とは君子のように交わりなさい。もたれ合い占有しあうのが友ではない。タパの言葉が脳裏に蘇った。今、隣にいる男、それは彼にとっても。
「同じ言葉を返す。お前は最高の友人だ」
二人は悪戯小僧のように、ニッと笑みを含んだ顔を見合わせ、拳を交わした。
「無事に帰ってこい」
「ああ。必ず」
オニマルは彼方の地平に目を向けた。「それにしても」と。
「記憶を失う前のお前は何処でどんな暮らしをしていたんだろうな……」感慨深げに。
「うん……」
言われてアオイも不思議な感覚に包まれた。彼方を、忘却の淵を遠い目で見つめ。まるで空の奥深くに真実が垣間見えているかのように空を見上げ。
その時彼が襲われた不思議な感覚とは、途轍もない違和感。今、ここにいる自分。そして、過去の自分。まるで違う人格のような気がした。いつの間にか成っていた。が、過去とここに途轍もない差が、埋められない断絶があるような気がした。朧な違和感ながら強烈なもの。
彼は、私利私欲ですら「夢」と呼んではばからない世界から来た。自由、夢、仲間、美しい言葉へのすり替えや誤魔化し。若者達はみな大人になる道程で思い悩む。そこに在る多くの矛盾と、生じる葛藤に。彼の選択は、そこへ背を向けることだった。
世の中をはすに見て独りしらけていた。捻くれていたわけではないが、醒めていた。何に対しても。しかし記憶を失うことで、すべて消え去った。
その世界ですり込まれたくだらないもの、その蓄積で覆われた心の表層部、くだらないもので歪められた世界観、すべて消え去るとただの器に成った。接する者全てを受け入れ、平らげる優しい容れ物に。
「それから……」
オニマルは腕組みし目を伏せて言い淀んだ。
「頼みたいことがある。もしも……。いや、お前なら俺と同じ気持ちだと信じてだが……」
「何だ?」
アオイは訝しく感じた。オニマルは口にするのをためらっている。それがさも大それたことであるかのように。
「冥界に入り、もしも出来るようなら……」
なおもためらうオニマルに、アオイはピンときた。思わず笑いがこみ上げた。
「ああ。連れて帰る。誰にも話してないが、連れて帰りたいと思っていた」
オニマルは目を見開いて、次いで微笑んだ。
「そうか。実は、もしも俺が選ばれたらそうしたいと思っていたんだ」
「そうか。実は俺もだ」
二人の友人は、互いの大それた考えを笑った。
「聖女様を知っているのか」アオイの問いに。
「勿論だ。二つ年上だ。昔は俺もタパ様の廟堂で手伝いをしていた。よく知っている。子供の頃はお姉さんぶったマナ様にしょっちゅう叱られた。喧嘩になると必ず言い負かされた」
オニマルは苦笑しながら話した。アオイははじめて聞く話に、笑いながらも少し驚いていた。
「気鬱の病になった時は心配した。その後、本当に聖女様の様になられた時は近寄りがたかった……。ほとんど話が出来なかった……」
「そうか……」
アオイは、空を見つめて語るオニマルの横顔を見て、ピンときた。そうだったのか、と。俺にしては鋭いじゃないか––。友人の気持ちを知り、決意を新たにした。
オニマルのためにも。必ず聖女マナハナウラを連れ帰る––。
しかし彼はまったく鋭くなかったし、勘違いも甚だしかった。そんな想いを抱くことは、この町の人々にとって、それこそ大それたことだった。
その日、午後、調合が終わった。ヴェセプタ召還呪はハハキリに宿された。一度きり、一度唱えると消えてしまう呪文として。
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