第103話

五.[お見送り会]


 アオイがお廟に帰ると、門の処で少年達が待っていた。ユタを真ん中に、ラナイやリュウ、そして他にもお廟で働いている子達が全員。並んで。

 ユタは代表者のように真ん中に立っているのに、ニコニコ笑っているだけで何も話さなかった。両脇のラナイとリュウがかわるがわる口を開いた。


「おかえりなさい。お疲れ様でした」と、一番年長のラナイ。

「ああ……。何? どうしたの?」訝しがるアオイに、

「扉の女神召喚呪の調合が終わりました」リュウが答えた。

「ああ……そうなんだ……じゃあ」明日、政治堂で聖杖が授与される。その段取りはアオイも聞いている。


「明日、政治堂で聖杖授与があり、冥界入りする人々はこの廟堂に宿泊します。翌朝、冥界入りとなります」ラナイは言った。

「明日は、冥界入りする人は全員、アオイさまも断食となります。ですので」

 リュウが笑顔で続けた。

「僕たちでちょっとしたお食事の席をもうけました」

「え、どこに?」

「アオイさまのお部屋に」

「ああ、なるほど」それってお別れ会か、喉まで出かかって、その名称はまったくもって縁起でもないと気附いた。「お見送り会みたいな奴か?」

「そうです」

 えたりとラナイが答えた。


 それからぞろぞろと連れ立って歩きながら、アオイはラナイに訊いた。「タパ様とシュス様は?」

 当然、予想通りの答えをラナイは言った。

「お疲れになってお休みなさってます」

「だろうな」一週間近く、不眠不休で調合室にこもりきりだった。今夜はもう会うのは無理だろう。しかし明日もゆっくり話す暇などない。明日の夜はどうだろう。少しくらい話せるかも知れない––。


 部屋に入ると、狭い中に十人分のお膳が並べられてあった。子供ながらも、ちゃんとアオイを一番上座に据えて。そして自分達のお膳は両脇に並ぶように。全員のお膳に梅酒の入った小さなコップがついていた。


 そうしてささやかな、本当に、例えるならお誕生日会のようなささやかなお見送り会が始まった。楽しく会食した。皆、楽しそうにお喋りしていたが、ユタ一人だけ、一言も喋らなかった。ただ、にこにこ楽しそうに笑っていた。箸も進んでいなかった。


 食べ終わると一人ずつアオイの前に来て挨拶していった。ご健闘をお祈りしています、とか、きっとご無事にお帰り下さい、とか。きちんと正座して深々と頭を下げ、丁寧に。アオイも正座に座り直し返礼した。ありがとう、きっと無事に帰る、と。


 リュウの順番が来ると、前に来て綺麗に座り、かしこまって言った。

「お父さまはいつも言ってました。アオイさまは昔話の英雄や語り継がれている偉人達と同じ種類の人に違いないと。でも、僕はお父さまがそうおっしゃる前から、ちゃんと分かってました。アオイさまがこの廟堂に運び込まれた時から。だって、あまりにも奇妙な格好をなさってましたから。この方は天界から降りてきた人に違いないと」

「ぶ」アオイは思わず咽せた。「それは、言い過ぎじゃないかな」天界にいた記憶はない。そもそも自身の性質にそんな気質を感じない。天上の清らかさとか。微塵もない。

 リュウはにっこり笑った。

「アオイさまなら、きっとマナハナウラさまの御子を連れてご無事にお帰りになるに決まってます。どうか、この世界をお救い下さい」そして深々と頭を下げた。

「ありがとう。きっと御子を連れ帰る」アオイも深く返礼した。


 続いてラナイが前に来た。口数少なく、いつも冷淡なこの少年にしては珍しく、笑顔で、饒舌に、今回の冥界入りの栄誉を称え、ご健勝をお祈りします、と締めくくった。一番の年長者らしく。

 ラナイは先日の大襲撃で、初戦はついくさを経験した。もう子供ではない。アオイも子供ではなく、彼を年若き友人として迎えた。

「ありがとう。きっと期待に応える」そして少し小声で附け加えた。「が、もしもの時は頼む。リュウも」二人の顔を見やった。

 もしも俺が帰って来れなかったら、ずっと横でにこにこ笑ったまま一言も喋らない奴、こいつのことを頼むぜ、目で伝えた。

 伝わった。ラナイもリュウも無言で頷いた。少し目を伏せ。


 次はその、にこにこ笑ったままずっと一言も喋っていない奴、の番だった。みんなは気を利かせてユタの順番を一番最後にしていた。きっと一番沢山喋りたいだろうと。けれど自分の順番が来てもユタはにこにこ笑ったままで、立とうともしない。座ったままだった。


「ユタ?」

 アオイが問いかけると、その笑顔が歪んで、下を向いた。肩が小刻みに震えていた。


 アオイが立ち上がり、ユタの前まで行き、座った。ユタは顔を上げなかった。アオイはそのまま暫く待った。優しく笑み。

「ユタ」声をかけると。

「ひゃぃ」返事が嗚咽で返ってきた。

 アオイは笑って「手を出せ」と言った。

 言われて面食らい、戸惑いながら右手差し出したユタ。アオイはその手を握り握手をした。

「わかるか? これが俺だ。ここにいる。当たり前みたいにここにいるけれど、当たり前にいるわけじゃない」言葉を切って、ユタが言葉の意味を理解するのを待って続けた。

「けれど約束する。明日も明後日も俺は当たり前にここにいる。それはお前や皆んなが作ってくれた未来だ」お前たちのおかげで俺は今日を生きている。それは明日も明後日も変わらない、そう言いたかった。

「はひっく」はい、とユタは答えたかったようだ。


 気付いていた。ずっと平気なふりをしていたこと。けれど、明日、そしていよいよ明後日のこととなり、さすがにふりも出来なくなったのだろう。

 不思議なことにアオイ自身もまた、今あらためて、明後日には俺は死んでいるかも知れない、その事を、目睫に迫る運命として認識した。今まで他人事、物語の登場人物程度に感じていた。


 たとえ俺が冥界で果てたとしても、誰か一人でも生き残り、御子を人間界へ連れ帰れば良い、それで良い––。そんな考えしか浮かばないところを見ても、彼はやはり自己の命を、運命を、他人事にしか捉えていない。しかし。だから言えた。芝居のような言葉を。


「ユタ」


 返事はなかった。うつむいたままだった。


「俺たちは兄弟同然だよな」


 ポトポトとお膳の上に涙こぼれ落ち、ユタは何度も頷いた。


「というよりも、普通の兄弟以上だと俺は思っている」

 言いながら、今生の別れの場面みたいだなと感じていた。芝居じみていると。けれど気恥ずかしくはなかった。むしろ言い足りない。この廟堂で記憶なく目覚めてから今日まで、この少年に世話になったことを思い返せば。

 いつも、勇気をもらっていたのは、俺の方だった––。

「ユタ。兄として約束する」


 ユタは顔をあげた。涙で顔がくしゃくしゃになっていた。


「約束する。お前を独りぼっちにはしない。きっと無事に帰ってくる」


 ユタは何度も頷いた。嗚咽噛み殺し、口を歪めて何か言った。

 聞き取れなかったけれど、当たり前です、ちっとも心配していません、と言ったみたいだった。

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