第97話

三十二.[クムラギ大襲撃/アオイセナ見参]



 死霊術は時間が経つと消え去る。今まで彼らを護ってくれていた屍や霊体。次々土塊に戻っていった。一体、また一体と消えてゆくにつれ、徐々に形勢不利になっていったユタとリュウとお爺さん。


 不気味に迫る蠻族の群れに取り囲まれた。オオカミの霊も昔蜥蜴も、まだ幾体かは残り蜥人と戦っているものの既に形勢逆転している。


「うぬ……もはやこれまでか。無念な……」マシキお爺さんは自分の身を盾にして三人の子供を庇った。三人をかいなに抱き寄せ、蠻族に背を向け。老い先短い自分はどうなってもよい。ただ、子供達だけは逃がしてやりたかった。もはや叶わない。取り囲まれ、蟻の這い出る隙間もない。あとはこの身を盾に、子供らに刃が届かぬように願う。死しても、抱き庇う。かいなに力をこめた。


 取り囲んだ蜥人のうち一頭が、前に出て目を歪めて笑い、何か言葉を発した。それを聞いて他の蜥人達も愉快げに嗤った。


 ユタはお爺さんの腕の隙間から敵を睨んだ。悔しかった。すぐ真横にニニの顔がある。ほっぺたがくっつきそうなほど近くに。泣きべそ顔で「リコ父さん、ニコ母さん」唇をとがらせ二親の名を呼んだ。


「大丈夫」

 ユタはお爺さんの手をふりはらい駆けだした。山鉈をふりかざして手前の敵に躍りかかった。覚悟した。もう、勝てるとは思っていない。生きのびられるとも。自分の捨て身の行動で、仲間達が助かる道が開ければ、そう思い。奇蹟が起これと。


 しかし彼の義勇は簡単にへし折られた。山鉈と共に。鉄球を喰らった刃は折れて飛んで行き、彼自身もはね返され倒れた。その彼を見おろして、愉快げに目を歪めて、仁王立ちして武器を振り上げた蜥人。奇跡など起きない。


 もう駄目だ、殺される、涙が滲んだ。けれど。


 彼は目をそらさなかった。にらみ返した。ギュッと口をつむり。奥歯を食いしばり。


 その顔を見て、蜥人はさらに嗤った。愉しそうだった。残虐な愉しみに酔っている。ニタリと口角をあげた。次の瞬間。


 その首が躰を離れ上方へ飛んだ。首が飛び躰が倒れるまでのわずかな間に飛沫あがり視界をさえぎった滝の如き血飛沫。その血飛沫の向こうに、見慣れた背中が一瞬見えた。しかし飛沫が全て地に落ちる前に、消えていた。


 ユタは涙の滲んだ目を袖でゴシゴシと擦って、身を起こして辺りを捜した。ニニとリュウを庇うお爺さんに襲いかかっていた蜥人に、血刀叩き込んでいた。まるで飛燕のように身を廻し。二匹を倒し、すぐに消え去り。別の敵の心臓を貫いて現れ、再び消え去る。その周囲で劍呪が次々炸裂して、彼を助けていた。


 ユタは気附いた。いつの間にか側に立っていた。白練と呼ばれる純白の道服をはおった美しい女性魔導師。彼が見上げると、にっこり笑って見おろした。「大丈夫? ユタ。怪我はない?」


「はい」

 ユタは袖で目を擦ろうとして、慌ててやめた。泣いていると思われたくないから。頷くふりをして、気附かれないように擦った。ぎこちない笑顔を作り。見られないように目をそらして。


 その彼を庇い立ち、目の前に現れた見慣れた胴服の後ろ姿。くすんだ青色と腰変わりの黒。背にほどこされた白いムカデの刺繍。どちらかと言えばゾッとする図柄に、まったく似合わない端正な顔がふり返り、微かに口角をあげて、優しい目を微笑ませた。


「アオイセナ見参」悪戯っぽく笑った。次いで優しい笑顔に変わり。「ユタ。よく頑張ったな」


 ユタは何ひとつはっきり見えなかった。次々あふれでる物で滲んでしまい。口をへの字に曲げてこらえた。「ちっとも。こんなのへっちゃらです」と言おうとしたけれど言えなかった。ただ、頷いた。


 その顔を優しく見つめたアオイとリリナネ。けれど見つめたは一瞬。優しい一瞥。二人はすぐさま敵に向き直り、アオイは再び敵只中に跳び、リリナネは劍呪を唱え敵を撃った。


 敵を続けざま劍呪で沈め、リリナネは鋭く号令した。全員に。

「敵を殲滅する。みんな、できるだけ私の側に来て! アオイも。戻って!」

 全員が体を寄せた。その彼らを護って、アオイは襲いかかってくる蜥人に、キトラをかかげて威嚇した。ふり廻して追い散らした。マシキお爺さんも残っていた矢を射た。リリナネは左手に印を結び、右手を天上にかかげた。


 リリナネ、第二のプレルツ。

「パス」

(pasuu [ppn ]爆発・爆裂・破裂)


 唱えると共に右手を周囲三百六十度にグルリと回した。魔導師の右手の平は対象指定。


 彼方で破裂音鳴り響いた。遠くで。無数に。次々間断なく轟き、森を、地を揺るがす大音響となった。大地も轟く。音の正体はすぐ分かった。彼らのすぐ側でも次々炸裂した。耳がキンとなり、皆、鼓膜が破れそうに感じた。眩しくて目もくらんだ。


 それは直系三メートルほどのドーム型の火球。破裂音と共に地上に現れ、敵を飲み込み丸焦げにする。木々を吹き飛ばし地も抉ぐる。次々と至るところで炸裂する。それは火球術の亜種であり、術者の指定した地表で無数に炸裂する。到達範囲は術者の能力次第。リリナネの場合、この森をすっぽりのみ込む規模。爆裂焔呪と呼ばれる上級元素術。火球術は単体焔呪プレ・アフィだが、これは火球術の亜種でありながら、全体焔呪プレ・ナーフィ

 彼らのすぐ側にいるため術を逃れ彼らに襲いかかってきた敵は、全てアオイの刃とリリナネの劍呪の餌食となった。


「あちぃ……」閃光の如く太刀振るいながら、アオイは思わず閉口して言った。術者本人に直接は言わなかったが。小声で呟いた。なにしろ灼熱の焔のただなか。熱気が頬を焦がす。尋常でないくらい。すぐ側で何度も炸裂する火球。

「いつまで続くんだ……」独りごちた。本人には言えなかった。「すごすぎだろ……、派手過ぎじゃ……?」

 いつ果てるともなく続いていた爆発が、いつしか途絶え気味になり。やがて終わった。術は収束した。もう、敵はいない。いや、敵どころではない。

 リリナネを除く全員が、呆然とそこに広がる光景に見入った。


 そこにはただ何処までも広がる焦土があるだけだった。ところどころまばらに焼け焦げた木々が残っている。森が消えた。蜥人ばかりでなく。森にいた沢山の生き物も全て。死に絶えた。鳥は難を逃れただろうが、今は空の何処にも姿がない。


 プレルツはツフガが厳に使用を戒めた術。その理由を、短時間に二度、目の当たりにしたアオイ。自然、頭を垂れ、黙祷した。敵のために。巻き添えになった森の命のために。隣でリリナネも同様にしていた。ユタも、子供達も、お爺さんも。


 顔をあげると、リリナネが何か言った。けれど耳がキーンとしていて何も聞こえなかった。

「はい?」意図せず、素っ頓狂な声になった。自分の声も聞こえない。「何ですか?」なんですかと言ったのかあんれすかと言ったのか定かでない。


 リリナネは困った顔で何か言葉を続けた。しかし口がパクパク動いているだけで声はまったく聞こえない。

 彼女は困った顔で指差した。クムラギを。


 焦土広がるその先に、遠くクムラギの防壁が見える。もう、視界を遮る物が何もない。

 その時ようやく声が聞こえた。耳鳴りが治まり音が戻ってきた。

「––戻りましょう。町で暴れ回っている残りの蛇頭族を追い払わなきゃ」


 アオイは頷いた。「はい」合点承知の助、と附け加えようとして、しかし、そんな事を言う人を実際には見たことないのでやめておいた。


「わしらは歩いて戻ろうかの」

 マシキお爺さんが子供達に言った。子供達は頷いた。一様にホッとした顔。


 アオイはキトラの血を拭い鞘におさめ、リリナネに右手を差し出した。好い雰囲気だと感じた。二人で力をあわせて成し遂げた。いつも間にある他人行儀な雰囲気、クムラギの防壁のように高い壁、それが消え失せたと感じた。戦いの中で。

「行きましょう。きっとオニマルが頑張ってるはずです」骨っぽい男口調、口の端に笑みを含み、『いつもよりほんの気持ち、男らしく』を意識してそう言うと。


「ええ」

 リリナネはその手を取り、

「いいわよ、アオイ君。跳んでくれる?」冷淡に言った。顔を彼に向けず、ちらりとも向けず、クムラギの方だけ見て。


 ん––、面食らったアオイ。というより。横ビンタ食らったに等しい心持ち。急に君付け。距離感アリアリのお姉さん口調。元の木阿弥的呼ばれ方。よそよそしさ。再び聳え立った壁。そして。

 説明の必要はないがその後もずっと君付けで呼ばれた。

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