第96話

三十一.[クムラギ大襲撃/ネクロマンサー]


 ニニはお爺さんに扉を少しだけ開けて貰い、その隙間から粉をまいた。フッと息を吹きかけて。粉は少量。風に乗り、大地に降りた。そのわずかな量で、付近一帯の大地に働きかけ、妖変を引き起こす。ニニは粉が地面に落ちるのを待って唱えた。


「ツパパク」


 大地が微かに震えたように、みんなには見えた。ニニ一人だけ、大地が幽かな光を放ったように感じた。


「何が出てくるの?」

 ユタの質問に、

「わかんないの」ニニは正直に答えた。


 出てくるまでわからない。ニコ母さんの説明では『結果は四通り。霊が召喚されて霊体として現れる。霊が召喚されて物象に応化して現れる。埋まっていた骨が土塊をまとい生前の姿と似た姿で現れる。埋まっていた骨が体組織を再生して動く亡骸として現れる。』


 みんな、わずかに開いた扉の隙間から息をつめて見ていた。すでに小屋の中は煙で息ができないくらい。


「あ」リュウが気附いた。「土が動いた」

 その時にはみんな気附いていた。あちこちで、土がぼこぼこと盛り上がって、何かが這い出てきていた。そのうちの一体が完全に姿を現した。それを見てお爺さんは呟いた。

「小型の昔蜥蜴じゃ」


 鋭い牙を持ち、二足歩行、前足は飾りのように小さい。大昔にこの地で埋もれた亡骸が、体組織を再生して這い出てきた。不完全な肉をまとい、ところどころ破れた皮膚で。


 自分の使った術ながら。「うげげ。気持ち悪」ニニは毒づいた。確かに見た目は悪かった。しかし。


 蜥人達は一斉に矢を射た。亡骸に。いくら矢が当たってもまったく効き目はない。昔蜥蜴たちは敵に襲いかかり鋭い牙で噛みつき始めた。


「なんと好都合な。今じゃ」

 お爺さんの合図で、みんな小屋から走り出た。


 お爺さんは立て続けに矢を射た。

 ユタとリュウは、武器をふりあげて昔蜥蜴と戦っている蜥人の背中に、山鉈の刃を叩き込んだ。「ごふっ」血を吐いた蜥人。

「うっ」柄を握る手に感じた生々しい感触。初めての感触。

 そして彼らの方に向き直り、憤怒の形相で躍りかかってきた血まみれの敵。一瞬怯んだユタとリュウ。しかし昔蜥蜴の牙に助けられた。その蜥人は首を食い千切られて倒れた。


 二人は顔を見合わせた。頷きあった。思いは同じ。これくらいで怯んじゃ駄目だ。

 そして相談していたわけでも事前に示し合わせていたわけでもまったくないが、二人はこのことも理解していた。二人一組で、一匹を相手にする。蜥人と人間の子供では体格差がありすぎる。一対一でまともに勝負したら到底太刀打ちできない。二人で一緒に戦う。新たな、近くの敵にむかった。飛んでくる矢の中を。勇敢に駆けて。


 そしてニニは、ありったけの粉をまいていた。ニコ母さんが持たせてくれていた粉の全てを。



 土中からさらに多くの昔蜥蜴の屍が湧いて出た。そしてこの時、 別の幽体反応も現出した。はじめ気附かなかった。それは土の中から出てこなかった。気附いた時、空中を無数の妖変が飛び交っていた。それは幽体が物象に応化して現れたもの。つまり、一時的に物質の形で姿を現した霊体。所々物質で、所々幽体で朧。例えば手足などは朧ではっきり見えない。しかし胴体や首や頭部や鋭い牙ははっきり物象化している。

 長いトカゲのよう、否、龍に近い姿の幽体。無数に宙を飛びまわり、術者を護り敵に襲いかかっている。


「これは……何かしら……?」

 首をかしげたニニに、お爺さんは答えた。

「おそらく、大神の祖先じゃろう。お前さん達竜使いの守り神が現れたのかも知れぬな」

「やん。なんか嬉しい」


 もしもお爺さんの言うとおりなら、他所からきた子供である自分を、竜使いの守り神達が竜使いの子として認めてくれたことになる。ニニは小躍りして喜びたい気分だった。

 死霊術の粉は土地に眠る霊や骸を使役するのだからつじつまは合わない。が、竜使いの一族の守り神がオオカミの祖先であり、一族の者を常に見守っていたとしても不思議はなにもない。そしてニニを一族の長の子と認め、その窮地を救うべく姿を現したとしても。


 第二の妖変の出現で、彼らは圧倒的に有利になった。ユタもリュウも戦いやすかった。時々顔を見合わせては声を掛けあった。


「次はあいつ」

「うん」


 少し自信も芽生えていた。僕達も戦える––。


 二人は自然に、自分達なりの戦い方を編み出していた。子供ならではの戦法。昔蜥蜴の屍を盾に、飛び交う幽体にまぎれて頭を低くして駆けまわり、二人息を合わせて奇襲する。正々堂々と敵に対峙しない。けれど、それを卑怯とは誰も言わないだろう。

 そして二人は同時に、戦いというもの、生き物を殺めるということがどういうことなのかも理解していた。しかし今は、そのことについて深く考える余裕はない。厭だ、したくない、という選択肢も。


 戦う彼らの背後で、小屋が激しく燃え上がっていた。すでに壁も屋根も炎に包まれ、柱が倒壊する寸前だった。黒煙もうもうと空に立ちのぼっていた。防壁の上でリリナネが見た煙。



 樹木が、群れて駆けてくる敵が邪魔で、一気に跳べない。本当に小刻みに跳んでいくしかない。樹木の狭間を睨み据え、跳ぶ。現れざま、側の敵を斬り伏せる。リリナネは劍呪を唱える。あるいは重力呪を唱える。周囲の敵を制圧すると、再び跳ぶ。その繰り返し。


 リリナネが重力呪を唱えると、メキメキバリバリとすごい音を立て、かざした手の先一直線に木々が圧し潰される。故に、後方と前方には向けない。後方に向ければその術はクムラギにまでおよび、前方へ向ければ猟師小屋にいるかも知れない子供達を巻き込みかねない。


 前方から無数の敵が駆けて来る。木々の狭間を抜け、落ち葉を蹴散らし。方々から聞こえてくる甲高い吶喊の声。くあぁこっこっこっお、咽を鳴らしている。奇怪な声、呼応しあう。


「あいつら無事なのか!?」

 敵を斬り伏せ、アオイは思わず言った。こんな中にいて、無事でいられるのか? そもそも、こんなに敵がいる中を、どうやって猟師小屋まで行くことができたのか。


「きっと。あの火事が猟師小屋ならそこにいるはず」

 リリナネは答えたが、声が弱気だった。

「信じましょう」アオイは答えた。


 視界が効かない森の中、何度も跳ぶ。ともすれば方角を見失う。いや既に見失っている。リリナネは重力呪使うのをやめている。子供達を術に巻き込む事恐れ。アオイに迷いは無かった。既に方向感覚は失っている。しかし迷いはない。呼ぶ声が聞こえる。


 さらに数度跳んで、跳んだ瞬間目の前にいたもの。

「うわっ」

 牙を剥いて襲いかかっていたそれの首筋に刃を突き立てた。しかし何の効果もなかった。食らいついてきたそれの首を切り落とした。躰を廻し、キトラを一閃させ。


 倒れたそれを見てアオイは思わず言った。「これ、キョウ……」

 リリナネの言葉にさえぎられた。

「昔蜥蜴ね。小型の」

「ああ。これが昔蜥蜴ですか……」咽まで出かかっていた言葉は暗い霧の奥へ消え去っていった。

 倒れた昔蜥蜴の体は、煙を噴きあげ、ぐづぐづと土塊に返っていった。二人の見ている前で瞬く間に。


「屍……。きっと竜使いの女の子が術を使ったんだわ。死霊術を」

「死霊術⁉︎ ネクロマンシーですか⁇」閃光のように脳裏に閃いた。その言葉が。

「え? ねく……、ね黒……なに?」


 リリナネはまったく意味が分からない様子だった。が、アオイは半ば驚愕の面持ちで浮かんだ言葉を口中で反芻した。記憶の奥深くに沈んでいた語群。一気に浮上してきて鮮烈に脳内を渦巻いている。何か、何か一つでも突破口があれば一瞬で霧が晴れそうな予感がした。


 手を止めてしまったアオイ。代わりにリリナネが劍呪で敵を撃退する。しかし手に余る敵。口早に言った。

「お願い。アオイ。集中して。これがいたってことは、きっとみんな無事。きっとこのすぐ近くにいる。けれど、一足違いで取り返しのつかないことになることだってあるかも」

「そうですね」真顔に戻ったアオイ。雑念は捨てた。

「行きましょう」

「ええ」

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